御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 「どんなに甘いと言われようが、バカだと言われようが、私はどんな人とも仲良くなれると信じている。世界が平和になるためには、まずは日本のなかが、心ひとつに。和を以て貴しと為す。三宅洋平さん、公邸でお待ちしてます!」との投稿メッセージが安倍首相の夫人昭恵氏から発信され、そこから「対話」が始まったとのこと。

 このような「対話が大事」「対立ばかりして、対話しないような態度こそ問題」みたいなことは、時々、言われることだと思います。

 では、沖縄の高江のヘリパッド建設は「対話」によりどのような解決がもたらされるのでしょう?住民側というか、私たち側が「説得」され軍事施設の設置を認める、とか?
 もしくは、米軍そして日本政府が「納得」して基地建設をやめる、とか?


 私は、「階級対立の非和解性の産物としての国家」(レーニン『国家と革命』)という見方に国家の本質があるのであって、「国家は諸階級を和解させる機関」などではなくて、「国家は階級支配の機関であり、一階級が他の階級を抑圧する機関であり、階級の衝突を緩和させながら、この抑圧を公認し強固なものにする「秩序」を創出することである」ということだと認識しています。

 従って、その国家権力と「対話」による解決というのは、かなりの難事であることを覚悟せざるを得ません。

 私が、そのことを実感するのは刑事事件の法廷です。刑事法廷というのは、国家権力である裁判所で行われる、その意味では「敵の土俵」でありアウェイではありますが、少なくとも建前上は、国家権力の暴力行使(=逮捕、監禁(勾留、受刑))につき一応は法律のルールに従った体裁で、言葉により国家権力の発動の有無・程度を決するという意味で、ぎりぎりの「対話」形式です。

 そこで無罪を勝ち取ることは1/1000位の確率ではあり、そして、そのための弁護技術=対話の技術は、かなり高度で熾烈なものが要求されるからです。言葉という武器だけで、闘って、闘って、丸め込まれずに、闘って、やっと結果を出せることがある、そういう「対話」だと思うからです。

 そういう「対話」を本当にするつもりがあるのか?ただの日和見なポーズだけじゃないのか?そんな「対話」が、非暴力だなんて喧伝されたら「不服従」を貫いたガンジーだって怒るのではないか? なんて思います。

 対話とは、相互に平等・対等なひとたちの間で行われるものであり、しかし、その場合であっても、とても難しい一つの技術であり努力だと思います。

 それを国家と行う、というのであれば、相応の努力、「対話」のための技術・能力を身につける必要があると思います。刑事弁護一つとっても、その習得はとても難しいことです。


 具体的には、異常なレベルで富が少数に偏在している今、そしてその少数が実質支配している資本主義体制の国家から「対話」によりその富を分配させることはできるのか? 「ああ、そうだよなあ、俺、持ちすぎてるから渡すよ。儲かるけど戦争もやめるよ。搾取もやめるよ、ってか資本家やめて平等になるよ」とできるか?です。

 「対話」というあり方を否定するわけではありませんが、こと国家権力(そう、暴力を我々から取り上げ、合法的に独占している国家権力と、です。)とことを構えるのであれば、それなりの気構えと難事に当たっているという意識を持つべきであり、「なんでも対話で解決する」なんて抽象的に言われると、この「世界」の非和解的な不平等化の現実を知っているのかい?そして、さらには、厳しい刑事法廷での「対決的対話」を知っているのかい?と言いたくはなるのです。
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