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2005-10-31 19:50:29

「ベルベット・レイン」

テーマ:映画(映画館 2005年)

ベルベット・レイン

10/30 銀座シネパトス にて


これもちょっと複雑すぎ…。

監督:ウォン・ジンポー
出演:アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン、ショーン・ユー、エディソン・チャン、リン・ユアン、他

「シン・シティ」 を見て、頭の混乱が冷めやらぬうちに、
また複雑な構成の「ベルベット・レイン」を見てしまったがために
私の頭は爆発寸前までいってしまいました。

せっかく香港の若手・実力派の4大スターを配役し、
見せ方によっては“スターたちを魅せる”見応えある作品になったであろうに、
監督の感覚だけに流された、観客に不親切な演出が
全てをぶち壊しにしてしまった悪しき例のような作品でありました。

【複雑な構成】と書きましたが、物語の展開はそれほど複雑ではありません。
まずはマフィアの大ボス(アンディ・ラウ)とその腹心(ジャッキー・チュン)のエピソードがありまして
この大ボスが暗殺されるのでは、という噂が流れ香港の裏社会が大きく揺れていく中、
2人は昔の思い出話をしたり、現在の家族を心配したり
…といったストーリーが展開します。
そしてストーリーの合間合間に、今度は無鉄砲な2人の若者、
イック(ショーン・ユー)とターボ(エディソン・チャン)のエピソードが挿入されます。
彼らは鉄砲玉としての“誰か”を暗殺する指名を受けたため、
怯え戸惑いながら【暗殺の日】を迎えようとしています。

この【暗殺される側】【暗殺する側】の両極端なストーリーが平行して描かれていく訳です。
こう文章で書いていくとおもしろそうに見えるのですが、
この2つのストーリーが何故か延々と絡まずに展開していくのです。
アンディ・ラウは、ただひたすらジャッキー・チュンとしか絡みませんし、
ショーン・ユーは、ただひたすらエディソン・チャンと夜の街を彷徨っているだけ。
4人の絡みを期待していた私にとっては、もう、見ていてひたすらイライラしてくるわけです。

「なぜこの2名2組は絡まないんだ!」と。

この2組がストーリー上で絡みそうになると、
今度は演出が【はぐらかし】たりして見ている側のフラストレーションは溜まっていく一方。

「頼むから少しはヒントをくれ!」と。

そして遂にラスト、待ってましたとばかりに【タネ明かし】の【ドンデン返し】があるのですが、
まあ確かに意外な結末ではありましたが、
残念ながらその時はもう【ドンデン返し】にビックリするどころか【時既に遅し】でありまして
「なあんだ」といった感じでドッチラケ状態でありました。

【ドンデン返し】っていうものは、ツボにはまれば
その作品の評価を決定的にする極めて効果的な要素になるのですが、
それは途中まで観客が「ああじゃないか」「こうじゃないか」と推理しながら作品を楽しんだ結果、
【ドンデン返し】に「こういう結果もあったのか!」とばかりにビックリするのでありまして、
この作品のように途中ヒントすらもなく、ただひたすら観客をイライラさせておいて
「さあ驚け!」とばかりに【ドンデン返し】をされたって見ている側はシラケっぱなしですワな。

だって“返され”たって“ドンデン”が劇中に全くないんですから!

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2005-10-30 20:52:35

「シン・シティ」

テーマ:映画(映画館 2005年)
シン・シティ


10/30 丸の内ルーブル にて


アメコミ版「パルプ・フィクション」って感じです…。


監督:フランク・ミラー、ロバート・ロドリゲス(一部:クエンティン・タランティーノ)
出演:ブルース・ウィリス、ミッキー・ローク、クライヴ・オーウェン、ジェシカ・アルバ、
    ベニチオ・デル・トロ、他

アメリカのロングセラーコミック「シン・シティ」をロバート・ロドリゲスが、
原作者であるフランク・ミラーと共同監督。
原作者が自ら監督したため、もう全編アメコミテイスト満載で、
漫画誌のザラ紙のような、モノクロの渋い画面で全編を展開させながら、
部分部分を鮮やかなカラーで着色したり
全体を【シン・シティ】で起こる3つのクライム・ストーリーに分けて(プロローグを入れると4つ)
3つのエピソードの登場人物たちを微妙にリンクさせるなど
まるでコミックを“第1巻”“第2巻”と読み進めていくような雰囲気で
登場人物がリンクしていくところなど連載モノを読んでいるような感覚であり
その凝った構成は、アメコミをそのまま映画化したような感じですね。

どこかでこの構成は見た事あるなぁ、と思ったら
クエンティン・タランティーノ「パルプ・フィクション」がこんな感じでした。
あれはタイトル通り、アメリカの大衆小説(パルプ・フィクション)を映画で展開させたらって感じでしたから
まさに「シン・シティ」は、それのアメコミ版な訳です。
監督もタランティーノが発掘してきた
まさにタランティーノ一家のロバート・ロドリゲスですし、
何よりこういう構成がタランティーノ氏自身いたくお気に入りのようで
1シーンを自ら監督までしてしまっているくらいですから、
「シン・シティ」が「パルプ・フィクション」の影を引きずっているように見えるのは当たり前ですよね。

もしかしたらタランティーノ氏のことだから、
1シーンどころか相当口を挟んだんじゃないでしょうかねぇ…。

さてその構成なんですが、タランティーノばりに凝りに凝りまくったのはいいのですが、
あまりにも凝り過ぎてしまって
「もうちょっと交通整理が必要だったんじゃないの」と正直思いました。
アメコミの映画化ではあるのですが、
漫画の1話完結モノなんかは、1巻、1巻と日を改めて読み進めて行くものですから、
途中で登場人物がリンクしたりしても、ゆっくりと頭の中で整理できますけど
(いざとなれば前の巻を読み直したりも出来ますしね)
映画は2時間連続して続く1本の作品。
この短い間に登場人物をリンクさせられても、
見る側はどうしても次のシーンを追いかけなくてはいけませんから
【リンク先】かなんかにこだわってしまうと、今度はメインストーリーがわからなくなってしまうなど、
だんだん頭が混乱してしまうんですね。

また全体の構成もちょっと複雑すぎで
ジョシュ・ハートネットのプロローグがあって、
次にブルース・ウィルスの1つ目のエピソードになる。
この2つは全く別のストーリーとして展開し、
ミッキー・ロークの2つ目のエピソード、クライヴ・オーウェンの3つ目のエピソードと続くと
(この間にも登場人物がリンクしていたりするんです)
次はブルース・ウィルスの1つ目のエピソードに戻るのですね。
そして映画が終わる直前に何とプロローグに戻って
しかもその登場人物は3つ目のエピソードの人物とリンクする…
なんて、2時間強の上映時間でこれを1回で理解しろったって…無理です
こう書いていたって「シン・シティ」のHPを見ながら確認しているくらいなんですから!
もうちょっと見る側にやさしいシンプルな構成にできなかったですかね。
例えば1つのエピソードの最後の登場人物が2つ目にからんできて、
最後にプロローグまで戻っていく、とかね。

この複雑さも、どこかで見た事あるなぁ、と思ったら
そう「パルプ・フィクション」に感じた印象とそっくり!
あれも物語が映画の途中で繋がって、最後に強引にオープニングに戻ったりと、
一定の法則じゃないものですからえらく混乱したのを思い出してしまいました。

どこまで行ってもタランティーノ氏の影を引きずる作品であります。

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2005-10-27 22:24:16

「芸術祭寄席(夜の部)」

テーマ:落語

芸術祭寄席

10/23 国立演芸場にて


【芸術祭】ってそもそも何なのだろう、と疑問に思いつつも
その魅力的な番組建てについつい夜の部もチケットを購入。
結局は昼夜通しでの鑑賞となりました。

出演者・演目は下記の通り

 (前座)桂 夏丸「課長の犬」
 柳家 三語楼「親子酒」
 ニューマリオネット「あやつり人形」
 一龍斎 貞水「鉢の木」


     仲入り


 三遊亭 小遊三「野ざらし」
 ボンボンブラザース「曲芸」
 桂 歌丸「井戸の茶碗」


古典落語で観客を笑わすのは、大変なことだと思います。
「それが落語家さんの商売でしょ」と言われたら身も蓋もありませんが、
時代背景も生活スタイルも全て変わってしまった現在、
江戸や明治時代の【滑稽さ】を現代の人にきっちり伝え
そして笑わすことって今や「大変なこと」だと思うんですよね。
ましてや観客を【爆笑の渦】に巻き込むとなると、
その人の話芸の力量の他に
「その落語家さんのニンにあった噺を演じる」という
プラスαの力が加わらなければ不可能だとも思うのです。

と、なぜにここまで前振りが長いかというと
今回の【夜の部】。
仲入り後に出演の三遊亭小遊三「野ざらし」
まさに満場の観客を【笑いの渦】に巻き込んだ好舞台であったからです。
名人・志ん朝を始め、今まで何度も聞いてきた「野ざらし」。
噺の大筋は知っているし、ましてや笑いのポイントくらいはもう知ってしまっているこの根多なのに
小遊三の今回の「野ざらし」の何とおもしろおかしい事か
それはもう小遊三師の話芸の他に、
小遊三師のキャラクターが、あわてものの熊さんのキャラクターとぴったり当てはまっていた、
そのプラスαの力が加わったからに他ありません。
小遊三師の高座も今まで何度も聞いてきましたが、
お世辞にも商家のご主人なんかを演じても
どうしても【職人】くささが残ってしまうその落語家としてのキャラクターに
今回の熊さんのキャラクターなどはまさにピッタリ!
ここまで笑わしてくれるとなると
今後は小遊三師の「大工調べ」あたりを是非聞きたくなってしまいましたね。

小遊三師の好演以外は三語楼師・歌丸師とも、まぁ無難な出来といった感じでしょうか。
両師ともそれぞれ、登場人物たちの誰かしらと自分のキャラクターをピタリと合わせてはいるのですが、
そこからの【プラスα】の力を生み出すには至ってないんですね。

一龍斎貞水師の講談は、【芸術祭】ということで
埋もれていた根多「鉢の木」の復活口演。
気合充分の高座ではありましたが、なにせ復活口演、
何を言ってるのかよくわかりませんでした。
イヤホンガイドがほしかったくらい。

最後に、ニューマリオネットボンボンブラザースという
落語協会、落語芸術協会の両団体の人気色物さんたちが
きっちりと場を盛り上げていた事を特筆しておきます。
ボンボンブラザース…やっぱりおもしろいワ。


■芸術祭寄席 昼の部の記事については こちら  から

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2005-10-26 23:05:34

「芸術祭寄席(昼の部)」

テーマ:落語

芸術祭寄席

10/23 国立演芸場にて


芸術祭寄席。
文化庁で毎年開催している芸術祭の協賛企画として、国立演芸場の特別公演であります。
ところで【芸術祭】って毎年やってますけど、何なのでしょうねぇ。
日本の芸術・文化の発展に貢献している企業・団体らによる
年に一度の【芸術の祭典】なのでしょうけれども、
東京国際映画祭のように派手な宣伝も印刷物もなく、参加団体の発表もないし、
演劇や映画のポスターの隅に小さく「文化庁芸術祭参加公演」と
書かれていることで初めて知る芸術祭。
誰でも参加できるのかなァ?
審査員は誰なんでしょ?
ちっともわかりません。
でも受賞するとその人、その団体には相当な【ハク】がつくらしいから、
なかなか侮れない芸術祭。
んー、今年も謎だらけの芸術祭であります。


出演者・演目は下記の通り


 前座 古今亭 駒次「子ほめ」
 露の 団四郎「三人旅」
 鏡味 仙三郎・仙一・仙三「太神楽曲芸」
 桂 春團治「祝いのし」


     仲入り


 桂 南喬「天狗裁き」
 大瀬 ゆめじ・うたじ「漫才」
 三遊亭 圓歌「中沢家の人々」


お目当ては勿論、桂春團治
今年4回目の鑑賞。
本当は10/17の「桂春團治一門会」(イイノホール)にも行く予定だったのですが、
出張が入り(しかも大阪日帰り)泣く泣くあきらめた後だっただけに、
今回の久々の国立演芸場の出演は期待大でありました。

しかし演じたのは9月渋谷「寄席繁昌亭」で聞いたばかりの「祝いのし」
国立演芸場だったら「皿屋敷」あたりをたっぷりと聞きたかった(見たかった)だけに、
ちょっとガッカリはしたものの、
30分の丁寧なロングバージョンでの「祝いのし」
笑い転げながら改めて「おもしろい噺だなぁ」と思いましたね。
(「祝いのし」については「寄席繁昌亭」の記事 で詳細の内容に触れております)


さて、今回取り上げておきたいのは、
トリで出演の落語協会会長・三遊亭圓歌。
演じましたのは「中沢家の人々」
正直、最初は「またか」と思いました。
と、いうよりこの師匠はずーっとこの噺しか聴いてませんから、もうこの噺が当たり前の状態。
なんでもこの噺、もう40年もやっているらしい。
ある意味すごい。

内容はこの師匠の自伝をベースとした“新作”のような“漫談”のような一席。
●二代目・三遊亭圓歌に入門したエピソード。
●落語家になると言ったら、親から勘当されたエピソード
 (ところが今はその親を養って面倒見ているというのがオチ)。
●前の奥さんが亡くなり後妻をもらったが、それぞれの両親は死んでいないため
  4人もジジババの面倒をみるハメになったエピソード
  (圓歌の両親も含め6人)。
●坊さんになろうと修行したときのエピソード。
などなど、
これらのエピソードの数々の集合体を総称して「中沢家の人々」といっている次第。
最大では何でも60分あるらしいが、漫談のような内容であるため、
自分の持ち時間にあわせてエピソードを組みたてれば良いわけで、
私が今まで聞いた中では10分もあれば30分もあり、
この師匠としても使い勝手の良い根多なのでしょう。

もう幾度となく聞いた根多だから、一言いえばその後の展開はもうわかりきってしまっていて
(「昔は人が車を引いていたんだ!」なんて根多なんかは特にね)
特に新味も何もなかったんですが、
今回印象的だったのはラスト。
一通りお約束の根多のオンパレードがあって、オチ近くまで行った時、
圓歌師匠おもむろにこう言い出した。
記憶を頼りに要約すると
 「この根多も演じて40年。今や6人のジジババたちもきれいにあの世へ逝ってしまい、
  今度は自分があの世へ行く順番になってしまった。
  だけど親と子の関係が薄れて行く昨今、
  親の面倒を自分は立派に見てきたんだという事を後世に伝えるためにも、
  この根多は演じ続けて行きたい」と。
つまり「中沢家の人々」の【現在の境遇】を正直に明かしてしまったわけですね。

そりゃそうだ、圓歌師匠も76歳、もう立派な“ジジイ”であります。
40年演じている根多だから、いつまでも「ジジババ」言っていたら
いい加減内容に【矛盾】が発生してきているわけで、
今回は【現在の境遇】を正直に明かす事で、もう自分が【ジジイ】になった
現時点で語る「中沢家の人々」にしたのでしょう。
ある意味今回は「中沢家の人々」のバージョンアップを行ったようでもあり、
私にはこのラストの語りが印象的だったのと、
76歳にしてバージョンアップを行い、これからもこの根多を演じつづけようとする
果敢な圓歌師匠の姿勢に、芸人として感動すら覚えたのであります。
ちょっと大げさかな…。


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2005-10-25 02:28:32

「蝉しぐれ」

テーマ:映画(映画館 2005年)
蝉しぐれ

特集【日本映画を語ろう!】

【劇場公開作品より】3本目は「蝉しぐれ」です。
藤沢周平の原作を黒土三男がまさに執念ともいえる念願の映画化。
その意もあって前半が見応え充分な力編、
しかし後半になるとちょっと「?」が出てきてしまうのが何とも残念…。

【劇場公開作品より】
10/22 ユナイテッドシネマとしまえん にて
監督・脚本:黒土三男
原作:藤沢周平
出演:市川染五郎、木村佳乃、石田卓也、佐津川愛美、ふかわりょう、原田美枝子、緒形拳、他

  江戸時代の東北の海坂藩。
  下級藩士の牧文四郎(石田卓也)は父・助左衛門(緒形拳)を心から尊敬し、
  隣家に住む幼なじみのふく(佐津川愛美)に淡い恋心を抱きながら、日々の生活を送っていた。
  しかしある日、助左衛門は藩の派閥抗争に巻き込まれ、冤罪によって切腹を命じられてしまう。
  またふくも殿の屋敷の奥につとめることとなり江戸へ行ってしまう。
  以後、文四郎(市川染五郎)は成人してからも謀反をおこした父の子として数々の試練にさらされる…。
  またふく(木村佳乃)も江戸で、殿の後継者争いに巻き込まれる事となるのだが…。

前述の通りこの作品、文四郎の青年時代を描いた前半が素晴らしいです。
製作者も早く市川染五郎らのスターを登場させたかった事でしょう。
しかしこの作品は前半をしっかり描き込まなければ、後半の感銘は受けられない。
何せ成人してからの文四郎は、青年時代の屈辱をバネに全て行動に移していくのですから!
ですから監督の黒土三男は、成人した市川染五郎や木村佳乃を登場させずに、
あえて地味なキャストでたっぷり1時間近くかけて
この前半の文四郎の青年時代を描いて行きます。
また地味なキャストながら青年時代の文四郎を演じた石田卓也や、
少女時代のふくを演じた佐津川愛美の両名がなかなか魅力的で、
2人の無念の別れなど胸に迫るものがあります。

そして何と言っても前半の素晴らしさの原動力は、
父・助左衛門を演じた緒形拳の演技の見事さに尽きるでしょう。
近年の緒形拳は、これといった活躍もなく登場してきた時は「久々だなぁ」と思ってしまいましたが、
今回の役は本当に適役!
威厳に満ち溢れ、自らの信念で死を選ぶ「これぞ武士」といえる父親を名演しております。
緒形拳の名演あればこそ、この前半は充実したものになったのであります。

しかし、しかしです。
緒形拳も亡くなり、キャストが成人してからの後半に変わってくると
画面からいくつも「?」が出てきてしまうのです。

まずは成人の文四郎を演じる市川染五郎
決してミスキャストだとは思いません
さすが歌舞伎役者だけあって立ち振る舞いの美しさなど、
今や時代劇でこういう所作のできる若手俳優が皆無の状況の中、
非常に貴重な人材であるとは思います。
しかし青年時代を、色の浅黒い、どちらかといえばゴツい体型の石田卓也が演じていたものですから
文四郎が青年時代から苦労して今日に至りスリムな【すっきり顔】
市川染五郎に変わるということに、どうも違和感を感じてしまうんですね。
苦労したんだからもっと武骨な人間になっているだろうに、と。

さらにもっと「?」だったのが、文四郎の学友たち逸平と与之助。
成人してから何故【お笑い】のふかわりょう今田耕司にならなければいけないのか!
特に与之助は武道が苦手と江戸で学問に励みそれなりの秀才として地元に帰ってきた人物。
それがなぜ今田耕司にならなければいけないのか?
どう考えても「?」しか浮かびません。

そして最後は演出上の「?」。
ラストでお互い中年になった文四郎とふくが久々に対面するシーン。
ふくは尼になるため、文四郎とこれが最後の対面となるのです。
言葉少なき両名がしばし歓談し、そして遂に永遠の別れとなります。
さあ別れだという時に文四郎、感極まって「ふく!」と叫ぶでもなくつぶやくでもなく呼びかけます。
いいシーンです…ここまでは。
すると演出はどうしたことか、文四郎とふくの青年時代からフラッシュバックで
数々の2人の想い出シーンを延々と映し出してしまうのです。
…これは余計でしょ。
作品もここまで展開すれば、2人の想い出のシーンなどは
見ている側のそれぞれの頭の中で出来上がっているのですから
見る側のイマジネーションに任せればいいのであって、
具体的に展開させてしまうとかえって「さあ、泣け!」と言わんばかりに
画面が急に押しつけがましくなってしまってます。
さりげない良いシーンだったのに、
最後の最後の締めで「?」を感じてしまうとは、ここはホントに残念でしたね。

■特集【日本映画を語ろう!】の過去の記事、今後の予定は こちら から

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