2005-05-01

モモ肉 最終回

テーマ:小説:モモ肉

「なにぼっと突っ立ってんだよ」


いきなりの声に俺は我に返った。

高橋のぞみが避けるわけでもなく俺の目の前に立ちふさがったまま、人を馬鹿にしたような、それでいて挑発しているような顔で俺の顔を見上げていた。

そしてわざとらしく俺の方に再び近づいて、俺の顔を凝視しながらドスを効かせた声で「とれえんだよ」と捨て台詞を吐き、俺の体を肩でかわして通り過ぎると、うざ、と言いながらそのまま廊下を闊歩していってしまった。


高橋のぞみは、女であるということと若いということの武器が有限であることにも気づかないまま、その紙くず同然のぺらぺらの免罪符を片手に、無駄に性を謳歌し、消費しようとしている。

俺に挑発するくらいだから、エネルギーに満ちた自分の体をもてあましているに違いない。

倦怠と腐敗と、その中で交じり合う気だるく平凡な生活臭が、この殺伐とした現実の中で生き延びられる術であることを知らない。

免罪符が手元に有る限り、高橋のぞみはわかりなどしないだろう。


腐敗し始める肉にはまだまだたどりつかなそうなパンパンな高橋のぞみの太腿。

俺の好みには程遠い肉。

高橋のぞみが俺を意識しているのか、俺が高橋のぞみを意識しているのか。

そのうち俺がこの手で腐らせてやる。

俺は大きく肩で息をした。




「さあ、月曜日だし、客は来ないだろうし、気楽にいこうや」 


いつもの朝礼が済み、肉部屋に戻りながら、土屋さんは俺の肩をぽんと叩いた。

今日は台風の影響で朝から強い雨が降っている。

休日明けでしかもこんな天候では客足は遠のくばかりだ。


昨日のあの事件からは高橋のぞみに会っていない。

とりあえず俺のことで噂はたっていない。

今日は確か夕方から来るはずだ。


「こんなんだったらあんたたち二人で充分だったねえ。休みを入れとけばよかったよ」と俺たちの前を歩いていた塚原のおばちゃんがこっちを振り返りながら口惜しそうにしている。

「そういや昨日、あんたの母さん、店に来てたよ。めずらしいねえ」と塚原のおばちゃんが思い出したように俺の横に並んで言った。

土屋さんが、なんでめずらしいんだい、と聞くから塚原のおばちゃんはくだらないとでも言いたげに「生協だよ、生協。生協なら安全で安心だからってほとんどそこから仕入れてるんだとさ」と言った。


「肉も安全だと思ってんのかなあ」


「信じてるぶんにはいいんじゃないの」


「生協も宗教みたいなもんだからな」と土屋さんは言った。


俺は母さんが来ていたことは全然知らなかった。

この肉部屋に俺がまじめに通いだしてからというもの、母さんがかなりほっとしているのは事実だった。

向こうが勝手に築き上げてきた孤高の壁は徐々にだったが、確実に崩れ始めていた。

塚原のおばちゃんが「息子がちゃんと働いてるか心配で来たんでしょうよ」と俺の脇腹を肘で突っついて、子離れできてないんだからしょうがないねえ、とぼやいた。


「吉村君さあ、仕事入る前に倉庫行って不足してるパックとラップ、補充しといてくれるかなあ」


「はい」


俺は土屋さんの申し出に素直に返事をした。


店の一番北側奥にある薄暗い倉庫に入って電気のスイッチを入れる。

光をちらつかせながらジジジッと蛍光灯が唸り、小汚い様を一斉に映し出す。

山積みになったダンボール、ビニール袋、什器類、その他誰も必要としていなさそうな埃をかぶったわけのわからない物など。

それらすべてが所狭しと無造作に置かれている。

俺は湿気と埃で押しつぶされそうになる空気に辟易しながらも、パックの容器やらなんやらを適当に台車に積み上げた。

パックは百枚単位で積み重なって袋詰めにされている。

このパックが一日に何個もはけるんだから、人間の食う量はすさまじい。

日曜ともなると売り場は騒然となる。

みんな血眼になって肉を物色する。

我先にと奪い合う。

そして、俺のアドレナリンはどくどくと湧き上がる。


俺が客を吟味する日。

今から週末が待ちきれない。


<完>




2005-04-19

モモ肉 vol.18

テーマ:小説:モモ肉

 

トイレには誰もいなかった。

 

急いでいつもの、一番奥の個室に駆け込んだ。

無我夢中だった。

生活という実態。

人間という実態。

排泄物は目に見えないかたちで海へ流し、すべてきれいなものでできているように見せかけている肉の塊。

そのくせ人目がないのをいいことに汗やよだれや愛液をべたべたに絡ませてする交尾。

俺はいつも以上に興奮していた。

抑えられない。

もう抑える気にもなれない。

 

喘ぎ声が個室内に響き、そのくぐもった自分の声にすら俺は反応し、手の動きは加速した。

卑猥だ。卑猥だ。卑猥だ――――。

 

「あああ、」

 

俺は感嘆の声とともに一気に頂点に駆け上った。

快感でほとばしった精液は、便器に溜まっている水の底へ、ぼちょ、ぼちょ、と情けない音を立てながら沈んでいく。

一気に襲いかかる脱力と気だるくなる下半身。

 

俺は呼吸を整えてからそっと個室を出た。

靄が晴れたようなすっきりした気分で俺は子気味よく手を洗った。

そして目の前の鏡に映る自分の顔を何とはなしに見上げた。

事を成し終えさっぱりとした顔に、微かだが、目を背けたくなるような自己嫌悪の陰。何も考えたくはないのに、否応無しに俺を現実に引き戻していく消臭剤のニオイ。

 

何も悪いことをしているわけじゃない。

何に欲情してどこに精子をぶちまけようと、迷惑かけてない限り、俺の勝手じゃないか。

 

俺は、俺を否定しそうになる自分を打ち消すかのごとく、勢いよく出した水で顔を洗った。

そして冷たい水で引き締まった頬をパンパンと両手で叩いて勢いをつけてから、男子便所の扉を開けた。

 

その時だった。

ちょうど女便所から出てきた高橋のぞみと鉢合わせになり、しかも正面衝突のようなかたちで俺の方からぶつかってしまったのだ。

突然の出来事に慌てている俺の顔を見て、高橋のぞみは俺を上目使いでゆっくりと見上げると、見透かしたような顔をして鼻でふっと笑った。

 

気づかれた。

そう、思った。

こいつは俺の行為を壁伝いに知ってしまったのだ。

よりによってこの女に弱みをにぎられてはまずい。

何を吹聴されるかわからない。

ここにいられなくなる。

どこにもいられなくなる。

 

一瞬のうちに俺の脳はあらゆることを考え、同時に真っ白になった。

そんな混乱状態のまま、俺の体だけが勝手に走り出していた。

 

急いで俺は高橋のぞみの両肩を鷲掴みにしてそのまま男子便所の中へ連れ込んだ。

叫ばれては誰かに気づかれてしまう。

「なにすんだよ」と一瞬余裕をなくした高橋のぞみが悲鳴を上げそうになるその前に、俺はさっきまで自分が入っていた個室に高橋のぞみを押し込んで壁に押し付け、そのまま一気に首を締め上げた。

高橋のぞみは声にならない声で喘ぎながら俺の腕を掴み、引き剥がそうとする。

それはものすごい力だった。

でもそれにもまして俺の方が遥かに強い、自分でも信じられないほどの力が湧き上がっていた。

高橋のぞみの目は恐怖と苦痛で大きく見開き俺の顔を凝視している。

死を迎えるとは夢にも思っていなかったであろう、もがき痙攣している弾力ある太腿が俺の脚に絡まるようにしてあたる。

初めて見せる生への執着心。

そう、それでいい。

俺は再び欲情する。

 

殺してやる。

俺がこの手で殺してやる。

 

力を入れすぎて自分の手の痺れに気がついたときには、すでに高橋のぞみはぐったりと座り込んでいた。

用を足してきたはずの高橋のぞみは失禁していた。

俺はその剥き出しの腿を見下ろした。

力尽きた腿は生々しく、誘惑するように大きく開いている。

俺はその場にしゃがんでそっとその腿に触れる。

小便で濡れて生暖かく、肉の弾力は思いのほか柔らかい。

 

 

 

2005-04-05

モモ肉 vol.17

テーマ:小説:モモ肉

「あ、吉村君さあ、ついでに合挽きの値段付けやっといてくんないか」 


肉部屋に非難した途端、今度はつかさず土屋さんに捕まってしまった。
ついてない日は本当についてない。 

 

機械からミンチになって出てきた肉をすでに土屋さんたちが300グラムごとにパック詰めしていた。
俺は仕方なく、その山積みになりかけたパックを一つずつ計量器に乗せて、正確なグラムと値段がプリントされたバーコード付きのシールを次々に貼った。
頭を使うことも機械をいじることも肉の感触を確かめることもできない退屈な作業。
俺はいつになく苛立った。

 

土屋さんはついで仕事を頼むというよりも、ただ人使いが荒いだけだった。
塚原のおばちゃんは未だに俺を子供扱いで、一通り仕事にも慣れたし、もともとミスを犯す回数も少ないのに「ああ、こんなんじゃダメだよ」と言いながら一々手を出した。
ほかのおばちゃんたちもくだらない話を俺に持ちかけてくるたびに「あらやだわ」だの「あんたはどうなのよ」などと言いながら一々俺の体を叩いたり触ったりした。
俺はすべてに苛立っていた。 

 

シールを貼り終わった合挽き肉のパックを、ちょうど遅い昼休みを終えて帰ってきた塚原のおばちゃんが、気を利かせてか黙ってカートに乗せだした。
このままだと塚原のおばちゃんが売り場へパックを並べることになってしまう。
トイレに行く機会を逃してしまう。

 

「品出し、やっときますから」 

 

俺がむきになってそう言うと、塚原のおばちゃんは「そうかい、だったらいいんだけどさ」と少し面食らった顔をして引き下がった。
俺は誰かに指示されるということはあっても俺から意見を言うことなど、まず、ないからだ。 
俺は急いでシール貼りを終わらせて、再びカートにパックを乗せると有無を言わさず売り場への扉を押し開いた。
大音響の安っぽい音楽。
目がくらむだけの照明。
イモ洗い状態の客。
子供の甲高い声。
騒々しい光、騒々しい音、騒々しい声。

 

真夏の売り場は冷凍庫のように冷え切っている。
買い物客はうだるような暑さから逃げ込むようにして集まってくる。
てろてろのだらしないTシャツ。
そこから透けて見える締まりのない体。
素足。
短パン。
隠すつもりのない男たちの汚らしいすね毛。
突き出た腹。
それらすべてが冷え切った店内にゆらゆらと湯気を上らせている。

 

俺の動悸は激しくなった。
怒りなのか、性欲なのか。
俺はいつになく昂ぶり、大声で叫びたい心境に駆られた。

 

 

2005-03-22

モモ肉 vol.16

テーマ:小説:モモ肉
日曜の午後2時すぎ。
俺はいつものようにカートにパックを乗せられるだけ乗せると肉部屋から売り場へと勢いよく飛び出した。
まだピーク時の賑わいまでにはいかないが、そこそこ込み合いだす時間帯。
客も争奪戦になるほどの焦燥感もなく、のんびりゆっくりと売り場を練り歩く。
俺は急いで陳列棚を整理しパックを並び終え、再び肉部屋に戻りカートを脇に片付ける。
そして「3分お願いします」と誰にともなく告げ、そっと裏廊下へ出る。

俺はトイレには行かないで別の扉から売り場に出ると、売り場の空気を吸い込むように静かに大きく深呼吸する。
そして今日のおかずのメインディッシュになる客を吟味するべくおもむろに歩き出す。
ついさっき、パック詰めしていた鶏モモ肉のむちむちとした感触が手にしっかりと焼き付いている。
おいしそうな客をすばやく見つけ、俺は映像と感触をすばやく合致させる。あとは何食わぬ顔でトイレへと行けばいい。

すでに習慣となっているこの行為に、まだ誰も不審がる者はいなかった。
客は品定めをするのに懸命で人様のことなど気にもしていない。
従業員も、俺が売り場を歩いている理由などこの忙しい最中にいちいち推測することもない。

土屋さんをはじめ、肉部屋のおばちゃんたちもそれは同じことだった。
もともとトイレ休憩に行くタイミングというものがあって、肉を触りだすとその加工工程すべてが一段落しないとなかなか手を休めることができないから、ラベル張りや品出しなど、売り場へ行ったついでにトイレに行くことは誰もがすることだった。
毎回毎回トイレ休憩が長すぎない限り、たまにその時に一服したりすることも暗黙の了解で許される範囲だった。
ただそうは言っても書き入れ時の忙しい時間帯に長時間肉部屋を空けるのもひんしゅくなので、なるべく短時間でこの一連の動作を済ませていた。

このお楽しみの最中に、たまに邪魔が入ることもあった。
たいていは隣の鮮魚担当、遠藤が話しかけてくることだった。

「オレがこのクソ忙しい日曜に出たのはなんでだと思う?」

店内で一番冷え切った魚売り場にいるにも関わらず遠藤は相変わらず汗ばんだ額を袖でふいている。
いつも俺が品出しで売り場に出てくるのを待ってましたとばかりに近づいてくるのだった。
女ならともかく、常に誰かといないと耐えられない、常に話していないと落ち着かない、しかも話す内容は自分のことばかりで会話にもならない、嫌われ者の遠藤。

真夏の売り場は冷房をキンキンに効かせているから足先が異様に冷える。
おばちゃんたちは年中厚手の靴下を履いていないとからだ中が冷えて堪えるといつも愚痴っている。
それなのに遠藤はいつでも汗をかいている。
あんな不衛生なやつがよく生ものを扱っていられるものだ。
寺田は何も気にしていないようだが、あいつの汗も、売り場でたらたらとしゃべりながら飛ばず唾も、魚の上に飛び散っている。
今まで食中毒の問題が浮上しなかったのが不思議なくらいだ。
ふやけたような締まりのない体。
ガネを少しずり上げては汗をふいている袖。

俺は遠藤を一瞥しただけで仕事の手を休めなかった。
早くこいつを追いやらなければ。

「あした秋葉でさあ、例のサンプル版の配布があるんだよねえ。だからあしたは絶対休みなわけ」と遠藤は薄ら笑いを浮かべた。そしていつもの自信過剰な物言いで「今回のはかなりの期待度だからね、まずチェックでしょ」と、俺に耳うちした。
俺はロリ系アニメにはまったく興味はない。
今は、それどころではない。

遠藤は、何の反応も見せない俺の態度をどう解釈したのか、
「きみもほんとはハマッてんでしょ?」と今度は大きな声で言った。
周りにいた客がふと俺の顔を覗きこむ。
目立ちたくはないのに、かんべんしてくれ。

「べ、別に」

俺は慌てて引きつった顔で笑ってみせて早々に肉部屋へと非難した。
こうなるとすっかりペースは狂ってしまう。
おまえみたいなやつは休日は来なくていいから家でしこしこパソコンに向かってエロゲームでもしていればいいのだ。



2005-03-09

モモ肉 vol.15

テーマ:小説:モモ肉
それからというもの、俺はすっかり虜になってしまった。
客層ががらっと変るわけではなかったが、平日ではだめだった。
夫婦や家族で買い物に来ないと俺の五感は刺激されなかった。
平日に来る主婦たちだけでは、いつもの孤独な凝り固まっている苛立ちと退屈の、カサカサとした感触だけが安っぽい煌々とした店内に充満しているだけだった。

それが休日になると客の生活臭がリアルに伝わってきた。
夫婦、家族そろってやってくる。
すると不思議と売り場は気だるいような甘ったるいような空気に変る。
しかもここに来る客たちのほとんどが車で来るから、家そのままの生活状態を一緒にすべて運んでくる。
締まりのない、だらしない空気。

俺はその中を練り歩いた。
ときには夫婦の間を分け入るように。
ときには夫婦のニオイを嗅ぎまわすように。
パジャマ代わりのスウェット、つっかけサンダル、おしゃれをする気が初めからない、よれよれのTシャツの襟から覗くよれよれのブラジャー、さっきまで寝ていたと思われるような寝癖、恋愛感情がとっくに消えてなお、からだが求める性欲だけでなんとなくしてしまう夫婦の交尾。

その生ぬるさ、だらしなさが俺には無防備でたまらなく卑猥だった。
そう、腐敗しかけた肉同士。
緊張のない男と女の肢体がぶよぶよと絡み合う様が容易に想像できた。
そこに俺は生という実態を見ていた。
一見矛盾しているけれど、腐敗していく中にこそ、紛れもない生の喜びが溢れているように思えた。
そして、実際にその喜びの感触を確かめるように、俺は肉部屋でナマ肉たちの感触を味わっていた。

肉。
肉の感触。
それは、ナマ肉を仕込む度に実感となって俺の手からからだ中に伝わった。
これから食われようとする肉たち。
生命といえる機能のすべてを、血を、神経を、内蔵を、あらゆる器官を失い、さらにスライスだのミンチだのばらばらに切断されるというにも関わらず、生き生きとした弾力と色を放つ肉たち。
それらを生きものだとも思わず食らい、腐敗していく人間たち。
腐っていく、生きているニオイ。
食われていく、肉のニオイ。



2005-02-28

モモ肉 vol.14

テーマ:小説:モモ肉
俺は急いでパックを並べ肉部屋に戻ると「3分お願いします」と言ってあわてて裏廊下に飛び出した。
別に3分に意味はない。
「トイレに行ってきます」という、客の前で「トイレ」という言葉を使わないようにするための従業員同士の決まり文句。

いつもの薄暗い廊下が長く感じられる。
俺はトイレ目指して走りだしたい気持ちをぐっと抑える。
目立った行動をとってはいけない。
誰かに見られたくないし変に思われたくはない。

誰にも会わずになんとかトイレに辿り着いた。
俺はトイレにも誰もいないことを確認すると、急いで一番奥の個室に入った。
急に沸き立った欲情をどうすることもできなかった。
アンモニア臭と消臭剤が混ざったトイレ独特のニオイを嗅いでも冷静さを取り戻すことはできなかった。

俺は便座を開け、急いでファスナーを下ろすと既にいきり立っている自分のモノを手でしごき始めた。
自分でも何でこんなに興奮してしまったのかわからなかった。
家では毎日とは言わないまでも無修正画像の流出ものなどいくらでも見ていた。
簡単に女の痴態の数々を自分のものにすることができていた。
足フェチだったわけでもなければあの女が好みだったわけでもない。
あんなレベルの露出に興奮するはずはないのだ。
それなのに、俺の頭の中は、緊張が緩んだナマ足から湧き上がってくる、気だるく生々しいあの二人の生活のニオイを嗅ぎ取っていた。
そして、肉部屋で大量に処理している肉たちの弾力ある感触がそれに覆いかぶさるように俺を刺激した。

食われる寸前、食われなければ腐敗していくだけの、今が一番旬だと言わんばかりの肉の生命力。
女の柔らかそうな少し朽ちかけ始めた腿。
緊張から開放される休日。
倦怠期を迎えつつある生活。
夏の寝苦しい夜に惰性でする交尾。

俺の鼻息は荒くなった。
俺の中を流れている血が熱くなった。
堪えていた声が否応無しに漏れた。
俺はあっという間に果ててしまった。
 


2005-02-15

モモ肉 vol.13

テーマ:小説:モモ肉
平日は夕方が集中的に忙しくなったが、土日はさすがに一日中忙しかった。
そして安っぽいサービスすべてがその忙しさを助長していた。
BGMはますます客に一つでも多くを買わせようとボリュームが大きくなった。
品出ししたばかりの広告の品は出した横から消えていった。
各売り場にはラジカセが置かれ、何がお買い得か録音された叫び声がひっきりなしに流れた。

肉売り場もそれは同じで、平日の倍以上の肉をしこまなければならなくなるから、肉部屋のおばちゃんたちもさすがにこの時ばかりは寡黙になった。
日中、一番売り上げの伸ばせる時間帯に売り物が少なくなっては命取りになる。
閉店間際であれば、品薄でも店側が売り切るために値引きした残り物の奪い合いになるけれど、日中に商品が残りわずかとなると、値引きものだろうと客は不思議と手を出さなくなる。
たしかに陳列棚にぱらぱらとしかパックが並んでいないとどれも美味そうには見えないし、選り好みもできない。

俺はラベリングもし終え、整然とパック詰めされたできたてほやほやのナマ肉たちを、5段あるキャリーラックに乗せられるだけ乗せ、そのカートを力強く押しながらそのまま肉部屋の扉を西部劇よろしくバタンと押し開け売り場へと出る。

喧騒とも大宴会場ともつかないごったがえした人と音と光に軽いめまいを感じながらも、扉を出てすぐ左手にある精肉コーナーへとカートを押していく。
そして精肉売り場をざっと見渡す。
まあまあの出足といったところだろう。
日曜の客のピークは4~5時。
その時間帯になると店内は客のイモ洗い状態となる。
その前に品揃えを絶やさないよう、一気に並べていかなければならない。
俺は、どの肉を買うか吟味している客の間を縫うように割り込んだ。

客の手アカにまみれ、乱れまくったばらばらのパックたちをまず一気に手際よく手前に集める。
そしてその中でもラップが指で押しつけられてボコボコになってしまったものや、あまりにもドリップが溜まりすぎてしまったパックを素早く回収する。
消費期限がせまっているものもチェックだ。
あまり古いのを長くそのままに放置しておくと客から何を言われるかわからない。
俺は急いで陳列棚のパックを整列し直す。

「ねえ、今晩どうする?」

お互いが30代くらいだろうか、旦那と一緒に買い物に来た女がそう言いながら、俺の体に触れるか触れないかぎりぎりのところに割り込んできた。
俺は咄嗟に拒絶反応をするように体を強張らせ、反射的にその女の顔を見上げた。

おそらく普段は会社勤めをしているだろう。
今は化粧っ気が全然ないが、毎日家でぐうたらしているふうにも見えなかった。
毎日スーパーにいて女ばかりを見ているとそれぞれの人となりが見えてくる。
家にずっといる女は容姿関係なくだいだい同じ顔に見える。
歩き方、しゃべり方、笑い方、どれをとっても惰性で動いているようで、立ち居振る舞いに締まりがない。
一方、勤め人も普段着姿で人に見られているという意識はないものの、まったく締まりがないわけではなかった。
家にずっといる女とはやはり違い、ほんの少しの緊張感が垣間見える。

俺の隣に割り込んできたこの夫婦は小ぎれいな身なりをしていた。
それでも女の方は何回も袖を通しただろう少しよれた水色のTシャツと膝上のジーンズスカートで、スカートの下からは特にきれいというほどでもないが柔らかそうな素足がのぞいている。
女のすぐ後ろに立っている相棒の男も皺の取れてないストライプの綿シャツと紺の短パン姿で素足にスニーカーをつっかけている。
パックを並べている俺の視線にはちょうど、微妙な距離を確かめるように並んでいる二人の素足が入る。
普段はストッキングに覆われているであろう女の無防備な脚。
普段はスーツに身を隠しているであろう男のすね毛。
熱々の新婚でもない、かといって犬猿の仲でもない、微妙な距離感。

俺はなぜか急に落ち着かなくなった。
呼吸が早まった。
自分でも何がなんだかわからない。

なぜだ。
自分の奥底から湧き上がる、この性欲の意味を図りかねた。




2005-02-05

モモ肉 vol.12

テーマ:小説:モモ肉
土屋さんはその後、食肉処理場で研修をしたときの話をしてくれた。
土屋さんが実際に担当したところは牛肉の加工だったそうで、いくら家が肉屋だとはいえ、あのデカい牛の皮を剥いでいく工程や血抜きといって吊るした肉からこびり付いている血を洗い流していく過程を目の当たりにするのは、さすがに慣れるまで時間がかかったらしい。

「でもさ、毎日平気で買って食ってる肉を見て、いちいち牛が殺されてるところから想像してるやつなんていやしないからね。屠殺の光景見たら誰も食えなくなるだろうよ。まあ、きれいに血抜きされて成形された肉はすでに本来の肉の姿じゃなくなってるってことは確かだな」

無残な死様をすっかり排除され小ぎれいになった肉たち。
売り場では、買い物客が自分たちの胃袋に入れるのにふさわしい肉を真剣な目つきで選び、手にしていく。
どんな顔をしていてどんな性格の牛だったかは誰も知らないし誰も気にかけることもない。
パックに入っている肉のグラム数、脂身の量、加工時間などなどじっくりと、時には瞬時にそれらすべてを識別する。

そういう客を、逆に、俺は吟味する。
といってもスーパーに来るような人間はほとんど代わり映えしない。
若かろうが年をくっていようが赤ん坊連れだろうが友達同士だろうが、主婦という名の女たち。
あとは定年過ぎて趣味も生きがいもなにもない、俺と同類の男たち。

家庭の団欒風景がこの後繰り広げられるのだという、幸せな風景をこの客たちからは想像できなかった。
顔が笑っていたとしても誰ひとりとして幸せそうに買い物しているやつはいない。
どこそこの牛じゃなきゃ食べないだの、輸入ものは味が悪いだのと文句を言いながら、鬱憤をはらし孤独の寂しさを紛らわしていく。
そうでなければ買い物をしながら友達同士、誰かの愚痴をこぼしあっていく。

平日は空いていて退屈な割にはいつも売り場は殺伐として雑然としている。
そんな居心地が決していいとは言えない雰囲気にしているのは、何も客のせいだけではなかった。
殺伐とした空気を埋めようと、クラシックだろうとポップスだろうとどんな曲でもやたら安っぽい電子音で、しかも大きめな音で延々とBGMが流れている。
一体、誰がこんな音を好んで聞いているというのだろう。
静まり返ったスーパーなど活気がなくて客足も遠のくとでも思っているのか。
だからってどんな音でも出せばいいってものでもない。
それに、売り場を照らす照明もひたすら明るくすることに電気代を酷使し、肉部屋のうら寂しい安蛍光灯よりも更に寒気をもよおす青白い明るさで、ますます売り場を安っぽくしらけさせている。

わたくしどもスーパーは根暗でも陰湿でもありません。
みなさまの幸せ作りに少しでもお役に立てるよう、日々精進してまいる所存でございますので、どうぞ根明かで元気な当スーパーを今後ともご贔屓に。

安っぽい店内。
安っぽい演出。
安っぽいサービス。
どれもこれもが大安売り。




2005-01-28

モモ肉 vol.11

テーマ:小説:モモ肉

俺は腐りきっていた。
誰よりも何もより、何の気力も意思もない、腐りきったただの肉の塊でしかない。

その点「食われる」という明確な一つの目的でバラバラにされここまでやってきた肉たちの方が、よっぽどこの肉部屋の中で、いや唯一、このスーパーの中で鮮明で活力ある色と圧倒的な存在感を放っていた。
肉そのものも、こびりついている血の色も、それがどんなに抗生物質に犯され、本来の姿とは似ても似つかない物体に化けてしまっていたとしても、人間よりはよっぽどましだった。

この、俺の目の前に投げ出された肉の塊たちは死んでいるにも関わらず燻ってなどいなかった。
自分の宿命を殺されるまで気づかなかったものたちの、まだ生がこびり付いているかのような一種ぎらぎらとしたエネルギーさえ感じた。
もちろんここに来るまでに冷蔵され、すっかり冷えきって温もりなどない。
それでも体温や屠殺直前の叫び声までが、肉汁とともにじわじわと沸きあがってくるような生々しさを感じた。
魂から切り離されても今なお生きている肉片。

俺はそっと牛肉の塊を持ち上げた。
ひんやりとして気持ちよく、むちむちした感触が俺の手のひらを刺激する。
思いのほかずっしりと重く、血なまぐさい。

俺は今までネット上で様々な映像を見てきた。
世界各国で起きている戦場での写真や映像、エログロな画像はサイトでいつでも簡単に入手することができた。
でもそれだけだった。
卑猥な交尾画像はもちろん、死体、事故。それのどれもが画面いっぱいに、仮に血だらけになって映し出されても、自分の手が血だらけになるわけでも痛みを伴うわけでもない。
初めて見たときの刺激はあっという間に麻痺し、退屈になる。
それでも日常の中での残酷さに飢えているのか、染みついた癖のようにことあるごとにチェックしていた。
そしてその残忍な姿を映し出す平面の世界にどっぷりと入り、日常では目撃できない、実感のない、生きものの本質的グロさを、俺は画面からひたすら探し求めていた。

表に出ることのない世界。
生きているときよりも生に執着している死。
でもネットから一歩でも視線をずらせば、そこは嘘偽り、体裁、建前ばかりの白々しい世界。

生きものはみな、死へのカウントダウンを自ら数えることもできないまま、ただ漠然と死に向かって生きている。
盛りなんていうものはあっという間に終わり、あとはひたすら腐敗していくのをやり過ごしていくしかない。
そして本来ならその腐敗していくニオイを撒き散らして生きているはずなのに、抗菌、抗菌。臭いものには蓋をして自分たちはニオイなど放ってはいないという顔でのうのうと生きている。
すべてをきれい事で片付けている人間。

この国では誰かを殺して生き延びなければというサバイバルもない。
虫けら一つも殺せない。
他人に殺させたあらゆる食材をきれいな皿に乗せ、グルメだなんだと何食わぬ顔で食い荒らし、食い残す。
本来持ち合わせているはずの動物的残虐性を否定し、自分たちがくさい動物であることを忘れ、唯一許されている性欲という動物的欲求のみにすがり、むさぼり合う。
そのくせ、生きている実感がないだの生きがいが欲しいだのと彷徨い、生を感じることのできない肉の塊たち。

俺は、どう生きていけばいいのかわからなかった。
無駄に生を消耗している張本人が俺だった。
だからこそ俺は、ネット世界に逃げ込んだ。
嘘偽りも、真実も、中傷も、善も悪も何もかもが剥き出しな世界。
痛みも快楽も俺はこの中から見出していた。

その俺の中で、何かが変った。
この肉部屋という辺鄙な冴えない場所で、絞め殺されたナマ肉たちを前にして、俺は何とも言えない胸騒ぎを覚えた。
画面からは得がたい手触りと興奮を覚えたのだった。



2005-01-22

モモ肉 vol.10

テーマ:小説:モモ肉
ここの精肉担当者は今は全部で5人。
土屋さんと俺以外は4、50代のおばちゃんたちしかいなかった。
塚原のおばちゃんも威勢がいいが他のおばちゃんたちも負けず劣らず口が達者で、雑菌を撒き散らしているかのごとくいつまでもしゃべり続けている。
それでも手さばきは慣れたもので、狭い肉部屋内のコミュニケーションが上手くいっているからか、作業の手順について最低限の確認だけすると、なんの文句もなく自分のポジションに就いて一日の流れ作業を一定のリズムでもって規則正しく進めていく。

おそらくこのスーパーの中ではかなり順調な人間関係を保てている善良な人たちの集まりなのだろう。
でも、いくら元気なおばちゃんたちだろうと、脂切った大柄な土屋さんだろうと、なにかぱっとしない血色の悪さを感じないわけにはいかなかった。

青白い蛍光灯とそれに照らされる無機質なステンレス製の機械に囲まれているせいか、もしくは常にアルコール消毒し続けているせいで体臭も個性も自己までをも消されてしまうのか。
血抜きをされて肉の塊にしか見えないのは、むしろここで働いている人たちの方だった。
常に自己主張するべくしゃべり続けていないと、一瞬のうちにこの肉部屋の、そしてこの店の一背景として吸収され消えてしまう。
俺からしたら塚原のおばちゃんだろうがマネージャーの寺田だろうがみな同じ顔に見えた。

このスーパーという一つの建物の中で、同じ冴えない空気を吸い、同じ冴えない者同士で同じ時間を過ごす。
同じ環境にどっぷりと浸かったまさに熟成され同化していく人たち。
俺もすぐにこのスーパーという器で、どんよりと濁った生ぬるい液体の中にずぶずぶと沈んで窒息していくのだろう。
今までだって充分汚い現実の中にどっぷりと浸かってきたのだ。
今さらどこの液体に染まろうと、俺にはもうどうでもいいことだった。
それよりも、自らその液体の中に飛び込んでおきながら染まることを恐れ、もがく方がよっぽど無意味だし見苦しい。
そう、例えば高橋のぞみのように。

新入りが来る度に、みなどんな人間なのか興味津々で近づいてくる。
おそらく高橋のぞみはその中でも、久しぶりに多くの話題を提供してくれるやつだったに違いない。
要するに何でもいいのだ。
この停滞しきった環境の中で何か一つでも問題なり事件なり新鮮な収穫がありさえすれば、それを煮たり焼いたり好き放題加工し、みなでそれを食いつくし満足するのだった。
そういう意味からしたら、ここの従業員が食らいつく獲物としては、俺という人間は物足りなかったと思う。

塚原のおばちゃんが話題の提供者であることは普段の口数の多さから一目瞭然だったが、その学力でなぜ就職をしなかったのか、ひきこもりからどうやって立ち直ったのか、などと俺のいないところで一通り盛り上がってはいたようだった。
陳列棚に一斉にパックを並べていた時、隣の鮮魚ブースにいる遠藤というやつがニヤニヤしながら近づいてきて、初対面でいきなり「こんな所にご就職とはねえ」と言ってきた。

それでもおおかたの人間が俺に対して違和感もなく、むしろ好意をもってすぐに接してくれるようになったのは、俺がまじめに仕事をしているからではなかった。
俺が何事に対しても誰に対しても、異議を唱えることもしなければ逆らうこともせず、初めからここの冴えない、燻った空気と同じ要素をふんだんにあわせ持っていたからにすぎなかった。

自分が落ちぶれたことぐらい、俺自身が一番よくわかっている。



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