真実への探求

世の中では嘘がまかり通っています。
ここのブログでは、テーマを多義に渡って語っていきます。


テーマ:
「不可触民―もうひとつのインド」著:山際 素男 P116~123 より抜粋。

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ベルチ村の虐殺

ベルチという戸数百軒ほどの、ドナバリ村と変わらぬ小さな村で起った。

 ガンジス河支流に囲まれたこの辺一帯の地域は、酎期に入ると川の氾濫によって一年の半ば以上交通が途絶し、陸の孤島になってしまう。
 このような現象は、ガンジス河地方だけでなく、川の氾濫が長くつづく地域全体に発生する。
これら氾濫域の村落は山地の雪国のように何カ月分もの食糧、燃料などを蓄え、越冬ならず越
水に備えねばならない。そして、不可触民虐待が集中するのは、このような外との連絡を断たれた隔絶地であり、事件のほとんどは闇から闇に葬りさられてしまう。
 特にガンジス河一帯の氾濫は水の退くのが恐ろしく遅い。ヒマラヤからベンガル湾へ、延々二千キロの道程で、その高低差が僅か百メートルというのだから始末が悪い。下手をすると、年を越えても水が退かず、翌年の氾濫と合流してしまうときすらあるという。こうなると、文字通り"島"である。
 ベルチ村はそういう孤立地のひとつであった。
 十一月頃、わたしはベルチ村の近くまでいったが、結局水に阻まれてゆくことができなかった。
 同行のインド入の友入が、見渡す限り泥潅の彼方を指さし、ベルチはこの先き二十キロのところにある。どうしてもゆきたいというなら、舟を雇い、ゆけるところまでゆき、後は象に乗るか、泳ぐかするしかない、という。
 インドの大部分の農村は、むしろこういう状態にあるのが常態なんだ、とその都会に住む、州議会議員の友人はいい、肩をすくめた。われわれにだってどうしようもないんだ、とその顔はいっていた。
 さて、この戸数百余りの、最も平均的規模(インド五十八万農村中、人口千人以下の農村が全体の八O%以上を占める)のベルチ村の支配力ーストはクルミというシュードラ(農民)カーストであり、全体の二〇%足らずである。残りは全て不可触民。普通の村と人口比が逆である。ここにもこの村の支配層が苛酷な制裁を不可触民に加える要因がある。

 事件の発端は、ある不可触民が、村を離れたブラーミンから土地を預かり、これまで耕作してきた地主の畑の面倒をみなくなったことからだという。
 この地主は街に住む有力政治家で、ベルチのクルミカーストの大ボスであった。大ボスは、自分の土地の面倒をみなくなったことに腹を立て、その農夫をベルチ村から追い出そうとした。
 ところが、村の仲間は農夫をかばい、村のカーストヒンズーに抵抗の姿勢を示した。数では劣勢のクルミ側は、街のボスに応援を求め。この間何度も小醗合があり、子供同士も争いに巻きこまれたらしい。子供のけんかが発端だ、というニュースも流れ、事実少年が一人一緒に殺されている。
 ある朝、突然ライフル、手槍や斧で武装した何十人ものギャング集団がジープ、トラックにのって村へ入ってきた。
 当の農夫とその家族や仲間たちは、いち早く畑へ逃げた。
 殺し屋たちは、いったんあきらめて帰る振りをし、待伏せていた。それに引っかかった不可触民たちはクルミカーストの家へ逃げこみ、内に閉じこもった。この家は頑丈な造りでできており、ライフルも斧も通じない。その家の扉や壁に三百発もの弾痕があったという。
 奸智に長けた一味は、和議を申しこみ、扉越しに内の人びとと話し合っている間に別の一味が屋根に上り、ひそかに天窓から屋内に忍び入り、背後からホールドアップをかけた。まるでアクションフィルムさながらである。
女、子供を含めた十一人の不可触民家族と仲間は、村のボスの家へ引き立てられた。家の前の広場には薪が山と積まれていた。
 ギャングたちが人びとを追い回している一方、村のカーストヒンズーは処刑の用意をせっせと整えていたのである。
 処刑は残酷極まるものであった。
 新聞などでは、十一人全員射殺し、ケロシン(灯油)を浴びせ、薪にほうりこんで黒焦げにしたとあったが、それは事実ではない。実際はもっとひどいやり方で殺したのだが、余りにむごたらしいので書くのをひかえたのだろう。
 ラジャン氏はそういい、彼の下に届いた報告を次のように語った。
 十一歳になる少年を除いた大人十人は、男も女も、全員生きたまま手足を切断され、燃え盛る薪の山の中ヘ一人ずつ、順番に投げこまれた。もがき苦しんで転げ落ちるものは直ぐ焔の中へほうりこまれた。
 少年は生きたまま火中へ投じられ、数回にわたり焔の中から這い出し、村人に許しを乞うたが、その都度火中に投じられ、遂に絶命した。
 芋虫となって焔の中を転げ回る人びとをクルミたちは最後まで"見物”していた。
 クルミの女たちは長い棒で、ローストチキンを焙るように、屍体が黒焦げになり、識別不能になるまで丹念に転がした。
 これが真相です。ラジャン氏は暗い笑みを唇の端に浮かべていった。
「この事件も、警察がかんでいるのです。いつだって、不可触民虐殺の背後にはカーストヒンズーと"警察"がいるのです」
 ラジャン氏は語り継いだ。
「ギャング共は朝の六時頃村へ乗りこんできたのです。間もなく不可触民の一人が八キロ離れたところにある警察署へ急を知らせました。その頃はまだ雨期前で、道が通じていたのです。
 ギャングの襲撃を知らせにきた農夫に、署長はなんといったと思います。
"五百ルビ~出せ。そしたら今直ぐにでも助けにいってやる"といったのです。
 署長の脇には、街の大ボスが椅子にふんぞり返り、署長と顔を見合せニヤニヤしていた、とその農夫は証言しています。
 これで事件のからくりがはっきりするでしょう。
 これから起る殺戮の筋書きは、彼等が仕組んだのであり、事件が表沙汰になる気遣いがないのを二人とも信じきっているのです。しばらくすれば雨期になり、何カ月もベルチには人も訪れなくなる。その間に全ては完全にもみ消せる。そうふんでいたにちがいありません。
 第一報が届いたのが、十時。昼の二時に、他の不可触民が、早くこないと十一人の命が危い、と急を告げにきました。処刑がはじまったのは午後三時すぎだったのですから、それからいっても、十分間に合ったはずです。
 ですが、署長が行動を起したのは、夕方の五時を回ってからでした。しかも、見回りと称していくつもの村に立ち寄っているのです。
 署長がジープでベルチに着いたとき、当然全ては終っていました。だれとも見分けのつかぬ炭化物と化した"物体"が薪の灰とともに残っているだけでした。
 署長は、州本部にこの事件の報告を怠ったどころか、白分の手元に事件の記録を一字もとどめていなかった、というのですから恐れ入ります。 つまり、事件ははじめから"なかった”のです」

 しかし、この"完全犯罪"がどうしてバレたのか。
 街の大ボスの政敵が、ギャング一味から事件を嗅ぎつけ、ニューデリーに素っとび中央政府へ直訴したのである。ビハール州政府は事件後二週間もたってから事を知らされ仰天した。
 中央政府も事実を無視できなくなり、チャラン・シン内相は議会で答弁した。
「あれはベルチ村のならずもの同士のけんかで、二、三人が死傷したにすぎない。少なくともいうところの"不可触民虐待"という性格の事件でないことは確かである」と。



活字だけでは信じられず、写真など見たい方は、下のリンク先をご覧下さい(閲覧注意)

■なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか DARKNESS
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_5583.html
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