6 「公務員採用」国籍条項撤廃運動 †
仲原良二(在日コリアン人権協会・兵庫)



1. 撤廃の現状

(1) 撤廃の焦点は府県と政令市である。府県では高知(97年撤廃)、神奈川(97)、沖縄(98)、大阪(98)、三重(99)、鳥取(99)、滋賀(99)、大分(00)、愛知(00)、岩手(01)と、長野の検討を含めると12府県。

政令市では川崎(96)、横浜(97)、大阪(97)、神戸(97)、札幌(98)、名古屋(98)、仙台(98)、広島(00)、京都(01)の9市で、残る未撤廃は千葉、福岡、北九州の3市である。

(2) しかし、その多くが任用制限規定を設けている。最近の京都市の「外国籍職員の任用に関する要綱」をみると、公権力行使に該当する業務に、例えば芸術大の図書館の資料の閲覧・貸出や、文化課の音楽堂、ホール、芸術センターに関することとあり、採用試験は受験できるが任用部署があまりないという形式的な門戸開放になっている。

(3) また高知県、沖縄県では、任用制限規定を設けず任命権者の裁量事項としているが、「その都度判断」とする、撤廃時の住民感情への配慮であり、あいまいさを残している。

(4) 武生市(福井県)の完全撤廃について

99年4月28日、「職員採用要件見直し研究会」(市職員で構成)の報告書では、次のようになっている。

1) 当然の法理はあまりにも抽象的で妥当性がない
2) 公権力をもつ機関は行政庁であり、行政主体の意思を決定し、表示する権限をもつ機関であり、例えば、首相、大臣、議員、裁判官、知事、市町村長などの機関責任者をいうことから、当然の法理の基本をここにおくことが妥当
3) 一般職地方公務員は市民全体の奉仕者として、法令、条例、規則など、及び職務上の命令に従い(地公法32条)、誠実、公正に職務を遂行しなければならないが、あくまでも、地方公共団体の長を補佐、補助する(地自法167条)ものである
4) したがって、一般地方公務員への外国人採用については、問題となるものは見つからない

この報告書を受けて99年6月29日、武生市は国籍条項を撤廃した。制限内規を設けず、永住者に限定しないなど、今後の完全撤廃の方向を示すものである。



2. 「当然の法理」の論理的破綻

(1)公権力行使または公の意思形成への参画とは、一体、何を表わすものなのか。統治権、統治行為の内容、性格を民間一般と比べて、公務員の職務の特性を概括表示したものである。しかし、ここから、外国人が就任できるかどうかの論拠を直接導き出すことはできない。

(2)統治行為の担当者(公務員)は国家から充分信頼できる自国民を当てることは当然のことであるとする考え方である。それは、国民は信頼できるが外国人は信頼できないと、はじめから決めこんでいるのであって、先験的な虚妄であり、論理的に破綻している。これは論理ではなく、排外的なナショナリズムの心情論にすぎない。

(3)当然の法理を前提としても、しなくても、最後の論点の行きつく先は「外国人が就任すれば、どんな支障があるのか」である。「実際、支障はない」のであるから、この実際(実態)の明晰性から、この論拠を展開しなければならない。

この問題は、例えば桝本頼兼京都市長が「公権力行使をする際に日本国籍のない人がかかわった場合、市民はどう感じるのか、何か問題が起きたらどうするのか、そこの部分が議論から抜けている」と言っている。これは、逆の意味で、市民の差別意識こそが問題であることを浮きぼりにしている。

公務員就任権は、職業選択の自由と参政権の二つの権利から考察される。職業選択の自由は「公共の福祉に反しない限り」という制限がある。すると、外国人が公務員になれば公共の福祉に反するのかという荒唐な議論になる。「支障がないこと」を実際の場で、はっきりさせていかなければならない。



3. 参政権、とくに被選挙権との関連

(1)外国人参政権の反対論は、選挙権より被選挙権を認めず、首長や議員には外国人はなれないことを主眼としており、「当然の法理」と同じ考えである。

(2)被選挙権付与の法律が成立すれば公務員国籍条項は完全撤廃される。外国人も首長や議員になれば、公権力行使や公の意思形成への参画に直接かかわるのであり、一般職の公務員もこれに準じることになる。

(3)問題は、被選挙権が付与されない法律が成立した場合である。外国人が首長や議員になれないということは、公権力行使や公の意思形成への参画に直接かかわれないことであり、「当然の法理」が維持されることを制度として公認されたことになると、一般職公務員もこれに準じて「就けない」ことになる。その理論づけとして“当然の法理”に代わる“国民主権原理”がもち出されてくる。

(4)「国民主権原理に反しない限度において外国人が公務員に就任することは憲法上禁止されていないものと解すべきである」(97年11月26日東京高裁、管理職受験資格確認訴訟)。これは、保障もしないが、禁止もしないという許容説で、禁止説を一歩ふみ出した点では評価されるが、唐突な感じがする。憲法22条「公共の福祉に反しない限り」と、95年2月28日の最高裁判決「永住者等の住民意思を地方公共団体に反映させるべく、法律をもって選挙権を付与する措置を講ずることは憲法上禁止されていない」の二つをつなぎ合わせたもので、国民主権原理をもち出すと、表面上、合理性を装うことができると考えたのではないか。また、それは、職業選択の自由という憲法上の権利に、「当然の法理」という行政実例では対抗できないので、国民主権原理をもち出したとも解されるが、いずれにせよ、あいまいさが残る。



4. 国籍条項完全撤廃への三つのアプローチ

(1)職業選択の自由

「公共の福祉に反しない限り」という制限を、外国人が公務員になれば公共の福祉に反するのか、それは「どんな支障があるのか」と読み替えて、実際支障がないことは明らかであるから、この明晰性を具体的に展開することである。

「公共の福祉」の内容は、判例としての「比較衡量」論からみても、

同じ職務を担当して、日本国民と外国人とでは、どんな支障があるのか、比較する。
外国籍職員が就労する職場と居ない職場で、職員や住民の人権意識のちがいを比較する。
それから、実際の比較から、民間と同じ職種や、アルバイトを入れる職種は、国籍条項は撤廃すべきである。

また、住民の対応が、日本人公務員が言えばそれに従うが、外国人公務員が言えば聞かない、従わないとすれば、まず、そのことが許されるのか。さらに、その住民意識とは何か、その差別意識こそ、行政の人権啓発の対象ではないのか。

(2)参政権アプローチ

被選挙権付与法を成立させること。
この際、選挙権と被選挙権の年齢差をなくすこと。
選挙権は18歳からとすること(世界170カ国中、18歳以上の選挙権を認めているのは149カ国=『毎日』2001年1月4日)。

(3)人権と行政改革アプローチ

参政権は居住者の(政治的)権利であるが、それは生活者としての自己実現の権利(幸福追求権)でもあり、公務員となって、その地域や社会のあり方に関わろうとすることは、これに通じるものである。
この生活者の全体性の権利は国民も外国人変わるところがないのに、外国人は参政権も公務就任権もない。全体性の権利=人間らしさの権利の実現へのアプローチが必要である。
行政改革として、多民族・多国籍共生時代に向けて基本的施策方針が策定されなければならない。

a.まず、外国人の人権保障と徹底したサービス行政

b.国際結婚-二重国籍の容認-夫婦別姓-戸籍法の廃止

c.民族名(本名)を名のって、安心して暮らせるまちづくり、民族教育の保障


――このb.とc.は、単一民族国家幻想を崩壊に導くものである。

d.外国籍職員を大幅に採用すること。当面、人口比採用を目標とすること。


国籍条項完全撤廃には次の3条件が必要である。
a.全職種の撤廃、とくに消防職の撤廃。

b.任用制限内規がないこと。

c.任用対象を永住者に限定せず、就労制限のない(在留資格別表第二)いわゆる定住外国人とすること。




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