こんばんは
前回から続きま〜す
JR新居浜駅を出発して、下部鉄道の国鉄連絡線(2,701m)を星越駅へと向かっております
午前8時10分、昭和11年の建設時から遺る西河川にかかるコンクリート橋梁までやって来ました
⑤西河川のコンクリート橋梁
とてもしっかりとした作りです
橋を渡って星越方面に進みます
⑥程なく県道新居浜港線をアンダークロスします
ここは自転車歩道整備の際に掘り下げて立体交差にしたと思われます
⑦本線が迫って来ます
⑧この辺りが多喜ノ宮信号所と思われます
多喜ノ宮信号所から星越駅までは960m
多喜ノ宮信号所から星越方面
昭和19年から30年までの10年余りは信号所から星越駅までは複線だったらしい
⑨沿線の桜
⑨新居浜市指定史跡 五輪塔群
⑨廃線跡の自転車歩道の脇に植えられた花
沿線は車も通らないので散歩するにものどかで良い場所になってます
⑩廃線跡の自転車歩道はここでおしまい
ここから星越駅まで670m
本線には鉄道の横に鉱水路が設けてあるのでここから先は鉱水路を頼りに廃線跡を辿ります
⑪鉱水路は工作課の敷地内に入ってしまいましたが、幸いにも塀は金網で車道ともそんなに離れていないので確認する事が出来ます
⑫車道反対側の山田住宅群跡
この辺りは住友化学の社宅が並んでいたらしいが全て更地になっています
向こうの方にいくらか残っている社宅も有るようです
折り返し時に訪ねてみようかと思います
⑫更地になった社宅跡には5階建ての建物が2棟建ってます
⑫星越駅舎が正面に見えて来ました
鉱水路にそって塀の外側の車道を進みます
⑬鉱水路は依然として金網の内側
⑭星越駅 到着です
明治22年から130年近い歴史のある別子鉱山鉄道ですが、上部鉄道、下部鉄道と2つの鉄道の中で唯一遺る駅舎です
新居浜選鉱場の施設として利用されてましたが、2010年夏頃から選鉱場が解体されて、元の駅舎のみリフォームされて駅舎らしくなってます
リフォーム前の星越駅舎(借物写真です)
⑭選鉱場構内
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社宅も解体作業が進んでいる
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解体される前の新居浜選鉱場 借物写真
2009年操業停止 2010年8月より解体作業が始まる
星越駅から見た本線上の太鼓橋
選鉱場がなくなったので役目を終えて廃墟となってしまった(オーラが出無くなっている)
⑮太鼓橋 鉄道架線の碍子が残ってます
⑯明治37年完成の星越トンネル 110m
下部鉄道は明治26年完成ですから、11年間はトンネルの左手の現在の道路部分に線路を敷いて切通しで越えていたらしいです
⑰トンネル内は通行出来ないので県道で越えます(明治37年にトンネルが出来るまでの11年間は六六分の一(15パーミル)の急勾配のこの坂を蒸気機関車で越えていた)
⑱この先で県道13号と交差しています
(住友別子病院の西)
⑱星越トンネル 惣開側口まで戻ってみます
直ぐにトンネルが見えました(^O^)
⑲星越トンネル 惣開側
左のパイプは何か不明
気づかないうちに休止状態になっていることが何度かあった為かな
⑱県道13号まで辿ってみる
⑳鉱水路も地上からは一旦見えなくなりました
今回はここから折り返して本線を端出場(打除駅)まで廃線跡を辿りたいと思います
星越-新居浜駅の国鉄連絡線と本線を星越駅から星越トンネルを越えて県道13号線までやって来ました
今回は端出場まで辿る予定なので、これから先の惣開までと新居浜港線は別の機会にして、これから本線を再び星越駅-多喜ノ宮信号所-を通って滝の宮駅-国鉄アンダークロス-土橋駅-山根駅-山根収銅所-坂之元駅-黒石駅-端出場-打除駅と廃線跡をトレッキングします
多喜ノ宮信号所手前から山根駅手前までは「住友鉄道跡地自転車歩行者専用道路」として整備されている模様です
山根収銅所を越えてからは山の中を端出場(現マイントピア別子)へ向けて通りますが、鉱水路を管理しているので、廃線跡は荒れてはいない模様です
途中、山田住宅や別子銅山記念館にも時間を割いて立ち寄れればとも考えております
まだまだ全行程の3割程度ですが、随分と長くなっておりますが、今回も最後までお付き合いいただきましてありがとうございます
新居浜市HP
つづく
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