モモ肉 最終回
テーマ:小説:モモ肉「なにぼっと突っ立ってんだよ」
いきなりの声に俺は我に返った。
高橋のぞみが避けるわけでもなく俺の目の前に立ちふさがったまま、人を馬鹿にしたような、それでいて挑発しているような顔で俺の顔を見上げていた。
そしてわざとらしく俺の方に再び近づいて、俺の顔を凝視しながらドスを効かせた声で「とれえんだよ」と捨て台詞を吐き、俺の体を肩でかわして通り過ぎると、うざ、と言いながらそのまま廊下を闊歩していってしまった。
高橋のぞみは、女であるということと若いということの武器が有限であることにも気づかないまま、その紙くず同然のぺらぺらの免罪符を片手に、無駄に性を謳歌し、消費しようとしている。
俺に挑発するくらいだから、エネルギーに満ちた自分の体をもてあましているに違いない。
倦怠と腐敗と、その中で交じり合う気だるく平凡な生活臭が、この殺伐とした現実の中で生き延びられる術であることを知らない。
免罪符が手元に有る限り、高橋のぞみはわかりなどしないだろう。
腐敗し始める肉にはまだまだたどりつかなそうなパンパンな高橋のぞみの太腿。
俺の好みには程遠い肉。
高橋のぞみが俺を意識しているのか、俺が高橋のぞみを意識しているのか。
そのうち俺がこの手で腐らせてやる。
俺は大きく肩で息をした。
「さあ、月曜日だし、客は来ないだろうし、気楽にいこうや」
いつもの朝礼が済み、肉部屋に戻りながら、土屋さんは俺の肩をぽんと叩いた。
今日は台風の影響で朝から強い雨が降っている。
休日明けでしかもこんな天候では客足は遠のくばかりだ。
昨日のあの事件からは高橋のぞみに会っていない。
とりあえず俺のことで噂はたっていない。
今日は確か夕方から来るはずだ。
「こんなんだったらあんたたち二人で充分だったねえ。休みを入れとけばよかったよ」と俺たちの前を歩いていた塚原のおばちゃんがこっちを振り返りながら口惜しそうにしている。
「そういや昨日、あんたの母さん、店に来てたよ。めずらしいねえ」と塚原のおばちゃんが思い出したように俺の横に並んで言った。
土屋さんが、なんでめずらしいんだい、と聞くから塚原のおばちゃんはくだらないとでも言いたげに「生協だよ、生協。生協なら安全で安心だからってほとんどそこから仕入れてるんだとさ」と言った。
「肉も安全だと思ってんのかなあ」
「信じてるぶんにはいいんじゃないの」
「生協も宗教みたいなもんだからな」と土屋さんは言った。
俺は母さんが来ていたことは全然知らなかった。
この肉部屋に俺がまじめに通いだしてからというもの、母さんがかなりほっとしているのは事実だった。
向こうが勝手に築き上げてきた孤高の壁は徐々にだったが、確実に崩れ始めていた。
塚原のおばちゃんが「息子がちゃんと働いてるか心配で来たんでしょうよ」と俺の脇腹を肘で突っついて、子離れできてないんだからしょうがないねえ、とぼやいた。
「吉村君さあ、仕事入る前に倉庫行って不足してるパックとラップ、補充しといてくれるかなあ」
「はい」
俺は土屋さんの申し出に素直に返事をした。
店の一番北側奥にある薄暗い倉庫に入って電気のスイッチを入れる。
光をちらつかせながらジジジッと蛍光灯が唸り、小汚い様を一斉に映し出す。
山積みになったダンボール、ビニール袋、什器類、その他誰も必要としていなさそうな埃をかぶったわけのわからない物など。
それらすべてが所狭しと無造作に置かれている。
俺は湿気と埃で押しつぶされそうになる空気に辟易しながらも、パックの容器やらなんやらを適当に台車に積み上げた。
パックは百枚単位で積み重なって袋詰めにされている。
このパックが一日に何個もはけるんだから、人間の食う量はすさまじい。
日曜ともなると売り場は騒然となる。
みんな血眼になって肉を物色する。
我先にと奪い合う。
そして、俺のアドレナリンはどくどくと湧き上がる。
俺が客を吟味する日。
今から週末が待ちきれない。
<完>






