折り返し地点の、ちょっと手前で。

折り返し地点の、ちょっと手前で。

アラフォの専業主婦です。ベビ待ちもしています。ある日、仮に人生が80年だとしたらもう半分近くまできていることに気づき、自分の本音の気持ちを書いてみたいと思い立ちました。気まま、思いつくままに書いている自問自答ひとり言日記です。

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今日は、旦那さんに対する愚痴…のようなものです。

基本的に、彼と結婚して良かったと思っています。

穏やかだし、ちゃんと働くし、物事もまともに考えるし。


でも、たまに思うこと。

ネガティブな言葉を、あまりためらい無く言うことがある。

例えば“もうおしまい”とか“死んじゃう”とか。


…まあ、死んじゃうは冗談交じり(甘え)っぽいけど、なんだろう、私の感覚では辛かったりしんどかったりすることを表現するにも、もう少し他の婉曲した表現の言葉を使うだろうという時に、それはあまり言わない方がいいんじゃない?という言葉を使うことがあるのだ。

なんか、表現として実もふたも無いというか。

そして、聞いてるこちらがなんだか不安になる。


言霊を信じていて、そういう言葉がそういうことを呼ぶ(運命を呼ぶ)と思っているわけではない。

ただ、ある言葉を発することが、無意識的にその人の行動に影響を与えるということはあると思っている。

例えば、やたらともうダメもうダメって言っていると、ダメになっちゃうのが早いようなことはあるのではないかと。


また少し違う話だけど、昨日旦那さんに急な出張が入り、ある楽しみにしていたスポーツが(テレビで)見られないことになった。帰ってきてから録画で見るしかない。

私は家にいて生で見ることが出来るので、冗談で“じゃあ、なるべく我慢して『○○勝ったよ!』ってメールは送らないようにするよ”といったら、

ぼそっと“メールしたら帰ってこないよ”と。


それが、ちょっとスネた感じでとかだったらこちらも何も思わないのだが、ほんとうにぼそっと、なので…。

私もそれに対してすかさず怒ったり、そういう言い方は嫌だということを言えたらいいのだろうが、反射神経が悪いというか何というか、すぐには反応できないんだけど、…でも自分の中にモヤっとしたものが残る。


ここまで書いてきて、要するにうちの旦那さんがそういう時の表現がうまくない・気が遣えないだけの話という気もしてきた。

理系君で、言葉のニュアンスや雰囲気みたいなものにちょっと鈍いところがあるのかもしれない。

それに、彼は私よりも割と年下。

30をいくつか過ぎただけの男なんて、中身は子どもなのかもしれない。


結婚して一年半になる。ほとんど喧嘩もせずにやってきたけど…何かしらあるもんだよねえ。

うまいこと、穏やかに(どうせなら喧嘩したくないのだ。疲れるから)上手に、そういうとこ変えていってみようかな。

子育てをするみたいに。


男なんて背中に透明のランドセルをしょった小学生だと思っておけばいいという話を聞いたことがあるけど…他にも思いついた。

子犬にも似てるw

子犬をしつけるときに、言うことを聞いたらわかりやす~くよしよしして、おやつもあげたりして、逆に悪いことをしたらはっきり何が悪かったのか分かるように、すぐに叱ったりする。


まあ、対人間なので単純に叱るというわけにもいかないけど、基本はこれでいいのかもしれない。

・いいことをしたらすぐほめる(すごく喜ぶ、嬉しそうにする)

・悪いことをしたら即、叱る(悲しそうにする、落ち着いて話をする)

キモは、ため込んで時間がたってから爆発するとかじゃなくて、そのつどすることかな…。


子犬(旦那)のしつけ作戦。ちょっと、やってみようっと。

これって、いわゆる手のひらの上でころがす的なことに通じないかな。どうかな。

いうこと聞くよい仔…じゃなくてよい旦那に育てよう作戦。

とりあえず、作戦開始。

そう思ったら、ちょっとすっきりした。

このブログを最初に書き始めたときは、かなり低空飛行だった。

専業主婦で働いていないにもかかわらず、家事も通り一遍くらいで毎日が過ぎていき、そんな自分が自分であまり好きじゃなかった。これでいいのかと思っていた。

人生も半ばに近いのに、このままぼーっとこんな感じで生きていって、それで終わりに近づいていったらどうしようと思ったのだ。


でも長期的なスパンで考えると、特に迷ってはいない。優しい旦那さんと家族がいて、友達もいて、歩いている道に大きな不満はない。

欲を言えば、次は赤ちゃんに来てほしいと思っているけれど。

でもその努力もできている。

私って結構幸せだなあと改めて気づいたのだ。


じゃあなぜ低空飛行になったりするのか。

いろいろ考えたが、多分、もう少し毎日に手ごたえのようなものがほしかったのだ。

今日一日頑張った、やるべきことをやった、という手ごたえ。

人生は結局、一日一日の積み重ねなのだし。


働いていれば、とりあえず、毎日の手ごたえを感じることはできる。

仕事は必ずしもやりがいがあって満足いくことばかりではないだろうが、お給料、少なくとも働いた分の報酬は手に入る。

自分は生きている、この一日存在している意味があったと思える。

しかし、働いていないとうっかりそれを掴み損ねることがあるのだ。


もちろん専業主婦にも生きている意味はあるに決まっている。

でも、分かりづらいのだ。掴みにくいのだ。

自分の日々生きている意味が。


それならパートなりなんなり、働きに出ればいいということになるかもしれない。

でも今回は、どうせなら、専業主婦(たまに単発仕事)のままで、日々を充実させるということをやってみたくなった。

ある意味、仕事があって就業時間や締め切りなどの縛りがあればたいていの人間は動くものだ。

それが出来なければ、社会人として働くことはできない。

そういった縛りのない状態でも、毎日を充実して、手ごたえをもって過ごすことができるのか?


そこを追求してみたい。

仕事とは別の場面で、日々のプライベートな空間で、気持ちよく毎日を過ごし、充実しているという実感を得ることができるのか。

そうするにはどうしたらいいのか。

これからばらく、そこを考えていくことを課題としたい。

前回このブログを書いてから、三週間近く経ってしまった。

家事をしたり、単発仕事をしたり、実家の犬と遊びに行ったり、本を読んだり…。

その間に少しずつ、感じたり、考えたりしたことで、うっすらと…ではあるが、今後の自分の方向性が見えたような気もする。

今現在の、とりあえずではあるけれど。


その日の単発仕事は三時終わりだったので、まっすぐ家に帰らなくてもいいな、少し寄り道して帰ろうと思った。

ちょうど職場の近くにデパートがあったので立ち寄り、ウィンドーショッピングをしたり、ひとりでお茶をしてみた。

その時、ああ、こういう時間っていいなあ…と思ったのだ。

ひとりでのんびりする時間。


私は現在いわゆるベビ待ちの身である。

すぐにでも赤ちゃんを授かりたいと思っている。

もし子どもが生まれたら、当分はこういう時間もなくなっちゃうんだよなあ…と改めて思った。

前々から、子持ちの友達に言われていたことではあるけれど。

今の、一人で、あるいは二人でゆっくり過ごせる時間を大切にしなければ。

神様、あるいは運命が私たちにくれた時間なのかもしれないから。


それから、家の環境も快適にしようと思った。

それなりに(ほんとそれなり)片付いているし、掃除もそれなりにしているのだが、この空間が好き…迄は正直行っていない。

彼も私も、あればあるもので済ませてしまうので、インテリアもはちゃめちゃではないが、多分それなり…止まりになっている。

少し、新しいものを買ってでも、暮らしていて気持ちのいい空間を目指してみたい。

生活の質を向上したい。


フルで仕事をしていると、自分は忙しいので、稼いでいるので…ということに甘えて、生活の質、ということに対してはおざなりになりがちだった。

せっかく今は時間もあるし、丁寧に、小さなことを大事に生活する、ということをしてみたい。

少しずつ少しずつ、家や生活を整えていきたい。

細かなことに目を配ってみたい。

今しなければ、子どもが出来、育て、働き…という生活になったら、当分そんな余裕はないかもしれないから。


この三週間に考えてたどりついたのは、大体こういうこと。

それでは、具体的に私はこの先、どんな人生を送ることを望んでいるのだろう?

どんな風になっていきたいんだろう?


あまりにも基本的なこと過ぎて、しかもいい歳して青~い感じで、最近こんなことを突き詰めて考えたことはなかったかもしれない。

この先こうなりたいという私の理想像は、どんなんだろう?


思いつくままに挙げると

・子どもを産み、育てたい。

・仕事に復帰して、続けていきたい。

・旦那さんと仲良くやっていきたい。

・家のこともきちんとやりたい(料理、インテリア…)

・家がほしい。

・本、漫画、映画等をたくさん読んだり見たりしたい。

・適度に身体を動かして健康的でいたい。

・感じよく歳をとっていきたい。(漠然としてるな)

・人として、成熟していきたい。


等々、たくさんあるが、…よく考えると、現代日本女性なら多くの人が望むことのような気も…。

当たり前といえば当たり前、というか。

全体に漠然とした印象で、平凡だ。いや、平凡なのは悪いことではないけれど。

そしてこれらは、今のままいってもある程度まではかなえられそうな望みでもある(ベビ待ちは神のみぞ知るだけど)。


ひょっとして…と今思ったのは、

私は、すでにある程度満たされているのではないだろうか。

だから、心の底からこれではいけない!変わらなきゃ!といった思いは沸いてこないのではないだろうか。

言い方を変えれば、私は既に結構、幸せなのではないだろうか。

っていうか、そうだ。


優しい旦那さんはいるし、お金持ちじゃないけど生活に困るほどではないし、友達もいる。

現在のところ、大きな悩みは抱えていない(多少不安なのはベビ待ちくらいだ)。

望みといったらまず何よりもこれ!というのを思いつかないのは、だからなのかもしれない。


そして、だからこそ、何かをやらなければならない!という強烈な動機・モチベーションも湧いてこないのだ。

ある程度満たされている→ハングリー精神の欠如→強烈な願望はない

そういえば勉強も、私の実力からいったらそこそこくらいの大学に行ったものなあ。

ほんとうは、もう少し頑張って上を狙いたかった気持ちもあるのだけれど。


さて、それならば。

次、どうしたらいいのか…?

それにしても、ほんと自問自答ブログだなあ(´・ω・`;A)


それから、今の幸せに感謝しないといけないな、とも心から思います。

昨日は単発仕事に行ったので、今日は割と気分がいい。

働くと一応充実感はあるからね。

たった一日の仕事で…(^_^;)

でも、前日はちょっと気が重いくせに。

どんだけ単細胞…。


ツイッターでピーター・ドラッカーBOTというのをフォローしているのだが、昨日のツイートに

『成果をあげるのは才能ではなく、習慣だ。』

という言葉があった。


なんか、響いた。

そうか、習慣ね…。

確かにこれだけ怠け癖が出やすい私でも、うまく習慣がつけば何かを継続できることがある…との実感は経験上ある。

例えば、職場からの帰宅途中にあるジムには仕事帰りに通い続けられたとか。

わざわざ行くのは面倒でも、帰るついでとか、習慣づけやすい状況があれば続けられる場合もあるのだ。


私は自分の意志の弱さを問題にしているのだけど、意外と意志よりも状況、なのか…?

習慣づけやすいような状況にもっていく。

ということは、意志よりも工夫、あるいはそういう環境を整えるというテクニック?

努力をするとするなら、必要なのは、自分がどうしたらそれをやれそうか、続けられそうかを考えて、そういう状況に自分を置くようにする努力…?


う~ん。意志でなんとかしようとするのは、確かに精神論(スポ根?)ぽいなあ、とは思っていたけど。

それは、もともと怠け癖がある人にはハードルが高すぎるよなあ。

やりやすいように自分をもっていく、自分の環境を整えてあげる、ということか…。

ちょっと、努力の方向性がわかったかも。

どうしたら、どのような環境でなら、無理なく自分はそれをやるようになるのか、考える。


それでは。

次は、具体的にどうしたいのか?何をしたいのか?

この先自分はどうなっていきたいのか、を改めて考えるとしますか。