2009年08月10日

kiss scene16

テーマ:黄昏に偽りのキスを

「これは専務、秘書のお出迎えですか」
 悪びれた様子もなく孝之が言った。京介が無言で榛名の腕を掴み引きあげる。榛名がふらりと腰を上げると、京介が冷めた声音で言った。
「私の榛名が、なにか失礼をしましたか」
「私の榛名。また、ずいぶんとお気に召したようですね」
「ええ。今後いっさい、榛名への手出しはご無用に願いたい」
 孝之がこれみよがしに眉をよせてみせた。
「手出しなんてとんでもない」
 京介は孝之を打ち見ると榛名をともなってホールへと出た。後に続こうとした斉藤を孝之が呼び止める。斉藤が肩ごしに振り返った。
「なにか」
「おまえの主人は、いつから貝原専務になったんだ」
「社長のお言いつけです」
「なるほど、貝原社長は弟のお守りを、おまえに押し付けたわけだ」
「あなたに答える義務はありません」
 孝之が小さく舌打ちをして部屋の奥へと姿を消した。
 京介がポケットからハンカチを取りだし、手早く榛名の顔を拭いてくる。髪から首元にかけて、ジンジャエールが粘るようにまとわりついていた。
「専務、服が汚れます」
「いいから上着を脱ぎなさい」
 そうこうしているうちにホール係が気をきかせて、おしぼりを数本持ってきた。見ると、隅の席を占めていた貝原工業の社員たちが、固唾をのんで見守っている。その中に結城の顔もあった。京介が榛名の上着を脱がせ斉藤に手渡した。次には自分の上着を脱ぎ、榛名に羽織らせる。見事な体の線が浮き彫りになった。
「寒くないか」
「はい」
 優しい……。
 これは本当の京介ではない。わかっていながら胸が疼(うず)く。始末が悪い、そう思った。


 店をでて近くのホテルに部屋をとった。部屋に入るなり京介が「とんだ茶番だ」と、苦々しげに呟いた。
「とにかく榛名さん、シャワーを浴びてきたほうがいい」
 斉藤だった。ジンジャエールを吸った髪がべったりと顔に貼りついている。甘ったるい匂いも手伝って、すこぶる気持ちが悪い。榛名は素直にバスルームへとむかった。
 シャワーを浴びてバスルームから出てくると、京介が不機嫌そうな顔をむけてきた。朝の一件だろうか。先刻の優しい京介と、目の前の京介がどうしても重ならなかった。
「朝のあれは、なんなんだ」
「………」
「女みたいな反応は望んでいない。もう少し、ショーアップを考えろ。俺だって好きでやってるわけじゃ無いんだ」
「……はい」
「なんのために、おまえなんかに大金払ってると思ってるんだ。前金だけで五百万だぞ。自分から脱ぐくらいのことしてみろよ」
「京介さん、もうそのぐらいでいいでしょう」
 斉藤がやんわりと京介をたしなめる。榛名は悄然(しょうぜんと)と俯いた。しごく惨めな気分だった。五百万の小切手は、まだ持っている。ここで破り捨て契約なんか破棄してしまおうか。だが、誠一郎のことを考えると感情に駆られて投げ捨ててしまうには、五百万という金額は大きすぎた。
 もう少し、あと少し……。
 まだ我慢の限界にきているわけではないと自分に言いきかす。京介という掴み所の無い非現実な存在もそうだ。昼間の京介は、打ち捨ててしまうには、あまりに蠱惑的(こわくてき)すぎた。ひょっとして自分は京介に惹かれているのだろうか……。
「ところで榛名さん」
「はい」
「孝之は、あなたに何を言ってきたんです」
 榛名が京介の顔を盗み見る。京介が「俺の母親のことだろう」と、吐き捨てるように言った。
「……他には」
「父の会社の受注停止は副社長の指図(さしず)だったようです」
「なるほど。他には」
「明日から香港にいくから、三日後にまた返事を訊きたいと」
「また?」
 京介が咽喉の奥で笑いだした。
「孝之のやつ、よほど、おまえが気に入ったらしいな」
「は?」
「どうだ榛名。孝之の懐に飛び込んで情報をまわしてくれたら、今の倍額だすぞ」
「僕に二重スパイになれって言うんですか」
「少なくとも孝之は、おまえを男として扱ってくれる。しかも、孝之と俺、将来どちらに転んでも、おまえは安泰だ。そのうえ二千万の金まで懐(ふところ)にはいってくる。願ったり叶ったりだろう」
 斉藤が「京介さん」と、声を荒げる。京介が肩をすくめた。榛名は拳を握りこんだ。小切手を叩きつけ、京介の頬を一発殴ってやりたくなってきた。侮辱するにも程がある。どれだけ虐げられた幼少時代を過ごしてきたか知らないが、他者の心を気遣えないような人間に人間以下の扱いを受けるつもりはなかった。
「本当に榛名さんを孝之に渡していいんですか」
 斉藤の問いに、意外にも京介は即答できず押し黙った。
「いくわけがないと思っているから仰ってるんでしょうが、榛名さんにしても孝之と京介さんが大差無いと判断したら、どちらに転ぶか判りませんよ」
「………」
 京介が戸惑ったように視線を泳がせる。どうやら榛名に対する嫌味な言動そのものが京介のパフォーマンスであるらしい。いったい本当の京介とは、どこに存在しているのだ。斉藤がソファに腰を下ろしながら「ところで」と、話題を変えてきた。
「正樹なんですが、コンタクトがとれません」
「なぜだ。店には出ているんだろう」
「店では門前払いを喰わされますから」
 京介が舌打ちをして言った。
「取引は七月上旬になっていた。正確な日付がわからなければ手の打ちようがない」
「今回は見送るんじゃないんですか」
「脈があれば、何らかの手は打ちたい」
「私には今回の情報、罠のような気がしてしかたがないんですが」
「カードスタッキング……」
「正樹は、なにか感づいたんじゃないでしょうか」
「やっぱり俺が」
「駄目です」
「………」
「京介さんは、せいぜい榛名さんのお相手をしていてください。孝之が本腰いれて榛名さんを口説きにかかってきたということは、今回の契約が功を奏しているという証左でしょう」
 京介が忌々しげに榛名を見てくる。榛名は頬のあたりを膨らませ睨み返した。
「では、私はこれで」
 斉藤が早足に部屋を出ていく。榛名はベッドに腰をおろすと、怒りの矛先を孝之にむけようと努力した。




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