みなへいのブログ

フリーライター、戸塚美奈が、暮らしと健康、男子の育て方などなど「日々の笑いと発見!」を書きとめるブログです。

クリップサッカー母ちゃんは引退しました。サッカーのこともたまには書きます。健康ブログ は更新中です。



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週末、「ガソリン入れて、それから車を少し動かすかぁ~」と、ダンナが言うので、それではと少しドライブに行くことに。

ドライブがリラックスになるほど車の運転に慣れていない私、しかも、ダンナが隣に載っていると、「赤だよ赤だよ」とか「あーっ!」とかいろいろうるさいのでまったく楽しくないのだが、彼は私の運転でのドライブが楽しいらしい。私は教習所で練習しているみたいな気分。

 

いつものドライブコース、調布飛行場から見える富士山。週末はこんなにきれいにクッキリ見えた。富士山がきれいに見えるとダンナは大喜びする。「あぁ、富士山見れてよかった」「よし、いいことありそうだ!」と言う。そんなに喜んでくれるのだから、まぁ運転してあげた甲斐があるか。

静岡にルーツのあるダンナは富士山が大好きだが、奥羽山脈のふもとの盆地に育った私には、どうも富士山は「山」とは思えず……マッターホルンだって山というより崖だし。「ふるさとの山に向ひて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」という啄木の歌があるけれど、まさにそれだ。私にとっての山はふるさとで間近に見ていた山こそが「山」であり、眺めたいと希うものなのであって。

富士山、好きだけど。そりゃきれいに見えたらうれしいし。でも今は、子どものころ家の二階の窓から眺めていた、近所の山の姿が、ひたすら恋しい。

年をとったのかもしれない。

 

 

 

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ずいぶん長いことブログを書くのをさぼってしまった。

なにをしていたかというと、漫画『風雲児たち』を読んでいたのであった。

 

歴史漫画『風雲児たち』は、関ケ原から幕末を描く長大なドラマ。ドラマというよりクロニクルとも言うべきもので、第一巻の表紙には坂本龍馬が描かれているのに、関ケ原からスタートし、その後延々と、大黒屋光太夫、平賀源内、最上徳内等々、江戸時代を駆け抜けた奇抜な風雲児たちのドラマが展開する。読みはじめて気が付いたのだが、この漫画、いまだ完結していないのだ。次巻で寺田屋事件というから、幕末はこれから・・・

全20巻、風雲児たち幕末編28巻、全部買った・・・。で、蘭学を学ぶ人たちが夜も寝ずに本を読み、書き写すのに感動して自分も夜寝ずに読み通し、何年かぶりかで風邪をひいてしまった。幕末の勉強家の志士たちはみんな若かったということをうっかり忘れていた。

 

この漫画にはかずかずの名言があるのだが、いちばん好きなのが、2巻にある

将軍秀忠の子(のちの保科正之)を宿した娘に、浪人の父親、神尾某が言う言葉。

 

「お父さま。さだめとは、いったい何でございましょう」

「運命(さだめ)とは、生命(いのち)を運ぶことじゃ。それのわからぬやつが、『生命(いのち)を運ばれる』と読んでしまう」

「運命(さだめ)とは、決してよそからくるものではないぞ。わかっていようがいまいが、自分できめて、自分できりひらいてゆくものだ」

「命を精いっぱい使ってゆけ。それを『使命』というのだ」

 

「風雲児たち」のテーマといってもいいような言葉かもと今書き写していて思った。

 

このお父ちゃん、娘の静が去ったあと、ひとり、寂しさを振り払うようにお膳に座ってガツガツとめしを食う。このシーンもとても好きだ。この漫画には、全編を通じてお膳に座ってご飯を食べるシーンがたくさん出てくる。登場人物のほとんどが武士だからか、皆、どんなに貧しくともお膳を前にしてきちんと座り、食事をする。どんな不運な境遇にあろうと、どんな粗末なご飯しか用意できなくとも、きちんと食事をする。そんなシーンが、とても武士らしい。ありがたく米や魚をいただくという行為を通して、日常生活の武士の作法の中に、農耕や自然への謙虚な気持ちが宿っているのも感じる。

昔、だれかのエッセイで読んだのだが(村上春樹さんのエッセイだったかも)、志村喬さんの祖父は土佐藩士で、子どものころから武士として厳しくしつけられたため、好物のちらし寿司も、わざわざネタを別にして食べていた・・・のだそうだ。つまり、ご飯とネタをごっちゃにして混ぜて食べるなど武士としてはやってはいかん、と躾けられていたので、大人になっても混ぜて食べられなかったのだそう。

食べ物に対するそうした気持ちを、現代の我々はもう少し思い出すべきだと思うのだ。と、『風雲児たち』を読みながら、志村喬さんのことも思い出したりする。(今調べたら、志村喬さんのお祖父さんは山内容堂のもとに仕え、隊長として鳥羽伏見の戦いにも参戦していたそうだ)

 

とか言いながら、単純に、漫画の中の食事をするシーンに生活感を感じて、日ごろおかあちゃん業をやっている自分にとってはうれしいだけなのかもしれないケド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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明けましておめでとうございます。今年は喪中の上受験生2人もかかえた家のため、「おめでとう」も小声で交わす正月なり。とはいえ、餅に酒(は私が飲んでいるのだが)の連日の宴会は例年どおり。おさんどんとくだらないテレビ番組にスポーツ番組の流しっぱなしで正月後半私が不機嫌になるのも例年通り。正月の主婦ってくたびれる。新聞読みながら、夫が「アベソーリは正月は六本木ヒルズのホテルだって」と言っていた。「ホテルで正月をすごすよーな政治家に庶民の気持ちがわかるか!少しはめざしの土光さんやホセ・ムヒカさんを見習ったらどうだよ」と言ったら、「ソーリはソーリで職務にかかわるからホテルなんじゃないの」だって。関係ないよ、スマホの時代に。年末に買い出しをし、掃除をし、家族のために正月料理を作り、客を招き、大量の皿洗いをし、お泊りのフトンを用意し、ということをする人と、正月は高級ホテルでスマートに過ごすって人とには、大きな大きな隔たりがあると思う。とかえらそうに言ったものの、正直なところ台所仕事をしながらずーっと「ひとりになって本が読みたい、本が読みたい」と思ってるんだから困ったもんだ。ほんとはアッキーがうらやましいだけだったりして。昔の旧家の嫁ってどんなに大変だったんだか。

やっと正月が終わった。さぁこれから今年の抱負を考えよう。

 

喪中だけどお供えをしたほうが夫の両親も喜びそうだしでお節にお神酒。5人分なのは義妹の分で犬の分ではありませんので念のため。煮物やチャーシューは作った物。黒豆や昆布巻きは買った物。チーズとサラミは欧風料理が好みの義妹が持ってきた。

 

 

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今朝、キッチンで洗い物を手伝ってくれていた夫が大きな声を出した。「あれっ!?なにこれ!?」水切りかごに干してあった「生食用」のカキの入っていたプラ。あー見つかってしまった。それは妻が前日食べたカキの……。じつは妻は数年前からカキの隠れ食いをしているのであった。

今年も三陸のカキがノロで壊滅状態というニュースを見て生ガキが食べたくなり、スーパーで三陸産生食用カキを買ってきた。夕食の支度をしながら白ワインを一杯グラスにつぎ、レモンをしぼり、ひとりでこっそり食べるカキのうまいこと!ダンナは貝類が好きではない上に、心配性で、カキを見ると「お腹がいたくなるかもしれない」と言う。仕方ないから、カキフライが食べたいときはミックスフライにし、魚介の鍋にカキを紛れ込ませるなどして、妻はなんとか好物を食べようとしているのだが、一度でもカキのニュースが出たらもう最後、カキを食卓に乗せることさえ嫌がる。

カキを食べたからってノロになるとは限らなない。なるときはなるし、ならないときはならない。それに加熱してしまえばノロは死滅する。毎年何度も何度も言っているのに、いまだにカキ→お腹が痛くなりそう、という発想をやめられないんだから困ったもの。カキ→ノロとか、お腹がいたいなら正露丸が効くとか、高熱になる風邪がインフルエンザだとか、そういう間違った健康情報って最初に刷り込まれると、払拭できなくなるのだねえ。

かくして妻の隠れ食いは続く。

 

健康ブログにノロのことを書きました。「忘年会シーズンのノロ対策」

http://40s-style-health.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html

 

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母から写メールが来た。なんだろうと思ったら、父の大量のネクタイをほどいてはぎ合わせて作った座布団の写真。地方銀行を勤めあげた父の大量のネクタイ、どう始末しようか考えた挙句、座布団カバーにしようと思いつき「今ほどいてる」と言っていたのが1か月前。見事に完成した様子。父母愛用のリビングの椅子にセットされたそれは、色合いも渋くてなかなかおしゃれ。「ごめんなさい、毎日尻に敷いています」の昭和の妻の一言に思わず笑った。高度成長時代も遠くなりにけり、である。

 

映画『この世界の片隅に』を見て以来、縫いものがしたくて仕方がなく、古切れやらなにやらひとまとめにしているのだが、なかなかまとまった時間がとれず。『この世界の片隅に』は、戦争末期の呉に嫁に来たすずさんの暮らしを描く映画。この原作のまんがには、すずさんが「はてさて」と言いながら着物をもんぺに仕立てる様子や、「裁ち間違えた…」と落ち込みながらもつぎはぎパッチワーク状のどてらをこさえるシーンが出てくる。私はこの場面が大好きだ。もんぺを作るシーンはそのまま映画に再現されていてうれしかった。原作を読んだとき、いやはや、なんと裁縫とはクリエイティブな楽しい仕事であろうかとおどろいた。すずさんは、裁縫上手なおばあちゃんにまかせっきりだったのに、自分で作るしかなくなって、「はてさて」と作り始める。ああなって、こうなって、と考えて着物を裁ち、縫い合わせる。和裁や洋裁の知識ががっちりなければできないものと、今の私たちは衣服づくりには手を出さないが、それは、「できない」のではなくてただ「やらない」という問題であったのだなぁ、とつくづく思った。裁縫の得意ではないすずさんの隣には、嫁入りのときに持ってきたのであろう、針箱が置かれている。私は祖母の針箱をもらって使っているが、それと同じようなものだ。道具は大事。木綿は貴重品だし、着物も何度も縫い直して使う。でも、道具だけはいつもきちんと揃えられている。

 

今、私にネクタイパッチワークに励むほどの時間はないけれど、とりあえず仕事の合間に、やぶれた衣類やフトンカバー類につぎをあてることに凝っていて、これがとても楽しい。仕事で打ち合わせに出かけるときには着られないけど、家では平チャラだし、なにしろつぎが当たっているとあったかい。色合わせを考えつつついだ、つぎはぎだらけのフトンや上掛けを干すときはいつもニコニコしてしまう。そんなことで楽しくなるなんちゅうケチな性格だと思うが、きっとこういう楽しみこそ、刺し子や裂き織などのアートにつながっているのだ。針箱をそばにおいて古着やら古布やら積み上げながら、「何ができるかなぁ」「何を作ろうかなぁ」と考えていると、自分はなんでも作れるアーチストのような気になってくる。針箱から無限の宇宙が広がっているような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

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先週末、インターホンが壊れてしまった。

2ヶ月くらい前の暴風雨の翌日から数日間、人がいないのにピンポンピンポン鳴って、おかしいナ、とは思っていたが、ついにおだぶつ。この時期お届けものも多く、困ったなぁと、とりあえず、「すみませんが故障中です」の貼り紙を。「故障しているので、大声で呼んでください」でもないし……と思いつつ。宅配便のおにいさんに申し訳ないし、なにか、鳴り物はないか、牛につけるベルのようなもの、チリンチリンと音のなるものなかったかな、と物置をゴソゴソしたけど、ない。 玄関先の見える窓のところに犬をおいとけば、ワンワン吠えるんだがなぁ、などと思っていたら、「コン、コン!」とノックの音。ああ、そうでした、ドアホンがなければ、ノックをすればよいのであった。そんなあったりまえのことを忘れていた。

 

昔むかしはフツーの家にはインターホンなんてなくて、インターホンなんてものは、門構えの立派なお屋敷にのみあるものであった。幼稚園の頃、成増のアパートに住んでいた。隣は、米軍基地にお勤めのアメリカ人家族。息子のジミーくんと私は仲よしで、アパートの周りで遊びまわった。大家さんのおばさんの家にしのびこんでいたずらするのが楽しかった。あちこちで遊んでいると、大柄なジミーくんのママが探しに来る。ジミーくんのママのドアのノックの仕方は、「コン、コン!」ではなかった。「オクサーン!」と叫びながらコンコンコンコンコンコンコン!!という高速ビート(と時折思い出して母が言っていた)。当然ドアホンはなかったろう。小さな2DKにドアホンもインターホンも必要あるまい。その後成増から目白の社宅に移ったが、そこにはドアホンがあったような気がする。ドアにはいつもきっちり鍵がかけてあり、小1の私が鍵のかけてある家に入りたくて、友だちにそそのかされて、玄関口の小さな窓から忍び込んだときには、こっぴどく母に怒られた。

その後山形に戻ったら、山形の友だちの家はみんな広く、物置なのか玄関なのか、畑なのか庭なのか、入り口がどこだかわかりにくい。ドアホンなんて見たこともない。子どもたちが玄関先と思われる場所で「あ~そ~べ~」と節をつけて友だちを呼ぶのだ。

店で買い物をするときにも「か~あ~う~」と節をつけて店番のおばちゃんを呼ぶ。

昔は、プライベートとそれ以外との境界が至極あいまいだった。家もそういう作りになっていて、畑がいつのまにか庭になり、勝手口になり、土間になり、家の中になる。いつのまにか誰かが庭にいる。

そういや、中学生の時、父に用があって住所をたよりにやってきた校長先生が、裏の畑からいきなり台所裏に現れ、「おーい!おまえんち、ここだが?」と言ったときはたまげた。大人たちも、商売の人も、ピンポンなんて使わず、ガラガラと玄関の戸を開けて「まいど~」「おーう!」だったっけ。

 

それらが原風景として残っているわたしだから、インターホンごしのやりとりがあまり好きではなくて、ピンポンが鳴ってもドアを開けて応じている。だいたいこんなウサギ小屋にインターホンつけて、モニターで話しているなんて、なに気取ってんだい、とちゃんちゃらおかしい。客観的に考えると相当アホらしいことじゃなかろうかと思う。

だもんで、私は文字通りの「呼び鈴」設置スタイルでもいいのだが、世間体を気にする次男が反対を示し、また宅配便のオニイサンにも気の毒であるので、結局、インターホン工事110番、というようなところに連絡して都内の業者を紹介してもらい、修理してもらうことになった。

検分してもらった結果、「もうムリです寿命完全に超えてます」。16年も使っていて、じゅうぶんすぎる、とのこと。7、8年くらいが寿命だそう。今年はお金がかかること続きだとガッカリした顔をしていたら、気の毒に思ってくれたのか、アマゾンで本体を取り寄せれば、工事費だけでよいとのこと、おかげでトータルで2万2千円で修理完了。

「今のは留守中来た人が録画されてますよ」と電気工事の親方が言うので、「そんな機能いらないんだけど」と言うと、「今は安いのでもみんなこの機能ついてますよ」だって! そういえば、お隣に駐車場代を払いに行くと「留守しててすみませんね、何度も来ていただいて」と言われるのが不思議だったのだが、そういうことだったのか。

我が家のご近所には、いまだにインターホンを使わないおじさんおばさんもいる。いきなりトントン、「どーも」、いきなりドアオープン。そうした訪問が、なつかしい昔のご近所さんを思い出させてくれて、私はほっこりするのだが、農村で暮らしたことのないダンナは、そのやり方にどうにもなじめないらしい。

 

本体が小さくなってしまって、こんなにスペースが余ってしまった。このすきまになに置こう。しかしねぇ。この狭い建売の貴重なスペースに、聖母像でもあるかのように偉そうにまぁ・・・。

 

 

 

 

 

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1カ月くらい前、寒くなってきたので、室内の窓際に蘭の鉢を入れておいた。かれこれ5年前にいただいた胡蝶蘭の鉢。その後3年目まではなんとか咲いていたものの、4年目は新芽がうまく育たずダメ、以来、芽はひとつも出ず、もう死んじゃってるのかな……とあきらめ状態。ところが、一昨日、フト見たら、小さい新芽が出ているような気が。今朝見たらたしかに芽は出てる! しかも新芽は2つ!!

(写真ではわかりにくいですが)

なにがうれしいって、こういうことほどうれしいことってない。一所けんめがんばった(別にたいしてがんばってないが)自分へのごほうびに違いない……。ひところ、自分へのごほうびという言葉が流行った。ボーナス商戦の広告用文句として。でも、本来、自分へのごほうびってこういうものだろう。アクセサリーよりバッグよりうれしい(もとよりアクセサリーにもバッグにも興味はないが)。早めのクリスマスプレゼントもらった気分。

 

府中で見かけた二人連れ(?)のハリネズミ。親子なのかカップルなのかきょうだいなのか??

 

 

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なぜか忙しい毎日。それほど仕事をしているわけではないのに、なぜだろうと首をひねる。ブログや日記を書かないと、どうも達成感ゼロで精神衛生上よろしくない。いろいろ書きたいことはあるのだが、とにかく目前の仕事をさっさと終わらせないと正月も来ない(喪中だが)なので、しばしガマン・・・。

ありがたいことに家族が鍋好きなので、食事は毎日鍋。でも家事を仕切る人であれば誰もが承知と思うが、鍋だから食事の支度も後始末もラクということではなくて、手間はそれなりにかかるのだナ。その上、我が家は、男3人の帰宅時間がバラバラという鍋には向かない困った家族なのであった。

 

鍋と鍋と鍋の間に、このような空白時間が訪れる。それでも、素材は切るだけでいいし、翌朝も絶品おじやを食べられるのだから、いいか。

鍋のコツは、「なんでも鍋」にせず、鍋メニュー名をはっきりさせて、主役を決めること。鶏ちゃんこ+うどんすき、豚しゃぶ野菜いっぱい、キムチチゲ、豚鍋ラーメン、などと「今日はこれを食う!」という方針を示しつつにすると、ごちそう風になってありがたみが増す(一人当たりの肉が少なくても)。これ主婦の知恵。

写真はちょっと贅沢に我が家の一番人気、「ブリしゃぶ」の日。

 

 

 

 

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一昨日のこと。

月に一度の、人形劇俳優の永野むつみさんの絵本塾へ。隣の市で5、6キロほどなので、いつもは自転車で行くのだが、天気が不安なので電車で行くことに。20キロ先でも自転車で行くほど自転車好きな私だが、雨の日だけは自転車に乗らないのだ。というのも、数年前の雨の日、自転車をかっとばしていて見事にすっころんだから。

免許書きかえの日、小雨が降る中府中の試験場まで自転車で。視力検査のところでハッと気が付いた。眼鏡がない! 「あのー、眼鏡忘れちゃったんですけど、ないとダメですよね」当たり前のこと聞くなとばかりギロリとにらんだ視力検査のオバサン、「まさか車で来てるんじゃないでしょうね!?」。ちがわい。べそをかきながら家まで小雨の中自転車で戻り、本降りになった中をまた自転車で府中までひた走り。そして、その帰り道、歩道に乗り上げる斜面ですべってハデに転倒。ショックでにわかには立ち上がれず、つえを持ったおじいさんに助けられる始末。いやあれはつらかった。2月の雨。あれ以来雨の日の自転車がトラウマになり、雨の日は極力乗らないようにしているのだ。

で、なんだっけ? そうそう、一昨日。

雨だからと早めに電車で行ったのはいいが、駅の改札を出たところにある書店に引き込まれるように入ってしまい、ついつい立ち読み。ハッと気づいたら時間で急いで永野さん宅へ。で、速足でマンションのアプローチに飛び込んだ瞬間、たった10センチほどの段差にけつまづき、飛んだ、のだ、私が。顎がマンションのガラスのドアの取っ手に激突。ガラス戸の向こうにいた管理人さんも、道を歩いていた人もゲッ! という顔をして「大丈夫ですか?」と言ってくれたが、こちらは「大丈夫です」と答えてさっさと立ち去るのみ。しかし本当はかなり痛く、正直言えばしばらくそこに倒れていたかった。打った場所が顎の下で正面から見ればほとんどわからないので、絵本の会でも気の毒がってもらえないので少々つまらない。家に帰ってから見たら内出血して黒くなって全体的に腫れている。家の男衆は皆私より背が高いので、よほどアゴをあげて見せつけないと黒いアザは見えない。ダンナは老化現象だ、骨折してたらたいへんだとさわぐがたいして痛くはないし大事ではない。長男はアザとふくれたアゴを見てフグだという。それにしても驚いた、人って飛ぶのだ。両足が浮いた一瞬、時間が止まったのだった。そして、次の瞬間、ガラス窓に激突する鳥みたいにオバハンはガラス戸にぶつかったのだった。まるでマンガだ。お母さんに連れられてた男の子が口を開けて見ていたけど、さぞやぶざまであったろうなぁ。昨日両親に電話していて、「気を付けてね、転ばないようにね」と言いながら、自分が転んでやがると情けないかぎり。しかし今も転んだ瞬間を思い出すと笑ってしまう。あまりに豪快に激突したもんだから、転んだ瞬間、厄がぜんぶ吹っ飛んだような気がする。
免許の書きかえに行って転んだのはサテいつだっけと免許証みたら、平成24年。うーむ4年近くたつのか。やっぱりね。あのころからなにかと苦難続きなのだ。来年は書きかえだ。そういえば永野さん宅も府中である。そうか、雨の日に府中で転んでアタシはウッカリ疫病神を拾ってしまった。そして4年近くがすぎ、再び府中でハデに転んで、府中の街角に疫病神をお返しすることができたのかもしれない。

なんかどうもそんな気がする。

 

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曇天。あまりの暗さに、もう夕方かと思ったら、まだ14時台だったのでおどろいた。外のオクラをいいかげんに片づけてはつか大根のタネをまこうと思っているのだが、今日もあれこれやっていてなかなか外に行けない。となりの家のゴーヤがいまだに2階までつるが伸びていて、花まで咲いているのを見るとほっとしてしまうのがまずいと思う。日が暮れないうちに片づけなければ。

アメリカはトランプが大統領になってしまった。当確がでたあとの映像をみたら、なにやら正気にもどったようなまじめな顔をしていたので笑ってしまった。ダンナに、「なんであんな顔してるの?」と聞くと「もう選挙は終わったからハッタリのパフォーマンスは終わったんでしょ」という。ショータイムは終わったのだ。さっき次男が「ハリウッド俳優がトランプにNOを言ってるよ」といろいろな画像を見せてくれた。NOもいいけど、こうやってさらに対立をあおるのもどうなんだろうと思う。まあ仕方ないではないか。女性大統領が誕生しなかったのは残念だけど、ヒラリーだったらこれまでのアメリカとなにも変わらないだろうから。アメリカのことより、プランタ-の片づけと、買い物もしなければ。

大統領選のニュースで出てくる地図を見ながら思い出していたこと。私にアメリカのいくつかの州の名前を教えてくれたのは、『大草原の小さな家』の本だったっけ。ウイスコンシン州、カンザス州、ミネソタ州、サウスダゴダ州。子どものころ、解説についていたアメリカ合衆国の地図を見て知った。州から州へ、インガルス家が幌馬車で移動したのだと信じられない思い。『大草原の小さな家』でインディアン(ネイティブ・アメリカン)たちが長い行列を作って土地を去っていくシーンがとても印象に残っていて、昨日なぜか思い出されて挿絵もよみがえって来た。テレビ版にはそのシーンは会ったのかは覚えていない。馬の両側のかごに赤ん坊を入れた母親のインディアンが通り過ぎる。その赤ちゃんが、つぶらな瞳でローラを見つめる。通り過ぎても、じっとその赤ちゃんはローラを見つめ続ける。ローラはその赤ちゃんが欲しくてたまらなくなり、あの赤ちゃんをもらってと駄々をこねるのだ。トランプに票を投じた人々も、きっと、ローラの父さん母さんのように、神に祈り、神に感謝し、家族を愛する人たちだったんだろう。

 

さあ、買い物買い物!(プランター掃除はあきらめた)

 

 

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