入院・手術をする際の心構え

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『絶対に会衆には知らせない』


命が惜しければね。
これに尽きると思います。
長老はもちろん、成員も駄目です。筒抜けです。

長老や医療委員は何をしますか?
輸血を回避する手段や選択肢を教えてくれます。

普通はどうするの?
その病気に関するエキスパートを探します。

会衆はそんなことを教えてはくれません。
目的が違うからです。

◆エホバの宗教
→どこでもいいから無輸血で手術してくれる病院を紹介します。
つまり、治すことではなく『教理優先』です。

◆普通の良識ある人
→その病気を治すために最善を尽くします。
つまり、宗教云々ではなく『命優先』です。


会衆の長老や医療委員なんて必要ない、という話ではないです。
『私はこの宗教にすべてを賭けている!』、『殉教の死喜んで!』
という人間にとっては、大変ありがたい制度なのでしょう。

しかし、

輸血の教理に関して『???』な人間(信者)にとっては、
これは一転、恐怖の制度になっているのです。

ある人が、妊娠して病院を決めたときに、会衆の人間にバレて、
『そこの病院は輸血拒否の人は受け入れないはずだけど、
どうゆうこと?あなた、まさか輸血を受け入れるつもり?』
と問い詰められた、という経験を聞いたことがあります。
みなさんも、似たような経験を知ってるでしょう。
別に妊婦に限らず、外科手術を○○病院でした、と言うと
問い詰められたという話もあるでしょうね。

私も入院経験ありますが、退院した時に、どこの病院だったか、
どこの診療科、ドクターの名前は?そのように聞かれます。
家族も、ある手術をした際、同じように聞かれました。
目的は、無輸血でしてくれるドクターをリストアップして、
医療委員に報告し、委員がそのドクターに会いに行って、
今後の協力体制を構築しにいく、というのが目的のようです。

聞こえはいいかもしれません。
医療委員の仕事としてはきちんとしているのかもしれません。

しかし、識別力のある人は、この慣習が恐ろしいものである
ことにすぐに気づくはずです。
そう、これは

『完全なる監視体制である』

ということに。

生きる為に、助かりたい為に、完治したい為に、
色々考えてても、いざ病床にそんな奴等がやってきて、
・輸血カードはちゃんと持ってるか
・会衆にもきちんとコピーを渡しているか
・代理人には連絡しているか
・主治医にはきちんと説明し納得してもらったのか
・手術の同意書に署名する前に一度チェックしましょうか
・無理ならすぐに転院しましょう
…etc
そんなことばかり言われてしまうとどうでしょう?
圧力に負けて『は、はい…』と言ってしまいそうになります。
更に悪いのは病院側にもそうした認識なんだ、と誤解されて
しまう可能性があります。

本音は、イザという時には、自己血輸血は受け入れようと
考えていたかもしれないのに…
我が子には輸血拒否はさせたくない…
そのように考えていても、
命よりも教理を優先する奴等の弾圧のせいで、
選択の自由が与えられない危険性さえあるのです。

意識不明なんて状態なら尚更です。
会衆なんかに連絡してしまったら、この人死なせても
大丈夫です、と言ってるようなものです。
交通事故などそんな有事の際は、連絡してはなりません。
病院に任せるのがベストです。


実はここからが一番言いたいことなんですが…(;^_^A


医療委員が推薦する病院(ドクター)ってあるでしょ?
jwが入院すると必ずココ、っていう、いわば御用達な病院。


●決して、腕のたつドクターがいる、
って証拠じゃないからね!


そこ間違ったら絶対駄目よ!
無輸血でしてくれるから優れたドクターだ、というのは
大いなる勘違いです。

単にウチらの信条を理解して、ウチらの信条に従った

治療をしてくれるだけなんです。


この記事で使用している表現で言わせてもらうと、

『命最優先』ではなく、『教理(宗教)最優先』で治療をして
くれる、病院(ドクター)であるということです。


もっとリアルな言い方をすると、
jw御用達病院は、その限られた条件のもと治療は行うものの
限界が近づけば、(少し極端な言い方になりますが)あとは淡々と、
安らかに眠れるように事を進めてくれるだけなんです。


家族のためにも病気を絶対に治したい!
我が子の命を我が命に変えてでも絶対に救いたい!
と真剣に、切に願っている人に、そんなカスみたいな病院や
ドクターの情報しか与えない組織なんて、どう思います?
 .

そんな病院で本当に満足ですか?後悔一切ないですか?



そうしたことを総合的に考えると、

病気にかかったこと、入院したこと、手術をすることなど、

そうしたプライベートな事は、会衆に絶対に言わないのが

ベストだと思います。



殺されますよ!組織に。



輸血拒否して殉教の死を遂げて、ものみの塔に経験で

載っても嬉しくありませんから!( ̄へ  ̄ 凸




輸血拒否の教理が、その通りだ!と思うなら、それは勝手です。


しかし、血は神聖なもの、地に注ぎだすべき、血を食べてはならない、

それらの聖書中の言葉は、本当に輸血拒否までも含んでいるのか、

今一度考えてください!

本当の神さまはそのような仕方で死を遂げる姿を見てどう思われるのか

考えてください。

私個人としては、輸血拒否という考えは、極端な適用の一例に過ぎない

と思っています。血を避けなさい、を極端に解釈して、輸血拒否する人も

いるかもしれない。その決定は尊重されるべきだし、誰も咎めることは

できませんが、それを教理として制定するのは間違っていると思います。

まして故意に輸血をすれば断絶したものとみなし、忌避の刑に処すとか…

そんな滅茶苦茶な話ありません。


自分の胸に手を当てて…

そして自分と自分の家族の笑顔を思い浮かべながら…

この輸血拒否の教理に対して、自分の本当の心は何と言っているか、

問うてみませんか?

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