子供に会えない・・・・ | 前置胎盤の妊娠・出産

子供に会えない・・・・

2000年 10月 17日 AM2:18

出産を終え、MFICUの病室に戻ってきたのはAM5:30くらい。

麻酔がようやく切れてきて、隣に座っている主人がぼんやり見えました。

するとそこに看護士さんがやってきて、

「他の患者さんたちの起床時間になるので一度 帰られてください」

と主人に告げているのがわかりました。


まだ朦朧としている頭の中で、

「やだー、帰らないで!」

と必死に頭や手を動かそうとしたのですが

全然言うことを聞いてくれなくて、

私の意志は主人に伝わりませんでした。


後から主人に聞いたのですが、

このときの私の様子、

おかしな人形みたいだった

ということです。


主人が帰ったあと、徐々に麻酔が切れてゆき

意識がはっきりしてきました。

手足もだいぶ動くようになってきて・・・・


午後になり、再び主人がやってきました。

そして、NICUの面会時間になり、主人だけそちらに。

前にも書きましたが、NICUの病棟は離れているため、

車イスに乗れるようにならないと行けないのです。

なので、私は自力歩行ができるようになるまで

我が子に会えない、ということに。


しばらくすると、主人が戻ってきました。

子供はすでにNICUではなく、

GCUという軽い症状の子供が入る施設に移っているとのこと。

これは心配していた感染症もなく

また黄疸などの症状もなかったため、ということでした。

そして、数枚のポラロイド写真を持ってきてくれました。

GCUの中にはポラロイドカメラがあり、

頼むと1枚300円で子供の写真を撮ってくれるんです。


こうして、我が子との初対面は写真でしたのです。


トントン


小さな体にいろんなものがついていて、

なんだか痛々しい感じがしました。


夕方になり、主人や駆けつけてくれた両親などが帰り、

病室にひとりになると、私はずっとこの写真を見つめてました。

そして、産んだ喜びより、会えない悲しみのほうが強く、

写真を見ながら ずっとずっと 泣いていたんです。


会いたいよぉ~


会いたいよぉ~


なんで?


どうして一番苦労した私が最初に子供に会えないの?


いろんなことに耐えてきたのに、なんで主人や他の人が先に子供に会うの?


産声も聞けなかった。


会うのもできない。


なんで、産んだのに、こんなに悲しい思いをしなくちゃならないの?



本当に一晩中泣いてたんです。

会いたい 会いたい 早く子供に会いたい。


今、こうして5年前のことを書いていますが、

このときのことを思い出すと今だに涙が出てきます。

産んだ本人が最初に会えない理不尽さが辛かった!

主人が悪いわけではないけれど、

どうしても納得できなかったんです。

私より先に子供に会ってきた主人が憎く感じるほど悔しかった。


お世話になった大学病院ですが、

私が出産をした翌年から産科とNICUが同じ病棟になり、

子供との面会が容易になったみたいです。

私のときにもそうだったらよかったのに・・・・・・