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2006-01-31 22:48:34

こまつ座「兄おとうと」(その3 この戯曲の再演について)

テーマ:演劇

兄おとうと

昨日からのつづき

今回の【大増補版】は、1場増えております

それは休憩を挟んだ第4場「吉野信次宅の場」で、
吉野信次宅に、兄の作造以外(作造は執筆のために別の場所で缶詰になっていた)の人間が集まり
寝止まりしている所に、当時流行していた説教強盗(小嶋尚樹、宮地雅子)が入り込む
というエピソードであります。

なぜ自分たちは強盗をしなければならなかったのかをトウトウと話す2人(夫婦)。
最初は強盗に脅えながらもいつか2人に同情し始める信次に細君2人。
バリバリの官僚一庶民にフッと戻ってしまった一瞬を切り取った、
笑いの多い場でありました。
この場はこの場で、まぁ楽しめました。
しかし戯曲全体を眺めた時には、果たして必要な場だったのかの疑問が残ります。

この「説教強盗の場」の前の「東京帝国大学の研究室の場」で
吉野兄弟は思想の違いから決定的な【決裂】をしております。
そして初演の時はこの【決裂】から一気に時代は流れ、
作造が病に倒れた最晩年にやっと細君の引き合わせで信次と再会し【和解】する
「小山屋旅館の場」となっておりました。
確かに時系列からいってもこの第3場と第4場(再演は第5場)は
「時代が離れ過ぎている」という印象は初演鑑賞時も思いました。
しかし【決裂】から【和解】へ、あれだけの時間が必要だったという部分では、
初演時のこの唐突さもある意味納得できることではあります。
それを今回、第4場として「説教強盗の場」というユーモラスな場を入れてしまったことで、
【和解】の重要性が希薄になってしまったと私は思うのです。
何せ前の場で【決裂】した兄弟が次の「説教強盗の場」では寝止まりこそしないものの、
信次宅に作造は間借りしており、しっかり【和解】してしまっている設定なのですから!
これでは次の「小山屋旅館の場」での【和解】の感動も薄くなってしまいます。

確かに実際には「説教強盗の場」の後に時代が時代ですから兄弟は再び【決裂】し、
真に【和解】したのは作造にもう“死”の影が忍び寄るくらいにまでなった
「小山屋旅館の場」までかかったのでしょう。
それでは尚更、戯曲自体は見事なのですから
もう1回、最晩年までかかった兄弟の決定的な【決裂】の場を間に入れて欲しかったし、
そこを私は今回の再演で見たかった。
再演ということで「説教強盗」という時代の雰囲気を表現する場を加えて、
兄弟の関係の「時間の流れの唐突さ」を回避させたのでしょうが、
この唐突さが、初演時には剥き出しなまでにストレートに【和解】が表現され、
そこに私は感動したものですから、
再演では逆に感動が薄れてしまい何とも残念な結果でありました。

しかしそう考えるとこの「兄おとうと」の初演が井上ひさしの遅筆により初日が遅れた、
いわば“やっつけ作業”だったにもかかわらず
いかに戯曲・演出・演技陣が短時間で一丸となって
素晴らしい舞台を作ってしまったということになりますね。
「火事場の馬鹿力」という言葉がある通り、
決して時間をたっぷりかければ何でも良くはなるという事は無いようです。

今回再演を見ても戯曲の“場”は増えても作品の【主題】には揺るぎ無いものを感じましたし、
井上ひさしがこの戯曲を初日が遅れ、やり残した事があったとしても、
資料を徹底的に調べ上げ、考えて考えてこの「兄おとうと」を発表したという事が、
かえって再演を見る事で思い知らされました。
やはり井上戯曲は今後、再演もチェックしていきたいとは思いますが、
何はともあれ【初演】をまず見るという行為は今後も変えられそうにありませんね。

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2006-01-30 22:36:49

こまつ座「兄おとうと」(その2 戯曲・演出他について)

テーマ:演劇

兄おとうと

2/20 紀伊国屋ホールにて


脚本:井上ひさし
演出:鵜山仁
演奏:朴勝哲
出演:辻萬長、剣幸、大鷹明良、神野三鈴、小嶋尚樹、宮地雅子

「兄おとうと」は明治・大正・昭和と
【民主主義】【大正デモクラシー】を主唱し続けた
思想家・吉野作造の評伝であります。

【東北の神童】から東京帝国大学の教授になり、軍国主義真っ只中の当時に
恐れも知らず【民主主義】を提唱し続けた【兄】吉野作造(辻萬長)。
彼には十歳年下の弟がいた、吉野信次(大鷹明良)。
東大法学部から農商務省に入ったバリバリのエリート官僚。
後に大臣も経験する軍国時代の最先端を走る敏腕の政治家。
兄に負けじと勉学に励んだためにエリート官僚そして政治家にまで上りつめた【弟】。
ともに学問に励みながらも、これほど違う道も珍しい全く対照的な道を選んだ2人。
この兄弟、ともに信念が固いため、いがみ合いこそなきにせよ
【兄弟】で枕を並べたのは生涯ほんの数回。
しかもこの兄弟の細君たるや血のつながった実の姉妹(剣幸、神野三鈴)という奇遇。
考え方の違いから決定的な決裂をした【兄弟】を再び引き合わせたのは細君同士の【姉妹】であった。
「兄おとうと」はその【兄弟】で枕を並べた“数夜”にだけスポットをあてたストーリーであります。


井上ひさしの「兄おとうと」での作劇術は今回も絶好調であります。
明治から大正、昭和へと数回顔を合わせる【兄弟】。
最初の方こそ【兄弟】としての親しい会話を交す2人だが、
話が進めば進むほど行き付く先は「お互いの批判」。
は当時の軍部に仕切られている政治状況を嘆き、
弟及び弟が取りしきる【国】を批判し政治の不在を説く。
対するは兄のラディカルな思想を「危険だ!過激すぎる」と批判し、
時代に即した訴え方をするよう諭す。
お互いの会話は【兄弟喧嘩】の枠を超え、毎回思想と政治の【論争】へと発展していく。


【兄弟】が顔を合わせるほんの短い時間という設定ながら【兄弟喧嘩】から【論争】へ、
【やわらかな会話】や【歌と踊り】で観客を笑わせ、楽しませながら、
徐々に兄弟の口を通じて【固い会話】へと進んで、
作品の主題へ切り込んで行く巧みな井上ひさし一流の台詞術。
【兄弟】の口から発せられる台詞から、
それぞれの【思想】に、彼らが生きた【時代】までもが浮き彫りになって来る、
本当に見事な構成であります。

そしていつ決裂してもおかしくないこの【兄弟】を巧みに引き合わせる【妻たち】の内助の功
この【妻たち】の“やわらかな存在”こそ、
兄弟のハードな論争のクッション役として多大な貢献となっています。
そして小嶋尚樹が学者仲間、警官、右翼の学生、説教強盗(夫)、田舎の工場経営者を
宮地雅子が女中、中国からの留学生、満州へ娼婦を送り込んでいる女衒と
この2人は幕ごとに役をコロコロ変わりつつ、
彼らはその時代の【庶民代表】として登場し、作品の時代背景を明確にしていく。
井上ひさしの巧みな作劇術は主役の2人以外の人間たちをも目を配らせ、
主題以外の足固めにも抜かりがありません。

そしてこの井上戯曲の要求に6名という少数の出演者で、
それぞれが無駄の無いそれぞれの【役回り】を与え
少数精鋭の濃密な舞台空間を展開し、見事な【答え】を出して行く鵜山仁の演出
そして「太鼓たたいて笛ふいて」で【音楽劇】としての一つのスタイルを確立し、
今回も固くなりがちな戯曲を【やわらかな劇】へと見事に変換させた
宇野誠一郎の音楽に朴勝哲の演奏と、
そのアンサンブルは見事なまでであります。


で、ここまでが「兄おとうと」の戯曲及び演出に関する感想でありますが、
困った事にこの感想【初演】の時でも感じた感想なんですね。
前にも書きました通り今回は【大増補版】による【再演】であります。
という事は【再演】の見事さについても書いていかなくてはいけないのですが…
これについては「ちょっと…」と思ったので、
明日はその辺について触れて行きます。

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2006-01-29 22:23:23

こまつ座「兄おとうと」(その1 こまつ座の再演について)

テーマ:演劇

兄おとうと

井上ひさしの専属劇団・こまつ座の2006年最初の公演は
2003年初演の「兄おとうと」の再演でした。
こまつ座の公演は今までほとんどチェックしてきましたが、
再演ものというのは見てきませんでした。
初演が相当昔で久々の再演というもの、
例えば「きらめく星座」「国語元年」「闇に咲く花」「花よりタンゴ」などは見てきましたが、
1989年の「人間合格」以降の初演ものは、初演を見るのがまず再優先で初演の後の再演は
大幅なキャストの変更があっても見てきませんでした。

こまつ座の公演は何より作者・井上ひさしの戯曲のおもしろさが劇団の最大の魅力であります。
だからやはり“初演”というのは「今度は井上ひさしがどんなストーリーを繰りひろげてくるのだろう」
という期待感で見ますので、初演を見た時点で私の最大の目的は終了してしまうのですね。
歌舞伎のように「今度はこの役者があの役をどう演じるか」という面白みは現代演劇には希薄ですし
なによりこまつ座の場合は戯曲の魅力が半分以上を占めますから尚更です。

但し、このこまつ座は初演から比較的数年で再演をよく行っているんです。
何せ、ご承知の通り井上ひさしは【遅筆堂】と自ら名乗るように戯曲の完成が遅れるのは日常茶飯事。
初演のチケットを買っても、まぁまともに初日の幕をあけた事がありません。
この「兄おとうと」も当時のパンフレットを見てみると初日が2日遅れたそうです。
ということは初演は「何とか初日を迎えた」というスレスレの状態が多かったために
とても「戯曲を練り上げる」「演出に凝る」という行為までいたってないのであります。
そういえば昨年初演の「円生と志ん生」もラストシーンが尻切れとんぼのようになってしまい
これはきっと時間がなかったからに違いないと思いましたもの。
で、この「兄おとうと」に関しては作者も相当書き残した事が多かったらしく
作者自らの【大増補版】という振れ込みでの再演であります。

と、なってくるとこまつ座の再演は見ないでいた私にとっても事情は異なってきます。
どこのシーンが変ったのだろう。
どんなシーンが追加になったのだろう。
やはり気になるでしょう。
結果、私は今回キャストも初演時と全く変わらないにもかかわらず、
再演のチケットを購入したのであります。

と、いうよりもこの「兄おとうと」の再演の連絡をこまつ座からいただいた時、
お恥かしい事に「兄おとうと」ってどんな戯曲だったっけ、と内容をはっきり思い出せなかったんですね。
こまつ座は前年の2002年、大竹しのぶの主演にて
林芙美子の評伝「太鼓たたいて笛ふいて」を初演しました。
もうこれが本当に素晴らしかった。
戯曲と演出と役者と否の打ち所の無い傑作でありまして、
この「太鼓たたいて笛ふいて」の印象が強烈過ぎまして、その翌年初演の「兄おとうと」については
何となく「面白かった」というぼんやりしたものが残ってはいたのですが明確な記憶がないのです。
だから今回の再演は初演の印象の復習のためにももってこいだったのであります。
…こんな記憶が曖昧ならば、「再演は見ない!」というポリシーもグラついてきますけれども。

で、今回の再演はどうであったか?
うん、ありきたりな言葉ですが、良かったです
見ておいて良かった。
初演の印象を復習するのは勿論の事、やはり2回見るという事は作者のメッセージもよくわかり
ストレートに伝わってきますから「兄おとうと」という戯曲についての輪郭は今回の再演で
私の中でははっきりしたと言ってよいでしょう。

但し、こまつ座および井上ひさし戯曲についての初演と再演の関係については、
ちょっと色々と考えてみたいこともありますので、
明日以降はそこら辺について書いて行きたいと思います。

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2006-01-27 17:10:54

「僕のニューヨークライフ」

テーマ:映画(映画館 2006年)

僕のニューヨークライフ

1/21 恵比寿ガーデンシネマ にて


どこまでいってもウディ・アレン。


監督・脚本・出演:ウディ・アレン
出演:ジェイソン・ビッグス、クリスティナ・リッチ、ウディ・アレン、ストッカード・チャニング、
    ダニー・デヴィート、他


21日、関東地区が雪だったように恵比寿も雪でした。
「ある子供」 を見終わって昼過ぎ。
通常なら恵比寿ガーデンシネマは人、人、人でごった返すはずが、
本日は雪の天気もあってか、ひっそりと静まり返ってます。

本日はウディ・アレンの(日本公開)最新作「僕のニューヨークライフ」の初日。
恵比寿=ウディ・アレンが定着している昨今、もう夕方の回まで満席かと思いつつ受付を見れば
やはり雪が影響してか、夜の回まで「受付中」の札がズラリ。
「これはチャンス!」とばかりに16:30の回を衝動的に見ました。

ウディ・アレン作品を初日に見るのは初体験。
初日どころか恵比寿での上映が災いして、最近は名画座での上映を追いかけている有様。
ウディ・アレン作品を初日に、しかもゆったりとチケット取り…こんな経験滅多にないだろうなぁ。
まぁ心配した客足も夕方にはすっかり元通り。
この作品も隣の「ある子供」も夕方には盛り上がってましたけどね。

  マンハッタンに住むジェリー(ジェイソン・ビッグス)は21歳のコメディ作家。
  彼は女優の卵アマンダ(クリスティナ・リッチ)と1年あまりの同棲生活を送っている。
  ジェリーはアマンダの気まぐれな性格に始終振りまわされっぱなし。
  今日もアマンダの母ポーラ(ストッカード・チャニング)がアパートへ転がり込んできて
  ジェリーのストレスは溜まる一方。
  そんな彼が相談できるのは、教師をしながらコントを書いている年上の友人ドーベル(ウディ・アレン)。
  かなりの変人だが、ジェリーは人生の師としていた。
  しかしそのドーベルに「アマンダが浮気している」とささやかれたり
  永年マネジャーを勤める「ハーヴィ(ダニー・デヴィート)とは次の契約をするな」などと
  次第にジェリーはドーベルの言う事に左右されるようになり…。

さてこの作品、ウディ・アレンの存在が面白いと思いましたね。
役は主役のジェリー(ジェイソン・ビッグス)に助言を与えているようでいながら
実はジェリーを裏で操るかのような存在になってくる
初老の売れないコント作家、ドーベル役
20年前、否、10年前の彼だったらジェイソン・ビッグスの役も自ら演じて
八面六臂の大活躍をするのでしょうが、さすがウディ・アレンも70歳。
歳には勝てずか、元気な部分は主役をジェイソン・ビッグスという粋のいい若手コメディアンに譲って、
自分はちょっとクレイジーな部分を嬉々として演じている…
まるで甥の満男の恋愛を微笑ましく眺めている
後期の「男はつらいよ」の「寅さん」を見ているようでしたね。

しかし主役を譲ったからと言ったって、【ウディ・アレン監督作品】には変りありません。
おいそれと【見どころ】までをもジェイソン・ビッグスに譲るはずがないのがウディ・アレン“らしさ”
このウディ・アレン扮するドーベルはかなりの曲者。
一見、ジェリーが【人生の師】として尊敬に値するような発言や行為をしてそうでいながら
その実情は、第3者である観客から見ると相当“いかがわしい”もの。
せっかくうまくいっている恋人アマンダ(クリスティナ・リッチ)との仲も
「彼女は浮気している」と余計な事をジェリーに吹き込み、
疑ったジェリーは執拗なまでに彼女の行動を探索する事で
最後には2人の仲をしっくりいかなくさせてしまったり、
「売れない頃からの付き合いだから」と
契約更改しようとしていたマネージャーのハーヴィ(ダニー・デヴィート)との関係も
「あんなヘボマネージャーなんかと付き合っているから君は売れないんだ」と吹き込む事で
ジェリーとハーヴィの関係に決定的な亀裂が入ったり、と。
どう見てもジェリーの役に立っている助言をしていないのは明白。

では彼はジェリーを不幸にさせるためにこう言ってるのか。
否、結局のところ若い新進コント作家であるジェリーにドーベルは嫉妬しているのである。
そしてジェリーより何とか「自分の方が目立ってやろう」としたいがために、
一見助言でありながら、その実情は彼の足を引っ張る発言を繰り返すわけでありますね。
まるで彼は「オセロ」のイアーゴ、「ファウスト」のメフィストか、
天使か悪魔か、協力的なのか非協力的なのか…の複雑な存在。

ジェリーを含め登場人物たち、はたまた観客までをも煙にまき、
脇役ながらも観客の視線はしっかりとドーベル役のウディ・アレンに釘付けにさせる…
主役は譲っても、しっかりとその存在はアピールするところなんざ、
やはりこの作品は【ウディ・アレン】の金太郎飴状態
ウディ・アレンの旦那。
70歳と歳とっても根っこは変わりませんな、という感じであります。

ラスト

  「マンハッタンでは君の才能は開花しない!ロンドンこそ君が活躍する場だ!」と
  散々ジェリーに吹き込み、いざジェリーがその気になってロンドン行きを決めるとなると
  「君に付いて行く!」と言っていたドーベルはヘンテコリンな理由をつけて一方的にキャンセル。
  ジェリーひとりがロンドンへと旅立って行く…

ニューヨークをホームグランドに一生を終えるのではと思っていたウディ・アレン自身も
実際に活動の場をロンドンに移したことは報道で伝えられている通り。
しかしその実情は…と本作をよーく見てみると
ウディ・アレン本人の心情はドーベルのようでもあり、ジェリーのようでもあり、
最後の最後まで本心を白状せずに観客を煙に巻くばかり。
んー、ウディ・アレンは、どこまでいってもウディ・アレンであるとしか言いようがありませんね。


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2006-01-26 00:56:11

三代目 桂春團治「お玉牛」

テーマ:落語

春團治師の「お玉牛」は本当に上演時間が短い。
15分もあるだろうか。
だから「アッ!」という間に終わってしまう。
トリかなんかで出演し、大ネタに期待してこの「お玉牛」がかかり
オチの「“モウ”言わした」と演目が終わった途端、
観客は一瞬あっけに取られてしまう。
「エッ!もう終わってしまったの」と。
観客にも「モウ」と言わせる
しかしこの「お玉牛」ほど噺の無駄を極力殺ぎ落とし
春團治師が作り上げた【芸】を堪能できる演目はないでしょう。
噺が終わった時はあっけに取られた観客も
しばらくすると「お玉牛」の持つ春團治師の【芸】に
今度は「んー」と唸らされる。
「お玉牛」は春團治師ならではの【逸品】なのであります。


「おーい!ウップの万兵衛、おたおたの太助、あばばの茂兵衛…」


この奇怪なる妙な名前の呼び出しで「お玉牛」は始まる。

  町内の若い男連中がこぞって惚れ込む、町内一の美人お玉さん。
  若い連中はあの手この手でお玉さんを口説こうとするが、ガードの固いお玉さんはビクともしない。
  この日も若い連中の一人が「お玉さんを口説き落とした!」と言い始めたがために場が熱くなるが、
  その自慢話も“夢の中”だったと知ってガッカリ。

  そんな場へ鎌を片手に踊るように現れた源太。
  なんでも今度は本当にお玉を口説き落としたという。
  それも鎌をお玉に見せびらかし「付き合うか」「鎌で見舞うか」と究極の2者択一。

  思わず「付き合う」と言ってしまったお玉さん、家に帰って親の前で涙涙。
  心配した親父さん、娘から詳細を聞いて激怒「あのガキら!」。
  しかし親父さん冷静に構えて一案を考ず。
  それは娘の寝床に源太が今晩“夜ばい”にくる事を想定し、
  家で飼っている【牛】を代わりに寝床に寝かせ源太をギャフンと言わせてやろうという魂胆。

  さて深夜、ウキウキの源太は早速お玉さんの家に趣き
  約束通り“夜ばい”の実行。
  寝床に寝てるのが【牛】とも知らずに…。


牛の寝ている寝床に夜ばいする阿呆な男…
バカバカしい噺であります。
ジャンルで言えば【艶笑落語】
落語会で堂々と演じるというよりも、
夜遅い子供のいない寄席でサラリと笑いをとるようなそんな噺であります。
しかし春團治師の手に掛かるとこの艶笑落語も
立派な【芸術品】に変わってしまうのですから【芸】とは本当に恐ろしいもの。

特に春團治師の「お玉牛」は
源太が牛とは知らずに夜ばいをかけようとするそのシーンが見どころ。
下座の鳴り物が静かに流れる中、
春團治師は滑稽な台詞と、美しいまでの所作でこの【夜ばい】を描いて行きます。
牛の毛だらけの体を高級な毛布をかけてると思ったり…
牛の角を触って簪(かんざし)と間違えたり…
話芸にプラスして扇子や手拭いを効果的に使い
一編の【踊り】を見ているかのような、その所作の数々。
観客はしばし【夜ばい】する男の姿というエグイ設定も忘れ、
春團治師の美しい所作の数々を堪能する事となるわけです。

阿呆な男の【夜ばい】での失敗話という内容と
所作で見せる美しいまでの表現方法。
このギャップを【芸術品】まで持っていくのが春團治落語の真骨頂。
話芸だけでは成立しないし、
踊りがうまいだけならこの「おかしみ」は生まれない…
「お玉牛」は今や春團治師だけが演じる事のできる噺であり
「皿屋敷」「親子茶屋」春團治落語の十八番は数々あれど、
短い時間で凝縮された春團治落語の【芸術】に触れたいならば
私は真っ先にこの「お玉牛」を推薦するのであります。

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