驚きのポルトガル3 ☆中世の村から聖母マリアの奇跡の地、そして宿泊はコインブラの涙の館
2012-01-24 23:24:31
テーマ:南アフリカのその先へ
1月2日はリスボンを離れて北の北へ80キロ、「中世の村・谷間の真珠」と呼ばれるオビドスへ

初めてのトラブルはGPSを頼りにリスボンから北へ延びている高速道路A8号線に入った時に起こりました

前日に高速道路を走った時には出会わなかった『料金所の入り口』が目の前に迫って来ました
そして車は前を走る車に続いてVマークのゲートをスムーズに通過…
(たいへ~んと思っても慣れない左ハンドルに猛スピードで追い越していく

前方をにらんで高速道路を直走る主人には何もいえませんでしたァ…)
因みにポルトガルの高速道路Auto-EstraqdaのVゲートはETC専用、レンタカーは自動販売機マークまたは人マークのゲートを通ってチケットを受け取らなければなりません。チケットを取りそこなった私たちへの罰金はなんと55ユーロ…
万が一取りそこなった場合は車を停めてチケットを取りにもどればOKだそうです。
城壁に囲まれたまるで絵に描かれた可愛らしい中世の町のような『オビドス』、この町の歴史はローマ時代に遡るそうで、1282年にはこの町に魅了された王妃イザベルに王様が町をプレゼント、以降1834年までの552年間もの間、この町は代々王妃の直轄地として現在もなお中世の姿を留めているのだそうです。
ここの特産の『ジンジャ(Ginja)』は
サクランボを漬け込んだそれは甘~い
果実酒
チョコレートのお猪口に注いでもらって飲む一杯の料金は1ユーロ
とっても美味しいジンジャ、そして町を取り囲んで聳える城壁の上からの眺望はなんとも素晴らしく、足元が狭いのでかなり怖いですが是非とも試してみる価値ありです

次に向かったのはオビドスから約30分のアルコバサ、アルコア川とバサ川の交わるところにできた小さな町で1153年に建てられたサンタマリア修道院(Mosteiro de Santa Maria)には悲恋物語の主人公ペドロ1世とイネス・デ・カストロの美しい石棺がペドロ1世の遺言によりお互いに脚を向け合って安置されています。
悲劇のロマンス
舞台は宿泊地の『コインブラ』の涙の館の庭園にある恋人達の泉です
ペドロ王子が恋に落ちた相手は結婚相手の隣国のコンスタンサ姫様の侍女イネス… 王妃なったコンスタンサが亡くなってペドロ王はイネスとの間を公にして3人の子供も生まれたのですがイネスは隣国の圧力を恐れる王や家臣達によって『涙の館』の泉の前で殺されてしまったのだそうです。やがて王位についたペドロ王はイネスを正式な妻として教会に認めさせると共にイネス殺害に関わった全ての人々を処刑、そしてイネスの遺骸を安置した同じ場所に足を向け合う形で修道院に安置するよう遺言を残したのだそうです。
悲恋のカップルが静かに眠るアルコバサの次はナザレへ
ナザレは絵のように美しい海辺の町、海岸部のプライア地区、丘陵頂上の旧市街のシーティオ地区そして湾の反対側のペデルネイラの丘陵地区の3地区に分かれていて、17世紀までは現在の市街地のブライア地区は海の中だったのだそうです。丘陵頂上のシーティオ地区へはプライア地区からケーブルカーで登ることが出来ました。海岸からいったい何メートルあるのか断崖の上にあるシーティオ地区のノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、12世紀に騎士の命を聖母が救ったという伝説上の奇跡を記念して建てられたものだそうで、9月8日の祝日にはナザレの聖母を記念する宗教行事と礼拝行進に闘牛と民族舞踊が行われるとのことです。
そして断崖の頂上に建つ小さな礼拝堂から下のブライア地区の前に広がる海岸線の絶景は息を呑む美しさ
ケーブルカーに乗ってブライア地区まで下りて乗り場の前の『カーザ・オ・サント(Casa O Santo)』でランチ
頂いた採りたてアサリのバター炒めとトマト味も絶品でした

ナザレから更に30分のバターリャ、ここの『勝利のマリア修道院Mosteiro da Bataiha』は1388年から16世紀までかかって建設された壮大な修道院、80メートルにも渉る教会の奥には有料の『王の回廊』、そしてさらにその奥には『Sala do Claustro』と『無名戦士の墓』が今も兵士によって静かに守られていました。
次の町、ファティマはバターリャから30分、リスボンからは既に123キロ
ここは1917年5月13日、3人の子供たちの前に「聖母マリア」と名乗る婦人婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るようにとの言葉を残し、そしてその後、様々なメッセージを託された場所として現在はローマ・カトリックの巡礼者を中心に国際的な巡礼の地として知られている聖地。
広大な広場と65mの塔をもつバジリカの姿はまるでバチカンがそのままポルトガルに出現したかのようです。聖母マリアが現れた場所には白いチャペルがあって信者の人達が燃え盛る蝋燭の火に向かってお祈りを捧げていました。蝋燭は長いものでは1メートル以上も…私たちもチャペル裏でロウソクを買って信者の人達に混じって燃え盛る火に向かって今年一年が良い年でありますよう祈りを捧げました。
そして宿泊地のコインブラへはファティマから1時間、1139年から1255年までポルトガルの首都だったそうで、1290年にはヨーロッパで最も古い大学のひとつコインブラ大学が設立、私たちが泊まる事になっている涙の館と呼ばれるホテル『キンタ・ダス・ラグリマス(Quinta das Lagrimas)』は町の中央を流れるモンデゴ川を挟んでコインブラ大学の対岸にありました。
ホテルのレストランはミッシェランの
星を獲得しているそうでとっても格式が高く…その分料金もかなり

翌日は午前中にコインブラを観光してからポルトガルのリトルベニスと呼ばれるアヴェイロへ
そしてアヴェイロからポルトへは更に北に60キロの距離です



初めてのトラブルはGPSを頼りにリスボンから北へ延びている高速道路A8号線に入った時に起こりました


前日に高速道路を走った時には出会わなかった『料金所の入り口』が目の前に迫って来ました
そして車は前を走る車に続いてVマークのゲートをスムーズに通過…
(たいへ~んと思っても慣れない左ハンドルに猛スピードで追い越していく

前方をにらんで高速道路を直走る主人には何もいえませんでしたァ…)因みにポルトガルの高速道路Auto-EstraqdaのVゲートはETC専用、レンタカーは自動販売機マークまたは人マークのゲートを通ってチケットを受け取らなければなりません。チケットを取りそこなった私たちへの罰金はなんと55ユーロ…

万が一取りそこなった場合は車を停めてチケットを取りにもどればOKだそうです。城壁に囲まれたまるで絵に描かれた可愛らしい中世の町のような『オビドス』、この町の歴史はローマ時代に遡るそうで、1282年にはこの町に魅了された王妃イザベルに王様が町をプレゼント、以降1834年までの552年間もの間、この町は代々王妃の直轄地として現在もなお中世の姿を留めているのだそうです。
ここの特産の『ジンジャ(Ginja)』は
サクランボを漬け込んだそれは甘~い
果実酒
チョコレートのお猪口に注いでもらって飲む一杯の料金は1ユーロ
とっても美味しいジンジャ、そして町を取り囲んで聳える城壁の上からの眺望はなんとも素晴らしく、足元が狭いのでかなり怖いですが是非とも試してみる価値ありです

次に向かったのはオビドスから約30分のアルコバサ、アルコア川とバサ川の交わるところにできた小さな町で1153年に建てられたサンタマリア修道院(Mosteiro de Santa Maria)には悲恋物語の主人公ペドロ1世とイネス・デ・カストロの美しい石棺がペドロ1世の遺言によりお互いに脚を向け合って安置されています。
悲劇のロマンス
舞台は宿泊地の『コインブラ』の涙の館の庭園にある恋人達の泉です
ペドロ王子が恋に落ちた相手は結婚相手の隣国のコンスタンサ姫様の侍女イネス… 王妃なったコンスタンサが亡くなってペドロ王はイネスとの間を公にして3人の子供も生まれたのですがイネスは隣国の圧力を恐れる王や家臣達によって『涙の館』の泉の前で殺されてしまったのだそうです。やがて王位についたペドロ王はイネスを正式な妻として教会に認めさせると共にイネス殺害に関わった全ての人々を処刑、そしてイネスの遺骸を安置した同じ場所に足を向け合う形で修道院に安置するよう遺言を残したのだそうです。悲恋のカップルが静かに眠るアルコバサの次はナザレへ

ナザレは絵のように美しい海辺の町、海岸部のプライア地区、丘陵頂上の旧市街のシーティオ地区そして湾の反対側のペデルネイラの丘陵地区の3地区に分かれていて、17世紀までは現在の市街地のブライア地区は海の中だったのだそうです。丘陵頂上のシーティオ地区へはプライア地区からケーブルカーで登ることが出来ました。海岸からいったい何メートルあるのか断崖の上にあるシーティオ地区のノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、12世紀に騎士の命を聖母が救ったという伝説上の奇跡を記念して建てられたものだそうで、9月8日の祝日にはナザレの聖母を記念する宗教行事と礼拝行進に闘牛と民族舞踊が行われるとのことです。
そして断崖の頂上に建つ小さな礼拝堂から下のブライア地区の前に広がる海岸線の絶景は息を呑む美しさ
ケーブルカーに乗ってブライア地区まで下りて乗り場の前の『カーザ・オ・サント(Casa O Santo)』でランチ
頂いた採りたてアサリのバター炒めとトマト味も絶品でした

ナザレから更に30分のバターリャ、ここの『勝利のマリア修道院Mosteiro da Bataiha』は1388年から16世紀までかかって建設された壮大な修道院、80メートルにも渉る教会の奥には有料の『王の回廊』、そしてさらにその奥には『Sala do Claustro』と『無名戦士の墓』が今も兵士によって静かに守られていました。
次の町、ファティマはバターリャから30分、リスボンからは既に123キロ

ここは1917年5月13日、3人の子供たちの前に「聖母マリア」と名乗る婦人婦人が現れ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るようにとの言葉を残し、そしてその後、様々なメッセージを託された場所として現在はローマ・カトリックの巡礼者を中心に国際的な巡礼の地として知られている聖地。 広大な広場と65mの塔をもつバジリカの姿はまるでバチカンがそのままポルトガルに出現したかのようです。聖母マリアが現れた場所には白いチャペルがあって信者の人達が燃え盛る蝋燭の火に向かってお祈りを捧げていました。蝋燭は長いものでは1メートル以上も…私たちもチャペル裏でロウソクを買って信者の人達に混じって燃え盛る火に向かって今年一年が良い年でありますよう祈りを捧げました。
そして宿泊地のコインブラへはファティマから1時間、1139年から1255年までポルトガルの首都だったそうで、1290年にはヨーロッパで最も古い大学のひとつコインブラ大学が設立、私たちが泊まる事になっている涙の館と呼ばれるホテル『キンタ・ダス・ラグリマス(Quinta das Lagrimas)』は町の中央を流れるモンデゴ川を挟んでコインブラ大学の対岸にありました。
ホテルのレストランはミッシェランの
星を獲得しているそうでとっても格式が高く…その分料金もかなり

翌日は午前中にコインブラを観光してからポルトガルのリトルベニスと呼ばれるアヴェイロへ

そしてアヴェイロからポルトへは更に北に60キロの距離です






