• 28 Apr
    • 革命の時―250年の時を経て、同じ星の下を生きる意味とは…

      18世紀後半、歴史は大きく動いた。フランス革命、アメリカ独立戦争、産業革命など、歴史を変える大きな革命が次々と起こったのだ。それから約250年の時を経て、わたしたちは先月、東日本大震災を経験した。両者の間に一見大きな共通点は見出せない。しかし、現代に生きるわたしたちは、250年前の革命の時代と、実は同じ星の下を生きているのだ。占星学上で、破壊と再生の星・冥王星が社会構造を象徴する星座・山羊座に入ってくる250年の周期と重なっているのだ。1760年頃から約20年間、冥王星は山羊座に位置していた。この間に、先ほど述べたような大きな革命が次々に起きた。社会構造が根底から覆され、新しい科学技術が生活を変えていった。この時代を境に近代化が始まったと言っても過言ではないだろう。そして、250年もの時を経て、横道12星座を旅してきた冥王星は、今、再び山羊座に戻ってきた。2008年11月から2023年3月までの間、冥王星は再び山羊座に位置するのだ。この期間は、わたしたちの社会構造や権力構造、科学技術の方向性が、また大きく激動する時代であるということを示唆している。今、中東諸国では大きな革命が起きている。チュニジア、エジプト、リビアといった何十年と続いてきた独裁政権が、民衆の手で次々と滅んでいる。まさに、大きな革命が目の前で進行しているのだ。そして、また、冥王星の破壊の力は、東日本大震災が引き金となった東京電力福島第1原子力発電所の事故にも象徴的に現れている。皮肉にも同原発第3号機はプルトニウムを含有するMOX燃料を使ったプルサーマル計画に基づく原子炉だ。プルトニウムの語源であるプルートは、冥王星であり、ローマ神話の冥界の神の名でもある。プルトニウムとはなんと暗示的な名前なのだろうか。それはまるで「わたしたち人間を意図も簡単に冥界へと導いてしまう」とでも言っているようではないか。この原発事故により、これまでわたしたちの未来の生活を支えるとされていた原子力発電の安全性が、今、根底から揺らぎ初めている。ドイツでは反原発デモに25万人もの人々が参加し、国としても脱原発の方針を定めた。韓国の世界的電機メーカーサムスンはクリーンエネルギーによる工業団地の建設を表明した。日本でも、自治体や企業として脱原発の方針を打ち出すところが出てきている。今、世界中が新たなエネルギーの道を、少しずつではあるが、これまでより真剣に模索し始めているのだ。ところで、ローマ神話のプルートは、ギリシャ神話の冥府の神・ハデスと関連付けられていのをご存知だろうか。このハデスは、豊穣の女神ペルセポーネの夫であり、冬に枯れて春に芽吹くという四季が存在する根拠となる神話とも深い関わりがある。占星術上の冥王星も同様に、破壊するだけなく、再生も示唆する。東日本での震災、原発の事故、中東での革命など、これら一連の大きな破壊により、必ず何か新たなるものが再生されていくことだろう。わたしたちは、今、まさに歴史の一部を生きている。震災と原発事故の当事者であるわたしたち日本人は、革命を起こしている中東の人々と同じように、また、地球上の危機感を持つ全ての人たちと一緒に、当事者として歴史に参加しているのだ。18世紀を生きた人々が大きな革命を成し遂げたように、わたしたちも今まさに、冥王星が与えてくれた250年にたった一度きりのチャンスを、どのように生かしていくかが問われている。冥王星が新たな社会構造を作り上げていくこのタイミングに合わせて、わたしたちは未来を生きる子供や孫たちの世代に、この地球で安全に生活していける道筋を作っていってあげなくてはいけないのではないだろうか。

      2
      テーマ:
  • 26 Apr
    • 【ダウンロード】魂とエゴを統合してもいいですか?

      記事のタイトルは、昨日見かけたtweetです。気になったので訳もわからず読んでみたら、すごいことになりました。tweetの主の、シータヒーラー小島美佳さんに許可を取りましたので、転載させていただきます。みなさんにもお勧め致します。とりあえず、何も聞かずにやってみてください。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - @mikakojima7478 (シータヒーラー 小島美佳) 【ダウンロード】魂とエゴを統合してもいいですか?エゴに振り回されないで生きる方法を知っていいですか?魂の声=エゴ という状態に変容していいですか?意味がわかる人には、ダウンロードされます。はい、と言ってください- - - - - - - - - - - - - - - - - - - どうでした?何か反応はありました?どんな反応があったのでしょう?小嶋さんによると、こういう事だそうです。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - @mikakojima7478 (シータヒーラー 小島美佳) 魂とエゴの統合ダウンロードを受けた方は、肺の奥から主に過去生のカルマが吹き出してくるのを感じると思います。創造主に聞くと、これは準備ができている人にしか起こらないそうなので、まぁ…自ら解放に勤しんで下さいw。私の場合はソウルフラグメントをやってみたら解放されました。ご参考まで- - - - - - - - - - - - - - - - - - - ・・・・・・だそうです(^^;わたしは何の意識もしないで文章を読んでいて「はい」のところに来た途端、お腹の深いところから筋肉が動き出し、ゲホゲホ咳になって何かがたくさん出てきました。咳にしてたくさん吐き出して、気持ち悪くて、咳は今朝まで治まりませんでした。咳と共に吐き出されてきたのは、過去世のカルマ、怨念、苦しみかも。だから、その直後に例の岡ちゃんの動画を見てた時、その時がハートの奥深くからの浄化中だったせいか、ハートに来すぎて、泣きすぎてしまったのだと思います。だから、思わずアップしちゃったのかと。動画がすごかったんじゃなく、こっちが凄かったのかな。まぁ、そもそもハートに来たからこそ泣けたのではありますがね。今は咳は治まりました。でも、まだまだ魂とエゴが統合された気配はありません。我欲は今日も健在なり。道はまだ遠し・・・・・・(苦笑)みなさんもぜひどうぞ。魂とエゴの統合ダウンロード。

      テーマ:
  • 25 Apr
    • 2050年のビジョン

      この動画の岡田監督(あ、もう監督じゃないけどね)から伝わってくる波動を感じてみてください。細かいことは抜きにして、ただ感じてみると、とても暖かいものがハートに流れて来るのがわると思います。わたし、見ていて、涙が出てしまいました。岡ちゃんってとても大きなハートを持っているんだと、改めて実感させられました。いや、この志を持っている人たち全てのハートかなぁ~(^^)2050年に向けた、都市、農村、学校のビジョンをまとめました。ナレーター:岡田武史 GEIN設立代表発起人、サッカー日本代表前監督詳しくはこちら→ http://www.re50.jp/vision/ 4/26追記今思えば、この動画がものすごくハートに響いてきた理由がわかりました。魂とエゴの統合ダウンロードをやった直後の、ハートが浄化中に見たからみたいです。だから、ズドーンとハートに来ちゃったんでしょうね。

      テーマ:
  • 24 Apr
    • 日弁連声明~福島子どもの被曝安全基準

      先ほどの記事に関連して、日弁連で出した声明もあります。こちらには、危険だとする根拠がとても明確に示されています。http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110422_2.html

      2
      テーマ:
    • 福島子どもの安全基準、根拠不透明(動画あり)

      先日のブログ記事をアップしたところ、先生の中にも初めて20mSvの重さを知ったという方がいらっしゃったので、その後の情報もアップいたします。この動画も学校の先生方にぜひ見ておいてもらった方がいいでしょう。この動画には、参加団体が少々感情的に詰め寄る場面が多く、文科省及び原子力安全委員会の担当者が困惑されている感じがあります。ですが、それを差し引いても、安全基準決定の経緯があまりにも不透明だということがわかります。また、回答もずさんだと言わざるをえません。このように何も知らない人たちが、子供たちの命を握っていたのでしょうか。または、何もわからないこの方たちを担当者として出席させた文科省や原子力安全委員会は、福島県民への説明責任というものをどう考えているのでしょうか。校長先生、教頭先生、先生のみなさん、ぜひ下記の動画を見てから判断してください。----------------------------------------------------------------------子どもの安全基準、根拠不透明~市民の追及で明らかに■前編http://www.youtube.com/watch?v=jnOD55uLA7c■後編http://www.youtube.com/watch?v=DUhlamqSQXg福島老朽原発を考える会をはじめ3団体の呼びかけで21日、文部科学省が児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準を出したことに関して、その数値を撤回­するよう交渉を行った。出席した文部科学省と内閣府原子力安全委員会の担当者は、ほとんどの質問に対して回答することができず、子どもの安全基準の根拠が不透明であり、き­ちんとしたプロセスがとられていない可能性があることが明らかとなった。交渉に出席したのは、文部省のスポーツ青少年局学校健康教育課や原子力安全委員会事務局などの係長クラス4人。文部省の担当者に対して、主催者側から「20ミリシーベルト­が放射線管理区域よりはるかに上回るレベルであることを理解しているか」との質問に対し、「個人的に、放射線管理区域は存じていない」と回答。管理区域の線量レベルが年間­5ミリシーベルトであり、労働基準法上18歳以下が働いてはいけないことになっていることや、20ミリシーベルトは原発労働者が白血病になった際、労災認定されるレベルで­あることなどを知らなかったことから、会場からは「そんなことを知らずに決めていたのか」との声があがり騒然とした。 また、20ミリシーベルトという安全基準を誰が決めたのかとの質問に対し、内閣府原子力安全委員会の事務局担当者は、19日に内閣府原子力安全委員会が「問題なし」と決定­し、助言したと回答。しかし、5人の委員が会合を開いた事実はなく、また議事録も見たことがないという。更に、国の設定した20ミリシーベルトには食物などや土ホコリなど­による内部被ばくなどは含まれてないことがも判明し、再び会場は騒然とした。 1時間半近くにわたる政府交渉の結果、市民からは、子どもたちは既に校庭で遊び初めており、一刻も猶予がないとして、(1)20ミリシーベルトの基準を撤回して欲しい(2­)少なくとも、20ミリシーベルトを安全とする根拠や審議の過程等が示されるまでは、20ミリシーベルトを撤回して欲しい、との提起がなされた。これに対し、政府交渉の調­整にあたった福島瑞穂事務所は、すぐに入手可能な回答は今日21日の夕方までに、また新たに検討すべき回答は明日22日の午前10時までに回答を得るようにすると確約、政­府交渉は終了した。 OurPlanetTVがこの模様をUSTREAM中継をしたところ1300人が視聴。出席した担当者がほとんど回答できないことに対して怒りのツイートが相次いだ。また­、若い担当者しか出席しなかったことに対し、「なぜ責任者がこないのか」といった声が殺到。OurPlanetTVの事務所にも、「なぜ、文部科学省は責任者をよこさない­のか」と怒りの電話が入った。 学校などの放射能汚染に関しては、原発震災復興・福島会議が福島県に対して、0.6μSV/h以上の学校の授業中止と学童疎開を求めて要望書を提出している。 http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/2011/04/svh-652a.html福島老朽原発を考える会(フクロウの会)http://homepage3.nifty.com/fukurou-no-kai/グリーン・アクションhttp://www.greenaction-japan.org/美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)http://www.jca.apc.org/mihama/制作:OurPlanet-TV----------------------------------------------------------------------

      テーマ:
  • 23 Apr
    • サロン再開のお知らせ

      みなさま、大変お待たせ致しました。来週月曜日よりサロンを再開いたします。カウンセリングは、これまで通りご予約制となります。ご予約はメールで info@mielstara.jp までお願いいたします。営業時間は10:00~19:00、定休日は木曜日となります。今回の震災ではたくさんの魂たちが、魂の故郷となる世界へ旅立って行きました。この世はあまりにも様々な出来事がありすぎます。思い残されたこともあるでしょうが、あちらの世界でゆっくりできることを心から祈っています。また、被災なさった方々も、まだまだ大変な思いをしている最中かと思います。こんな事を言うにはまだ早すぎるかもしれません。ですが、もしかしたらこの震災を機に「生きること」にこれまで以上に真剣になられた方が多かったのではないでしょうか。もし、そうだとしたら、わたしたちはこの震災を単なる不運というわけではなく、大きな学びとして受け入れていけるでしょう。人生は長いようでいて、きっとあっという間です。この地上での生を享受できる時間は限られています。この震災からもわたしたちは何か大切な事をたくさん得ているのだと思います。わたしたちは、「もっと!もっと!」と求め、それが満たされれば幸せかと言えば、そうではないと思い知りました。これまでただ当たり前にあったことに、心から感謝できるようになっているのではないかと思います。きっとこの気持ちが「幸せ」の本質なのでしょう。わたしは、「もっと!もっと!」と追い続ける幸せを伝えるのではなく、今目の前にある幸せに気づいてもらうために、これから仕事をしていこうと心に決めました。今後ともよろしくお願い致します。

      テーマ:
  • 21 Apr
    • PRAY FOR FUKUSHIMA ステッカー

      PRAY FOR FUKUSHIMA のステッカー、入荷しました( ´ ▽ ` )ノ 早速、車に貼ったけど、とってもオシャレでいい感じです。丸も四角も一枚300円です。小さい丸は100円です。ご希望の方は↓にメッセージくださいね!miel333☆gmail.com※☆印を@に変えてね。よろしくお願い致します♪

      テーマ:
  • 11 Apr
    • 福島児童生徒、原発労働者の年間被曝量と同じに!

      東電福島第1原発の爆発からも約1ヶ月になり、わたしをはじめ福島県内のみなさんも少し放射線ボケし始めた時期になっているのではないでしょうか。そこへ、昨日、こんな報道がありったのをわたしは今知りました。読売新聞 2011年4月10日文部科学省は、校庭など、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する際の放射線量の基準を近く福島県に示す方針を固めた。 同県内では、一部の学校で比較的高い濃度の放射線量や放射性物質が検出されており、体育など屋外活動の実施可否について早期に基準を示す必要があると判断した。 同省などによると、基準は、児童生徒の年間被曝(ひばく)許容量を20ミリ・シーベルト(2万マイクロ・シーベルト)として、一般的な校庭の使用時間などを勘案して算定する方針。原子力安全委員会の助言を得た上で、大気中の線量基準などを同県に示す。基準を超えた場合、校庭を使用禁止にし、授業を屋内だけに限るなどの措置をとる案も出ている。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00912.htm被曝線量の上限は一般の大人が自然被曝以外に年間1ミリシーベルトが上限とされています。つまり、20ミリシーベルトとは、大人の年間許容量の20倍。また、20mSvとは原発労働者の年間の許容被曝量と同じなのです。この記事は本当なのでしょうか。何かの間違い、例えば、単位が間違えているのでしょうか?または、のちに訂正の報道が出たのでしょうか?わたしの周囲では誰も話題にしていませんでしたが、もし、本当だとしたら、大変なことです。わたしたち福島県民はこれを簡単に許していいのでしょうか?文部科学省へぜひ、わたしたちの意見を伝えましょう!もっと声を上げましょう!■文部科学省ご意見フォーム原子力・放射線の安全規制https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry29/小中高の学校保健、安全https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry09/そして、また、ぜひ自分でお調べ頂きたいことがあります。原子力発電所の労働者の被爆による労災認定について、そして、その被ばく量について。ひとつの例として、4年間で約70ミリシーベルトの被爆をして病気に至っている方が2004年に労災認定されています。http://www.jttk.zaq.ne.jp/hibaku-hantai/nagaosan.htmつまり、国は約4年間で70ミリシーベルトの被爆で数年後に病気になったと認めたのです。その他、下記のような労災認定のケースもあります。■嶋橋伸之さん(享年29歳)中部電力浜岡原発勤務、81年3月から89年12月まで8年10ヶ月勤務、50.63ミリシーベルト被曝。慢性骨髄性白血病により91年10月20日死亡。94年7月労災支給■喜友名正さん(享年53歳)泊、敦賀原発など全国7ヶ所の原発で97年9月から6年4ヶ月間、99.76ミリシーベルト被曝。悪性リンパ腫により2005年3月死亡。2008年10月労災認定。これ以外に、大人でも50ミリシーベルト過ぎるた数値からは病気や死に至り、労災申請をしている事実があるのです。それなのに子供が年間20ミリシーベルトもあびていいのでしょうか?ちなみに、いわき市の放射線量は、このところ平均して『0.5マイクロシーベルト/時』です。一日の被ばく量は 0.5×24(時間)=12マイクロシーベルト1ヶ月の被ばく量は 12×30(日間)=360マイクロシーベルト3ヶ月の被ばく量は 360×3(ヶ月間)=1080マイクロシーベルト1080マイクロシーベルト=1.08ミリシーベルト。これは屋外での被曝量の計算ではありますが、いわき市は大人でもたった3ヶ月で年間被曝量許容量に達するのです。だったら、普通でも子供たちはもっと危険なはずです。周囲のお母さんたちと話すと、相変わらず「洗濯物は外に干している」「布団はやっぱり外に干さないと」と安心と信じ切って過ごしている方が多いようです。でも、わたしはそれではいけないと思っています。低線量の長期的な被曝の安全性について現在のところ何も確認されていなのです。ですから、念のために少しでも被曝量を減らした方がいいと思っています。福島第1原発のこの状態とは、長い付き合いになるでしょう。ここで暮らしていくなら、5年後、10年後、20年後、30年後を考えて、子供たちを、そして、自分たちを、自分自身の手で守っていきましょう。※池上彰さんがどんなに安全をアピールしても、それを信じ切ってはいけません。 あれは約0.08μSv/h前後の東京での話。 避難区域まで車でたった数十分のいわき市は全く違う状況だと考えましょう。

      4
      テーマ:
  • 09 Apr
    • 音楽で震災ストレスのケアを。。。

      おはようごさいます。今日は雨の週末ですね。家にいる予定の方は、ネットやテレビを切って、心が安らぐような音楽をかけてみませんか?避難所の方は難しいかもしれませんが、みなさんで歌を歌って過ごされるのもいいかもしれませんね。最近の研究では、音は脳の扁桃体(情動を司る部分)に影響を与えると、わかってきているのです。音に気分を左右されるのには、きちんとした根拠があるんですね。ということは、意識して気持ちいい音楽を聴く事で、日々のストレスケア、そして、震災のストレスケアにもなるのですね。わたしも、本日はお通夜、明日はお葬式があるので、お気に入りのピアノニストの曲をかけて、どうしても沈みがちな気持ちをコントロールしたいと思います。震災以来、やはりお葬式は増えています。でも、お葬式ができるだけでも、幸せなんだなと、思い知らされます。わたしたちは、ここで頂いた命を、ちゃんとケアしながら、がんばっていきましょうね(^-^)/

      2
      テーマ:
  • 02 Apr
    • 3.11 - 救援物資支援活動 まとめ

      これまでの経緯。その1:原発爆発~救援物資支援活動のきっかけhttp://ameblo.jp/miel/entry-10848681448.htmlその2:やっぱり救援物資支援活動をすると強く決意!http://ameblo.jp/miel/entry-10848948696.html#mainその3:救援物資支援活動、葛藤しながらの始まりhttp://ameblo.jp/miel/entry-10848966277.html#mainその4:いわき市への温かい支援と励ましの声http://ameblo.jp/miel/entry-10848988374.html#mainその5:救援物資支援~代々木公園の奇跡http://ameblo.jp/miel/entry-10849067541.html#mainここからが最後のまとめです。19日の出発の朝、わたしは2tトラックのドライバーを探していた。いざとなったら自分で運転するつもりだったけど、運転した事がないので探してみることにした。数名のドライバーが2tトラックドライバーとして手を挙げてくださったが、なんと地元、湯本の正木屋材木店の大平夫妻がその役目を買って出てくれた。まずは、代々木上原のRMMオフィスに。昨日の続きで、まだまだ仕分け作業中。どんどん仕分けられて、種類別になってく。そして、最終的にはあの溢れていた物資がきれいに仕分けられ。トラックに積み込み終了!トラックと、仕分け場所&トラックを急遽手配してくれたグッドニーさんがデジカメで撮影中。しかし、トラックだけでは載せきれない。ので、もう一台ハイエースをレンタルして、積み込んだ。次に、千駄ヶ谷のハニーズ東京事務所に向う。こちらにも残りの物資があった。ハニーズさん総出で物資積み込みを手伝ってくださった。しかし、実はまだまだ積みこめない。緊急でないお菓子などは次回にまわすことにする。そして、2tトラック1台と、ハイエース1台にいっぱいに詰め込んだ東京・横浜のみなさんの善意がつまった物資をいわきに無事に運ぶ事ができた。たくさんのご協力をありがとうございました。いわきでの話は、また落ち着いたら書くことにします。今日はここまで。ご協力くださったみなさん、本当にありがとうございました。ここでこんな事を書くのは不謹慎だと思うけど、願っているだけでは物事は動かないけれど、目的を持って動き出せば、支援者はあらわれ、絶対にできるということを学んだ。支援はまだまだ続きます。長く、長く、復興のその日まで続けていかなくてはいけないことです。派手に一度だけ動く事は簡単です。でも、意外と難しいのが、小さな支援を末長く続けていく事。地元では、地元のボランティアたちが、毎日コツコツ動いています。こんな風に大げさなブログを書いてアピールすることなく、当たり前のようにボランティアとして動き、当たり前のようにご近所同士が助け合っています。一番大切なのは、きっとそういう身近な助け合い。この時は思わず大きな動きになっちゃったけど、今やたくさんの人が支援物資を大量に運んでくれているから、わたしは身の丈にあった小さい部分をやっていこうと思います。本当に大切な、コツコツと物資を届け続ける活動を、それが必要なくなるまで、地元のボランティアさんたちと共に続けていこうと思います。

      4
      テーマ:
    • 3.11 - 救援物資支援~代々木公園の奇跡

      前日に引き続き、18日もまた朝から物資集めをした。でも、物資は集まり過ぎ、たったひとりでやっている事に限界を感じていた。その時に、ツイッターで同じように物資支援活動をしている人を見つけた。新宿の(株)環 社長であり、いわき市出身の江尻さんだ。わたしは失礼ながら連絡を取り、集まった物資の一部を、新宿の事務所に置いてもらう事とした。また、(株)ハニーズの江尻英輔さんにもお願いをして、どうにか千駄ヶ谷の事務所に物資を置いてもらう約束もした。ハニーズ店舗も震災の被害で大変な時に、嫌な顔ひとつせずに協力してくれた。ガソリンはギリギリで、もうこれ以上走ったら、いわきに戻れないかもしれない。そう思いながら、午後5時半すぎ代々木公園に着くと、すぐに救援物資を持った人が声をかけてきてくれた。少しでも早く渡したいと思って待っていてくれたらしい。ぞくぞくと人が物資を持って集まってきてくれた。学生時代の友達、社会人になってからの友達、スピリチュアル関連の友達、産業カウンセラーの友達など、たくさんの友達が集まってくれた。そして、待ったく見知らぬ方たち - ツイッター、mixi、Facebook、Blogを見た方たちが集まってくれた。わたしはメールで友人に呼びかけただけなのだが、その友人たちが様々なところで呼びかけてくれていたのだ。車で来てくれた人、トラックで来てくれた人、ワゴン車で来てくれた人、自転車で来てくれた人、電車で来てくれた人、バイクで来てくれた人、歩いて来てくれた人。たくさんの人が、たくさんの物資を持って来てくれていた。わたしの友人、まちゃもいち早く駆けつけて来てくれた。そう福山雅治だ。んなわきゃ~ない(※タモリ風)占星術仲間のまちゃ。ブログでこう呼び掛けてくていた。http://ameblo.jp/rythemprism/entry-10833049620.htmlhttp://ameblo.jp/rythemprism/entry-10833926077.html今回被災した仙台出身のメンバーがいるロックバンド『カラーボトル』のみなさんも、救援物資を持って全員で駆けつけてくれました。http://www.colorbottle.com/最近女性誌『美的』や『日経ウーマン』などでも活躍中の美養家であり栄養士でもある大田亜紀さんも、被災当初からずっと支援を続けてくれていて、代々木公園に駆けつけてくれた。救援物資支援活動をブログで紹介してくれました。http://5can.jp/http://ameblo.jp/sora-info/entry-10848452858.htmlマウイ在住で、横浜のスピリチュアルショップ『ナディア』オーナー ゆみこさんもブログで呼びかけてくれた。そして、ナディアでは車2台分にいっぱいの救援物資を集めてくださった。ナディアのスタッフのみなさん、ナディアのお客様のみなさん、本当にありがとう!http://e-nadia.com/http://ameblo.jp/nadiayumiko/entry-10832913379.htmlそして、NY在住の友人 マリアさんはmixiで呼びかけてくれた。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691074594&owner_id=1892713マリアさんの呼びかけを見て、彼女の師匠であるモダンミステリースクールのグッドニー・グドナソンさんも、たくさんの物資を持って来てくださった。http://rmms.jp/そして、後で説明するが、彼こそがわたしの恩人となってくれた人だ。その夜の代々木公園は、収集がつかない程の物資で溢れた。わたしは、真っ青。どうやって運ぼう。。。だって、想像していたのは、段ボールのみかん箱5箱をわたしの車に載せる感じ。※スーパーの袋で一袋くらい×10人くらいだと思ってたので(汗)しかし、集まってくださったみなさんがすごかった!なぜかA4コピー用紙、油性ペン、ガムテープなど、仕分けグッズを持って来ている人がいた!そして、道路にあふれた物資を前にして、みんなが即席ボランティアとなり、物資の仕分けをしてくださった。警察が何度も見回りに来たけれど、何も注意はせず、見逃してくれていた。そこに(株)ハニーズの江尻英ちゃんと、佐藤シゲちゃんが車で助けに来てくれた。大きな車2台で、物資をとりあえず千駄ヶ谷の事務所に運んでくれたのだ。まだまだ物資は溢れている。すると、RMMのグッドニーさんがなんと『わたしがトラックを買おう!』と言いだした。え?トラック?……はい、買ってください!判断力が狂っていたわたしは即断でお願いして、まちゃと太田さんと手を取り合って喜んだ。しかしトラックがすぐ納車できるずはない。とりあえず、レンタカーでトラックを探し出してくれて、溢れた物資をグッドニーさんの代々木上原の事務所に運んでくれる事となった。※ちなみに、後日、本当に2tトラックを買ってしまった。 このトラックはありがたいことに使わせて頂く予定です。そして、物資集めも呼びかけてくれていた『ほしりん』さんが、代々木の事務所を仕切ってくれて、物資をいったん置く事ができた。ほしりんも身内がいわき市内におり、物資提供を呼び掛けてくれていたのでした。http://ameblo.jp/starworld1972/entry-10833716307.htmlその他、大勢の即席ボランティアたちが、その夜遅くまで物資の仕分けをしてくれた。(有)RMM 代々木上原センターと即席ボランティアのみなさんたくさんの物資たちきれいに仕分けられた物資たちみんなありがとう。でも、本当にごめんなさい、こんな大事になってしまって、迷惑をかけて。でも、嬉しい!こんなにたくさんの物資をいわきに届けられる!!!RMMのグッドニーさん、エイコさん、ほしりんさん、カズさん、その他の全てのみなさん、本当にお世話になりました。そして、その夜、わたしはまた別の場所へ向かった。代々木公園に来れなかったという品川と川崎のお宅に深夜にお邪魔た。そして、さらなる物資を受け取った。あまりの量に、いわきに出発は結局翌日になってしまった。

      テーマ:
    • 3.11 - いわき市への温かい支援と励ましの声

      腹が決まったわたしは、東京・横浜の知人たち約30人にメールでお願いをすることとした。ネットで呼びかけなかったのは、車に積める荷物が限られていたからだ。メールは長くなるので掲載しないが、こんな事を綴った。現地では物資が全くない。わたしひとりで買い出ししていても無理がある。どうか、支援してもらえないだろうか!必要な物資は、1.水、食料 2.医薬品 3.乳児用品・生理用品周囲に声をかけて物資がある程度まとまるなら、18日の昼間、わたしが車で取りに行く!それ以外の方は、ぜひとも18日18時~20時、代々木公園の野外ステージ脇の歩道橋の下に、物資を持ってきてもらえないだろうか!物資不足の東京・横浜の方々にも、申し訳ないとは思いながらも、そういうメールを送ったのだった。メールを送ってすぐに、電話やメールががんがん来た。ものすごい反響だ!本当は、東京・横浜のみんなも何かをしたかったのだと初めて知った。うちに紙オムツあるよ!ひとつだけでもいい?うちには水がワンケースあるよ!知り合いのスーパーで食パン30斤GETできそう!どうする?賞味期限は週末まであるよ!!会社で声をかけてみるよ!必要なものはたくさん、たくさんの申し出があった。涙が出た。いわき市のみんなに知って欲しい。物資がないといわき市では苦しんでいた。それを知った東京・横浜の人たちは、これほどまでに心配してくれていた。なにかできることはないかと思っていて、こんなにもすぐに支援してくれようとしていたことを。たくさんの人たちの申し出に、本当にありがたい気持ちがこみ上げてきて、涙がたくさん出てしまった。こんなにたくさんの人が支援したいと言ってくれている。早く集めて、早く避難所の人たちに持って行ってあげなくちゃ!!! 17日の朝から、わたしは早速動き始めた。連絡のあった人で、代々木公園には来れない人のところへ物資を受け取りに行った。午後には集まった量に真っ青になった。これじゃ車に入りきらない……どうしよう???とりあえず、いろいろ調べた。電話したり、ネットで調べたり。すると、調布のトラストウィンという運送会社に行き当たった。いわき行きのトラックを出すというのだ。わたしのワゴンいっぱいになった物資を何度か持ち込み、いわきへと運んでもらうこととなった。とりあえず18日分、第1便の物資は送りだして、ホッと一安心。だけど、物資を受け取りに来て欲しいという連絡は、ずっと入っていた。どんなに深夜になってもいいよ!と声をかけてくれたので、本当に深夜にお邪魔した家もあった。ありがたい。嬉しい。本当に、いますぐにこれを届けたい。しかし、その間、非難ももちろん来ていた。わたし知人からも、全く知らない人からも。「個人で動くのは反対です。 国や自治体の支援の邪魔になるのです! 個人の勝手な判断で動くのは、今すぐやめるべきです!」と。でも、心の中でこんな非難は無視してやれ!と、もうその時は腹が決まっていた。だって、その自治体であるいわき市が物資不足にあえぎ、個人に支援を求めているんだから! いわき市のみなさんに知って欲しい。本当に、本当に、東京・横浜のひとたちは、たくさんの物資や励ましを送ってくれていたことを。わたしがここにこうして書くのは遅れたけど、あの一番苦しいときでも、いわきは放射能だからと見捨てられていた訳ではなかったんだよ!みんなが、ただ、どうしていいのか、わからないでいたんだ。避難所の人々にとお守りを持って来てくれた人もいた。辛い時こそお花を飾ってと持ってきてくれた人もいた。子供が折ってくれたきれいな折り紙を持ってきてくれた人もいた。みんな物資だけじゃなく、心も届けたいと思ってくれていたんだ。いわきのみなさん、その心をどうぞ受け取ってください。

      テーマ:
    • 3.11 - 救援物資支援活動、葛藤しながらの始まり

      翌日、わたしは横浜市内に買い物に出かけた。買占めはやめようと言われているのは知っている。だけど、現地の状況は、本当に申し訳ないが横浜とは全く違う。寒さと飢えで死者さえも出ているのだ。わたしは買えるだけの医薬品、乳児用品、生理用品、食良品を買い込んだ。しかし、紙オムツは一家族ひとつ、食パンも一家族一斤と、購入制限がありひとりかき集めるのは無理に近かった。とても悩んだ。友人・知人に呼びかけようか、どうしようか。個人で支援物資を集める活動はしてはいけない。それが渋滞を引き起こし、救援物資が届かないこともあるのだと、阪神淡路大震災で言われていたからだ。だけど、今回は状況が全く違った。被害地域が大きすぎて、幹線道路も寸断されて、国の支援も、自治体の支援も、末端の避難所までには、全くままならない状態が続いているんだ。だから、絶対に、せめてわたしの車にいっぱいくらいにして持って帰りたかったのだ。妹の家で、ネットにつなぎ、でたくさんの叫び声を聞いて、わたしは腹が決まった。もう、周囲にどんなに非難されてもいいじゃん。自治体が機能するまで、救援物資を送らなくちゃいけない!こんなに求めている人たちがいるんだから!!!

      テーマ:
    • 3.11 - やっぱり救援物資支援活動をすると強く決意!

      翌3月14日、わたしたちはホテルをチェックアウトして、東京の妹の家に立ち寄ってから、横浜のもうひとりの妹の家に行ことにした。都内でも深刻なガソリン不足が続いていると報道がされていた。もしガソリンスタンドが休業でどこもやっていなかったらどうしようと、そんな不安でいっぱいだった。だが、意外とあっさり営業中のガソリンスタンドを見つけ、たった1時間くらい待っただけでガソリンが入れられた。しかし、もちろん給油規制はある。2ヶ所を経由して満タンにしてから、妹たちの家に向かった。もちろん、東京も大きな影響を受けていることは知っていた。だけど、朝になって東京の街を見て、本当に驚いた。本当に、本当に驚いた。だって、ここには日常生活があるのだ。当り前なのだが、その当たり前に本当に本当に驚いた。わたしの地域は被害が少ない。だから、東京に行ってもあまり変わらないと思っていた。だけど、全く違った。それを実感して、改めて「え?じゃ、わたしたちもしかして被災者っていうこと?」と実感した。いや、もちろん、わたしなんてエセ被災者なのは知っている。家、家族、職場などを奪われた人こそ、本当の被災者なのだから。そして、この時、一気に救援物資支援活動をする気に、俄然なっていったのだった。でも、情けない事に、最終的に夕方になって横浜に着くと、その日は疲れきって眠ってしまったのだが……。

      テーマ:
    • 東日本大震災 - 津波の体験談~福島県いわき市

      今回は、わたしが断片的に聞いた津波の体験談で、印象的なものを書いておこう。これは、ここで書くことを承諾した上で聞いた話ではなく、街での雑談で聞いた話だ。だが、今後、防災意識を高く持つうえでとても参考になる部分が多いので、みなさんの参考になるよう挙げておきたい。◆甚大な津波の被害が出た豊間地区から逃げてきた女性の話。津波が来るとテレビは言っているが、わたしは家から逃げる気はなかった。今までも地震で津波は来ている。だけど、いつも大丈夫だった。だから、どうせ今回も大丈夫だろうと思っていた。しかし、岩手出身の嫁が断固として逃げようと言う。絶対逃げなくちゃダメだと。今までにない強い口調で言われた。嫁に手を引かれて、家族全員で家から逃げた。すると、とてつもない津波が襲ってきた。本当に逃げておいて良かった。津波が去って街に出ると、街はがれきの山になっていた。水が押し寄せた後に、死体が浮いていた。車のウインカーがチカチカ光っているので、誰かいるのかと思い中をのぞくと、人が死んでいた。何度も津波に襲われている岩手の出身である嫁は、津波への防災意識がいわきの人たちと全く違う。嫁の強い言葉がなかったら、家族みんなが死んでいたと思う。◆同じく豊間地区から逃げてきた女性の話。子供を迎えに行った帰り、家に着いてすぐに、大きな津波が襲ってきた。奥の方から家がどんどん流されてくる。必死で子供を乗せて、車を走らせて避難所となっている学校へ逃げた。その後ろからは、津波に乗って家が追いかけてきていた。津波が去ると、建てて3年目の家は、津波に全てやられてしまっていた。警報やアナウンスを流す街のスピーカーは、地震の時点で壊れていた。実際に津波を見るまで外にいたため、状況がよくわからなかった。もし、街のスピーカーが機能していたら、もっと助かった人はいただろう。とりあえず、今は印象的だった豊間地区のおふたりの話を掲載した。いわき市内には、もっともっとたくさんの体験談が溢れている。ひとりひとりに、ひとつひとつの体験談があり、今後の参考になる部分がある。こういう話を聞くたびに、本当に心が痛むが、この災害を忘れないためにも、いわき市民の体験談をなんらかの形でまとめたいと思っている。あなたの体験談もぜひ聞かせて頂けないだろうか。今は落ち着いて体験談を聞き、まとめている段階ではないが、これから少しずつひとつの形にまとめていきたいと思っている。

      テーマ:
    • 3.11 - 原発爆発~救援物資支援活動のきっかけ

      あの日以来、母は相変わらず毎日祖母のお見舞いに行っていた。しかし、病院はすでに入れない。原発の影響で人の出入りを制限しているのだ。小さな窓口から差し入れやおかずを渡して、病室の祖母に届けてもらうだけだ。面会できないなら、あまり車は使わない方がいい。もうすでに市内のガソリンスタンドは全て閉店しているんだから。わたしは母にそう伝えていた。原発が危ないというニュースを聞いてから、車は極力使わない生活に切り替えたかったのだ。爆発時の避難に備えて、ガソリンを取っておかなくてはいけないからだ。最悪の事態を想定して備えておけば、最悪の事態に対応できる。周囲の人たちは何も気にせず、車を乗り回していた。だが、わたしは、どうせ仕事はできないのだから、給水と買い物は毎日数時間かけても歩いて出かけていた。ある日、給水の帰り道、家の裏の小学校に避難してきた人と話す機会があった。みんな久の浜地区の津波から、何も持たずに逃れてきた人たちだという。久の浜は海岸沿いに広がる街で、市内でも最も津波の被害がひどかった地域だ。支給される食事はひとり一日に食パン一枚だけ、夜は毛布が足りず、寒くて眠れないと言っていた。衝撃を受けた。ネットやテレビでは物資不足とは見ていたけど、自分の家のすぐ裏にそんな人たちが大勢いたなんて!なんとかしなくちゃならない!だけど、市内のお店はどんな店でも、ほとんどが閉まっている。家にはもちろん食料はあるが、まさか避難所にいる大勢の人たちをまかなえるほどある訳がない。この時、いわき市としても様々な物資が不足していると訴えていた。こうなったら関東圏へ行ってしまうしかないかな?と、ふと思った。妹の話では、東京横浜は品不足とは言え、まだちゃんと普通に物が売っていると。東京横浜へ行けば、ある程度買い込んで、何か持ってくることくらいできるだろう。だが。もちろん、阪神淡路の大震災の教訓から、個人で救援物資を集めるなんてしない方がいいなんて事は十分知っている。だけど、自治体の支援はまだ機能していない。おまけに、市内の避難所では寒さと飢えで死者まで出ている。だから、ある程度自治体が機能するまでの間、個人で動くしかない。わたしはそんな風に考えながら、思いつめた気持ちで帰り道を歩いていた。その時、ポケットの中の携帯電話が鳴った。横浜の妹だ。「お姉ちゃん!今、どこ?お家にいないでしょ?」「え?給水の帰りだよ。」「爆発したの!風向きは南だって!煙は多分10分くらいでいわきに行くってテレビでやってるよ!早く逃げて!横浜に避難して来て!」その瞬間、街にサイレンの音が大きく響いた。聞いた事もないようなサイレンだった。胸がドキンとした。戦争が起きるとしたら、こんな感じかもしれないと、冷静に思いながらも、なぜか胸のドキドキが止まらなかった。あのサイレンが何だったのか、わたしにはいまだにわからない。だけど、滅多に聞こえないサイレンが鳴ったのだから、原発の爆発の警告だったのだろうかと思ったりもする。いや、考えすぎかもしれないが。わたしは急いで家に戻り、4chをかけた。しばらく原発の爆発のニュースに釘づけになった。すると、親戚の人たちから電話が来た。東京に避難するということだ。わたしもためらう母を促して、横浜か東京に避難しようと説得した。東京に行ってみれば救援物資を持って来れるかどうかもわかるだろう。わたしたちは翌日、荷物をまとめて東京に行く事にした。常磐道は全滅だった。東京までは、国道6号線に溢れる「いわきナンバー」の車で渋滞して、ネットでは約10時間かかるとの情報が飛び交っていた。車のガソリンが、東京まで持つかどうかが、とても気がかりだった。いわきを出発するときはちょうど半分。並んでも給油しながら行けばいいと思っていたが、どこも給油は不可能だった。暖房もナビの画面も切って、ガソリンを消費しないよう気をつけながら運転した。そして、ふたりで交代で運転しながら10時間以上かかって、深夜になりやっと東京に無事にたどり着いたのだった。妹には幼い子供がいるため、急遽妹の家に行く事は取りやめて、わたしたちはホテルに止まる事にした。バスルームでお湯を出す。一週間ぶりに流れるお湯で念入りに手を洗った。お湯はここちよく、とてもあたたかかった。そして、少しくすんだ泡を流すと、自分の両手がとてもまぶしく白く光ったことに驚いた。湯船に熱いお湯をためて、一週間ぶりにゆっくりお湯につかった。そして、泣いた。なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。母は先に寝てしまっている。わたしは母を起こさないように、湯船の中でワンワン泣いた。なぜこんなに涙が出るのだろう?爆発が怖かったのか?いいや、もっと近い地域の人はもっと怖いはず。辛かったのか?いいや、うちの被害は少なく、とても恵まれていて、ぜんぜん辛い生活じゃなかったはず。なのに、なぜこんなに涙が出るのだろう?ただ温かいお湯に全身浸かっているだけで、わたしの涙はとめどなく止まらなくなっていた。

      テーマ:
    • 3.11 - その後

      どのくらい揺れていたのだろう。それは、生まれて初めて、とてつもなく、長く、長く、長い時間に感じられた。その長い時間が過ぎ、揺れがおさまると、看護師たちが各部屋を回り始めたようで、病院内がバタバタし始めた。わたしは立ち上がり、窓の外を見た。ビルの屋上にある給水タンクは傾き、遠いビルの奥から白い煙が立っている。近くのマンションの窓は開け放たれたまま、カーテンが風に揺らいでいた。人々が建物の外で震えており、サイレンを鳴らした救急車や消防車が走り出ていた。助かった。わたしと母は、祖母の様子を見るためにリハビリ室に向かった。寝たきりの祖母は、エレベータが止まってしまったため、職員たちが8人がかりで病室へと運んでもらった。まだまだ余震は続いている。病室は危険との判断で、入院患者たちはエレベーターホールに集められた。寝たきりの祖母は自分の力で逃げる事はできない恐怖があるのだろう、緊張と疲れきった表情が交差して見える。わたしたちは、動揺している祖母が病室に戻って眠り始めたのを見届けて、家に戻る事にした。病院のロビーに出ると、大量の布団と毛布が敷かれ、怪我人たちが運び込まれて、診察を受けたり、横になったりしていた。それは、まるで紛争地帯の緊急事態のような雰囲気だ。そして、病院スタッフ以外の人達は、みんながロビーのテレビに釘づけになっていた。わたしもテレビは気になったが、とりあえず家路を急いだ。外に出ると、すっかり真っ暗になっていた。街もまっ暗だった。信号させも消えていた。いつもはガラガラの午後8時過ぎの国道6号線が長い長い渋滞が続いていて、いつもは20分の道のりをその夜は2時間もかかって家に着いた。そして、テレビをつけて夜のニュースでやっと信じられないような光景を目にしたのだった。関東から北海道まで大きな地震と津波が押し寄せて、とてつもない被害が出ていると。いわき市の沿岸部も大きな津波に飲まれてしまっていると。わたしはハッと思い出して、自分の仕事場を見に行った。中はグチャグチャだった。カラーセラピーで使うカラーボトルのほとんどが棚から落ち、割れて、ガラスと中身の液体が散乱していた。コンピューターのモニターは机の上だったはずなのに、投げ出されたのか、反対側の壁の下に横たわっている。かなり場所がずれてしまっている棚からは、ありとあらゆるものが落ちて、床に物が散乱していた。しかし、かなり強い余震が続いたいたため、わたしは片づけはあきらめて、再び自宅へと引き返した。家に戻ると、身内は全員無事だと知った。良かったんだ、このくらいの被害で済んで。本当に犠牲になった人が大勢いる。あの揺れで、多少物が壊れたくらいで済んだのだから、なんて幸運だったんだろう。その夜は、なぜか布団では眠れなかった。パジャマに着替える気にもなれず、コタツでずっと朝まで過ごした。

      テーマ:
  • 01 Apr
    • 3.11 - その瞬間

      「もうダメだ、ちさと、もうダメだね…」母はわたしが知っている限り、怖いもの知らずの芯の強い人だ。その母が、あの日、あの激しく長い揺れの中で、多分生まれて初めて人生をあきらめた。それは、市街地の大きな総合病院の一室、入院している祖母を母と共にお見舞いで訪ねて行き、リハビリに行っている祖母が戻ってくるのを待っている時だった。突然の激しい振動。病室のベッドは上に飛び跳ね、窓際のロッカーが部屋の中を動き回る。あらゆる物が床に落ちて、目の前の壁にひびが入る。全ての物が激しく揺れて、つかまる物が何もない。わたしと母は、ただ床に這いつくばって、何もできずにいた。しかし、おさまらない揺れの中で絞り出すような声で聞こえてきた「もうダメだね…」と言う母の言葉に、なぜかわたしは腹が決まった。そう、ダメならダメで仕方ない。たけど、ひとつだけできることがある。そう、いつものように、神様に祈ろう。「神様、助けて!お願い!助けて!」腹を決めたはずだったのに、わたしはなんとも無様な祈りを必死で続けたのだった。

      テーマ:

プロフィール

星のセラピスト☆ミエル

お住まいの地域:
福島県
自己紹介:
みなさま、こんばんは。星のセラピスト☆ミエルです。 辛い時、寂しい時、キラキラと輝く夜空の星を見上...

続きを見る >

読者になる

AD

カレンダー

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

テーマ

一覧を見る

最近のコメント

ランキング

総合ランキング
201410 位
総合月間
136742 位
起業・ベンチャー
1809 位
スピリチュアル・占い
3683 位

ランキングトップへ

fxwill.com

フォローしてね!















HMCA オーラソーマ 今日のボトルのメッセージ

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。