2009年08月17日

kiss scene18

テーマ:黄昏に偽りのキスを

 龍之介が怒りに全身をふるわせ、ふたたびステッキを振りあげる。斉藤が京介を庇うようにして両者の間にたった。
 龍之介が憤怒の形相で斉藤を睨んできた。
「親が子を叱って、なにが悪い」
 京介が甲高い笑い声をあげた。
「叱る? しつけと虐待の違いも判らないあなたが、ですか」
「なんだと……」
「いい加減になさい、京介さん」
 もがく京介の両手首を、斉藤が後ろ手にしっかりと握っていた。
 斉藤が龍之介に向きなおり、抑えた声音で言った。
「私は京介さんのボディガードも兼任しております。たとえ会長といえど、目のまえで京介さんに危害を加えるのを見過ごすわけには参りません」
 龍之介は、ひくく唸り声をあげると片足をひきずるようにして専務室をでていった。孝之が後につづく。榛名は、ただ一部始終を傍観しているしかなかった。
「……もういいだろう、斉藤」
 京介だった。斉藤が掴んでいた手をはなす。京介は右手で左の手首をさすり、かすかに眉を顰(ひそ)めた。
「手形がついてる」
「暴れすぎです」
「………」


 その夜、ホテルの部屋に入ると、京介がめずらしく考えこむようにしてソファに腰をおろした。いつもなら部屋に入るなり別の人格が頭をもたげてくるのだが……。斉藤も、なにやら思案顔だ。
「朝、おまえに声を掛けてきたのは、合コンに誘ってきた営業事務の女か」
 京介が抑揚のない声で普通に訊いてきた。これもまた珍しい。
「そうです」
「今日、俺たちが出社することを知っていたのか?」
「知らなかったと思います」
「土曜出勤なのに、当然のように声を掛けてきただろう」
「そうですが……」
 榛名でさえ、今日は休日だと思っていた。朝、いきなり出社すると告げられ慌てて服を調達したのだ。別の課の大室京香が知るはずはなかった。
「手塚も姿を見せなかった。かわりに来たのが孝之とあいつだ」
 斉藤が京介のまえに浅く腰をおろした。
「今日、訪ねるからと連絡してきたのは手塚さんです。姿を見せないというのは、どう考えてもおかしい」
「連絡をいれたほうが」
「タイミングを計っているのかも知れません」
「だったら、いいが……。孝之は、今日から香港じゃなかったのか」
「妙ですね、なにもかも……」
 榛名は離れたベッドに腰をおろし、息を殺すようにして二人の会話に聞きいっていた。斉藤が榛名をちらと見てきた。
「昼間は、やり過ぎじゃないですか、京介さん」
 京介はしばらく斉藤を見ていたが、思い当たったように榛名を睨んできた。
「少しからかっただけだ」
「あまり度が過ぎると、かえって怪しまれますよ」
「こいつが下手なんだ」
 孝之の騒動があって、すっかり忘れていた。そうなのだ、昼間は泣けてくるほど悔しいおもいをした。思い出したとたん、にわかに怒りがこみあげてきた。カメラの前で裸になれというのなら、いつだってなってやる。だが、あんな屈辱的な行為に屈してまで恥をかく気はなかった。演技をしろというが、あれでは演技をする余裕などないではないか。こっちは男なのだ。心理的な高揚などなくても物理的な接触に反応することぐらい、同じ男ならわかるはずだ。
「あんな変態じみた触られ方をされたら、芝居なんてできません」
「変態……?」
 斉藤が吹きだす。榛名は口を尖らせ窓の外に視線を投げた。京介が押し殺した声でつぶやいた。
「なんの役にもたたないくせに、言うことだけは一人前だな」
「どうすれば役に立てるんですか」
「少しは自分で考えろ」
「考えています」
「笑わせるな。やっぱり卓也を選んでおくんだったな」
「京介さん」
 斉藤が京介をたしなめた。
 やはりそうだ、卓也とは結城のことだったのだ。最初から選ばれるべくして結城はあの秘書面接の会場にいた。では、どうして京介は榛名を選んだのだ。あの日、京介が結城を選んでさえいれば、榛名は何も知らずにいられた。妙な期待も、間違った自負もなく、父の会社が多額の負債をかかえるもなかった。すべてが、京介が榛名を選んだ、あの瞬間から始まったのだ。勝手に巻き込んでおいて、いまさら止めておけば良かったなど、あまりに理不尽な言い草ではないか。
 榛名はズボンのポケットの上から財布をたしかめた。財布の中に五百万の小切手がいれたままになっている。無用心だとは思ったが、いつでも辞める覚悟を持続させるのに、これはもっとも効果的な方法だったのだ。
「いまから結城さんに頼めばいいじゃないですか」
 榛名の口から結城の名前がでてきたことに、二人は驚きを隠せないようだった。
「僕は今日限り、秘書を辞めます」
「辞める?」
「はい」
「そろそろ来る頃だとおもってた」
「何がですか」
「値を吊り上げたいんだろう?」
「値?」
「一千万じゃたりない。もっと寄こせと」
 榛名は音がでるほど奥歯を噛みしめた。
「金額の問題じゃありません」
「じゃあ、なんだ」
「僕はあなたが、大嫌いですから」
「おまえ」
「副社長と同じぐらい、大嫌いです。だから、こんりんざい関わりあいになりたくないんです」
「どうしてそれを」
「どうして……?」
 榛名が意味がわからず復唱した。京介が、しまったという表情で斉藤を打ち見る。斉藤が上目遣いに京介を見ていた。
「つまり、なぜそれを昼間の専務室で言わなかったのか。そう、京介さんは、おっしゃりたいんでしょう」
「でも、それじゃ……」
「辞める口実を、カメラの前で、榛名さんの口から言わせたかった。そうですね、京介さん」
 京介は否定しなかった。榛名は、今度こそ怒り心頭に発した。それでは、これまで心を宥(なだ)めすかして耐えてきたのは、すべて無駄だったということではないか。
 一ヶ月間の契約なんて、はなから無かったんだ……。
「だったら、最初から言ってくれればいいじゃないですか!」
「いえないでしょうね。榛名さんを選んだのは他ならぬ京介さんですから。京介さん、私にも説明していただけませんか。どういうことです」
「期待していたほどには使えなかった」
「それだけですか」
「他に、どんな理由があるんだ」
「……私はこれから、手塚さんの自宅まで様子を見にいってみます。それまで動かないでください。おわかりですね」
 京介は素直に肯くと、上着を脱ぎソファに投げた。斉藤が部屋をでていく。バスルームへと向かう京介の背中に、榛名は声をかけた。
「僕は、そんなに使えませんか」
 京介は答えない。そのままバスルームのドアをあけた。
「専務、答えてください」
 京介は振りむきもせず「期待はずれだった」と、ことば少なに言った。
「………」
 シャワーの音がバスルームからもれてきた。榛名はズボンのポケットから財布をとりだし小切手を抜きだした。応接セットのテーブルのうえに無造作におく。そのままホテルの部屋をでた。ドアを閉めると同時に、忘れていた疲労が全身をつつみこんだ。契約してからというもの神経が研ぎ澄まされている。どちらにしても一ヶ月は無理だったのかも知れない。肉体的にも精神的にも疲労の限界は、さほど遠くないような気がした。本来、持つべきではない金が、あるべきところに戻った。それでいいと思った。
 これから、どこに行こう……。
 盗聴器が仕掛けられている自宅へは戻りたくなかった。かといって実家に突然帰ったりしたら、両親が心配するだろうことは目に見えている。ただでさえ経営に疲労困憊しているのに、これ以上、心配の種を増やしたくなかった。兄の誠のところなど論外だ。考えてみれば、一晩泊めてくれるような友人が、ひとりとして浮かんでこない。自分は、こんなに孤独な人間だったろうか……。
 時計を見ると午後八時を過ぎたところだった。とりあえず電車に乗ろう。そうだ、海を見に行こう。千葉の九十九里浜はどうだろう。昔、両親と海水浴に行ったことがある。近くに宿をとり二泊三日の旅行だった。夜、浜辺で花火をした。月夜の九十九里浜は幻想的で、小学校の頃の記憶でありながら、その美しさは、いまだ鮮明に脳裏に焼きついている。もう一度、見てみたいと思った。ニ、三日、ゆっくりしてもいい。京介と孝之の二人を敵にまわしてしまった。どうしたって貝原工業に継続して勤めることはできない。
 お父さん、がっかりするだろうな……。
 誠一郎は、息子が親会社に就職したと社員に自慢していた。たった三ヶ月の孝行になってしまった。やはり「期待はずれ」のレッテルは、どこまでもついてまわるものらしい。兄の誠は、どんな反応をしてくるだろう。あまり考えたくはなかった。 
 榛名はホテルをでると周囲をぐるりと見渡した。尾行はついていないようだ。ホテルを見上げ軽く頭をさげる。期待はずれだったということは、一時は期待してくれたのだろう。それでも嬉しいことには違いなかった。榛名は、ふたたび周囲に気をくばると早足に駅へとむかった。





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