前置胎盤の妊娠・出産 -2ページ目

合格!

今日は日記にしました。

ちょっと、嬉しいことがあったので・・・・・。


実は9月から自動車教習所に通い、

30代半ばにしてようやく免許取得に励んでいたのですが、

本日、ついに


第一種自動車免許(AT限定)


を取得できました!


ご近所のママさんたちに子供をあずかってもらったりして

毎日のように通ったので2ヶ月弱でとれたんです。


そうしたら、今夜の食卓で息子が、

今日はお祝いだねと、


「ママ、免許とれてよかったね。

いっぱい、いろんなところ行こうね」


なんて言い出して、いただきます をしたのです。

まったく かわいいヤツです。


今は息子も寝てしまい、主人も帰ってこないので、

ひとり SMAPを見ながら、

自分へのご褒美に買ってきたチューハイを飲んでます。


なんてったって、今朝は4時起きして勉強しましたからね。

煮詰まってしまった頭を冷却して、

今夜はほろ酔いで寝てしまいます。


目覚ましかけるの忘れないようにしない とね。

赤ちゃん、出しちゃいましょうか?

ほんとかどうかわからない たまちゃんの推定体重、2000グラム超え。


そんなエコーをやった日の午後でした。

S先生が突然、私のベッドにやってきました。


S先生 :

赤ちゃんの体重も 2000グラムを超えたみたいだし、

もともとの出産予定日までもう少しで1ヶ月をきるし、

お母さんも3度も入院して精神的にキツイでしょうから

予定日を決めて、帝王切開で出産しちゃいましょうか


思いもかけない提案に、すぐに頭がついていきませんでした。


S先生 :

お母さんのお腹の中が赤ちゃんにとって1番ですが、

2000グラム超えていれば 保育器でも問題なく成長できますよ。


うーん、そうなのか?

それに、ほんとに たまちゃん 2000グラム超えてるのかなぁ?

確かに妊娠6ヶ月からほとんど入院してたから

精神的にキツイと言えばキツイんだよねぇ。

どうしよう?


すぐには決められなくて、

主人がお見舞いに来たときに

もう一度 S先生から説明をしてもらうことにしました。


主人と2人で先生の話を聞き、

最終的に 先生の提案に合意しました


手術予定日は 2000年 10月 17日

本来の出産予定日のちょうど1ヶ月前の日です。


さぁ、どうなるでしょう?????

たまちゃん 急成長!?

大学病院に入院してからは、毎日エコー検診。

そんな生活も3週間になろうという日。

この日のエコーで、不思議なことが。


いつものようにエコーを終え、

S先生は胎児の部位の長さから

推定体重を割り出していました。すると・・・・


S先生 :

おっ? 赤ちゃんの体重 2500グラムになりましたよ。


看護士さん & 私 :

えぇ~~~~~????? ウソですよーーーーー!


看護士さんも私も 目が飛び出るほどビックリ!

だって、S先生の発言は 「そんな馬鹿な!」と言えるほど突飛なものだったんですから。


というのも、前日のエコーまでで、

「1800グラム 超えたかな?」

「早く 2000グラム超えてくれるといいね」

なんて会話をしていたんですよ。


そんな赤ちゃんがわずか1日で 700グラムも成長するわけがない!


看護士さん :

先生、それは絶対 なにか間違ってますよ。

いくらなんでも、有り得ないです。


看護士さんの言葉に 私も うん うん とうなずくばかり。


S先生 :

うーん、そうかなぁ。

でも、ここが太ももだから この長さ測って・・・・・

で計算すると・・・・・・ やっぱり 2500グラム超えてるんだよ。


看護士さん :

でも・・・・・ 絶対 有り得ないですって!


そんなやりとりを繰り返し、

最終的な決断は・・・・・・・


S先生 :

まぁ、2500はともかくとして、

確実に 2000グラムは超えてるでしょう!




なんだか アバウトなS先生なのでした。

たまちゃんは意外に大物?

大学病院で入院していたときの出来事です。


いつものように 朝のエコーなどの検診が終わり、

点滴と心拍のモニタリングを開始しようとしたときでした。


モニタリングの器械をつけるため、

赤ちゃんの位置を確認しようとしたのですが、

たまちゃんの向きが悪かったようで

なかなか 心臓の位置が掴めなかったんです。


おなかを軽く叩いてみたりしたけど

たまちゃんはぜんぜん動く気配がない。


「仕方ないですね。

バイブ持ってくるんで 赤ちゃん起こしましょう」


と、看護士さんがバイブを持ってきました。

これ、ただ ウィーンと振動するだけの器械です。

バイブレーターにした携帯電話が振動しているみたいなやつ。


おなかにバイブを当てて、何箇所かウィーンとやってみたのですが・・・・・・


たまちゃん、まったく 起きません!


「朝の検診で心音は確認してるんですよね。

そうとう気持ちよく寝てるみたいだから

このままにしておきましょうか」


ということで、モニタリング中止となりました。


母はまだ出血してるし、

赤ちゃんを感染症から守るための点滴したりしてるのに、

当の赤ちゃんが一番 太っ腹に構えていたみたいです。


親の心 子知らずねぇ


なんて 冗談言いながら お腹 なでなで。


でも、ここまでぐっすり眠れるってことは

たまちゃんにとって 私の子宮が居心地よくなったって証。

いつまた張りだすかわからなかったから、

「今のうちに 大きくなっておくんだよ」

と言い聞かせてました。

ようは考え方次第

大学病院での入院。

しかも 3度目。

さらに、今度の入院期限は "産まれるまで"。


転院した時点で、予定日まで2ヶ月ありました。

「今度は最長2ヶ月かぁ」

考えるだけで気が滅入りそうでした。


けど、ここで私が塞ぎこんでいては たまちゃんにもよくない!

個室じゃないから 話しかけてあげることも 胎教も

やりたかったことはほとんどできなかったけど、

その分 得をしたことだってある! と考えはじめました。


まず、毎日エコーしてるから

たまちゃんの様子を毎日 確認できた!


これは嬉しかったですね。

普通に妊娠してたら、後期だって1週間に1度くらいでしょ?

それが毎日 見れたのですから。

S先生も気をつかってくれて、

その日によって違う角度からの写真をくれました。

「今日のは 頭の上から見たところだよ」

「今日のは 太ももでーす」

などなど。でも、どれもアップ写真だからよくわかりませんでしたけど。


それに 心音も毎日聞けた!

胎児特有のものすごい速さの心音。

バク バク バク といつも元気に動いてました。


あと、食事のバランス = 体重管理

前にも書きましたが、自分で気にしなくても

栄養のバランスを考えた食事が出されてくるので

妊娠中毒症を考えて塩分とか気にするとか

鉄分をとる食品は・・・・ など考える手間が省けました。


何より一番よかったのは 家事を一切しなくていい ということ。

主人と暮らしていれば、やっぱり主人のサイクルに

合わせないといけない部分とかってありますよね。

食事とか お風呂 睡眠時間 などなど。

掃除や洗濯といった家事だって やらなくてはならない。

そういったもの全てをやらなくて済んだんです。


これまでの人生で、

このときほどまでに "義務" というものから解放されたことはないでしょう!


過去にも 急性リウマチ熱、盲腸 といった病気で

入院した経験があるのですが、

そのときは学生であったため "勉強" という義務がありました。


今回は "勉強" すらなかったんです。


これはきっと神様がくれた休息に違いない!

赤ちゃんが生まれたら "育児" をしなければならなくなるから

その前に たーっぷり休んでおきなさい、

と 私に時間をくれたんだ!


そう思って、寝たいだけ寝てました。


たまちゃん、生まれてきたら

ママは必死にあなたを育てるからね!


とお腹をさすりながら、ひたすら寝てたのでした。

見たくなかった我が家の惨状

大学病院で入院して2週間くらい過ぎた頃。

お見舞いにきた主人が、


「ビデオの試し撮りしてみた」


と言ってやってきました。


やっぱり、赤ちゃんの出産に備えてビデオカメラを買い換えたんですよ。いざというとき使えないと意味がないので、いろんな機能をいじってたみたいなんです。


そして、ビデオの小さな液晶画面に映ったのは・・・・・




荒れ放題の我が家!




居間に散乱するモノ、モノ、モノ!

洋服、本、ビデオの説明書 etc・・・・・

そして、遠くに映っていたのは

私が通販で注文したベビー用品の数々。

それらがすべてダンボールから出されることなく 積み上げられていました。


はっきり言って 見たくなかったです。


ビデオの性能云々より、家のことが心配になりました。


ああ・・・・ 私が退院したら、まずは掃除ね。

ベビー服も水通しとかしなくちゃだし・・・・・


とても赤ちゃんを迎え入れる家ではありませんでした。


退院したいような したくないような

そんな気持ちになりました。


でも、旦那に文句を言うのも気がひけて・・・・・

毎度 遠い道のりを通ってきてくれてるわけだし、

パジャマの洗濯生理用ナプキンを購入してくれるなど

やりたくないであろうことを嫌な顔せずやってくれていたので

それ以上のことは言えませんでした。

主人の上司に感謝!

大学病院での入院が始まり、

とにかくたいへんだったのが主人の見舞いでした。


前にも書きましたが、

歩行禁止で公衆電話の場所に行けず、

携帯も使用禁止だったので

私から外部に連絡を入れることができなかったのです。


頼みの綱は見舞いにくる主人だけ。


でも、主人にだって仕事があります。

しかも、職場から病院までは

電車とバスを乗り継いで1時間半かかるのです。


そんな生活になってしまったので、

残業などもろくに出来なくなってしまったため、

上司に事情を説明したらしいんですね。


すると・・・・・


上司の方が車通勤を認めてくれたのです。

さらに社用申請をしてくれたので、

駐車場代は会社の経費になりました。

(主人の会社の近くは コインパーキングでも

1時間 600円くらいの場所なんです)


この計らいにより、

主人もお見舞いに来やすくなり、

平日でも2日くらいは来てくれました。

おかげで パジャマを洗濯して持ってきてもらったり

なんてこともスムーズにできたし。


主人の上司さまさまです!

入院生活 いろいろ

大学病院での洗髪については前に書いたので、

それ以外のケアについてです。


まず、お風呂。

もちろん歩行禁止ですから NO です。

そこで、たまに看護士さんが

ホットタオルを10枚くらい用意してくれました。

それで自分で体を拭いていたわけですが、

背中や足などは看護士さんが拭いてくれました。


さらに さらに。

フットマッサージ足湯までしてくれました。

バケツにお湯をいっぱい入れてきてくれて

足をつけてリラックス。

その後、マッサージをしてくれました。


1度 マッサージをしてもらってるときに

担当のS先生がやってきたことがあり、

「いいなぁ、ボクもやってもらいたいなぁ」

なんて言ってましたね。


ちなみに、担当の看護士さんは2人いました。

ひとりは先にも書いた新米 看護士さん。

もうひとりはこのとき 27歳 独身の看護士さん。


体を拭くことやマッサージなどは

27歳のほうの看護士さんがやってくれました。

この方とは いろんなお話しもしましたね。


"合コン" とかあると必ず行きますよ、って言ってました。

理由は、「産科には出会いがない!」 ということらしいです。

そりゃあ 患者は女性ばっかりだし、

外部の男性といえば、奥さんに付き添ってくる旦那さん連中。

これじゃあ 出会いはないですね。


「先生とかでいい人いないんですかぁ?」


とも聞いてみたのですが、苦笑いしてました。

対象外だったみたいですね。


まぁ、とにかく こんなことまでしてもらってたので

私の大学病院の好感度はUPするばかり!

産科だからかもしれないけど・・・・。

息子 初めての早退

初めて妊娠・出産以外のブログです。


今日、子供が熱を出し、

幼稚園に通いだしてから1年半たち、

初めて 「迎えにきてくださーい」の連絡をもらいました。


現在、私 自動車免許取得に向けて

教習所に通っているのですが、

珍しく今日は1時限しか受けずに帰ってきて

家に着いたとたんに電話が鳴ったのです。

実にいいタイミング!


なんでも、お昼ご飯を食べようとしたら

「おなかがいたい」と言い出し、

熱をはかったら 38.2あったそうです。


うちの子、とっても頑丈で、

38度を超える熱を出したのは2年ぶり。

生まれて数えても 4回目くらいだと思います。


なので、息子も私も熱に慣れてないので

たいへん! たいへん! って感じです。


37度前半の熱は年に2回くらい出すんですけどね。

まぁ、だいたい冬場なので

"いちご" と "アセロラジュース" で治ってしまうんです。

今回もそうなるといいんですが。


夜8時くらいに熱はかったら まだ 38.4度ありました。

念のため、明日の教習はキャンセル。

治ってくれるといいなぁ。

自己血輸血の準備 その4

こうして貧血を改善してゆき、

とうとう 採血をする日となりました。


朝食を終え、日課のエコーと膣消毒、

心音モニタリングなどを終えた午前10時半過ぎ。

担当のS先生と看護士さんが器材を持ってやってきました。


S先生 :

では、さっそく採血しましょう。

今日は400ミリリットルとりますね。


そういって、採血用の針がブスっと刺されました。

普段の採血と違い、注射器を使うわけではないので

針の後ろから点滴のように管がずーっと出ていて

たどってゆくと・・・・・・・・

そこには 肉屋さんで使うような秤の上に

血液を送り込む透明な容器が置かれてました!


その秤。

錆びた感じの緑色で、まーるい文字盤。

赤い針がピコピコ動いてる

ほんとに肉の重さを量るような秤。


もしもし? ここ 大学病院ですよねぇ?


と聞きたくなるほどの時代物。

よもやそんな器材で採血するとは思ってもみませんでした。


採血が始まると、赤い血が流れてゆき

秤の上の袋にどんどんたまってゆきます。


私はベッドに横たわり、

床の上に置かれた秤をじーっと見ていました。

S先生と看護士さんは秤の前に座りこみ、

やっぱり じーっと秤の針の動きを見てました。


すんごく のんびりした光景。

3人で目盛りを気にしてるのが可笑しくなって

誰からともなく笑い出してしまいました。


こうして行った採血。

途中、血液の出が悪くなることがあり

腕の向きを変えてみたりして

30分くらいでなんとか終了しました。


S先生がたまった血液の袋とサインペンをよこし、

「これに自分で名前書いておいてください」と。


自分の血の入った 赤~い袋に、

自分で日付と名前を書くという、みょーな体験。

なんともいえない気分になります。


そして、採血が終わると今度は生理食塩液の点滴


ここまでが自己血輸血に向けての準備です。

この後、また貧血改善からとりかかり、

約2週間後にもう一度 400ミリリットル採血しました。