淫雨ー1 | タイトルのないミステリー

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第十話 「淫 雨(いんう)」


    一.


 

 ここ一週間、美野里は何をするでもなくぼんやりとした日々を送っている。起こった事に実感が湧かないでいるのだ。何気なく見ていたテレビの画面の中で誘拐事件の報道が流れていた。同じマンションの住人の子供が攫われ、近くの川からその死体が出たのだが事件前日の母親の怪しい行動から彼女が容疑者として拘留されていたが、どうやら無罪放免になったらしい。その母親が冤罪であった事を涙ながらに訴えている。何だか違和感を覚える。テレビに映っている母親をこのマンションの中で何度か見かけた事がある。子供を見るその顔から愛情らしき物は全く伺えた事がない。あの女性は望んで子を産んだわけじゃないのではないか、あの母親なら殺しかねない、そう思った事もある。テレビ画面の中の大袈裟な嘆きが芝居がかっているようにしか見えない。

(ま、関係ないか)

欲しくない子なら産まなければ良いのにと思う。美野里(みのり)は今年高校を出て今は短大に通っている。父親はいない、母一人子一人である。なのにこんな高級マンションに住めるのは遺産が転がってきたわけでも死んだ父親の保険金と言うわけでもない。そもそも父親は死んでいない、筈である。美野里はその父親には一度も会った事は無い。少なくとも、父親とその家族にとって美野里は望まれざる子供であったのだ。母は父親の愛人であった。母は美野里を身ごもり堕ろせなくなるまでその事を言わずにいた。母は賭けをしたのだ。この先の人生の為に。他の女のように飽きたら捨てられる等という惨めな人生を送らないで裕福な生活を手に入れる為に、いわば美野里はその道具に過ぎない。不仲な両親の元に生まれた母は結婚という物に全く魅力を感じないで育ったらしい。毎日毎日両親が互いの悪口を言い、果ては罵倒しあう生活は悲惨としか言いようがなかったと言う。母は結婚をしない道を選んだ。とある高級料理旅館で仲居をしていた母はそこにやってくるある政治家に目を付けた。母は若い時は結構な美人であった。と言うより、自分を少しでも高く売る為に自分磨きを怠らなかったという事である。その高級料理屋に勤めたのも大物の政治家や有名なタレントと言った人物が出入りすると言う話を聞きつけたからという理由だそうだ。母はそこでターゲットとなるべく人物を物色していた。そうして一人の男性に狙いをつけると赤裸様ではなく、謙虚さを装いながら男を攻略した。落とすのは簡単だったと母は言った。男は女好きで、はかない女を演じている母にすぐに言い寄るようになった。母は内心しめたと思ったがそんな事は御くびにも出さず、半ば男の強引な力に押し倒され無理やり関係を強いられているという状況を作り出した。勿論、母はその日の為に貞操を守ってきたと言った。男を陥落させる為には無垢な身体でいる事は必須条件であると言っていた。そしてその方が男がより自分に執着するという事を知っていたのだ。男には他にも何人もの愛人がいたが母を征服しているという思いのせいか母には特別な感情を抱くようになった。

 そうして母はまんまと妊娠した。それが仕向けられた物だとは全く疑わない男は母の身を引いて一人で育てると言う言葉に絆(ほだ)され、マンションを買い与え、産まれてくる子供が二十歳になるまでの援助を約束した。母が巧妙だったのはそこで男と縁を切って自由な生活を手に入れる為にした事であった。母は匿名で男の家に愛人がいる事を密告する手紙を書いた。ご丁寧に自分のマンションの住所まで添えて。手紙を受け取った彼の妻は血相を変えてマンションにやってきた。当然、母に夫と別れるように迫った。母は弱い女を演じ、ひれ伏してこうなった事は本意ではなかったと涙ながらに訴えた。男の女性遍歴を知っている妻は少なからず母に同情した。母の謙虚な態度が功を奏してか、今後一切関わらない条件の下にマンションも子供が二十歳になるまでの援助も黙認する事となった。勿論、それが男にとって大事な選挙の前である事も母にとっては計算づくの事であった。男の妻の一族も政治家であり、このようなスキャンダルが表に出る事は大いに懸念されるべき事であった。こうして母は思惑通り男から自由になった上で何不自由ない生活を手に入れる事に成功した。

 そんな母の話を美野里は何度となく聞かされながら育った。母が妊娠した時、当然ながら母の両親、つまりは美野里の祖父母は母が未婚の母になる事に大反対した。昭和四十一年当時、時代は今のようにシングルマザーに優しくはなかった。結婚もしないで子を産むという事は世間の白い目に晒されるという他にならなかった。祖父母はお見合いでほんの二、三回会っただけで結婚したらしい、第二次世界大戦真っ只中、いつ赤紙(召集令状)が来るか分からないという最中で跡継ぎを作るべく結婚させされたという事である。そうして昭和十九年に母は生まれた。男の子でない事で祖母は大祖母に散々、嫌味を言われたとよく母に零していたらしい。母に言わすと良く知りもしない相手と結婚するなんて、それこそ考えられないという事である。それについては美野里も同感であるが。母の意志は固く両親にどれほど罵られても気持ちが怯む事はなかった。当然である、そうなるように自らが仕向けたのであるから。それならば相手の男に話しに行くと祖父母は言ったそうだが母は頑として男の名を言わなかった。今、ここで両親に騒がれては折角手に入れたものがふいになると思った為か、案外約束を守らねばという律儀な面が母にもあったのかは定かでない。美野里にも父親の名は一度も明かさなかった。そして今となってはそれをもう聞く事も出来ない。

 何故なら、母は一週間前に何者かの手によって殺されてしまったのだから――。




  <淫雨―2へ続く>



★皆様、お待たせしました。(待ってられないかもしれませんが…笑)

すぐに新作に掛かる予定が2日ほどあいてしまいました。

ここのところ、やたら用事が多く、毎日更新を目標にしていますが

少し難しくなりつつあります…m(_ _ )m

それでも出来る限り、この先もずっと書き続ける予定ですので

今後とも宜しくお願いします。