日常生活の課題のひとつひとつに

「長期目標」・「短期目標」を設定するのは

「労多くして功少なし」という

お話の続きです。

 

お年寄りは「喪失体験」を数多く経験して

これからもそうなる可能性のほうが高い、

だから「向上していく」という方向の

目標を立てるのは向いていない

のではないか、ということを

前回は書きました。

 

2番目の理由としては、

こんなことも考えます。

 

目標というのは自分で自覚して、

自分で目標に向けて頑張る!

と決意して、初めて有効なものだと

思っています。

 

子供に、夏休みの宿題を

いついつまでに終わるように

目標を立てさせても無意味、

ということを、ついこの前も

痛感しました(苦笑)

 

建前では、ケアプランは

「ケアマネジャーが

勝手に作るものでなく、

本人・家族と一緒に作るもの」

となっていますから、

プランの一つ一つを

本人は承知している。

当然、目標も分かっている、

という理屈になるんですが、

実際はどうでしょう。

 

「分かりやすい言葉で

目標を立てよう」という指導を

されたこともあります。

なるほどそれも分かりますが、

それですべて解決といきますか?

 

認知症の人など、どうしますか。

「判断力の衰えた人でも目標を持たせて」

ということが、いかに残酷なことだと

気付かないのでしょうか。

 

そもそも明確な目標を自分の中で掲げて

それに向かって毎日を生きている、

なんて、皆さんもやっていますか。

そうやって生活している人は

本当に意識が高い人だと思います。

なんとなく日常を過ごしている人も

私を筆頭に少なくないはずです。

 

「目標を立てる・そこにむかって頑張る」

というのは、そういった意味でも高齢者の

ケアマネジメントには向いていないと思うのです。

 

以上、ケアプラン点検を受けるたびに

思うことを述べさせていただきました^^

 

 

では、第2表はどうあるべきか。

次回をお楽しみに。

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今回は、ケアマネジメントプロセスの回をお休みして

先週TVで盛んに流されていた「相模原やまゆり園」

をテーマに取り上げたいと思います。

 

事件は皆さんご存じだと思いますが、

「障害者は生きている価値がない」

という考えを持った一人の人間が

施設に暮らす障害者数十人に刃を向け

多くの命を奪った事件です。

あれから1年、ということで、

多くの番組で取り上げられていました。

 

とある番組の中で、視聴者からの意見

ということで、いくつかの便りが紹介されましたが、

実に「加害者の考えに賛同する」という

意見が複数あったことが驚きでした。

番組に出演していた障害者の関係者は

もちろん反論を述べていましたが、

あからさまに、こうして障害者を差別するような

発言を取り上げて紹介するのはすごいなあ、と

思いました。負とされる部分も包み隠さずに

取り上げる番組関係者の姿勢に敬服しました。

いろいろと考えるきっかけになりますしね。

こうしてブログの記事にもしようという

モチベーションアップの機会にもなっている

わけですしね。

 

前置きが長くなってしまいましたが、

このようないろんな意見に対して

私が思っていることを包み隠さずに

書いておこうと思います。

 

「生産性のない障害者はいないほうが良い」

「税金を使ってまで生きる価値がない」と

かなり辛辣な意見が見られましたが、

これらの意見を聞いて、私は

(この人達は損得勘定だけが

至上の価値だと思っているんだな)

と思いました。

世の中にはお金以上に大切なものが

山ほどあるでしょうに。そこに考えが及ばないほど

貧しい生き方をしてきた人たちなんだろうな、

と本当に憐れでなりません。

 

別の視点で考えると、人間には

ねたみ・そねみ・ひがみといった

感情が必ずあります。

人と比べて一喜一憂するのは

人間であれば必ず持っている習性です。

だから人は誰かより優位に立ちたい、

と思うものです。それが人情です。

障害者を差別する人達は

(自分より劣位にある)という対象を

障害者に向けているだけです。

 

これは昨今問題になっている

ヘイトスピーチにも通じるものだと思います。

思い出すのが在日の人たちへのもの。

(自分たちは優秀な純日本人)だと

ごくごくちっちゃな優越感を振りかざし、

それだけしか誇れるものがないものだから

ほかに優位に立てる条件がないものだから

そういう行動を取ってしまっているわけです。

実に憐れ。こんなに憐れな人たちが

いるんですね、この世の中には。

 

彼らの言うとおり、

仮定として障害者は

何も生み出せない弱者と

想定しましょう。だとしたら、

そういう弱者は幸せに暮らせない

社会ってどんなに貧しいものか。

 

日本という国はそんなに

心の貧しい国でしたっけ?

東日本大震災でも皆が助け合って

支え合う姿を見て外国が感嘆

していたではないですか?

 

日本という国も借金が膨らんで

社会保障費に回すお金を工面するのも

大変な状況ではありますが、

こういうところから「プライド」とか「誇り」

というものが生まれるのだと思います。

「武士は食わねど高楊枝」ではないですが、

貧しくてもプライドを離さず生きていくのが

日本人の美徳と言われるところじゃないですかね。

 

さて、ここまで言って、もう一つ

反転させるようなことを言います。

こういった憐れな人たちへ

「そういう考えを直しなさい」とは

私はまったく思ってもいないんです。

そういう考えならそうか、仕方がない。

 

障害のある人たちが幸せに生きるためには

多様な価値観がないといけないと思います。

たとえば、さっきのように

損得勘定だけが意味あるものだとしたら

障害のある人たちの生きる意味は

失われてしまう可能性がある。

幸せの物差しはそれだけではないから、

障害がある人だって幸せに生きていける

と考えられるのです。

 

多様性というのはこのテーマの

キーワードだと思います。

だから、障害者を差別する人の考えを

正そうとは思わない。

 

私ができることはただただその人たちを

哀れみ、同情し、軽蔑すること。し続けること。

そして自分は貧しくても誇り高く生きていくこと。

 

そういうことを考えさせられた

この1週間でした。

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「スモールステップ法」は

教育とか人材育成の手法として

使われることも多いようです。

はじめからとてつもなく高い目標を立てても、

行動へのモチベーションは上がりません。

達成可能性のある目標を設定するからこそ、

そこに向けて人は頑張れるわけです。

「小さな成功体験の積み重ね」とも言いますね。

 

「この考え方はもっとも」だと思う反面、

高齢者のケアマネジメントには

合うような気がしないのは、

昔々から思っているところです。

 

高齢者がこの年齢で遭遇するのは

「成功体験」よりも「喪失体験」のほうが

圧倒的に多いです。

 

体が固くなる、思うように動かない。

走るどころか、歩くのもしんどい。

筋肉が落ち、脂肪がつき、

しわが増え、髪の毛が抜ける。

食欲がわかない、胃もたれする。

トイレが近くなる。腰が曲がる。

身体は死にむかって衰えるのが

自然の摂理です。

 

子供が巣立つ、定年退職を迎える。

親、友人、配偶者を亡くす。

役を離れる。頼りにされなくなる。

社会性についても、多くの場合、

獲得することは少なくて、

失うことが多いものです。

増えるのは病院通いや

介護サービスぐらいでしょうか。

 

自立支援に着目するケアマネジメントは

喪失することにより世話が必要になった

高齢者がふたたび獲得することを

目指してはいますが、実際のところは

そういかない場合が多いものです。

「小さな成功体験」を積んでいく

と考えるよりも、持っている貯金を

少しずつ崩してゆくがごとく、

「残存能力をできる限り維持する」

(だから貯金は若いときにたくさん

しておくほうが良い)という

考え方を重点的に持っていないと

目標は描きにくいし、

本人にとってはしんどいです。

 

ケアマネの研修で

「ネガティブな書き方をするな」という

教えがあったと前に書きましたが、

私が考えているようにすると

ネガティブなことを書くことが

多くなりそうです。

 

そうなっても良いのか。

ということを次回に書きます。

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