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ちょっと今、どうしても
書き残しておきたい出来事が
あったので
急いで記事を書いています。
自分用の気持ちの記録
みたいなものなので
読み飛ばしてくださいね
うちの次男、17歳。
高校3年生。
いつかブログで消してしまった
記事に書いたことがりますが
うちの次男は
小さな頃から少し
普通の子とは違っていた。
何をするにも
他の子よりも1テンポも2テンポも
遅い。
周りの状況が判断できず、
物事の優先順位をつけられず、
モノの管理が出来なくて
忘れ物 、失くしモノの数など
数えたらきりがない。
人の話がきちんと聞けず、
理解力も読解力もなく、
集中力もまるでなかった。
もちろん学校の成績は
完全に下から数えるほうが早く、
クラスメイトとのトラブル、
担任の先生とも諍いが絶えず
私は母親として
いつも思い悩む日々だった。
次男が中学校に入学して
本格的に反抗期に突入してから
数年の間は地獄のようだった。
家の中で金属バットを振り回し、
窓やドアや壁を破壊しまくり、
包丁までを振り回し
長男の手に今でも消えない
傷を負わせた事もあった。
お前のせいで
俺の人生はメチャクチャに
なったんだ。
土下座して謝れ。
俺の人生の責任を取れ。
と叫ばれたこともあった。
私は母親として
次男と向き合う事に
自信を失くし、
このままではいつか
次男の手によって
家族の誰かが取り返しのつかない
事態になるのではないかと
恐怖すら感じ、
次男と家族として
一緒に暮らしていくことを
諦めようとまで
思い詰めていた時期もあった。
次男は小学校6年のときに
発達障害のテストを
受けている。
結果は健常児ではあったが、
健常児にも
上、中、下とあって、
次男は下の中の一番下の
ギリギリのラインでの
判定であり、
いくつかあるテストの
項目のそれぞれの
点数の総合判定で
健常児と判定されたが
2つの項目の点数は
発達障害のグレーゾーンに
入っているため、
次男は発達障害のグレーゾーンだと
思って育てていくべきと
診断された。
この発達障害のテストを受ける
ことになった経緯も
当時の担任の先生との
トラブルの果てに
スクールカウンセラーのもとで
受けることになったり、
その後、次男は
スクールカウンセラーの先生の
勧めもあって
通級指導教室を週一回、
一時間だけ受けることになったが
その事に関しても
当時の担任の先生とも、
中学1年の時の担任とも
酷いトラブルになってしまい、
次男の心に傷を残すだけの
結果になってしまったと思っていた。
次男とどう向き合っていけばいいのか
何が正解で何が不正解なのか。
何をどれだけ伝えても、
次男の心に響いてくれないどころか
全てが裏目にでているような、
全てを否定し、
起こった事の全てを恨み、
周りの全てを敵だと思うような
次男の憎しみに
私は何度、逃げ出したいと
思っただろう。
スクールカウンセラーのもとで
親子でカウンセリングを受けたことも
かかりつけの小児科の先生に
藁にもすがる思いで相談して
小児心療内科を紹介してもらい
嫌がる次男を引きずって連れていき
診療してもらったこともある。
何が正解だったのかなんて
今でもわからない。
今、あの時に戻っても
あの頃より上手くやれる
自信なんて1ミリもない。
っていうか正直、戻りたくない。
思い出すのも今でも辛い。
ただ時間が通り過ぎただけ
それだけなのかもしれない。
だけど、少しづつ 少しづつ
本当に少しづつだけど
次男と向き合えるようになり、
というか、
次男が向き合ってくれるようになり
と言ったほうが正解かな。
次男がきちんと
前を向いて歩いてくれるようになり、
いろんなことがあったけれど、
自分のこと、今まで周りにいた人の事、
今、自分の置かれている現状、
過去にあったいろんな出来事、
自分のしてきたこと、
周りの人がしてきてくれた事など
少しづつ長い時間をかけてだけど、
次男が1つづつ受け入れていってくれた。
この1年半、
親子で失った数年間を埋めるように
たくさんたくさんいろんな話をした。
そして次男なりに将来を考え
たくさんの努力をした。
ドラマみたいなハッピーエンドなんて
素敵な事が起こるはずもなく、
取り返しのつかない現実に
次男自身とても苦しんだこともあったが、
それでも次男は諦めず
出来る限りの努力を続け、
先月、無事に就職の内定をもらった。
正直、これでハッピーエンドなんて
思っていないし、
どっちかって言ったら
次男が社会に出ることに
とてつもない不安は確実にある。
でも、次男は頑張ってくれると思うし、
こればっかりは
とにかく次男を信じてみよう。
もうホント、これだけだ。
そして、今日、
次男と夕飯後に話をしていたら
ふいに次男が昔の話を始めて、
俺さ、いっぱい苦しかったけどさ、
でも、ママがカウンセラーとか
病院とか連れて行ってくれたり、
通級指導教室にいれてくれたり
何度も学校に話し合いに行ってくれたり
いろんなことしてくれたから
ちゃんと生きてこれて
こうやって今、普通って言える道を
歩いて行けてるんだなって
マジで思うわ。
ママが俺のお母さんじゃなかったら
俺の人生マジでヤバかったと思うわ。
ママが俺のお母さんで良かったって
ホント思うよ。
って言ったんです。
私、不意打ちでいきなり
こんなことを言われたもんだから
泣きそうになって
一瞬、言葉に詰まってしまった。
いやいや、
次男、あんた
お前が発達障害のテストを
あの時に受けさせたから
俺の人生は狂ったんだ!
カウンセラーなんか信用できない!
他人に俺のことベラベラ喋りやがって!
お前なんか絶対に信用しない!
病院なんて誰が行くか!
お前は俺のことアタマがおかしいと
思ってるんだろう!
お前がそういうことするから
俺のアタマがおかしくなるんだ!
お前のせいだ!
通級指導教室なんていれやがって!
お前のせいで俺は
担任に障害者扱いされたんだ!
責任取って俺を転校させろ!
2度と学校に来るな!
お前が担任に話をする度に
俺の立場が悪くなる!
お前が担任に変な話を吹き込んでるんだ!
全部お前のせいだ!
この家族に生まれたから
俺はおかしくなったんだ!
他の家族の元に生まれていれば
俺は幸せになったはずだ!
この家から出て行きたい
それか家族みんな死んでくれ!
って、さんざん言ってましたやん。
と脳内で激しくツッコんだけど。
言葉に詰まる私に次男が
不思議そうな顔をしたので、
次男は私のやってきたことの
おかげだっていったけど、
嬉しかったけどね。うん。
でもたぶん、私のやってきたこと
どれも正解なんかじゃなかったと思う。
不正解なわけでもないけどさ。
ただ、今の次男が
過去にあったことが
全て正解だったんだって
ちゃんと言えるだけの今を、
そう思えるだけの自分自身を
ちゃんと掴んだんだって
今の言葉は
その証だと思ったの。
私が正解したわけじゃないの。
今の次男が過去を正解にしてくれたの。
それがただただ嬉しかったの。
頑張ったね。ありがとう。
と、次男に伝えたら
次男は恥ずかしそうに
ウザッって言って去っていった(笑)
と、いうことがありました。
いつか、いつの日か
次男との日々を
きちんと形にして
書き残したいと思ってはいたのですが
まだあの頃を振り返る
強さが私にはありません。
だけど、あの頃の私に
今日のことを伝えられたら
なんて思ってしまって、
今日、あの頃の私の
ズタズタになっていた
心がフワッと軽くなった気がしてね。
どうしても
形にして残しておきたくて
この記事を急いで書きました。
いつか
あの頃を振り返る強さが
私にできたなら
きちんと形にして書こうと思います。
最後までこんな
私の気持ちだけを書き殴っただけの
記事を読んでくださって
ありがとうございました。
みなみ