こんにちは。
トリニティの磨です。
今日は、9月11日。
あの大地震から、半年が経ちました。
震災の教訓、復興に向けて、色々な議論があります。
私が一番大切だと思っているのは、
『一人一人があの日、あの危機的な数日間に感じたことを忘れない』
ということです。
私はあの大地震の日、仕事先から数時間かけてタクシーで戻り、
妻と子が無事であったことを確認し、本当に涙が止まらなかった。
妻は臨月で2人目の子供の出産間近でした。
(第二子は無事に生まれ、すくすく育っています。)
普段は私が仕事で帰りも遅く、家族で寝ることなどほとんどないのですが、
あの震災の日は、家族一つの部屋で、川の字になって眠りました。
あの川の字になった寝室で、私の妻が言った言葉を、私は今も忘れません。
『もしこのまま、また大きな地震が来て私が助からないことがあっても、私はそれでも幸せだよ』
この家族を守り抜くことが私の一番の使命なんだと、心底感じた瞬間でした。
あのときのことを思い出すと、今でも涙が出てきます。
家族を、愛おしく思います。
皆さんは、あの時のどんな記憶を持っているでしょうか。
あのとき、皆さんは何を感じましたか?
半年、1年、3年、10年と、時は、過ぎていきます。
節目節目で、その記憶を思い出し、語りましょう。
後世まで、語り継ぎましょう。
トリニティ 代表 磨
http://www.trinity-group.jp/
トリニティの磨です。
今日は、9月11日。
あの大地震から、半年が経ちました。
震災の教訓、復興に向けて、色々な議論があります。
私が一番大切だと思っているのは、
『一人一人があの日、あの危機的な数日間に感じたことを忘れない』
ということです。
私はあの大地震の日、仕事先から数時間かけてタクシーで戻り、
妻と子が無事であったことを確認し、本当に涙が止まらなかった。
妻は臨月で2人目の子供の出産間近でした。
(第二子は無事に生まれ、すくすく育っています。)
普段は私が仕事で帰りも遅く、家族で寝ることなどほとんどないのですが、
あの震災の日は、家族一つの部屋で、川の字になって眠りました。
あの川の字になった寝室で、私の妻が言った言葉を、私は今も忘れません。
『もしこのまま、また大きな地震が来て私が助からないことがあっても、私はそれでも幸せだよ』
この家族を守り抜くことが私の一番の使命なんだと、心底感じた瞬間でした。
あのときのことを思い出すと、今でも涙が出てきます。
家族を、愛おしく思います。
皆さんは、あの時のどんな記憶を持っているでしょうか。
あのとき、皆さんは何を感じましたか?
半年、1年、3年、10年と、時は、過ぎていきます。
節目節目で、その記憶を思い出し、語りましょう。
後世まで、語り継ぎましょう。
トリニティ 代表 磨
http://www.trinity-group.jp/









1 ■無題
私はずっと東京にいたので、身に危険は感じませんでした。揺れている最中も、初期微動から激しい揺れまでの時間がかなりあったので、震源が遠いことはわかりましたし、東京直下型や東海地震でないことはすぐにわかりました。
ただ、最初は東北の被災地を何とか助けなくては、という思いが強かったのが、原発事故が深刻化するにつれて、チェルノブイリの教訓からすると東京も危ないのでは、という思いに代わり、余裕がなくなっていきました。
今回は、震災というより、原発事故と電力不足の印象が強く残っています。もっとも、今後の教訓としては、首都圏の地震に備えて、防災の強化をする必要はあるでしょうね。