瞑想中に般若心経を唱えてみた・・・

より良く般若心経の精髄が解ると思ったのだ。私は暗記している

ので、瞑想しながら出来るが、般若心経を読んでから瞑想しても

良いだろう。

般若心経の眼目は何かと言うと、色即是空の言葉で表される。

あなたは空なる存在なのですよと・・・と言う事なのだ。

照見五蘊皆空の次に度一切苦厄と書かれている。

これは肉体を構成している五つの要素、(色、受、想、行、識)、

即ち(肉体、感覚器官、想念、行動、認識)の五つで構成されて

いる人間である“あなた”が空なる存在であると言うのである。

ここで空とはあらゆる物質的現象を生み出す母体である空間の事

を言うのである。万物を生み出す母体と言って良いだろう。

最近では科学においてもヒッグス粒子なるモノが、この宇宙空間

を充たしていると言うし、又、ダーク・マターやダーク・エネル

ギー等、科学で観測出来ないモノが予想されている・・・

空とは限界や制限を持たず、不生不滅、不垢不浄、不増不減とも

言われ、相対界を超えた存在 なのである・・・

老子様は名付けられぬモノをタオと呼ばれ、お釈迦様は空と呼ば

れたが、これは宇宙意識、又、神と同一のモノを指していると言

えるだろう。イエス様の言われた天の王国も同じモノであろうか?

ここで人は普通であれば、この肉体の内側のみを自分と認識し、

周囲の人との利害に明け暮れ、エゴの作用である喜怒哀楽と愛と

恐れに翻弄され捉われていると言えるだろう。

それに対して般若心経の示す真理は人間は、その習い覚えた感

じ方、枠組みを超えて、人間以上の存在であり、しかも宇宙と

等価の存在であると説いている。それを示しているのが色不異空

なのである。人間は空なる宇宙、又は神と異ならない、又、等し

く尊い存在なのである・・・

又、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽とは迷いは無

く、迷いが尽きる事も無く、又、老いる事、死ぬ事も無く、老い

や死が尽きる事も無いと言う。これは二重否定なのであるが、

善悪、良否、美醜、老幼、生死等、その二元性を越える事を誘わ

れている。これは、想念の未生以前のプラスとマイナスに分かれ

る前のゼロ点を指しているのだ。そこに虚空意識であり、神意識

が在るのであり、その事を悟りなさいとの促しであると思うのだ。

又、無智亦無得、以無所得故とは知る事も、得る事も無く、所有

する事も無いとあるが、その真意は、あなた自身が(あなたの根

底に在る)、その空そのものと一体なのであると言う意味なので

あると思う。亦、ここで一番大事な事は心無罜礙であろう。これ

は心に引っかかりが無いと言う意味である。何の捉われや拘りの

無い様を言われているのだ。

それは必然的に内なるパラミタ、真理層への扉を開き、悟り、又、

覚醒と呼ばれる体験へと至るのであろう・・・

最後の真言である言葉 、ガティー・ガティー、パーラ・ガティー、

パラサン・ガーティー、ボディー・スバッハーとは行こう、行こ

う、彼の岸に行こうとの意味合いであるが是非善悪を超えて、

その捉われ、拘りを離れて、心無罜礙の言葉の通り、心に何の曇

りも無く、全き純粋なエネルギーに充ちた時に、この空間に元か

ら在るニルヴァーナ、涅槃寂静の境地に至ると書かれていると思

う。又、この真言を唱えてみると解るが上位チャクラに反響して、

宇宙と繋がりハイアー・セルフとの一体化を促すものと言えるだ

ろう。

(尚、般若心経の逐語訳に関しては、般若心経 宇宙意識への

扉を参照願いたい。)

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人は3次元の物質世界に生きている

そして心と言う多次元の層

又、内なる世界 意識界と共に生きている

いわば霊肉一体の世界なのである

そして世界は同心円状に広がっている

近くのモノは鮮明に遠くのモノはぼんやりと

又 あいまいに成っている

そして何に焦点を当てるか

又 興味関心の在り方によって

世界は多種多様な多層構造と成る

人の一生は人生映画に例えられる

人類の数だけの沢山の人生映画が

一つの地球上で重なり合い係わり合っているのだ

それはさながらワールド・マトリックス人生ゲームではないか!

気が付いたらそんなTVゲームの中に

この3D立体空間の中に居るようなのだ

世界は人類の集合意識の流れ

又 見えないシナリオによって展開している

人類規模の巨大な映画のようである

そこにどんな題名が付いているのだろうか?!

今は黙示録の時代であると言えるし

バシャール情報でも光の地球と闇の地球と

その間の無限のバリエーションの世界に

その一つのタイムラインがあなたの世界なのだ

どんな生き方を選ぶのか又生きるのか?!

それは一人一人が決めて選んで行くのである

紆余曲折 千変万化の世界で

心の荷物は持たずに生きたい

イエス様も言われた心の荷物を降ろしなさいも

お釈迦様の説かれた八正道も

同じ事を言われているのだ

内的世界を浄化する事

幸せや平安は内的世界からもたらされるのだ

内なる創造の権能を手に取り戻す事であろう

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お釈迦様は欲望は無記であると言われたとある

記さないとは何か?!

それは是非善悪を超えている

人間が生きる原動力 生命力の現れであるからだろう

人は欲望と欲求を生まれながらに持っている

それは今と未来に付いて発動する

エネルギーであると言えるだろう

誰もがより良き未来を願っているだろう

けれども足る事を知らぬ欲望と言う言葉も有るように

その欲望、欲求をどう調御するかが

人としての課題であるだろう

それ故により良き生き方 思い方 行動の指標として

お釈迦様は悟りを開かれた時に

その内より八正道が導かれたと言う

その八つの正さの指標とは

何の為に説かれたものだろうか?!

それは内なる虚空に元々横たわる

不可視の領域に在る真智に至る道なのである

それは八正道と言う言葉を知らなくとも

真智に至る必要十分条件であると思うのだ

八正道とは正しく見る 正しく思う 正しく語る

正しく仕事をする 正しく生活する 正しく精進する

正しく念じる 正しく定に入るの八つである

ここで正さとは自他を裁く正さでは無いだろう

自他を生かし調和する為の正さと思うのだ

それは根底に愛が在る事が必要なのであると思うのだ

又 仏典や教えは宇宙の真智に至る為の

一時の方便 縁に過ぎないのだろう・・・

知識を増やす事でも無いし

教えをそのままコピーする事でも無い

真智の扉を開く事なのであると思うのだ

さて 今日も又一日と言う人生舞台を生きて行こう・・・

# 般若心経で示されている

色即是空 空即是色とは

あなたは不可視の宇宙であり

その宇宙の一つの現れとしてのあなたなのであると・・・

誰もがこの宇宙の起源をその内なる魂に

内包していると言えるのである・・・

あらゆる過去世での経験や智慧が

その内なる潜在意識の内に

横たわり眠っている事だろう・・・

そして生きると言う事は何がしかの

人生ゲームをしていると言える

それはあたかもTVゲームのように

そのゲーム機の操作ボタンは

自分が握っているのだ

そしてその画面に現れる人物のキャラは

其々の内なるプログラムで設定されているし

あなたの言動によって反応していると言える

唯 自分も内なるプログラム(カルマ)によって

その多くが自動反応していると言えるだろう

人を変えようとするのは無駄な事であり

人は其々に蓄えた反応の仕方で生きている・・・

それ故に自らに注力して生きるべきなのだ・・・

さて登場人物は自らのボタン一つで

選ぶ事が出来る・・・

これは人生の主人公が自分である事を意味するし

変わらないキャラの人を相手に

物事を相手のせいにしたり責め裁き批判しても

始まらないのだし

それは時間の無駄であり浪費と成ってしまう

変わらない相手であれば

退場願えば良いだけなのである

さてTVゲーム盤のボタンを操作するのは

自分であるなら

完全自己責任の世界に住して

人を責めず裁かず恨まずに

それらは全てリセットして

新たな領域 境地に

エレベーターよろしく次元上昇すれば良い

雲の下に居て雨に濡れても

気球に乗って雲の上に行けば良いのだ・・・

そして快晴の空の下で

ありあまる光の中で癒されて

生きる意味を問い直し

又 再びRe・staertすれば良い・・・

肉体があるが故の限定は有るだろうが

慈しみ深き神は宇宙は

あなたをこの地上に生まれさせたのだ

それは遥かなる魂の歴史と共に

この地上での人生を約束した

自らの魂の決意と共に生まれ来た事を

今 再び思い出す誕生の不可思議を思うのだ・・・