光の向こうへ
Amebaでブログを始めよう!

進路変更・・・。

高校3年生になりいよいよ進学か就職かどちらかを選択する時が来た!

通っていた女子高には進学コース、就職コース(専門学校含む)と別れていて、

もちろん私は就職コースにいた。

 

そして運動部を高校2年の半ばで辞めた私は、ボランティア部みたいなのに入りながら、

学校が終わると働いて帰る母と学校から帰ってくる弟の為に夕飯をバイト前に作っていた。

そしてついに夢ができた・・・。

 

「調理師になって料理を作って食べた人に喜んでもらいたい!そうだ調理師になろう!!」

 

母に相談しなんとなくOKはもらっていたんだと思っていた。

そして大阪にある辻調理師専門学校や地元の調理師専門学校の資料を取り寄せたりして、来春には専門学校生だ。好きな調理の道に進めるとワクワクしてた。

しかし高校3年になって夏終わりころの3者面談の時にその夢はこっぱみじんに潰された・・・。

 

母が「こんなに学費かかって県外で生活するってうちに弟たちもこれから進学ひかえてるし、お願いだから運転免許費用出すから就職に変更して」と・・・。

 

第一希望の大阪行ったら寮生活をし、学校からバイト先も斡旋してもらえるってパンフレットに書いてあったのでバイトし、学費だけ母に出してもらって、寮費と自分のお小遣いはバイトで賄うプランだった。

でも結果ダメだった。

 

そしてまあ担任もビックリ!ここにきて就職。

私の時代は超まで付かないけど就職氷河期もうクラスの半分以上は内定もらったり、現在採用結果待ちだったりでみんなソワソワしているなか、私だけが取り残されてった・・・。

 

こんな風になったのは家族を置いて自死した父のせいだ!

父が生きていればこんなことにはならなかったのに!

父が自死しなければお金がないからって夢をあきらめなくても良かったのに!

なんで勝手に自殺したんだよ!

 

父の自死を恨むようになった

高校生活

私の通っていた中学校は隣にある小学校から移動するだけのような、中学校。

転校生なんてめったにいなく、同級生とは小1~中3までの9年間一緒で家族、兄弟みたいな感覚でしかなかった。

 

それが高校に行くと電車で遠いところから登校する子、バスを乗り継いで来る子などいろんな人がいた。私は徒歩30分くらいかけて毎朝通っていた。

 

3年間女子高ということもありちょっとしたゴタゴタはあったものの、生涯親友と呼べる友達ができ卒業から20年以上たっているが今でも遊んでいることはとても幸せと思っている。

 

高校生の頃は今までと違い保護者の欄が母の名前になっていると「お父さんいないの?なんで?」なんて平気で聞かれることが多く、「中3の時事故で亡くなったんだ」ってずーーっと嘘をついていた。

たとえあの時「中3の時自殺したんだよね~」なんて言えるくらい強い自分でもなかったし、自分の中で気持ちの整理がついていないし、「なんで自殺したの?」なんて聞かれたら答えに困るし、聞かされた友達の反応を見るのもとても怖かった。またかわいそうな子っていう視線は受けたくないと・・・。

 

色々聞かれるの嫌だし、内気な本来の性格を出さないように、陽気にふざけて明るい性格を高校3年間演じきった。我ながら女優だったなと(笑)

 

楽しい高校生活で、自慢ではないが色々したが、警察にご厄介になることもなく、学校・部活・バイトともちろん遊びにも全力で楽しんでいた。

 

しかし、3年生になると受験・就職と自分の将来についてみんな真剣に考えるようになった。

私はというとまた父のせいにし、恨む出来事がおきた

 

 

高校受験

中3の夏に父を亡くしてから、受験生の私はプレッシャーに押しつぶされそうになっていた・・・。

 

高校受験は公立高校へ進学するのが必須を求められた。

私は3人兄弟の1番上で2つ離れた弟と3つ離れた弟がいた。

そして母から「弟たちがいるから金銭的にも公立高校に行って欲しい。」と懇願され、

自分では父は公立高校→東京の私立大学、母は私立高校→地元の私立大学と進んでいるので

まあ公立高校受けるけど、ダメだったら私立高校行けばいいし~なんて安易な考えしかなく

まさか父が亡くなるなんて考えることもなく、中3の春にはのほほんとただ何となく地元の塾の春期講習に行き始めただけで、特に将来の事なんて想像したこともなかった。

 

それが突然母から公立高校必須!なんて言われたら中3の私は元々勉強の仕方もよくわからないのにどうすればいいかわからず、そのストレスのはけ口に自死で亡くなった父を恨むようになった。

 

なぜ私たちを見捨てたのか!

なぜ自殺という形を選んで死んだのか!

なぜうちにはお金がないんだ!

なぜ私がこんな思いをしなきゃいけないんだ!

それはすべて父のせい!

私に言われたい放題の父、まさにそれは死人に口なしだった・・・。

 

受験まで塾に通い(通わせてもらったのは本当に母に感謝)

地元の女子高を受験した。

 

 

 

 

そして無事に合格。

来春には女子高生になった