ここヨハネスブルグは初秋を迎えて木々は緑色からもみじ薄黄色や茶色に色を変え、少し郊外に出るとコスモスコスモスコスモスの花が咲き乱れています。

我が家のあるセダーレイクス・エスティト、パティオに坐って庭に忍び寄る秋の気配を楽しんで居るととっても平和なのですが・・・今年はセキュリィテイのアップ・グレードの為に8%近い管理費の値上げがほぼ全員のホームオーナの賛成で決定、9年前に赴任した当時と比べると全てのものが当時の何倍にも値上がり、特に電気料金等は毎年25%も上昇している今日この頃、またまた家計に響きそうですが、すべての物価上昇は貧富の差が更に拡大を続けている南アフリカの犯罪発生率にも拍車をかけているようで、大使館からの安全対策情報では南アフリカでは凶悪犯罪の発生、特に強盗の増加率は前年比12%、殺人も5%もの増加率だとか・・・叫びあせる

2010年のワールドカップ以来、住宅バフルを思わせる建設ラッシュ、そして数キロ先に1万軒を超える大邸宅にゴルフゴルフコース付き巨大高級エステート「スティン・シティー」の工事が始まったのは3年前の2011年、当時住んでいたデンファンからショッピングモールのあるフォーウエィズまでのウィリアムニコル通りの道路拡張工事は3年経った現在もロボットと呼ばれる信号機は外されたまま、車車車大渋滞が続いています。 

このエステートは億万長者スティン氏が計画しているもので、敷地面積はモナコ王国の5倍、敷地の半分は森が作られ、サイクリング・トラックは全長70キロ、そして42キロのランニングコース、病院にプライベート・スクール、ショッピング・モールにオフィス・パーク。 そしてキラキラ「スティン宮殿・Palazzo Steyn」キラキラと名付けられた100人近いゲストが宿泊できると言うステイン氏の住宅は昨年には建設が終っていて反対側に位置するデンファンのゴルフコースからはステイン宮殿の城壁に作られた瀑から大量の水が人工湖に流れ落ちるのが眺められますラブラブ!ラブラブ

今年から2020年にかけての5年間はウイリアム・ニコル通りに面した表ゲートに続いて我が家のあるセダー・ロードの裏ゲート開設、そして11、000軒の個人住宅を始め、大形の商業施設に病院、学校の建設が予定されていて、延べ15、000を超える労働者が毎日この地域に入ってくるとのこと・・・それに伴ってこの地域の安全が脅かされる可能性があっての今回のセキュリティのアップグレードだとのことです。

毎日15,000人のワーカー・・・ちょっと心配目あせる
実は一昨日の深夜、近くで犬の吠える声が僅かに聞こえたと思ったら、熟睡中のわんわんミルキーが突然起き上がってキッチンにダッシュ、大きな声で吠えだしましたガーン暫くすると何事もなかったように寝室に戻ってきましたが・・・こんな時ミルキーは我が家のとても心強いセキュリティドックだと言うことを実感しますしっぽフリフリニコニコチョキ

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現在、虹南アフリカは全土に亘って大変な電力不足、唯一の電力供給会社ESCOMは停電スケジュールに則ったLoad Sheddingと呼ばれる管理停電を行っていて、土曜日からステージ・ワンの計画停電が再開しています。

ステージ・ワンはアナウンスされた地域に対し日曜を除き、2日に1度、朝5時半から夜の9時の間に2時間半程度の電力供給を停止するもの、ガーン電気が無い生活・・・晴れ日のある間は本を読んだり、コスモスハチ庭のお花の手入れをしたり、わんわんミルキーと散歩をしたり、買い物に出かけたりと出来ることがいっぱいあります。 でも、ここは世界一を誇る犯罪都市ヨハネスブルグ、先日公開になった映画「チャッピー Chappie」は2016年のここヨハネスブルグが舞台、映画の中で悪の巣窟として登場するポンテタワーは1975年に建てられた円柱形の54階建ての高級高層マンション、90年代までには殆どの住民が退去、5階まで中心部分はゴミで埋まっているそうで叫び、2007年に検討された再開発計画はその後の金融危機で頓挫、現在も犯罪の象徴となっています。 映画で出てくるタワーの内部が現実とあまり大差がないのが怖い・・・ガーンあせると言うことで、この街に住んで早8年、幸運にも犯罪に巻き込まれることなく平和な生活が続いていますが、停電の時間帯が夜にかかった場合、電気が無いと言って日が落ちてからの外出はかなりリスキーです。

停電の夜、月明かりの家、本も、PCも、TVも、冷蔵庫から飲み物を取ることも不可能、全ての行動がものすごく制限されてしまいます・・・が、停電の夜、いつもは家々の明かりで何となく明るい空が漆黒の闇に被われ・・・星空夕焼け後の暗くなってきた西の空には、早くも金星が明るく輝やき出していているのに気がつきます。

星金星は天体の中で一番明るく、星座を形作る星々の中で一番明るいおおいぬ座のキラキラ「シリウスキラキラ」と比べると、なんと最大で20倍もの明るさがあるそうです。

南アフリカの3月の夜空には日本の初春の夜空とは一寸違った星たちがその姿を見せています。 真上を見上げるとこいぬ座で最も明るい1等星のプロキオン(Procyon)が輝やき、その右下にオリオン座のベテルギウス、その左側にはおおいぬ座のシリウスが大きな夜空の三角形を作っています。 プロキオンはラテン語で「犬に先立つもの」の意味で、犬の星とされるシリウスが東の地平線から昇ってくる少し前に姿を現すことに由来するのだそうです。

ベテルギウスのあるオリオン座の中央には明るい星空三つの星が並んでいるのでとても目立ちます。 オリオン座のなかでも最も明るい一等星リゲル、日本では「源氏星(げんじぼし)」そしてベテルギウスは「平家星へいけぼし」と呼ばれているのは面白いです。 ベテルギウスは地球からの見かけの大きさが太陽を除けば全天で最も大きい恒星で、地球周辺で超新星爆発を起こす可能性が大きい赤色超巨星の一つ、将来爆発を起すと4年後には私達の前から姿を消してしまう星の一つだそうです目あせる

ギリシャ語では「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」の意味のセイリオス、日本では「犬星」、また青色に光ることから青星とも呼ばれるシリウスから少しだけ左下に目を移つすと、そこにあるのが竜骨座のカノープスです。 

カノープスはシリウスについで2番目に明るい星、北半球にある日本では西日本で僅かに見える程度なので、その昔かし、カノープスを見た人は長生きするといわれていたそうで、別名『不老長寿の星、または南極老人星』とも呼ばれる星です。

そこからさらに左下へ目を向けると、地平線の上には「サザンクロス」、和名「南十字星」が見えます。 サザンクロスはアクルックス、ベクルックス、ガクルックス、デクルックスの四つの星からなっていて、全天で88ある星座の中で最も小さな星座だそうですニコニコラブラブ 

16世紀初頭の大航海時代、西洋人で初めてこの星座を目にしたのは南アフリカに最初に上陸したヴァスコ・ダ・ガマ、現在では南半球でしか見ることのできない星座です。キリストが十字架につけられた 紀元1世紀頃には北半球でも地平線近くに見えていたそうで、当時はキリスト教弾圧によりこの星座の設定はされていませんでしたが、それでもキリスト教徒のシンボルとなっていて、後にこの十字架をかたどる星座がサザンクロス「南十字星」と呼ばれるようになったそうです。 南半球では南十字星を利用して天の南極を知ることができるので、航海の安全を守る大切な星となって、キラキラ南天のシンボルキラキラとなったのだそうです。

南十字星の少し下には、この時期の南アフリカでは少し見えにくいですが、宝石箱と呼ばれる散開星団が耀きを放ち、そしてそのすぐそばには宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」ではカンパネルラがジョバンニに「あ、あすこ石炭袋だよ。空の孔だよ」と指を指し示めして教えるコールサック(石炭袋)と呼ばれる暗黒星雲がポッカリと黒い穴を開けています。 

南十字星から左に移動した、丁度東の空に見えるのが青白く耀く乙女座の一等星、スピカ。 おとめ座の女神が持つ麦の穂の先の位置にあることから、ラテン語の穂先に由来して名付けられたのだそうで、また「穂先のように尖ったもの」の意で、英語のスパイクもそこから来ているのだそうです。

スピカから更に左へ、おおぐま座の「ビッグ・ディッパー」和名は柄杓の形をしていることから柄杓を意味する「斗」の名が付けられた「北斗七星」、7つの星が北東の夜空に輝いていますニコニコ音譜

そして北斗七星のα星ドゥーベとβ星メラクを結んだ線をα星側に5倍ほど延長すると北極の位置を示すポラリス(現在の北極星)に辿りつくのですが、残念ながら南半球にあるヨハネスブルグでは見ることは出来ません。と、いうことで北極星の代わりに北斗七星から更に左上、北西の空に目を向けると・・・はじめに見たあの青白い星、シリウスに戻ります。 

南アの友人から教えてもらったグーグルのフリーアプリ、星スター・チャートと星空スカイ・マップニコニコラブラブ携帯電話を夜空に翳すとなんと星座と星の名前を教えてくれるのですラブラブ!なんと便利な機能なのでしょうドキドキ

南アフリカの秋の空は透き通るように澄んでいます、時には停電の夜に輝く星を探して一時星の物語に思いを寄せるのも良いかも知れませんニコニコチョキ
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昨日今年度予算が発表された虹南アフリカ、エネルギー部門への予算はかなり増額されたそうですが電力不足が解決されるには後2年位いかかりそうだとか…今後は益々計画停電の頻度が高まりそうな雲行きです。

80年代にはあり余る電力を供給していた南ア唯一の電力会社エスコム、当時の政府は安価で鉱山関係会社に電力を供給する事を承認し、それは1994年に現在のANC政権に引き継がれ、増え続ける鉱山会社の電力消費、特にアルミニウムの精錬には膨大な量の電力が使われるそうで、1998年に出されたエネルギーに関する白書では将来のエネルギー不足に対して警鐘が鳴らされ、エスコムからは当時のムベキ大統領に新たな発電所の建設の必要性が訴えられたそうですが適切な対処がされないまま2008年に南アフリカで初めての計画停電が始まりました。

2008年から始まった二つの新しい火力発電所建設計画、リンポポのMedupi火力発電所が稼働、発電が始まるのは今年の5月の予定、そしてムプマランガのKusile火力発電所は2017年には発電開始の予定だそうですが…費用は予算を大幅に上回っていて、更には毎年恒例の発電所の労働組合員の長期ストライキ…古くなった発電所の修理も十分にされていない状態だとかガーンあせる

と言うことで、年度予算発表の翌日の今日、エスコムからステージ・ワンの計画停電がアナウンスされました。ステージ・ワンはアナウンスされた地域が日曜日を除き2日に1回、朝の5時半から夜9時までの間に2時間半程度の停電、ステージ・ツーはアナウンスされた地域が日曜日を除き毎日1回、朝の5時半から夜9時までの間に2時間半程度の停電しょぼん

ステージ・スリーはアナウンスされた地域が毎日3回、朝の5時半から夜9時までの間に最高2時間半程度の停電、そしてステージ・フォーはこれまでだされた事はないそうですが、地域、時期、期間の限定なしの無計画停電とのことです叫び

停電に備えて我が家があるエステイトでは先週末オルタネィテブ・エネジーEXPO(代替エネルギー展示会)なるものが開催され、ソーラー電力発電システムやら、水道水に雨水貯水タンク等々が展示されていました。

今日のニュースでは計画停電サバイバルとしてニコニコチョキ
1.ソーラー・ギザ、ソーラー・ランプの設置に車用の携帯電話チャージャーを用意。
2.冬に備えてガスストーブ、ポータブルガスコンロ、出来ればキッチンを電化ではなくガス化
3.空のペットボトルに水を詰めて凍らせ、停電時には冷蔵庫へ。
4.ロウソクの代わりに電池式のライト、ランプを用意。
5.頭に装着するライト、ランプを用意(暗闇で家から逃げる等の必要が起こった場合に備え)
6.ガソリン・エンジン・ジェネレーター(大きいものでは家のライト、小さいものはテレビやPC等用に)

我が家では今週、主人が小さなジェネレーターを購入、そして空のペットボトルに水を詰めて冷凍庫へニコニコ音譜

エスコムは今日、ステージ・ツーをアナウンスしていますが、我が家のあるMaroelodal Extention8は計画停電地域には含まれて居ないようですニコニコチョキ













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旧正月、春節を迎えた先週、プレトリアから更にN4ハイウェイを50キロほど東に向かったブロンコスプルートにあるアフリカで最大の中国仏教寺院“NAN HUA TEMPLE(南華寺)で『Chainese New Year 2015』クラッカーが催されました。

車DASH!我家からは約120キロ、クルーガー国立公園やネルスプリットに向かう途中の高速道路から中国風の建物が見えるので気にはなっていたのですが…高速道路を降りて寺院に近づくにつれてその巨大さにビックリ! この仏教寺院「南華寺」、じつは台湾高雄にある仏光山の分院だとのことで、敷地内には仏教学校「アフリカ仏学院」や博物館も併設されていて、寺院を中央にしてその周りには大きな邸宅が立ち並びまるで一つの町のよう…でも何だか空き家や空地が目立ちます目あせる

寺院の周囲の広大な空き地には既にかなりの数の車が駐車してありましたが、私達は幸いにも入口に近いところにスペースを確保、華麗な門をくぐったその先には巨大な寺院がその姿を現し、広大な中央広場は様々な人種の人達で溢れていました…その数たぶん数万人ニコニコ!! 

虹南アフリカの中国系社会の成り立ちは今から100年以上も前の事ですが、アパルトヘイト政策時、台湾は南アフリカと外交関係があって、台湾系の移民は中国本土系の移民と異なり旧国民党政権から歓迎され、居住地区分でも名誉白人の扱いを受けて、ヨハネスブルグのサントン、プレトリアのブルックリン、ケープタウンのシーポイントなど富裕地区に居住している者も多く、当時、台湾系の不動産購買力の高さがデベロッパーの関心を引いて、90年前後には移民向けの不動産開発構想が南アの各地で生まれたのだそうです。 

中でもプレトリアから東へ50キロのブロンコスプルイトは台湾系移民向けの不動産開発が具体化したのだそうです。また現在のセンチュリオンは香港系移民向け、そしてヨハネスブルグ南郊のリーフデエンフレーデは不動産開発の6割を台湾系向けに販売する計画も立てられたのだそうですが… その後、台湾との国交は断絶、投資、移民は激減してしまったのだそうですガーン

そう言えばお祭りを楽しんでいる人々、中国系よりも他の人種の人達が多いようでした。本殿を取り囲む回廊には食べ物店を含んで様々な屋台が軒を連ね、中にはなんと音譜『今川焼き』音譜の屋台…それも10個30ランド(約300円)!中に入のは「あずき餡」、「クリーム」そして「チョコレート」でした。大きさがちょっとだけ小さめなことを除けば日本のお祭りの屋台で売っている今川焼きそのものラブラブ!

楽しい時間を過して寺院を出たのは1時半、高速道路に入りプレトリア方面はヨハネスブルグの家路に向かいました。真っ青な空には夏の太陽が燦々…日向に置いた車の中はかなりの暑さ、クーラーが効くまではちょっと時間がかかるのね…と思ったら何だか煙臭い風が吹き出して、ものすごい音とともに車がエンコ…叫びあせる

早速AAに連絡、故障した場所はプレトリアとブロンコスプルートの途中の高速道路上で・・・場所の説明が難しい・・・ガーンそこは一緒にいた南ア人の友人が説明してくれ、待つこと1時間半、牽引の大型トレーラーが来てくれました。40キロまではサービスだそうですが、それから先はキロあたり追加料金だとか・・・送り先は日曜日の午後にもかかわらず友人の修理工場で引き取って貰えることになりました。

トレーラーの運転席の後ろにある簡易ベッドが私達の座席です、実はこのトレーラーのドライバーさん、ブロンコスプルート生まれ、毎年、巨大寺院で開かれるお祭りに興味があるようでいろいろ質問を投げかけてきました。でも、彼が話すのはアフリカーンス、そこでまたまた南ア人の友人が通訳・・・毎年2月の終わりには寺院で花火大会打ち上げ花火が開かれているとのこと、花火大会なんてもう何年も見ていません・・・興味しんしんですニコニコ音譜

友人の修理工場はボックスバーグ、ORT国際空港の近くでトレーラーが着いた時には既にゲートの前で待機、そして50キロ先、フォーウェイズの我家まで送ってくれました。 

今回は本当に幸運でしたかおもしも故障した際、車に乗っていたのが私達二人だけ、それも日中ではなく夜だったりしたらと思うとぞっとしました、が、友人曰く、『困ったことがあれば、どんな時でも所でも飛んで行くから心配ないよ』・・・つくづく友人の大切さが身にしみた週末でしたニコニコドキドキ

シチリアの北東の海に地中海にある7つの火山島のなかでも一番小さな緑の島、今年は私の特別な誕生年、主人からの「何処に行くか早めに決めてね」ラブラブ!のありがたい言葉に思い出した新緑のアイルランド、2週間で全長2千キロのドライブ、素晴らしい景色、人々そして誕生日のキラニーでのゴルフ・・・ドキドキ

別名エメラルドの島アイルランドの旅は主人の還暦のお祝に相応しい思い出深い旅となりました。地図をながめていて2週間程度で車で一周出来る丁度よいサイズの観光地は・・・
見つけました!!シチリアですニコニコチョキ

シチリアというと「ゴッドファーザー」マフィア・・・そうそうシネマパラダイスにイル・ポステーノも確か撮影はシチリアだったような目

ということで早速フライトをチェック、飛行機トルコ航空がワン・ストップでヨハネスブルグから飛んでました。

出発は誕生月の6月の第一週、先ずはヨハネスブルグからイスタンブール、翌日シチリアのカターニャ国際空港に到着、レンタカーで最初の宿泊先シラクーサの旧市街へオルティージャ、ドゥオーモ広場にある旧市街で一番景色が美しいカフェカフェ・ラ・ピアッツァで自家製のジェラートをブリオッシュに挟んで食べるのがシチリアスタイルだそうで、この街には紀元前5世紀から3世紀に造られたシチリア最大のギリシャ劇場があって今でも古代ギリシャ劇が上演されているとのことラブラブ更には、太宰治の走れメロスでメロスに「走れ!」と命令した王冠1王様はここカタニャーのディオニュソスです。

翌朝はシラクーサからユネスコ世界遺産「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」のひとつとして登録されているノートへ、ノートはカフェ・シチリアというお菓子で有名な町です。人気はカフェ・コスタンツォ、シラクーサからわざわざここのグラニータを食べに来る人も多いのだそうですラブラブ!

ノートの次に訪れるのはモディカ、町は急流で削り取られた二つの峡谷にまたがって広がり、大きく分けると紀元前16世紀頃から先住民族が住み、数多くの芸術遺産、複雑に入り組んだ路地、町の中心を二本の川が流れていたことから南イタリアのベニスとの別名を持っている街です。 

峡谷の両斜面には一面に褐色の石造りの建物群、そしてスペイン支配時代から伝わる伝統的な製法で作られる素朴な味わいのモディカ・チョコレート!現在ペルージャ、トリノに並びイタリア3大チョコレートの町の一つのモディカ、毎年チョコレート祭が開催されるそうです。

2日目の宿泊先はラグーサの郊外の19世紀のマナーハウス、ラグーサの町はアラブの迷宮のような複雑な路地の上に築かれたドラマチックなバロック建築群だそうで、よもや人など住んでいるとは思えない孤独で深い渓谷の奥にこつ然と浮かび上がる空中都市、渓谷の中にそそり立つ二つの岩山の上に築かれ、二分割された町スペリオーレとイブラの町との間の深い谷間には4つの橋が架かって二つの町を繋いでいるそうです。 

翌日はラグーサに荷物をおいて近郊の町シクリへ、シクリは紀元前15世紀頃からギリシャ人が来る前の先住民族シクリ人が住み3つの丘に囲まれたわずかな平地に広がるバロックの町は世界遺産でありながら観光客があまり訪れることのない田舎町、一方が海に向かってひらけ褐色の町の美しいパノラマはイタリアのドラマや映画のロケ地としてよく使われているそうです。 ラグーサからシクリへの途中にはムーリ・ア・セッコという、モルタルを使わない石積み塀で仕切られた農地が広がり、広い中庭をもつマッセリーアという大農場があったり、カルッボというイナゴ豆の木が濃い緑の影を作る牧場におうし座馬牛や馬がのんびり草を楽しんでいたりして、実に心がなごむ風景が広がっているとのことで田舎道の車音譜ドライブ、とても楽しみです。 

シチリアも早4日目、ラグーサからエンナ、カラシベッタ、アグリジェントに立ち寄りながら宿泊先のサン・レオーネへ向かいます。

エンナは標高の1000mの山の上にある町で13世紀にローマ皇帝フリードリヒ2世が建造したロンバルディア城そして、14世紀にはシチリア王フェデリコ2世の妃エレオノーラが建てた大聖堂があり、向かい側の山の上にはアラブ人がエンナを攻めるために基礎を築いたカラシベッタの町並みが睨み合うように聳えているそうです。

エンナ、カラシベッタから世界遺産のアグリジェント神殿の谷へ車音譜
アグリジェントは、地中海を隔ててアフリカのチュニジアと向かい合う、シチリア南部の町で、その昔、クレタ島とロードス島から植民したギリシャ人により、紀元前581年に築かれ、紀元前5世紀には人口が30万人くらいあったと言われています。特に、紀元前480年のヒメラの戦いで、シラクーサと組んでカルタゴを打ち破ったとき、アグリジェントには大量の奴隷が流入して戦利金で数多く立派な神殿が築かれたのだそうです。アグリジェントから車で10分、宿泊先のサンレオーネのホテルはサン・レオーネの港や海、そして神殿の谷も眺める事ができるそうです。

5日目はサンレオーネからトラパーニでランチ休憩、そして宿泊先のエリーチェへ向かいます。

トラパーニはシチリア島の最西端、アフリカに最も近く、うお座マグロ漁で有名な漁港の町。旧市街は海に突き出たように三方を海に囲まれ雰囲気もどことなくイタリアというよりは地中海の小さな町だそうです。町は潮の香に溢れアラブ式のマグロ漁「マッタンツァ」で知られるファビニャーナ島への拠点で見どころは、規模が小さいながらもさまざまな種類の新鮮な魚介が並ぶ市場、特にマグロ漁の季節の5~6月には、珍しいマグロの白子が並ぶこともあるのだそうです。

ランチはトラパーニのナイフとフォークうお座マグロ料理、旧市街の細い路地にある小さなお店「ラ・ベトラッチャ」がお勧めだとのこと、今からとっても楽しみです。

ランチの後はエリチェへ、町は標高751mの山頂に略正三角形に築かれ、周りを囲こむ城壁の起源は紀元前八世紀、町は人里はなれた山のてっぺん、相変わらず周囲に集落が出来ていない為、車も少なくとても静かで夏でも信じられないほど涼しく、下界とは別世界だそうですニコニコラブラブ

町の南東部で、最も標高が高く古代の町のアクロポリス跡にあたる場所にある19世紀に作られたイギリス式庭園のバリオ公園には二つのお城が建っていてトラパーニの町、その南に広がる塩田、コファーノ山、ボナジーア湾、ぺポリ城と崖っぷちのサン・ジョバンニ・バッティスタ教会…その眼下には素晴らしい眺望が広がり、遠くにはアフリカ大陸のチュニジアが…

翌朝はエリーチェから塩田の町スタニョーネを経由して次の宿泊地マルサラへ向かいます。

ワインの町マルサーラの手前のスタニョーネ、塩田が広がる中には修復された古い風車が点在して、湾の中に散らばる沢山の小島、塩田は一日のうちに何度もその色を変え、潟に落ちる夕日はそれはみごとだそうです。

宿泊先のマルサーラ、マルサーラとは「マルスアッラー(アッラーの港)」を意味して対岸チュニジァのイスラム教徒が名付親、建物や文化にも古代イスラム色が残る街並みが広がっているそうです。ヨーロッパでは海の美しい町をキラキラ青い旗キラキラの町と呼ぶそうですが、マルサラ市はその澄んだ海と清潔な浜辺によって「ヨーロッパ青い旗の町Citta' bandiera blu d'Europa」のひとつに指定されているそうです。

また街にはマルサラ酒を作る古いワイナリーが沢山あって、ワインワインを作っているところや、瓶詰めするところ、マルサラ酒を熟成させる樽を作っている職人たちを見ることもできるそうです。マルサラ酒の中でも特に上等なものは、この職人たちが作る樽の中で10年以上ねかせたものなのだそうです。

シチリア7日目はマルサーラからパレルモへ、宿泊先は350キロ先のミラッツォです。パレルモは人口約66万人、かつてギリシア人に「パルノモス(すべてが港)」と呼ばれたことがパレルモの起源だそうで、街全体が海に沿って広がっています。

パレルモ観光のメインはパラティーナ礼拝堂があるノルマン王宮、パラッツォ・レアーレ、そして大通りから脇へそれれば、アラブ支配時代を彷彿とさせる迷宮的裏路地が広がり、映画ゴッド・ファーザーのラストシーンを映画撮影したオペラ劇場マッシモもあります。

パレルモから高速道路で次の町、チェファルまでは約70キロ、途中のテルミニ・イメレーゼ で高速を降りて王冠2カッカモのお城を見学します。

カッカモはテルミニ・イメレーゼから山道を登ること約10キロ。突然岩の大地の上から谷を見下ろすカッカモの壮麗な城が姿を現わすのだそうです。町は城を中心に海岸から一歩退いた山岳地帯に築かれ11世紀のドゥオーモを初めとして3つの教会が立ち並びとても華やかだそうですが、ほとんど観光化されていないとのこと、町の南側に回りこむと城を頂上に抱く旧市街の美しい全貌が見渡せるとのことです。

カッカモで途中下車した高速に戻ってランチ休憩は中世の街並みが美しいチェファルです。

チェファルは岩山の足元に広がるティレニア海沿いの町で何本もの古い石畳の路地には、日よけのカーテンと洗濯物がはためき、中世の雰囲気と庶民的な雰囲気を同時に醸し出していてる街並みはニューシネマパラダイスのロケが行なわれたことでも有名、厳つい岩山を背後に、海岸に家々が立ち並ぶ様子は、現実離れした絵本のような美しさなのだそうですニコニコラブラブ

この町のドォーモ、1131年に創建されたアラブ様式とビザンティン様式の大聖堂、どうして、漁師町のチェファルに突然大聖堂が建てられることになったか? 

1131年、アマルフィを征服しに行ったルッジェーロ二世の艦隊が、パレルモに船で戻る途中、嵐に遭い、無事に陸地に到着することが出来たら、到着したその地に神に捧げる大聖堂を建てると誓ったところ、チェファルの海岸に辿り着いたため、この地に大聖堂が建てられたということです。

チェファルから次の町は100キロ先のティンダリ、風光明媚な遺跡の町で目の前には標高280mのティンダリ山がそびえ、紀元前4世紀初頭にシラクーサの支配者によって建設された町だそうです。 古代にアクロポリスであった東端の崖の上には、黒い聖母像を奉る教会が建ち、その眼下には絶景が広がって・・・能登半島のような形をしたファンタジックな砂州、言い伝えによると、この砂州はマリアさまが崖の上から落ちた子供を助けるために、モーセのように海に砂地を出現させ、子供は海に落ちることなく無事に救出されたのだそうです。

宿泊先のミラッツォはティンダリから35キロ、ティロニア海に浮かぶ半島にあります。 

町の起源は紀元前4000年頃、その当時の遺跡の上にギリシャ人が紀元前8世紀頃に新しい街を築き、さらに町は紀元前3世紀頃に当時この土地を支配していたカルタゴ族が古代ローマ人と戦争の末にローマの支配下に入り、その後にアラブ、ノルマン、スペインなど他民族による占領を経て様々な民族の影響を受け続けてきたそうです。

ミラッツォからは世界自然遺産エオリエ諸島へ向かう船が出ています。宿泊先のホテルはフェリー乗り場の目の前で敷地内には事前予約要の有料専用パーキングがあるとのこと、翌日島に渡る際の駐車スペースを確保しなければなりません。

シチリア8日目は船高速船で約2時間のパナレア島へ渡ります。

日帰りのオプショナル・ツアーもあるのですが、何と一人270ユーロもかかるので今回の最大イベント、還暦のお祝はパナレア島に二泊することにしました。因みに海の見える素敵なホテルの二泊の料金と一人分の日帰りツアーが略同じ・・・ガーンあせる

今回の旅行のクラッカー目玉の一つがパナレア島ラブラブ! 

シチリア島の北東の海に位置する7つの火山島、エオリエ諸島はイタリアで初めて自然遺産に指定され、その中で一番小さい島がパナレア島、周囲には8つの小島が点在していて七つの島の中で最も風向明媚な島だそうです。
パナレア島の滞在は2日、滞在中にはエオリエ諸島のその他の島を訪れることもできます。例えばリパリ島、ギリシャ神話の風の神アイオロスの島。エオリエ諸島で一番大きく、伝説上の人物、ホメロスの抒情詩「オディッセイア」の中に出てくる、風の神「アイオロス」の住む島と言われ、ギリシャ時代につけられた現在の島の名前は、彼の娘婿「リパロ」に由来しているそうです。

ヴルカーノ島はシチリア本土に最も近く、時々白い噴煙を上げるヴルカーノ火山と泥沼温泉と海水温泉があるそうです。

そしてストロンボリ島、イタリアで一番火山活動が盛んなストロンボリ火山がある。夜になると、火山から時々吹き上がる赤い炎が見えるそうです。

サリーナ島は映画「イル・ポスティーノ」の舞台となった島。エオリエ諸島の中でも緑が豊かで、ワイン用葡萄マルヴァシア種の栽培が盛んだそうです。

シチリア10日目、午前中にパレアナ島からミラッツォへ高速船で渡ります。その夜の宿泊先はタオルミーナ、途中ランチ休憩先のメッシーナまで約37キロ車音譜

メッシーナは北側をティレニア海、東側をイオニア海に挟まれた海沿いの街、目の前はイタリア半島とシチリア島を隔てる「ストレット・ディ・メッシーナ」と呼ばれる海峡が広がっています。なんとメッシーナ海峡の一番幅の狭いところは、3メートルでイタリア半島に最も近いモダンなシチリアの街だそうです。

ランチの後は高速道路でフランシス・コッポラが魅せられた中世の風情のある田舎の村の内の二つ、フォルツァ・ダグロとサヴォカに立ち寄りながら37キロ先のタオルミナへ向かいます。

映画ゴッドファーザーに出てくる村の名前はコルレオーネ、でも実際にロケで撮影された村はコルレオーネではなく、シチリアでのロケは、パートⅢに少し出てくるパレルモ以外、すべてタオルミーナ近郊の村々で映画撮影されたそうです。

その村の一つ、フォルツァ・ダグロ村は標高約420mの山の上、周囲のパノラマがすばらしく、北はメッシーナまでの海岸線にイタリア本土カラーブリア半島、南はタオルミーナまでの海岸線が望めるそうです。

村の歴史は12世紀からで中世の面影が色濃く残り、村の一番高いところには16世紀の城塞があって村落はその下に広がっているとのこと。 現在は18世紀の終わりから20世紀にかけて生活のため村を捨て海外に移民して行った村人達の家が廃墟として数多く点在していてなんともいえない趣を添えているそうです。

次に訪れるのがサヴォカ、標高約300mのごつごつした山の上の村で村の中央の山の上にあるのが9世紀のアラブ時代を起源とする城塞、その周囲に村落が広がります。村の誕生は12世紀頃で小さい村にもかかわらず、村には現在は完全な廃墟か他の目的で使われているそうですが15世紀頃の教会が幾つも残っていて、ミイラの保存されているカタコンベや、民族博物館もあるそうです。

夕方、宿泊のホテル “Villa Sara” へチェックイン、タオルミーナは2泊、そこは煌めくイオニア海に面する憧れのリゾート地、シチリアの中でも特に有名な観光地です。

映画「グラン・ブルー 」の舞台になったことでも有名で標高200メートルの高台あり、周りに広がる真っ青な海、遠くにはエトナ山が見渡せる景色は絶景だとのことです。

タオルミーナの町の中で一番見晴らしの良い丘をくり貫いて建てられたギリシャ劇場は紀元前3世紀に造られたもの、ローマ時代1世紀末~3世紀にかけて闘技場用に改造され、息を呑むように美しい劇場からの眺めは世界一とのこと。

1787年、ここを訪れたゲーテは、世界中のどんな劇場の観客もこれほどの舞台後部の景色を目にすることが出来ないだろうと、「イタリア紀行」に記しているそうです。

毎年6月中旬~9月上旬の夜、コンサートや演劇が上演されているそうですが、今年は6月にフィルム・フェスティバルが予定されているそうです。早速宿泊先にチケットを取ってくれるようにお願いしました。

翌日は朝食の後、タオルミーナの町の背後にある標高528mの山の上にあるカステルモーラの町を訪ねます。町はわずかばかりの岩山の上の土地で13世紀初期に城塞が築かれた後は、タオルミーナの影響を受けつつ発展、所狭しと家が立ち並びギリシャ時代から敵が攻めてきたときのためのタオルミーナの町の見張り台としての役割を果たしてきたところなのだそうです。

次の宿泊地はシチリア旅行の二番めの目玉クラッカーエトナ国立公園にあるホテルII Picciolo Golf Club、ゴルフクラブに直接申し込むとゴルフゴルフパッケージが適用できて、ゴルフ場のロッジに2泊、18ホールのプレー代、貸クラブ二人分にゴルフカート…ニコニコラブラブ今年の主人の誕生日のお祝いですクラッカー

ホテルに向かう途中フランシス・コッポラが魅せられた田舎の村、フィューメフレッドとモッタ・カマストラにアルカンターラ峡谷を訪ねます。

フィューメフレッドはオレンジオレンジなど柑橘類の栽培が盛んで、村の周囲には柑橘類の畑が広がり砂浜のビーチは夏は海水浴場として賑わうそうです。村にあるのはデリ・スキアヴィ城(=奴隷の城)、映画の中ではアポロニアが乗った車が爆破されるシーンで登場するそうです。お城の名前の由来は、城の上にある見張り台に体を乗り出した海賊のアラブ人の像があること。言い伝えによると、城を荒らした海賊達が船に逃げ帰る途中に捕まえられて連れてこられ、そこに幽閉されたことだそうです。 

もう一つの村モッタ・カマストラはタオルミーナ南西の内陸部に少し入ったところで、村があるのは標高約450mの岩山の上、足元にはアルカンターラ川州立公園全体が見渡せるそうです。

村の発祥は12世紀頃、海外へ移民していった人々の家の廃墟が目立ちますが、なんと言っても断崖絶壁の上に民家や教会が密集して立ち並び、遠くから見ても絵になる光景は、まるでクリスマスツリークリスマスの時期に教会や家に飾られるキリスト生誕の様子を再現したプレゼピオのよう…現在は観光客も付近の住民も滅多に行かないところだそうです。車レンタカーで行く場合は、細くて急カーブが多く勾配もきつい山道なので運転には十分注意が必要とのこと・・・ちょっと不安かな~目あせる 

先史時代にエトナ山北側の裾野にある低い火口から溶岩流が川に沿い海にまで流れた後、再び川が流れ川の浸食作用と地殻変動で出来た峡谷がアルカンターラ峡谷、その峡谷側からモッタ・カマストラ村に通じる道を登ってくると、村の入口にある展望台からは断崖絶壁の岩山の上にある村の全景が見え、その近くで 映画「ゴッドファーザー」の撮影がされたのだそうです。

主人の誕生日をIl Picciolo Golf Clubで過した後は最後の宿泊地、パレルモに続くシチリア第二の大都市、ユネスコ世界遺産でもあるエトナ山の麓の街カターニアへ向かいます。

カターニアの名物は馬肉?パンの間にお肉を挟んだ馬肉のパニーノの屋台がいっぱいあるそうです。でも港町だけあって地中海で獲れたての魚介類も見逃せませんし、加えてエトナ山の山の幸、美味しい郷土料理が盛りだくさんとのこと!とっても楽しみですニコニコラブラブ

カターニア空港ホテルに一泊して翌朝はイスタンブールを経由してヨハネスブルグへ飛行機

イスタンブールでの乗り継ぎは12時間、折角のチャンス、イスタンブールの旧市街を一寸見学。現在は地下鉄で空港からゼティンブルグ駅へ、そこでトラムに乗り換え、イスタンブール歴史地区の中心地旧市街スルタンアフメットへは約40分の距離だそうです。

日曜日も開いているというエジプシャン・バザール、数万枚のイズニク製タイルで青く輝く「ブルー・モスク」、そしてガラタ橋で食べるサバサンド、夕暮れ時、ボスポラス海峡の岸辺にたたずんで、対岸に見える家々の窓辺を夕陽が赤々と染めていく光景を眺められたらとっても素敵ですニコニコラブラブ