東京五輪エンブレムは公明正大な選考を考えよ | 岐路に立つ日本を考える

岐路に立つ日本を考える

 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


人気ブログランキングへ

 東京オリンピックを巡るエンブレムに関する騒動は、昨日佐野研二郎氏が自らのデザインを取り下げたことで、一応の決着をみた形となりました。

 この一連の騒動の中では、佐野氏のデザインのパクリ疑惑の真偽が争点となりましたが、問題はそこだけにあったわけではない点を私たちは忘れるべきではないでしょう。佐野氏のデザインに決まったことが報じられ、このデザインだと示された段階で、このデザインに対する強烈な違和感が私の中ではわき上がりました。そしてそのような違和感を感じたのは私ばかりではなかったと思います。ネットにおいても「お葬式エンブレム」といった批判ばかりが目立ち、なぜあのデザインが選ばれたのかについての疑問が噴出していたものの、あのエンブレムを高く評価する意見を目にすることはありませんでした。

 一般国民の多くが違和感を抱き、心から支持する気持ちになれないようなデザインが採用されるに至ったことを考える時、問題の根源が佐野氏個人にあったわけではないことが浮かび上がります。問題はむしろ選考過程にあったと考えざるをえないわけです。

 東京オリンピックの招致の際に利用したエンブレムは女子美術大学の学生だった島峰藍さん(現在は東京芸術大学大学院生)が手がけたものでしたが、今回のエンブレムには彼女は参加資格がありませんでした。ちなみに長野オリンピックのエンブレムを手がけた篠塚正典氏にも参加資格がありませんでした。というのは、今回の応募資格は、東京ADC賞など7つの特定されたデザインコンペのうち、過去に2種以上受賞(佳作対象外)しているデザイナー・グラフィックデザイナー・アートディレクターに限られるという厳しい制限がついていたためです。

 また佐野氏の案は原案通り決まったわけではなく、原案から大幅に修正されたものだということが報じられましたが、そもそも原案がアウトだったと判明した段階で排除されるべきものだったとはいえないでしょうか。佐野氏に対して極めて甘い対応をしている経緯を見れば、初めから出来レースだった疑いをもたれても仕方ないようにも思います。

 ネットでは、多摩美大の佐野氏の教授仲間に永井一史がおり、その父親の永井一正氏が今回の選考委員長を務めていたこと、佐野氏の実兄で経済産業省キャリアの佐野究一郎氏は「永井一正ポスター・ライフ1957-2014展」の取り計らいで一正氏と深い関わりを持っていたこと、博報堂時代の佐野氏の部下だった長嶋りかこ氏やサントリートートバッグデザインなどで深い関係を持っていた高崎卓馬氏も選考委員であったことなども指摘されています。そして、こうした人的関係の中で、相互に審査委員と応募者の立場を順繰りしながら受賞歴を積み上げていっているのではないかとの疑惑も具体的に提起されています。

 人数も限られた業界での話ですから、有名デザイナーであれば、佐野氏と同じような人的関係があるのは珍しくない話かもしれません。しかしながら、佐野氏に有利になるような枠組みが作られ、佐野氏が特別扱いされて今回そのデザインが選出された疑念は、先にも書いた選考過程の不自然さから見てぬぐえないわけです。

 新たに選び直すエンブレムについては、公明正大なデザイン選出という仕組みづくりを徹底的に意識してもらいたいと思います。

 同時に、同様に韓服への酷似を指摘されることもある、東京オリンピックのボランティアの服装デザインについても、国民の賛同がどの程度得られるか、世論調査を実施してみてはいかがでしょうか。国民の賛同が得られないようであれば、こちらについてもあっさりとデザイン選考をやり直してもらいたいと思います。


(http://i.ytimg.com/vi/BNh-rz9VjJU/maxresdefault.jpg)


人気ブログランキングへ