久しぶりにガッツリ史跡巡りです。
向かった先は愛知県新城市にある野田城。
かつて武田信玄が生涯最後に攻めた城で、現在では山林となっていますが、空堀、土塁、土橋、虎口、井戸址などが良好に残されています。
私自身、野田城は何回も訪れた事がある城址ですが、久しぶりに行ってみると、新しい発見があったりします。
↑また新しい看板が建っていたり。
城址って放置して荒れていくものもあれば、整備されて看板が追加されていたりするものもあります。
維持整備はなかなか大変だったりしますが、歴史ファンとして嬉しいですね。
↑ ということで、どうせ巡るなら甲冑で!
長篠合戦のぼり祭りの準備が進む長篠城周辺を散策してみました。
侍大将殿、ハマン殿もそのままチェンジ!
↑ まずは長篠城。
この長篠城は、かつて武田軍約1万5千に包囲された城。
その時、長篠城は守備兵約5百。
兵力は資料によって若干違ってきますが、約30倍の兵力に耐えた堅固な城です。
現在でも城の中心部が整備されており、堀址や曲輪といった削平地、そして土塁などが残っています。
↑ 堀ひとつとってもこの深さですよ。
当時はもっと深かったのでしょうね。
ココを重い甲冑を着て登ることはかなりムズカシイです。
↑ そして長篠城址の向かい側にある大通寺。
この大通寺のすぐ後ろに武田方の馬場信房(美濃守)の陣跡があり、長篠城を直下に見渡す事ができていました。
さらにこの大通寺には、【別れの水盃井戸】という遺構が残っています。
長篠城を包囲していた武田軍ですが、織田・徳川連合軍がすぐ近くの設楽原(したらがはら)まで出陣してきた時。
武田勝頼は織田・徳川連合軍と決戦に挑みます。
武田軍1万5千
対する織田・徳川連合軍は約3万8千(資料によって諸説あり)。
しかも当時の新兵器・火縄銃を大量に用意しているとの情報もあり、さすがに部が悪いと武田軍の宿老である馬場信房、山形昌景、内藤昌豊らは決戦しない様に進言します。
しかしイケイケ勝頼は連合軍との決戦を決断!
もはやこれまでと、この大通寺の井戸の水を酒に見立てて、三人は別れの水盃を交わすワケです。
↑ たぶんこんなカンジだったのでしょうね。
現在でもこの水盃の井戸は残されており、一般公開されています。
この翌日に武田軍は設楽原に出陣しますが、信玄時代から共に戦ってきた三人はどんな思いだったのでしょうか?
↑ さて、そんなこんなで大通寺を後にしようとしていたら、目の前にあるものが見えました。
あれは…
※ 続きを読む ⇒ そうだ、鳶ヶ巣山砦に行こう!
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