第1回アガサ・クリスティー賞受賞作『黒猫の遊歩あるいは美学講義』が
9月5日より全国発売となります。例によって地域ごとに若干の時間的なずれは
あるかと思われます。ご了承ください。

「ハードカバーで持ってるしー…」と仰る方もいらっしゃるかと思いますので
今回は少し文庫本についての情報を少しばかりここでお話ししたいと思います。

まず、表紙イラストですが、丹地陽子先生による新たな書下ろしとなっています。
前回は座っていた黒猫が立っていたり、付き人がブランコをこいでいたりと
文庫ならではのキュートな二人をご堪能くださいませ。

さらにさらに……。

文庫解説は、第1回アガサ・クリスティー賞の際の選考委員を務められた
若竹七海先生にお願いいたしました。
私自身、学生時代、若竹先生の推薦文や解説によって何冊本を買ったことか
知れません。キャサリン・ネヴィル、ヒラリー・ウォー、
クリストファー・プリースト……いずれも傑作と出会わせていただきました。
もちろんそこまで若竹先生の推薦文を信頼していたのは、
若竹先生の『心のなかの冷たい何か』『スクランブル』をはじめとする著作に
心酔していたからです。縁あって拙著の文庫解説をしていただけた
ことに深い感慨を抱いております。
作品や私について鋭い洞察をされていますので、ぜひ多くの方に解説まで
お楽しみいただければと思います。

ええと、文庫のメリットは以上になります。……なわけはありません!
もちろん、文庫化にあたり、全編細かい部分で改稿しておりますので、
細部の違いなどをお楽しみいただくのもまた一興かと。

次、外観フォルム探訪! 行ってみましょう!

森晶麿のLEVEL 100,000,000

まず、これが表紙……イラストはもちろんのこと、文字のレイアウトも申し分なく決まり、
さらに帯の赤が効いています。帯をとったらどうなるかは、のちのお楽しみに。

んで、これを本棚に収めるとご覧のとおり

森晶麿のLEVEL 100,000,000

タイトルの長さがひたすら目立ちます!
ぜひご自宅の本棚でお確かめください!

ちなみに、こぼれ話になりますが、こんな長いタイトルにしたのは、作品のスペックを表に出しておかないと落選する気がしたからです。なので、いざ受賞してしまったとき、担当のT塚さんとのあいだで、
僕「あの、タイトルそのままでいくんですか? 変えますよね?」
T塚さん「え? 変えるんですか? そのままでいこうと思ってたんですけど……」
僕「えええ!」
というようなやりとりがあったことを記憶しております。
まあ、結果から言えばそのままにしておいて正解だったわけですが、
客観的に見て、ホントスペック丸出しの、ボディをかぶせる前の自動車みたいな
きわめて厨二くさいタイトルだな、と今でも自負しております。



以下は、デビュー作誕生裏話みたいなものなので、お時間ある方はどうぞ。

デビューしたのは約2年前になるわけですが、書き上げたのはかれこれ…
おお、もう9年前になるのか。
デビュー時にはもちろん受賞後に改稿をしているので、一度は読んでいるのだが、
その後は慌ただしい日々のなかで読み返しておらず……今回久々に読み返してみて
びっくりした。いや、何がびっくりしたって、あまりの青臭さに
泣きたいやら死にたいやらで悶絶して転げまわった。
という話を編集のT塚さんに話したところ、彼女も同様に感じていたようだった。
デビュー作というだけでは済まされない青臭さがたっぷり詰まっている。
やっぱり9年前の原稿だからなんだよね。
悔しいかな、今の僕にはないものも、そこにはいっぱい詰まっている。
何というか、キラキラしている。今のほうがずっとうまくやれている部分は
いっぱいあると思うけれど、たとえば、もうこの青臭さというのは今は
出そうと思っても絶対出せない。
若竹先生も解説で書いておられたけれど、この作品には欠点もある。
おこがましい言い方をすれば、応募段階からそれはわかっていた。
これは僕にとっての満点の作品ではない。
しかし、作品が「いじるな、絶対いじるな」と主張していた。
なので、ほぼそのままで応募しました。それほどの強さがどこかにあった。
だから、仮にこの本が60点だとしたら、
それはある意味完成された60点なのだと思う。

これを書いた当時、僕は大学院に在籍していた。
世間を斜に構えた25歳で、どうしようもなく頭が高いダメなやつだった。
でも、心の中の水が消えてゆくような感覚と闘いながら、
初めて書くことで救われた。
こう書くと何があったんだと言われそうだが、とくに何があったとかではなく
何というのか、うわべだけの死生観が
実体をともなったのが、そのときが初めてだったんじゃないかと思う。
この小説に大それたテーマはないけれど、とりあえず書くことで
僕は救われたんだから、それでいいと思った。これは完成品だ、と。
まだ本書を読んでいない方が、先にこのブログを見ていたのなら、
「あなたにとっていい本かどうかは保証しない」と最初に言っておきたい。
でも、もしもあなたが何かを失った記憶があり(飼い猫でも祖母でもいい)、
失ったものの輪郭が今も胸に残っているのなら、
少しは興味を持ってもらえるかもしれない、と。

本作を書く前に考えていたのは、事件を推理しない推理小説を書きたい
ということだった。
そこで考えたのは美学的テーマを推理するだけの探偵小説。
本来「主」であるはずの事件が、そのついでのように解けてしまう、という小説だ。
かっこよく言えば、ミステリの脱構築がやりたかった、と。

素材をぎゅうぎゅうに詰め込んだのにも理由がある。
僕はポオについて書きたかったわけでもなく、
美学の薀蓄を並べたかったのでもなく、
ほかの芸術作品について語りたかったわけでもない。
詩において語と語のあいだにイメージがあるように
モチーフとモチーフのあいだにある「何か」を摘出したかった。
それは透明でいて、誰もが共有できるような特殊な「場所」ではないか
と思う。
たとえば小さい頃にビー玉の中を覗き込むと見えた世界。

文庫のための改訂作業によって、9歳年の離れた弟から、
改めて大事なものを教わったように思う。

ええ……以上。


最後になりましたが、ハードカバー時代及び文庫化に際して
尽力してくださったT塚さんをはじめ、
早川書房の皆様に心より感謝いたします。
また、選考に携わられた若竹先生、北上次郎先生にも御礼申し上げます。
(若竹先生、解説までありがとうございました)
そして、丹地陽子先生、いつも素敵なイラストをありがとうございます。
黒猫シリーズは丹地先生のイラストなくしてはこれほど多くの読者には
届かなかったことでしょう。今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

どうにか二年、作家として遊歩を続けることができました。
まだまだ遊歩し続けます。
皆様、黒猫シリーズを、森晶麿を、今後ともどうぞよろしく。


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その昔は私にも手垢のついていない時間というものがあって、
右手と左手を主人公にして、夜の旅をいつまででも続けることができた。
チェックのカーテンの模様が自動的に動き出すと、
もう私にできないことは何もなかった。
そんな束の間の、たった一人の遊戯に、孤独なんて言葉は似合わない。
仄暗い楽園のなかで、私は銃砲に星をつめこんで
彼女にそれを放ちさえすればよかったわけだから。

右目を閉じて左目だけで獲物をとらえ、そうして撃ち抜く時、
私は彼女の右目を狙っていたのだが、結果的に撃ち抜かれたのは
私の右目だったのかもしれない。
皮膚が破れ、むきだしの肉だけになってのたうち回りながら、
やがて私は肉体そのものを失っていったのだ。

そうして右手も左手も、右目も左目もない世界で、
文字を撃ち始めた。
銃砲に星をこめ、文字を撃つ。
夜の終わりになればわかるようなありふれた存在を
それでも撃ち続ける狩人を、
笑う人と見守る人とがいるのだが、
本当は、ただ文字を撃つ瞬間の、たしかな手ごたえがあるだけなのだ。
その手ごたえさえあれば、約束も何もない明日でさえ、
輝ける草原に変わる。

そんな風にして、私は今日も書き続けている。
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