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2006-02-28 20:44:28

映画版「曽根崎心中」

テーマ:映画(ビデオ他)

曽根崎心中

映画版といっても宇崎竜堂主演のATG作品ではありません。
これは文楽の「曽根崎心中」を実際の舞台(ロケーション)で演じ、
それをフィルムに収めたという大変珍しい作品。

1981年制作で公開は当時、岩波ホールでの上映でした。
今回珍しくNHK-BSで放送されていたので鑑賞した次第。
検索サイトの映画コーナーにもなぜかこの作品は載ってなくて
素材もないものですから、しょうがないので過去のチラシをひっぱり出してきて
やっと公開当時のチラシを見つけました。

監督:粟崎碧
撮影:宮川一夫
出演:吉田玉男、吉田蓑助、竹本織大夫(義太夫)、鶴澤清二(三味線)

実写映画でもない、かといって舞台中継でもない…
名手・宮川一夫の撮影により人形たちが、
文楽の額縁舞台ではとても味わえないダイナミックな角度からとらえられていて
特に義平次が正面の遠くから歩いてくるショットなんてのは、
とても文楽の舞台では見ることの出来ない、印象的なカットでありましたね。

人形遣いは徳兵衛が吉田玉男、お初が吉田蓑助のゴールデンコンビ。
但し、映画版ということで人形の動きを重視するというコンセプトから
2人とも黒子に徹しての登場。
20年前のちょっとお若い2人の姿を見たかっただけに残念、残念。

あと義太夫と三味線は完全にナレーションのポジション。
文楽の忠実な映像化だから、こういう扱い方なんでしょうが、
ナレーションでズーッと語りを聞き続けるというのは結構つらいもの。
やはり一流の大夫を起用しているのだから
人形遣い同様、ちょっとくらいその【姿】を見たかったもの。
例えばロケーションなのだけれども人形の横で大夫さんと三味線がいる、とかね。
ちょっとシュールな空間にはなってしまいますけど…。

しかし全体を通して見た印象では、
文楽は面白いのだけれど、やはり難しいですね。
文楽自体、歌舞伎と違って現代の人に媚びる芸でもありませんし、
特にこの作品は、文楽の忠実な映画化ですから、解説なども何もなく、
舞台鑑賞の時には【イヤホンガイド】【床本】が欠かせない私としては、
2月公演のパンフレットについてきた床本を必死に読みながら
この作品を鑑賞してしまいました。
…お恥ずかしい話ですが。

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2006-02-27 02:10:07

人形浄瑠璃文楽二月公演<第三部>

テーマ:伝統芸能

2月文楽

2/26 国立劇場小劇場にて


国立劇場の2月文楽公演に行って来ました。
文楽の人気はますます絶好調で、今や前売り初日に必死で取らない限り
土日の鑑賞はほぼ絶望的になってしまってますね。
まぁ当日券もそこそこ売っているようですが、
なにせ三宅坂まで別の用事で行く事もありませんから
「~ながら見」というわけにも行きませんので、
どうしても「文楽を見るんだ!」という意気込みのもと前売券をゲットせんことにゃ
どーしよーもないんですね。
特に会社員の身分としましては土・日曜日のチケットを!です。


2月文楽公演   


 〈第三部〉17時開演


  天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)

   北新地河庄の段
   天満紙屋内の段
   道行名残の橋尽くし


と、いうわけで今回鑑賞したのが第3部「天網島時雨炬燵」
これは近松門左衛門『心中天網島』を後に改作したもの、
近松半二作『心中紙屋治兵衛』から「北新地河庄の段」を、
菅専助作『増補天の網島』から「天満紙屋内の段」を一つの曲として上演したものです。

タイトルだけを見てもピンと来ない方のために言うと
今日歌舞伎で上演されている「河庄」「時雨の炬燵」の原作がまさにこの2作であり
今回はこの歌舞伎でおなじみの演目の文楽での上演というわけです。

今日でこそ近松門左衛門の原作は、文楽で度々上演されていますが、
実は文楽でも近松門左衛門の原作は初演からしばらく上演されないケースが多く
この有名な『心中天網島』も初演からはしばらく上演されず
もっぱら人気曲は改作である『心中紙屋治兵衛』や『増補天の網島』だったようであります。

近松門左衛門の原作が初演からしばらく上演されないのは何となくわかります。
近松の原作は実際に起きた心中事件をもとに戯曲を書き上げましたから、内容が非常にリアル
まぁ今で言ったらワイドショーの再現フィルムみたいなもの。
だから良く言えば“リアル”、悪く言えば“内容が辛辣すぎる”わけです。
確かに『心中天網島』を見ると治兵衛と女房・おさん、そして紀伊国屋小春のドラマは
不幸の上に、タイミングの悪さもあって不幸がまた重なって仕舞には
「これじゃ心中しなくちゃしょうがないでしょ」と
見る側も思わず納得してしまうほどの辛辣さであります。
初演当時は見る側も「物珍しさ」があったでしょうから野次馬根性で楽しんでも、
再演となって来ると見る側も演じる側も、
この辛辣な内容を何度も見たくない(演じたくない)となってくるのでしょう。
ですから改作を施して幾分でも「見やすくなった」内容の方が好まれてきたわけです。

特に【役者の魅力で見せる】歌舞伎の世界ではなおさらのこと。
当代の人気俳優たちが、陰惨な近松の原作を忠実に演じるのは、
自分の人気を保つ上でも敬遠されたのではないでしょうか。
「もうちょっとさぁ、お客さんが見やすいもの書いてよ!」
当時の人気俳優たちが、近松半二あたりに文句タラタラ泣き付いている姿が目に浮かびそうです。

ですから今回上演された「天網島時雨炬燵」
内容としては非常に楽しめる“見やすい”作品です。

「北新地河庄の段」では歌舞伎でも有名な、太兵衛と善六の「口三味線」の端場
(2人が口三味線で治兵衛の悪口を並べ立てる)がつきますし、
治兵衛が小春に裏切られたと悶絶するところも義太夫の語り、人形のしどころ共たっぷりで、
歌舞伎で言えば当代の藤十郎が熱演する姿がダブってくるほどであります。

また次の「天満紙屋内の段」も、
近松の原作ではあれほど“辛辣”な場であるにもかかわらず、
改作では「そこまでの悪人はこの世にはいない」とばかりに
登場人物たちがどこか“救いのある”設定となっています。
最後2人が心中を選ぶのも、追い詰められた結果ではなく
不慮の事故が起きてその責任を感じて…といったもの。
やはり最後まで原作の持つ“辛辣”な味は隠されています。

確かに当時の観客たちの「少しでも見やすいものを」といったリクエストから生まれたのが
「天網島時雨炬燵」なのでしょう。
しかし今日、近松の原作も知ってしまった身にとりましては
「天網島時雨炬燵」は見やすい作品ではありますが、
2人が心中という手段をとらざるを得ない状況というのは
圧倒的に近松の原作のほうが説得力を持っていると感じます。
また文楽という【義太夫】と【人形】がセットとなった【立派な芸術品】で演じられますと、
近松の「心中天網島」もそれほど辛辣には感じずに、
これはこれで立派な芸術作品として見られてしまうのです。
これが歌舞伎となってくると、
やはりまだ【役者が演じるエンターテイメント】の色合いが充分残ってますから、
近松の原作よりは改作の方が見やすいと思います。

ここに今日の文楽歌舞伎違いをちょっと見る事ができるとも言えるでしょう。


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2006-02-26 21:25:39

「単騎、千里を走る。」

テーマ:映画(映画館 2006年)

単騎、千里を走る

健さんが一番【素朴】だった!


2/25 Tジョイ大泉 にて


監督:チャン・イーモウ、降旗康男(日本撮影パート)
脚本:ヅォウ・ジンジー
出演:高倉健、寺島しのぶ、リー・ジャーミン、チュー・リン、ジャン・ウェン、他


  長年の間絶縁状態だった民俗学者の息子が病に倒れ、
  余命わずかだと知った父親の高田(高倉健)は、
  息子のやり残した仕事である仮面劇「単騎、千里を走る。」を代わりに完成させようと、
  単身中国の奥地・雲南省麗江市へ旅立つ。
  この旅は高田にとって長年の確執によって生じた親子の、
  埋める事の出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった…。


チャン・イーモウはエンターテイメント超大作
「HERO」(2003)、「LOVERS」(2004)と寄り道をしながらも、
また高倉健という好素材を得て、「あの子を探して」「初恋のきた道」(1999)の頃のような、
極めて素朴な、極めてシンプルな世界に戻ったようである。
それくらい本作「単騎、千里を走る。」はシンプルで、余計な混じり気がなく、
見る者にテーマがスーッと伝わってくるような素朴さに溢れた世界であります。


チャン・イーモウの素朴路線の作品は、登場人物たちの【顔】が実に素晴らしい!
有名な仮面劇の俳優だというリー・ジャーミンや、
彼の生き別れだという息子ヤン・ヤン役のヤン・ジェンボー、
そして彼がしばらく滞在する中国の奥地の村長を始め村の人々、
その一人一人の顔が実に素朴で素敵!
演技についても「果たして彼らは演技をしているのだろうか?」と思わされるほど素朴で自然
その自然な素朴さが、高倉健扮する高田の心を徐々にほぐしていくという物語の設定に
実に違和感なくからんでくるのだから見事である。
高田のガイド役を買って出る、実は日本語がほとんどわからないのに
「日本語が分かる!」と高田を半分だましてしまうチュー・リンでさえ、
高田から少しでもお金をもらおうという素朴な気持ちからでた【ウソ】であることが
極自然に見えてしまうくらいの素朴さである。
あの役をプロの中国俳優が演じていたら、
きっと大芝居に演じてもっとウソ臭い印象を受けてしまったであろう。


そして何よりこの作品の中で一番素朴なのは主役の高倉健である。
もともと日本での主演映画でも、
健さんはどちらかといえば【不器用】【朴訥】な人物ばかりを演じており、
朴訥な健さんを共演者たちが達者な演技で盛り上げていたのが定番であった。
そんな【朴訥】な健さんが【素朴】な人物たちに囲まれるのだから
これはもうチャン・イーモウの素朴路線の作品には持って来いの【逸材】であります。
特に【名演】でもなければ【熱演】でもない、
どちらかといえば高倉健がそのままその場にいる。
しかしその自然な佇まいがチャン・イーモウの素朴な演出によって
実に味わい深く、存在感あふれる役へと変貌するのですから、
これはもうチャン・イーモウの演出の勝利なのか、
高倉健という役者の存在感の勝利なのか
ちょっと軍配をどちらにも上げたくなる、そんな感じでありました。


しかしこの作品全体を、私は手放しでは喜べませんでした。
それは実に「惜しい!」のあります。
それは中国のパートがありだけ【さりげない】演出であったのに、
オープニングとラスト、そして途中で挿入される日本のパートがまぁ【大芝居】
ベタベタしていて、すっかり中国のさりげなさを打ち消して閉まっているのでありますね。
最初見た時は、あまりにもベタベタした描写に
「チャン・イーモウも日本のメロドラマまでも研究したのか!」と逆に関心すらしてしまったのだが、
後でパンフレットで確認したら、何てことはない、
日本のパートは監督の降旗康男以下、日本スタッフたちで撮影されたというではないか。
どうりであの【泣かせ】のシーンはやたらとベタベタしていたはずだ。
まあ諸処の事情でチャン・イーモウが全てのパートを監督とはいかなかったのだろうが、
中国のパートの【さりげなさ】と、日本のパートの【ベタベタ】さ
あまりのギャップにちょっと閉口してしまいました。

だって「あの子を探して」「鉄道員(ぽっぽや)」の世界が同居するようなモンなんですから!


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2006-02-25 23:46:35

2/25「日本の話芸」 神田松鯉「義士銘々伝より 赤垣源蔵徳利の別れ」

テーマ:演芸

2/25に放送されたNHK教育「日本の話芸」を見る。
演目は講談神田松鯉「義士銘々伝より 赤垣源蔵徳利の別れ」


「冬は義士 夏はお化けで 飯を食い」
神田松鯉師も高座で言っていたように
講釈師を端的に言い表した見事な川柳だと思います。

かつては上野の本牧亭を定席としていた【講談】
今では寄席での色もの出演者の1ジャンルになってしまいました。
「SWAの神田山陽は落語家じゃないんだよ」と言っても
それを知ってるのが、見に来ている観客のどれくらいいることか。
それでも落語芸術協会の定席では今回出演の神田松鯉や前述の神田山陽
女流講談の神田陽子神田紫などが出演してますが、
落語協会での定席では確か神田茜ひとりだけ。
「日本の話芸」で月1回は必ず放送している講談も、
【落語ブーム】と言われている中、どれだけこの【講談】のジャンルを知っている人がいることか。
しかも寄席で講談の出演者があっても、
まずは「講談とは何か?」「この道具(釈台や張り扇)は何か?」の説明が必要で
おのずとそれに時間をとられてしまいますから
肝心の噺の方は【ダイジェスト版】になってしまうのが現実。
講談の世界とじっくり向き合える「日本の話芸」は
【講談】を知る上では今や、本当に貴重な場かもしれません。


そういう私も「日本の話芸」は毎週見てはいるものの【講談】の回はなぜか毎回パス
理由は簡単。
この番組はいつも「ながら見」をしてしまっているから。
だって講談って、集中して聞いてないとすぐに筋が分からなくなってしまいますからね。
だから今回は良い機会だった。
真正面から「講談を聞いてやろう」と胆に命じてテレビの前に座ったから。
出演者も神田松鯉師と、かつて落語芸術協会の寄席で見た事のある

「知った顔」であったからなおさらひと安心。

演目は「義士銘々伝」から「赤垣源蔵徳利の別れ」
おなじみ【忠臣蔵】の世界は歌舞伎の他にも講談の世界ではスタンダードナンバー。
最初に書いた川柳がそれを端的に物語ってます。
今回は忠臣蔵の中でも本筋から外れた四十七士各々のエピソード、
だから「銘々伝」、うまいあて字であります。


  討ち入り前日に四十七士のひとり赤垣源蔵が兄に別れを言いに訪問するが、あいにく兄は不在。
  明日は討ち入りにつき、兄の帰宅を待つ事ができない。
  仕方なく兄の着物の前で持参した徳利を片手にチビリチビリ。
  翌日、兄が家へ帰ると
  日頃滅多に訪れない弟が何やら神妙な面持ちで家に来たと聞いて
  「何かあったか?」と虫の知らせ。
  そうこうするうちに野次馬が家の前をバタバタと通り過ぎる。
  その野次馬たちが言うには「大石内蔵助率いる四十七士が吉良宅に討ち入りに入った」の噂。
  弟の親分はまさにその大石内蔵助。
  彼は召使を泉岳寺へ向かって行進を行う四十七士のもとへ走らせて、弟がいるかを確認させる。
  召使は行進する四十七士のもとに追い付き一人一人をジーッと見てみると、
  中にひとり徳利を持った義士が…。


「四十七士が討ち入りに入った」の野次馬たちの噂を聞いてから物語は急展開
流れるような松鯉師の読みに、響く美声。
「パン、パ、パンパン」と張り扇の音色も心地良く、
最後に兄弟の情愛をしっかり見せて、まさに講談の【語り】の世界の真骨頂
「赤垣源蔵徳利の別れ」の前に
「浅野内匠頭の殿中での件」が詳しい解説で一席つき
忠臣蔵豪華2本立てにて30分が終了。
久々に味わう落語にはない、講談の【語り】の世界。
たまにはテレビと向き合って、講談の世界とジックリ格闘してみるのもいいもんかもしれません。


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2006-02-21 14:42:26

「ジャーヘッド」

テーマ:映画(映画館 2006年)

ジャーヘッド

何もしない兵士の【むなしい】姿を【反戦メッセージ】に置きかえる大国の欺瞞!


2/18 Tジョイ大泉 にて


監督:サム・メンデス
原作:アンソニー・スオフォード
出演:ジェイク・ギレンホール、ピーター・サースガード、ルーカス・ブラック、クリス・クーパー、
    ジェイミー・フォックス、他


  1989年、18歳のスウォフ(ジェイク・ギレンホール)は
  海兵隊員の父親と同じ道を進むべく、自分も海兵隊に志願する。
  しかし狙撃手として湾岸戦争下のイラクに派遣されるが、実践の予定は全くなく
  演習と待機の日々ばかりである。
  何もしない日々が続き、その肉体をもてあまし始める兵士たち。
  そして遂に海兵隊員たちが戦場に送られる命令が下るのだが…。


始めこそスタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」と同じような
兵役希望の青年たちを鬼の指導官がケチョンケチョンに罵倒する、ハードな演習風景が続く。
「いかにも戦争映画っぽいな」とその後の展開に期待させられるが、
その後の展開たるや「フルメタル・ジャケット」のパロディかのごとくに
全く対極にストーリーは展開していく。

※以下ネタバレしていきます

本当に戦場では全く何も起こらない
即戦力で戦場に駆り出されるのかと、意気揚揚とイラクに派遣される海兵隊員たちだが、
上層部からの命令は無情にも「待機!」の一言のみである。
新聞もない。テレビもない。
砂漠の中に取り残された兵士たちは、今イラクで何が起こっているのかすらわからず、
ただひたすら上層部からの「待機!」の命令に従うしか術はない。
鍛え上げられた肉体はその内、活動できる場を失い欲求不満を起こし、
兵士たちは夜、禁止されている乱痴気騒ぎと酒で一時エネルギーを爆発させるしかない。
「待機!」の命令は変わらず、無意味に兵士の数ばかりが増えて行く日々。
やがて「実戦!」の命令がおり「やっと国のために活躍できる!」と盛りあがる兵士たち。
しかし戦場に趣いた兵士たちを待っていたのは、
すでにハイテク戦闘機により争いが集結してしまった残骸処理でしかなかった。
しかも誤爆により吹き上げる石油の後処理までさせられるハメに。
「国のために働くんだ!」という意気揚揚たる気持ちはやがて【むなしさ】へと変わり、
戦場での人間兵器として鍛えられた肉体と精神はやがて悲鳴をあげ始める…。


ベトナム戦争の頃は、何も知らない青年たちが突然戦場に駆り出され、
地獄のような日々を戦場体験し、
終戦後も地獄の日々が日常生活のトラウマとして残ってしまっていた。
そしてそれが終戦後に強烈な反戦メッセージとして、
ベトナム戦争の真実を告発するという形で数多くの映画が作られた。
しかしそれから30年後の湾岸戦争で戦争の形態は全く変わってしまった
兵士などいらないのだ。
兵士は敵国に対する【威嚇手段】のひとつでしかない。
戦争は少数の人間たちにより操縦されたハイテク戦闘機が全てやってくれるからだ。
では、なぜ兵士たちはあれだけハードな演習を経て、人間兵器と化して戦場に送られるのか?
その答えを戦争大国・アメリカは一切出そうとしない。
兵士たちは【何もわからない】まま、【何もしない】まま無念にも帰国させられる。
しかし肉体は【人間兵器】ままである。
その欲求不満のエネルギーが、湾岸戦争の真実を告発するという形となって

この「ジャーヘッド」という作品を生んだ。
30年という年月は戦争の形態も、戦争を扱った映画の内容すらも180度変えてしまったこととなる。


しかし本作の【何もわからない】まま、【何もしない】まま帰国させられた
兵士たちの【むなしさ】を反戦メッセージの手段に使うというのには
私は異議を声を大にして唱えたい
「それは大国の欺瞞じゃないか!」と。
現にハイテク機器によりイラクの戦場は焼け野原(砂漠?)に死体の山である。
殺された人たちはたまらない。
殺される手段がハイテク戦闘機だろうが兵士たちの手であろうが、殺人は【殺人】である
なぜアメリカ映画界は、独り善がりな【正義】を振りかざして【湾岸戦争】を開戦したのかという
根本的問題を告発しようとしないのか。
近年の【湾岸戦争】の記憶も生々しいし、この根本的問題を告発することは、
現政権への痛烈な批判とも捉えられかねないから、タブーになっているのだろうが、
根本的問題を告発しない限り、反戦メッセージは見る側には全く伝わってこない

私はこの「ジャーヘッド」を見ながら
一兵士の【何もしない】姿を借りて、
またサム・メンデスという一流の演出家の手を借りて
戦争大国・アメリカという国が
「戦争はしたけど実際の兵士たちは何もしませんでしたから」という
近年の【湾岸戦争】を含めた【言い訳】を必死にしているように見えて、
見ていて胸がムカムカして仕方がなかった。


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