ぽやぽやエブリデイ

ドラクエ10などのWeb世界で、世知辛い世の中を憂い

それでいながら眠気には勝てない毎日を繰り返していきます。

ミソスープの具は豆腐とワカメ!!

特撮やアニメの歌が好きです。スライム状のものは嫌いです。


テーマ:

第3話 蜘蛛の城 後編 」の続きです。



注:この小説は18禁です。現実と空想の区別がつかない方にはおすすめしません。


バックナンバーは「こちら 」から!!



マインドスイーパー


……精神掃除士(患者の精神疾患を主とした自殺病治療の特殊能力を持つ医師の総称)




4.蝶々の鳴く丘で 前編



圭介は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、病室をゆっくりと見回っていた。


その隣で資料をめくりながら、大河内が重い口を開く。


「こっちの区画は、もう駄目だ。お前の探してる適合者は、見つからないよ」


「駄目って、どの基準で駄目って言ってるんだ?」


問いかけて、圭介は感情の読めない瞳で、近くの病室を覗き込んだ。


ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた女の子が、ベッドに横たわっていた。


鼻や喉にチューブが差し込まれ、いくつもの点滴台が設置されている。


「この子は?」


聞かれた大河内は、言葉を飲み込んでから答えた。


「……網原汀(あみはらなぎさ)、この病棟の中でも、特に重症な子だよ」


圭介は無造作に病室に足を踏み入れ、女の子に近づいた。


そして顔を覗き込む。


女の子に反応はなかった。


目を開いてはいるが、意識はないらしい。


人形のように顔が整った子だった。


その子の艶がかかった黒髪を撫で、圭介は言った。


「一番安定してるように見える」


「……バカを言うな。左半身と、下半身麻痺にくわえて、自殺病の第八段階を発症してる。もう長くはないよ」


「この子にしよう」


圭介は軽い口調でそう言うと、ポケットから、金色の液体が入った細い注射器を取り出した。


大河内が目をむいて口を開く。


「おい、高畑……本気か? 一番重症だって、さっき言っただろう。聞いていなかったのか?」


「狂っていればいるほど好ましい。第八段階? 最高じゃないか。それで、この子はそのまま何日生きてるんだ? いや……『生かされて』るんだ?」


「…………」


「答えろよ、大河内」


「…………三十七日だ」


「取引をしよう」


圭介はそう言って、女の子の点滴チューブの注入口に、注射針を差し込んだ。


そして大河内が止める間もなく薬品を流し込む。


「この子をもらっていく。その代わり、お前はこの子の過去を全て消せ」


「GMDが効くかどうかも分からないんだぞ! それに、もう長くはないと……」


「効くさ。そのために開発されたクスリだ」


淡々とそう言って、圭介はポケットに手を突っ込んだ。


そして背を向けて、病室の出口に向けて歩き出す。


「意識が回復したら、連絡をくれ」



汀と小白が目を覚ました時、彼女達は、ゆっくりと落下しているところだった。


小白がまるでパラシュートのようになって、落下速度を低減しているのだ。


「猫って凄いねぇ。夢の世界では、私より無敵なんだ」


感心したようにそう呟いて、汀は下を見た。


何かが、草のように、果てしなく続く荒野の中突き立っていた。


真っ赤な夕暮れ景色に、光を反射して煌いている。


それは、日本刀だった。


柄の部分が土に埋まり、ぎらつく刃を上に向けている。


「……攻撃性が強すぎるよ」


呆れたように言って、汀はまだ磔にされている状態の女の子に構うことなく、十字架を下に向けた。


ゆっくりと落下していって、十字架の木が、日本刀の群れに切り裂かれながら、地面と垂直に着地する。


汀は十字架の上に、器用にしゃがみこんでいた。


ポン、と音がして小白が元の小さな猫に戻る。


猫が右肩にへばりついたのを確認して、汀は、もう少しで日本刀の群れに串刺しにされそうになっている、磔られた女の子に声をかけた。


「起きて。ね、起きて。もしかして死んでる?」


手を伸ばしてパシパシと女の子の顔を叩く。


「起きて」


「…………ッ!」


そこで意識が覚醒したのか、女の子は激しくえづいた。


グラグラと十字架が揺れる。


その上で器用にバランスを取りながら、汀は面白そうに続けた。


「拷問されたの? ね? どんな感じだった?」


『汀、赤十字のマインドスイーパーを救出したのか?』


マイクの向こうの圭介に問いかけられ、汀はヘッドセットの位置を直しながら、首をかしげた。


「うーん……助けたというか……助かってないというか……」


『どっちだ。はっきりしろ』


「動けないの。刀がいっぱいある」


『その子だけ帰還させることはできるか?』


「異常変質区域の中にいるから、無理だよ」


『なら見捨てて、お前と小白で中枢を探せ』


「…………」


汀はそれに答えず、周囲を見回した。


『汀?』


問いかけられ、汀は刀で体を切らないよう、注意して地面に降り立った。


そして手近な一本を手に取り、周囲の刀をなぎ払う。


「連れて帰るよ」


そう言った彼女に、一瞬沈黙してから圭介は言った。


『手負いなんだろう。無理だ。時間も残り少ない』


「だからって、置いていけないよ」


『いいか汀。お前の仕事は何だ?』


汀は少し考え、また近くの刀を、自分が持った日本刀でなぎ払った。


「人を、助けることだよ」


はっきりとそう言う。


圭介はまた少し沈黙してから、言った。


『……分かった。なら好きにしろ』


「好きにするよ?」


『ああ。でも、危ないと思ったらすぐに見捨てて中枢を探せ』


「もう危ない状況なんだけど……まあいいや」


ボコボコと地面が波打ち、汀を取り囲むように競りあがった。


一……二……三。


合計十三体の包帯を巻いた蜘蛛男の姿を形取り、それが、先ほどまで彼女達を取り囲んでいたものと同じように、刀の群れの中を、体が切り刻まれるのもいとわずに動き出した。


切り傷がつくたびに、悲痛な声を上げる男達。


だが、その顔は笑顔だ。


とても嬉しそうに、悲鳴を上げている。


手に持っていた包丁を、それぞれ脇に放り投げ、手近な刀を、六本の腕に持つ。


刀と、刀を持った男達に取り囲まれ、汀は日本刀を構えて周囲を見回した。


そして、まだ磔られている女の子に、厳しい声で言う。


「起きなさい。あなたもマインドスイーパーなら、少しは私の役に立って」


「あなたは……」


か細い声でそう言うと、女の子は体中の痛みに、小さく声を上げた。


まだ、両足と両手の平が釘で木に打ち付けられており、血が流れ出ている。


「なぎさちゃん……?」


呼びかけられ、汀は怪訝そうに振り返った。


「なぎさ?」


「なぎさちゃんだよね……? あたし、岬(みさき)だよ。覚えてる? あたしだよ……!」


汀よりも少し年上の、どこか赤みがかったショートの髪の毛の女の子――岬は、青ざめた顔のまま、汀にそう言った。


汀は彼女から視線をそらして、近づいてくる蜘蛛男達を睨んだ。


「今トラウマに囲まれてるの。お話はあとでしよう。あと、悪いけどあなたのことは覚えてない。てゆうか知らない」


『チッ』


耳元のヘッドセットから、圭介が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。


「どうしたの圭介?」


問いかけると、彼は一拍置いてから、何でもないことのように言った。


『いや、こっちの話だ。それより、トラウマに囲まれてると言ったな。そこはどこだと思う?』


「異常変質心理壁であることは間違いないと思うけど……中枢どころか、心の外壁にさえたどり着いてないことは確かだよ。十五分じゃ間にあわないと思う」


『間に合わせろ』


「……最悪」


毒づいた彼女の目に、後方の平原が、空ごと……つまりその空間そのものが、ブロック状になって、下方に向かって崩れ落ち始めたのが見えた。


「……訂正。間に合わせなきゃ。精神構造の崩壊が始まったよ。この人、もうじき死ぬね」


『知ってる。承知の上での治療だ』


そこで、汀の右後方の男が奇声を上げて宙に飛び上がった。


実に二、三メートルもふわりと浮き上がり、六本の刀で汀に切りかかる。


汀は、おぼつかない手つきでそれを一閃して弾いたが、小さな体が押されて後ろに下がる。


そこで、突き立っていた刀で背中をしたたかにこすってしまい、彼女は


「痛っ!」


と叫んで、一瞬硬直した。


背中からたちまち血が溢れて、流れ落ちる。


『どうした?』


圭介に対して


「何でもない。大丈夫!」


そう答えて、汀はまた切りかかってきた男の刃を避け、地面を転がった後、少女とは思えない動きで一気に間合いを詰めた。


そして男の首に、日本刀を突き立てる。


頚動脈を一瞬で切断したらしく、日本刀を抜いたところから、凄まじい勢いで血液が噴出し、汀に降りかかった。


返り血でドロドロの真っ赤になりながら、汀はトドメとばかりに男の胸に、もう一度刃を突き立てた。


それを抜くと、蜘蛛男の一人はビクンビクンと痙攣しながら、その場に仰向けに倒れた。


突き立っていた刀の刃が、後頭部から口に貫通して串刺しにする。


十二人になった男達は、血まみれの汀を見て、楽しそうに笑い声を上げた。


切られた蜘蛛男の体が、粘土のように溶け、地面に流れる。


それが、今度は二人の蜘蛛男の形をつくった。


一人から、二人に増えて十四人。


「キリがない……」


毒づいた汀の肩で、小白が威嚇の声を上げている。


そこで、地面に崩れ落ちた岬の声が聞こえた。


「なぎさちゃん、助けてくれてありがとう……早く、ここを抜けなきゃ……」


「私はなぎさなんて名前じゃないよ。それに、そんなこと言われなくても分かってる」


冷たくそう返し、汀は、無理やり足から釘を引き抜いている岬を見た。


「歩ける?」


「何とか……」


「トラウマと戦ってもキリがないから、逃げたいんだけど時間がないの。この世界はもうすぐ崩壊するし」


汀達の、数十メートル先の空間が、ブロック状になって崩れ落ちる。


「とりあえず、無理にこじ開けるしかなさそうだね……!」


汀はそう言って、足元の地面に刀を突き立てた。


男達が、その瞬間同時に絶叫した。


血走った目を丸く見開き、彼らがゆらゆらと揺れた後、同時に汀に切りかかる。


汀は、抵抗のある感触を感じながら、ズブズブと刃を根元まで押し込んだ。


そして力任せに、地面から飛び出た柄を踏み込む。


男達がまた絶叫し、汀が刀を突き立てた部分からおびただしい量の血液があふれ出す。


それを見た岬が、青い顔を更に真っ青にした。


「な……何してるの? 心理壁を直接傷つけたら、この人の体にどんな障害が残るか……」


「どうせ死ぬんだから関係ないよ」


そう言って、汀は血の出ている部分に足をたたきつけた。


ボコッと地面が歪み、ブロック状に抜け落ちる。


その先は、真っ黒な空間になっていた。


岬は、荒く息をついて涙を流しながら、折られた腕の骨を、力任せに元にはめているところだった。


彼女のもう片方の手を掴み、汀は言った。


「行くよ。逆にこっちが死ぬかもしれないけど、まぁそれって、運命だよね」


「割り切ってるね……」


「言われるまでもないよ」


軽く微笑んで、汀は岬を先に穴の中に投げ入れ、小白を抱いた。


彼女達は、ブロック状に空いた穴の中に飛び込んだ。


その瞬間、男達を飲み込むように、空間が崩れ落ちる。


彼女達の意識は、またホワイトアウトした。



気がついたとき、彼女達は打って変わって爽やかな、小鳥がさえずる丘の上に立っていた。


岬が体の痛みに耐え切れず、足元の草むらに崩れ落ちる。


彼女を一瞥してから、汀は木が立ち並んでいる丘を見回した。


蝶々が沢山飛んでいる。


それぞれ色や大きさは違ったが、共通していたことは、紙で出来ていたということだった。


近くの蝶々を一匹捕まえて、汀はそれを握りつぶした。


途端、周囲に青年の悲痛そうな声が響き渡った。


<僕はやってない! 僕は違うんだ。頭の中の人が命令したんだ!>


くしゃくしゃになった蝶々を広げてみる。


そこには、血液のようなもので雑に、先ほど流れた音声と同じものが書かれていた。


汀はそれを脇に放ると、もう一匹蝶々を捕まえようと、その場をはねた。


『汀、どうだ?』


圭介に問いかけられて、汀は言った。


「ダイブ、心理壁の中に進入成功したよ。」


『トラウマに囲まれてたんじゃなかったのか?』


「この人の心理壁を壊しちゃった。どうせ自己崩壊してる途中だったから」


それを聞いて、圭介は一拍置いてから深くため息をついた。


『お前……』


「廃人になるね。この人」


何でもないことのように言って、汀は面白そうに、紙の蝶々に囲まれながらくるくるとその場を回った。


「でも、いいじゃない。どうせ死刑で死んじゃう人だよ?」


『…………』


「圭介?」


『治療を続けろ。いいか、お前は人を救うんだ。そのためにダイブしてるんだ。分かるな?』


「圭介、私思うんだけどさ」


そこで汀は、ヘッドセットに向かって、困ったような顔をした。


「死刑で殺される人を治して、それで、救ったって言えるのかな?」


『ああ。お前は余計なことを考えず、救えばいいんだ』


「圭介、それは違うよ」


汀は淡々とそう言った。


「助けない方がいいよ、この人」


また近くの蝶々を一つ掴んで、握りつぶす。


<うるさい! うるさい! 僕は殺すんだ! あの女を……僕を笑った女を! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!>


『どうして?』


圭介に聞かれ、汀は答えた。


「だって、屑は死んでも治らないもの」


『…………』


圭介はしばらく考え込んでいた。


が、断固とした口調で彼は言った。


『治せ』


汀は、また一つ蝶々を握りつぶした。


<誰も僕を分かってくれない、誰も僕を分かろうとしない。誰も彼もが僕を見下すんだ。僕は……僕は……>


そこで、突然木々の間に蜘蛛の巣が出現した。


蝶々達が、次々と網にかかっていく。


<僕は……僕は……僕は……>


<殺してやる! 殺してやるんだみんな!>


<血……ひき肉……>


<興奮する。絶叫を聞くと>


<僕を拒絶する声を聞くと、僕は生きている実感を得ることが出来るんだ>


<だから鳴いてよ。もっと、もっと鳴いて>


<誰か僕を分かってよ! 僕はここにいるよ!>


<どうして誰も分かってくれないんだ! 父さんも、母さんも……>


<僕は……! 僕は!>


<僕は、誰だ?>


最後の呟きは、ぐわんぐわんと丘に反響して消えた。


蝶々達は、動きを止めていた。


おびただしい数の蜘蛛が、カサカサと動いて蝶々達を食べ始める。


蜘蛛も、紙で出来ていた。


「この人は自壊を選択してる。生きてても、自分のことが何だか分からなくなってるよ」


『でも、治すんだ』


「どうして?」


『……俺達が、医者だからだ』


「医者?」


『医者は人を治す。それが、人を救うということだ。お前は目の前のことしか見ていない』


「…………」


『汀』


圭介は、彼女の名前を呼んで、優しく言った。


『人を、救いたいんだろう?』


「…………」


『沢山の人を、お前の手で救ってやりたいんだろう?』


「…………」


『目の前だ。そのチャンスを、お前の手で掴め。それは、お前の「踏み台」だ。それ以上でも、それ以下でもない』


「私……私は……」


「なぎさちゃん!」


そこで、うずくまっていた岬が大声を上げた。


ハッとした汀の足元に、紙の蜘蛛の大群が迫ってきていた。


岬が這って逃げようとしている。


小白は、汀の肩の上で、シャーッ! と毛を立ててうなった。


「貴方達が欲しいのは、これ?」


汀がニコリと笑って、蜘蛛達の前に、閉じていた右手を開いた。


そこには、いつの間に捕まえたのか、虹色の羽をした蝶々が一匹、握りこまれていた。


「あげてもいいよ」


『汀!』


圭介が大声を上げる。


汀は、動きを止めた蜘蛛達に言った。


「でも、自分が自分であるのか、分からないままでいるのは悲しすぎるから」


彼女はそう言って、虹色の蝶々を、折り紙を元に戻すように、ゆっくりと開き始めた。


空間がざわついた。


蜘蛛達の口から、男の拒否を示す凄まじい絶叫が辺りに轟きわたる。


「私が、あなたにあなたの顔を見せてあげるよ」


折り紙を開く。


それは、顔写真だった。


赤ん坊の、写真だった。


「中島正一。それがあなたの名前。あなたは何にもなれないし、何かになれるわけでもない」


汀は、クスリと笑った。


「これから、殺されにいくの。それから逃れることは、多分できないの」


いつの間にか、おびただしい数の紙の蜘蛛は、足を上に向けて、硬直して死んでいた。


代わりに、丘の向こうがざわついた。


次いで、地面が揺れた。


ミキミキと木を押しつぶしながら、何かが地面の下から出てくる。


それは、体長十メートルはあろうかという、巨大な蜘蛛だった。


八つの赤い目を光らせながら、巨蜘蛛は地面を踏みしめ、汀の前まで移動すると、顔を屈めて蟲の口を開いた。


「シャーッ!」


小白が地面に降り立ち、風船のように膨らむ。


巨蜘蛛の半分ほどの大きさに変わった小白は、牙をむき出して蜘蛛を威嚇した。


その化け猫を制止して、汀は一歩前に進み出た。


そして赤ん坊の写真を、蜘蛛に突きつける。


「良く見て。これが、あなたよ。あなたは蜘蛛じゃない。あなたは人間。何の変哲もない、平凡で、ごくごく普通の、何の力もない、無力な人間の一人よ」


巨蜘蛛が悲鳴を上げた。


嫌々をするように首を振った蜘蛛に、汀は淡々と続けた。


「あなたが思い描く現実なんて、どこにもない。誰も、あなたのことを理解なんて出来ない。あなたが、あなたを理解できないように。私も、あなたを理解することができない」


「危ない!」


そこで岬が悲鳴を上げた。


汀が気づいた時は遅かった。


蜘蛛が足を振り上げ、汀に向かって振り下ろしたのだ。


小白も、とっさのことで反応が出来ないほど、すばやい動きだった。


蜘蛛の足は、簡単に汀の背中を胸まで貫通すると、向こう側に抜けた。


そして地面に、まるで蟲のように、少女のことを縫いとめる。


「ゲボッ」


口から血の塊を吐き出して、汀は胸から突き出ている蜘蛛の足を見た。


「……ガ……あ……」


『汀、汀……どうした!』


彼女の声に、圭介が狼狽した声を上げる。


汀はそれに答えることが出来ず、鼻や口から血を垂れ流しながら、震える手で、赤ん坊の写真を前に突き出した。


そして、歯をガチガチと鳴らしながら、かすれた声で言う。


「良く……見て。これがあなたよ……誰も言わないなら……私が言ってあげる……」


「なぎさちゃん!」


岬が声を上げて、這いずって汀に近づこうとする。


汀は彼女に微笑んで、また血を吐き出してから、硬直している蜘蛛に、一言、言った。


「ただの人間のくせに……世界中で何百何億といる、ただの人間のくせに……」


『汀!』


「何を、粋がってるの?」


蜘蛛が絶叫した。


その長い絶叫は周囲に轟き渡り、丘をグラグラと揺らした。


たまらず目を閉じた汀の体を固定していた足が、フッと消える。


胸に大穴を空けて地面に崩れ落ちた汀の目に、空中に浮かんでいる、膝を丸めた赤ん坊の姿が映った。


汀は血を吐き出し、脇の小白に支えられながら赤ん坊の前に這って行った。


そして、写真を赤ん坊の頭につける。


白い光が辺りに走り、赤ん坊の姿が消えた。


同時に丘の蜘蛛の巣が消え、真っ白な蝶々達が周囲を飛び回り始める。


汀は小白に寄りかかって、ゼェゼェと息をついて、また血を吐き出した。


『良くやった、汀。戻って来い、早く!』


圭介がマイクの向こうで怒鳴る。


汀は、しかしそれに答えることが出来ずに、地面に崩れ落ちた。


そこに岬が到着し、彼女の体の上に倒れこむ。


そしてヘッドセットに向かって、叫ぶように言った。


「四番、五番、治療完了しました。目を覚まします!」



後編に続く。



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