エミパパのささやき

2003年春に復活した紙敷新田ドッジボール部の元監督のブログです。

毎週大きな声で頑張っている子ども達を応援しつつエミパパがささやきます。


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今日は会社に携帯電話を忘れて出かけた。会社の携帯電話は持っていたので、不自由はなかったが、エミパパの携帯の「画面メモ」にはステーキハウスの10%割引が入っている。いつも行っているところなので、たまに喋るおねえちゃんに「今日、携帯忘れちゃったよ」と言うと「大丈夫ですよ」と言ってくれたので「じゃ、今払っちゃうよ」と咳で料金を払い、10%オフになった。メデタシ、メデタシ。

エミパパが携帯を持って15年ほどになるだろうか?当時はPHSを持っている人が多く、ポケベルなんてのを利用している人もいたよな。見栄っ張りのエミパパは持つならドコモの携帯と決めていたのだが、安いところを探して、関西の業者から買った。折りたたみ式やからー画面なんてあるはずも無く、メール機能なんてものも無かった。このころ携帯に電卓が付かないかな?なんて思っていたら、電卓が付くだけでなく、GPSやテレビ、カメラまで付いちゃった。それでも便利だなと思うのは、メール機能。エミパパの仕事は、地下だったり電波の届かない場所に行くことがある。母親が倒れた時もそうだった。第一報はメールで入った。「救急車で運ばれた」というもので、こちらから電話で確認はしたが、その後ママからの連絡はメールだったし、翌日の手術の報告やなんかもメールで入った。  突然の雨で迎えを頼むときなんかも、電車での移動のエミパパは、メールでお願いする。15年前はまだ贅沢だった携帯電話も、今では中学生のコウジまで持っている。こいつの携帯なんか、携帯で新聞を読むとルビや意味まで出てくる。ドッジの子だって何人かは持っているし凄い世の中になったもんだ。オヤスミオヤスミオヤスミ。

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東部の年寄り連中は大したモンだ。東部の選抜監督は秋の、東部リーグで順位の上からやることになっているが、数年前まで選抜監督に立候補する現役監督はいなかった。自チームの子と他チームの子をどこまで差別無くできるか?というところが難しいからだ。で、エミパパがドッジに関わってからは、OBが担当していた。が、一昨年、和名ヶ谷のS山監督が立候補して以来、今年も現役監督が選抜監督とヘッドを勤める。

S山監督のときに気がついた。他チームが背番号で選手を呼んでいるとき、東部のスタッフは子ども達を名前で呼んでいた。そうなんだよ、東部のOBが監督を務めていたときにも、全員の名前を呼べちゃうんだよね。で、それが当たり前だろうと吼えちゃったエミパパ。去年もテプラで作ったシールを手帳に張って、名前を覚えようと努力した。それでも去年は半分以上覚えたのだが、今年は厳しい。練習の数だけではなく、土曜日の練習の時に折角決めた背番号のビブスが無いので、番号と名前の対比ができない。今週の土曜日には最後の練習があるが、一日では無理だ。エミパパは応援に徹することにした。選抜大会でエミパパが発せる言葉は「ヨッシャ~」

「ナイスキャッチ」「ナイスカバー」「ナイスアタック」と「元気出せ~」くらいかな?本当だったら「**ナイスキャッチ~」とか叫びたいけどね。諦めた。覚えらんない。

昨日の紙敷練習後「選抜の応援に行く子?」と聞いたら、何人かが手を上げた。ここでS川コーチが一言。「選抜の応援に行く子は、紙敷ではなく東部を応援してください」う~んそうなんだよな。昨日の馬橋チャレンジも和名ヶ谷が優勝したらしいけど、和名ヶ谷の子ども達プラス、大橋みどり、秋山、紙敷のエースが出て行くんだもん。期待はしちゃうよな。東部、ガンバレ。おまけになるけど、和名ヶ谷の優勝おめでとう。もう、嬉しさも半減してんじゃないの。あ~あ。紙敷の予算の祝勝会は何年経ったら使えるんだろう?オヤスミオヤスミオヤスミ。

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今日も、パパが寝てしまったので、コウジが更新だけしときますプンプン
では、オヤスミナサイぐぅぐぅ




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六中に転校して、坊主頭の野球部を断念したエミパパ。1年生の時は何も言われなかったので、部活に参加することは無かったが、2年になると先生から部活を促されて、写研部に入部したが殆ど参加せず。3年生になるとクラス1歌の上手いヤツにそそのかされて、できたばかりのコーラス部に入部。男子部員はわずか2名で貴重な戦力だったはずだが、写研部で培った部活のサボりかたで帰宅部に徹しようと思ったが、顧問の先生が正門で待っていて、サボらせてもらえない。音符も読めないのに練習はそこから。面白いわけが無い。それでも部員は部員。松戸市民会館の舞台に立ったこともある。コーラス部員の列の中、一番端っこに立っているので、誰も見ていないはずなのに、ここから人前に立つとあがってしまうトラウマができたのかな?小学生の頃の時には放送部部長で、朝礼の司会や運動会の進行放送みたいな晴れやかな役でも、あがることはなかったのに。さて、音符の読めないコーラス部員にも受験はやってくる。今のコウジの頃に面接があった。当時は3者面談ではなく、先生との話し合い。「大学に行くつもりは無い野で、普通科以外がいい」という、エミパパに当時の担任は「どんなことがしたい?」「何か作るとかがいいかな?」で担任が探してくれたのが、市川工業の工芸科。「じゃ、そこにする」と言ったが数日後、工芸科は色弱は入れないことが解った。エミパパは赤緑色弱なのだ。で担任が探してくれたのが、当時機械科で入れる、本郷高校と安田学園。武蔵野線が貨物専用だった頃なので、常磐線で通える本郷を狙った。本郷一本で公立は受験しなかったのだが、無事に合格。水泳の北島コウスケの大先輩になった。

さて、中学を卒業する頃のエミパパは、コウジのようにでかくは無く、クラスの男子で前から3番目くらいだった。卒業の頃、一番デカいミィのような同級生の女の子に「クラス会で会う時はお前よりでかくなってるからな」と宣言して中学を卒業した。まだ中卒で就職する人がいた頃で、高校卒業する3年後にクラス会、という約束があったのだ。3年間で20センチ身長は伸びるんだろうか?高校時代は、またネタがなくなった時ということで。なんて明日は選抜の練習を、明後日は紙敷の様子を書くと、またネタが無い。エミパパは、どこまで自分を晒せば、許してもらえるんだろう?オヤスミオヤスミオヤスミ。

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荒川区立の中学に入学したエミパパは、小6の頃から野球をやっていたので、野球部に入部した。実はエミパパは幼稚園、小学校と都バスで通っていたので、中学に入って初めて徒歩通学となった。

中学1年の夏休み。松戸に住んでいた叔母さんの所に遊びに来ていた。弟と「明日あたり帰ろうか?」なんて話していたら叔母さんが「引っ越してくるんだから帰らなくていいんだよ」「なに?」なにも聞いてなかったが、翌日曜日には稔台小の隣にある、叔母さんと同じアパートに越してきた。松戸の住人になったのだ。当時の稔台は、道路で蛙が踏まれていたりする、下町育ちには田舎だった。転校先は六中。ここで野球部を見ると、全員が坊主頭だったので、野球部は断念。六中だったので新京成での電車通学が始まった。

この頃は都内から松戸へ転出してくる人が多く、弟の通っていた稔台小は、校舎が足りなくなりプレハブで対応していたと思う。雷電のホームグランドである河中があれば、河中出身となったのだろう。

思い出しながら書くと時間がかかる。眠くなってきた。続きはまた明日。オヤスミオヤスミオヤスミ。

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今日もネタが無いのだが、毎日ここを覗いてくれている件数が、200~300位あるみたいなので、ネタを探したが、やっぱり無いので、面白くないけど、エミパパのことを書いてみよう。

今日は本当につまらないよ。エミパパの記憶にある小学生時代は、常磐線の南千住からちょこっと入った、あの辺りでは汐入呼ばれる場所で幼少時期を過ごした。もんじゃ焼きなんかも、この頃は駄菓子やの裏で食わせてもらったし、5円10円の世界だった。普通のモンジャはは5円で玉子を入れると10円。これが昭和40年代の値段だったし、おやつで食いに言っても5円10円が貴重だったので、毎日は食えない。「玉子を入れるのは邪道だ」なんて、玉子を入れられない時は言ってたりしていた。

ベーコマ、チェリングなんて遊びが1960年代の下町の遊び。エミパパの父親の仕事の関係で、社員寮に住み、その社員寮には大きな空き地があり、そこで野球や、凧揚げなんかをやって過ごした。社員寮だったので、チョンガーと呼ばれる若い衆は、給料前になると我が家を頼り、インスタントラーメンなんかを若い衆に振る舞ったりしていた。そのおかげでエミパパはケン坊なんて呼ばれて、若い衆には可愛がってもらい、キング、サンデー、マガジンといった週刊誌も毎週読んでいた。お使いを頼まれると、当時は米屋のプラッシーがご馳走だったのに、エミパパは舶来物のコカコーラもお駄賃で飲んでいた。小学生の頃はこんなモンかな?明日は中学時代を書きたいが、この頃のドッジボールは嫌いなヤツから狙って、監督もいないので、当てたら勝手に内野に入るというスポーツだった。今日はここまでです。つまんなくてごめんなさい。明日は中学時代です。オヤスミオヤスミオヤスミ。

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昨日からの雨で馬橋チャレンジカップが、28日に延期になった。ということは、選抜の練習が土曜日の2回になり、練習試合も無くなってしまった。調整が難しくなったが、それはどこの地区も同じこと。と、ここまで書いてネタがない。

今日は一日中ゴロゴロしていた。一歩も外に出ていない。日曜日の選抜練習も、10分くらい手伝っただけなのに、何故か左手が筋肉痛になっている。左の膝も重いように痛く、走ったり立ったり座ったりが辛い。なんて本当にネタが無い。昼間ゴロゴロしていても睡魔はやってくる。オヤスミオヤスミオヤスミ。

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昨日は紙敷グランドで、朝から合同練習が行なわれた。そこへビッグニュースが飛び込んできた。なんと雷電がチェルシーに勝ったとのこと。最終的には第3位に入賞というニュースも飛び込んできた。監督、コーチ陣を始め、選手の皆さん本当におめでとう。これを励みに益々精進し頑張って欲しいものだ。

午後からは選抜の練習。子ども達の表情はダイブ馴染んできた。動きも良くなっているが、まだまだ遠慮がある。特に紙敷の子ども達は、気持ちが前面に出てこない。エミパパも監督に怒られた。「和名ヶ谷の子ども達に遠慮しちゃうのは当たり前だろう」と応えてはおいたが、やっぱりもっと積極性が欲しいな。何度も書くようだが、紙敷は紙敷なりに一生懸命練習してきたという、プライドを持ってやって欲しいな。そういえば昨日の練習では珍しい場面があった。東部を代表する審判の一人、U田ちゃんがナカアテでボールを投げた。「U田、俺が投げてんのにお前は投げネエのか?」とエミパパから言われたから「解りました」で投げたのだが、子どもが内野に入る前の肩慣らしで疲れちゃったみたいで、1球パスしただけで選手交代となった。「こら、始球式か?」と怒ったが、U田ちゃんが投げるのを初めて見た気がする。審判姿は格好良いんだけどね。こんなもんか?

練習終了後、選手の背番号を決める呑み会があった。ここは真剣に決定した。キャプテン、サブキャプテンは決まっていたが、それ以降は監督の方針に沿って、決定された。次回の練習時に発表されるであろうから、ここでは控えるが、背番号決定だけでも1時間以上は費やしたんじゃないかな。そうだ。ここでも4人の監督に加えて、U田ちゃんが参加した。ひとり呑み始めていたエミパパに電話が入り「カワハギをもらったんだけど、店でサバイてもらえますかね?」でマスターに聞いたら「いいよ」と返事をもらったので、持ってきてもらっていただいた。うまい刺身だった。これは元大橋みどり監督のA谷氏が釣ってきたものらしい。A谷さん、ご馳走様。肝が特に美味かったよ。またお願いね。そういえば、ふじ多で呑んでた頃も差し入れてもらったことがあったな。

今日のブログを締めると、雷電が入賞した以上に東部選抜には頑張ってもらわないと。優勝だ、準優勝だを沢山経験している子どもが多いチームだ。和名ヶ谷のことだけどね。和名ヶ谷だけではなく東部の6年生にも同じ経験、喜びを味あわせて欲しいものだ。オヤスミオヤスミオヤスミ。

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