2011年06月10日(金) 01時30分00秒
【読書感想文】長谷部誠「心を整える。」
テーマ:読書感想文
何となくこの先、本を読む機会が今まで以上に増えそうなので、せっかくだから自分のためにも記録として感想を書き残しておこうと思います。「書評」なんて偉そうなものは書けないから、あくまでも「感想文」のレベルとして。
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私が初めて「長谷部誠」という人のことを認識したのは、2006年4月の終わりころでした。この年の開幕戦からJリーグを、と言うか川崎を見始めてとにかくいろいろ吸収したい時期。ネットを徘徊しては川崎に関する映像、番組を見まくってました。
そんな中の一つとしてたまたま見たスカパー!のJリーグ番組で、「川崎フロンターレの躍進を支える中村憲剛」というミニ特集がありました。1分半くらいの映像の中で「ボランチとしての守備意識が高く、ボールを奪うと即座にチャンスに変える」と褒めまくる、観戦ルーキーにとっては"うひょひょ"となる内容でした。そのVTR明け、ケンゴに関して解説の野々村芳和氏が言っていた言葉。
「(ケンゴは)相手のボールを奪ってチャンスを作れる。そして、そんなにスピードは無いんだけど、90分経った頃でも自分で長い距離を運べる。最近、そういう選手が良いなぁって思うんですよね。たとえば長谷部とか」
これが私の中での長谷部初登場。この時は「ケンゴの方が数倍良いわ!」って思ったんですけど、よくよく考えたらその時点では長谷部のプレーをまだ一度も見たこと無いと言う(笑)。なんて世間知らずで恥知らずな思い込み(笑)
その後も、レッズの試合に注目していたわけでもなく。あの年はナビスコカップを含めてレッズとは4回当たったのですが、全く覚えていないと言うのが事実。(一番覚えてるのはナビスコカップ準々決勝第1戦@駒場。3点取ったのにワシントンに4点決められて負けたこと(笑)。ま、あの3点があったからアウェイゴールの差で勝ち上がれたんですけど。)
ただ、2007年に浦和がACLを制覇するとやはりメディアへの露出も増えるので目にはつくようになりました。そしてヴォルフスブルクへの移籍、日本代表の中心メンバーとして活躍し、ワールドカップ南アフリカ大会ではゲームキャプテンとして日本のベスト16入りに貢献しました。ま、そんな来歴は皆さんの方が良くご存知だと思うのでこれくらいにして。
この本の中で記憶に残ったのは、おじいさんが言ったという「男なら思い切って挑戦するべきではないか」という言葉。
ちょっと脱線しますが。私の父は私立高校の教員をしていました(今はもう定年退職をして隠居生活を送っています)。そんな父が今から30年以上前に受けた、隣家のご主人の相談話がいまだに心に焼き付いています。このご主人は警視庁の刑事をなさっていました。息子さんがいらっしゃって、どうも高校を卒業後に「漫画家になりたい」と言っていたらしいのです。ご主人は自分のことも絡めて、公務員とは言わないけれど、いわゆる普通の職業に就いて欲しいと考えて何度も説得したもののなかなか折れず。そこで「先生が説得すれば心変わりをするだろう」と思い、私の父に「なんとか言ってくれないか」と相談してきたのです。これはさすがに相談する相手が悪すぎだと思うのですが。私の父がそのご主人に言ったのは。
「まだ若いんだし、やり直しは効くから挑戦させてあげたらいかがですか?」
これで折れてしまったのはご主人の方。仕方なく?息子さんをその世界に送り出しました。
この息子さんが、後の「宮下あきら」(代表作:「魁!!男塾」など)です。
翻って自分はどうだろうと思い返すと、正直言って「挑戦」とは程遠い人生を歩んできた気がします。まず、まともな受験はしていません。中学受験はしましたが、それだけです。中学受験なんて、大学受験に比べたら楽なものです(当時は小学生なりに大変でしたが)。高校は付属へエスカレータ。大学もあったので行こうと思えば内部推薦なり内部試験なりで行けるところを、「正月は笑って過ごそうぜ」と決め(内部試験は年明けに行われる)年内に自己推薦で受験できる大学を探してきて受験。こうやって簡単に振り返っただけでも楽をしてるし手抜きをしてることが丸分かり。
最初の就職はバブルが弾けて大変な時期でしたけど、別に「超大手」を狙っていた訳ではないので(だからと言ってどこでも良かったわけでもないですけど)、方向性だけ狙いを定めて中小企業に当たって幾つか目で内定。以後、転職を2回しましたがあまり苦労した記憶はありません。運が良かったのでしょうか。
図らずも今年、自分の意思とは無関係なところで難しい選択を迫られる場面に遭遇しました。そして今回は「難しい」と思われる方を選択しました。初めてかもしれません。この歳でチャレンジをするのはリスクが大きいのは承知していますが、それでも今回ばかりは安易に流されたくない自分がいました。
長谷部の本を読んだことで「難しい道でも必ず道は拓ける」という確信というか、確認が取れた気がします。おそらくまた今回のような選択を迫られることが出てくるでしょう。きっとその時も進んで「難しい方」を選んでるんじゃないかな、って気がします。
この本は、ずっと自分手元に置いておきたい一冊になりました。
ところで。
本の中で「ヨーロッパにいる前J所属選手と会食をした」という話が出てくるのですが(川島やテセのブログでも紹介されていた)、それによると川島と電話で話している時に急に決まったものらしいのです。言い出しっぺは長谷部なので長谷部から香川や内田などに連絡を入れたものの、テセと吉田麻也は面識が無かったので内田と香川に電話をしてもらったとか。えっと・・・テセは川島の方が良かったんじゃないか?なんかブログを見てるとウッチーをめぐる川島とテセの三角関係勃発の予感がする・・・もしかして二人って仲が悪いの?(笑)
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私が初めて「長谷部誠」という人のことを認識したのは、2006年4月の終わりころでした。この年の開幕戦からJリーグを、と言うか川崎を見始めてとにかくいろいろ吸収したい時期。ネットを徘徊しては川崎に関する映像、番組を見まくってました。
そんな中の一つとしてたまたま見たスカパー!のJリーグ番組で、「川崎フロンターレの躍進を支える中村憲剛」というミニ特集がありました。1分半くらいの映像の中で「ボランチとしての守備意識が高く、ボールを奪うと即座にチャンスに変える」と褒めまくる、観戦ルーキーにとっては"うひょひょ"となる内容でした。そのVTR明け、ケンゴに関して解説の野々村芳和氏が言っていた言葉。
「(ケンゴは)相手のボールを奪ってチャンスを作れる。そして、そんなにスピードは無いんだけど、90分経った頃でも自分で長い距離を運べる。最近、そういう選手が良いなぁって思うんですよね。たとえば長谷部とか」
これが私の中での長谷部初登場。この時は「ケンゴの方が数倍良いわ!」って思ったんですけど、よくよく考えたらその時点では長谷部のプレーをまだ一度も見たこと無いと言う(笑)。なんて世間知らずで恥知らずな思い込み(笑)
その後も、レッズの試合に注目していたわけでもなく。あの年はナビスコカップを含めてレッズとは4回当たったのですが、全く覚えていないと言うのが事実。(一番覚えてるのはナビスコカップ準々決勝第1戦@駒場。3点取ったのにワシントンに4点決められて負けたこと(笑)。ま、あの3点があったからアウェイゴールの差で勝ち上がれたんですけど。)
ただ、2007年に浦和がACLを制覇するとやはりメディアへの露出も増えるので目にはつくようになりました。そしてヴォルフスブルクへの移籍、日本代表の中心メンバーとして活躍し、ワールドカップ南アフリカ大会ではゲームキャプテンとして日本のベスト16入りに貢献しました。ま、そんな来歴は皆さんの方が良くご存知だと思うのでこれくらいにして。
この本の中で記憶に残ったのは、おじいさんが言ったという「男なら思い切って挑戦するべきではないか」という言葉。
ちょっと脱線しますが。私の父は私立高校の教員をしていました(今はもう定年退職をして隠居生活を送っています)。そんな父が今から30年以上前に受けた、隣家のご主人の相談話がいまだに心に焼き付いています。このご主人は警視庁の刑事をなさっていました。息子さんがいらっしゃって、どうも高校を卒業後に「漫画家になりたい」と言っていたらしいのです。ご主人は自分のことも絡めて、公務員とは言わないけれど、いわゆる普通の職業に就いて欲しいと考えて何度も説得したもののなかなか折れず。そこで「先生が説得すれば心変わりをするだろう」と思い、私の父に「なんとか言ってくれないか」と相談してきたのです。これはさすがに相談する相手が悪すぎだと思うのですが。私の父がそのご主人に言ったのは。
「まだ若いんだし、やり直しは効くから挑戦させてあげたらいかがですか?」
これで折れてしまったのはご主人の方。仕方なく?息子さんをその世界に送り出しました。
この息子さんが、後の「宮下あきら」(代表作:「魁!!男塾」など)です。
翻って自分はどうだろうと思い返すと、正直言って「挑戦」とは程遠い人生を歩んできた気がします。まず、まともな受験はしていません。中学受験はしましたが、それだけです。中学受験なんて、大学受験に比べたら楽なものです(当時は小学生なりに大変でしたが)。高校は付属へエスカレータ。大学もあったので行こうと思えば内部推薦なり内部試験なりで行けるところを、「正月は笑って過ごそうぜ」と決め(内部試験は年明けに行われる)年内に自己推薦で受験できる大学を探してきて受験。こうやって簡単に振り返っただけでも楽をしてるし手抜きをしてることが丸分かり。
最初の就職はバブルが弾けて大変な時期でしたけど、別に「超大手」を狙っていた訳ではないので(だからと言ってどこでも良かったわけでもないですけど)、方向性だけ狙いを定めて中小企業に当たって幾つか目で内定。以後、転職を2回しましたがあまり苦労した記憶はありません。運が良かったのでしょうか。
図らずも今年、自分の意思とは無関係なところで難しい選択を迫られる場面に遭遇しました。そして今回は「難しい」と思われる方を選択しました。初めてかもしれません。この歳でチャレンジをするのはリスクが大きいのは承知していますが、それでも今回ばかりは安易に流されたくない自分がいました。
長谷部の本を読んだことで「難しい道でも必ず道は拓ける」という確信というか、確認が取れた気がします。おそらくまた今回のような選択を迫られることが出てくるでしょう。きっとその時も進んで「難しい方」を選んでるんじゃないかな、って気がします。
この本は、ずっと自分手元に置いておきたい一冊になりました。
ところで。
本の中で「ヨーロッパにいる前J所属選手と会食をした」という話が出てくるのですが(川島やテセのブログでも紹介されていた)、それによると川島と電話で話している時に急に決まったものらしいのです。言い出しっぺは長谷部なので長谷部から香川や内田などに連絡を入れたものの、テセと吉田麻也は面識が無かったので内田と香川に電話をしてもらったとか。えっと・・・テセは川島の方が良かったんじゃないか?なんかブログを見てるとウッチーをめぐる川島とテセの三角関係勃発の予感がする・・・もしかして二人って仲が悪いの?(笑)







