上を向いて歩こう〜*\(^o^)/*

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48歳で発症して、1年間治療しました。
左胸全摘 《リンパ転移18個中13個σ(^_^;)》
インプラントによる再建あり!
無治療になってわずか5ヶ月、複数の転移を告知。

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平成28年9月3日 15時5分
母は安らかに長い長い眠りにつきました。

勝手ながら母の代わりに娘である私が
ご報告させて頂きたいと思い、書かせていだだきます。

母が眠りにつき、慌ただしく過ぎていく毎日の中
いつもの母の声が聞こえてくるような気がします。

母は病気一つしていませんでした。
いつも綺麗に掃除をし、沢山のおいしい料理、
私が学生の頃は毎日お弁当、お見送りをしてくれました。
夜中まで勉強していると、夜食だよ〜っと
持ってきてくれる、
社会人になり母と休みを合わせてはランチや買い物に行ったり、
私が病気になれば必死に心配し、
一緒に泣き、笑い、、、
そんな母との毎日はつい昨日のことのようです。

2年前、母の病気は分かりました。
私はただただ泣き、母の前では必死に涙を堪えることで必死でした。
2年間沢山治療をしました。
医療者であり、娘である私。
母のきつさ、辛さは痛いほど身に染みました。
しかし母はいつも笑顔で明るく前向きで
母の偉大さ強さを強く感じました。
そんな母を見て、泣くなと堪えていましたが、一回だけ母の前で泣いてしまったこと、
自分の弱さを感じました。

7月終わり、緊急入院をしました。
どんどん呼吸が悪くなり、
ネーザルハイフローという呼吸器をつけました。
苦しい、きついと言う母は鎮痛薬と鎮静剤を使用し、1週間朦朧状態、、、
私は毎日毎日、頑張れ!と母に言いました。
そう言い続けることしかできませんでした。
それからは母は強かった。
自分で座り、ご飯を食べることができ、
トイレに行けるようになりました。
今まで自分で出来ていたことが出来ない悔しさもあったと思います。
しかし弱音は吐かず、治療を続け笑顔を絶やしませんでした。
9月には旅行に行きたいと言っていました。

そんな毎日が続き、私たち家族みんな
きっと家に帰れるだろうと信じていました。

病気になり出来なくなったこと沢山あったと思います。
しかし、その分得れたものも沢山あったと思います。
母が今まで笑顔で頑張れたのは父の支えや、沢山の方々の支えがあったからだと、
私たちのことを何よりも大切に思ってくれていたこと、
母が亡くなってこのブログを読んで感じました。


欲を言うともっともっと一緒にいたかった。
ただただそう後悔しています。

母は明るくて、几帳面で、優しくて、、
寂しがり屋で強がりで、、
なにより笑顔が素敵な母、私の自慢です。
自分が母親になったとき母のようになりたい、そう思います。

母の葬儀、沢山の方々が母に逢いにきてくてました。
きっときっと嬉しかったと思います。


母が頑張ったことや感謝の気持ち沢山書きたいことがありますが、私自身気持ちが追いつかず乱文で失礼します。
今までありがとうございました。


お母さん。
今までありがとう、お疲れさま。
ゆっくり休んでね。