エコ・ブログトップへ スマイル・エコ・プログラム

なぜ2時から5時までは3時間で、2日から5日までは4日間なのか?

テーマ:数学
2009-05-29 16:11:38

(補注:このアーティクルの論考は、『かけ算には順序があるのか』岩波科学ライブラリーの第3章で整理されました。)

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/2/0295800.html



  子どものとき疑問だったこの問題は、塾で教えるようになってから、数教協の本(特に遠山啓の本)を読んで、分離量・連続量という考え方を知って、氷解しました。私にとっては、数教協で目からウロコシリーズのベストスリーに入るものでしょう。ところが、mixiで発言したところ、なかなか同意を得られなかった。それ自体が、私にとって、新たな目からウロコシリーズでもありました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42139232&comment_count=306&comm_id=63370  233番発言以降。


 さて、

A:「2時から5時までは3時間。」
B:「2日から5日までは4日間。」


 この違いをどう説明するかということでした。AとBの違いは、次のCとDの違いと同じになります。


C:地面に線を引いた。2mの所から5mの所までは3m。

D:旗を並べて立てた。2本目の旗から5本目の旗までは4本。


AとCは、時間や長さという連続量をはかるものであり、BとDは、日数や本数という分離量をかぞえるもの、という説明が妥当だと思うのですが、「連続量」「分離量」という言い方は人口にそれほど膾炙していません。連続量のことを「量」と言い、分離量は「数」と言うことの方が多いかもしれません。

分離量とは、「単位量」にあたるものが自然に個物として分離していて、自然数として数値化できるもので、連続量とは、「単位量」を人為的に設定する必要があり、数値化するときに分数や小数が必要になるものですが、その区別は相対的なものです。例えば、みかんも、1個2個と数えるときは分離量ですが、房に分けて、「三分の一の蜜柑」とか言うこともできるわけで、連続量としても捉えられます。

「日」については、次のような問題もあります。(188番発言既出)

>日数も「2日から5日まで」というときは、分離量扱いで4日だが(厳密に言えば、この場合の2日と5日は、分離量を表す自然数の序数で、4日は分離量を表す自然数の基数ということになるが)、「2日のある時刻から5日の同時刻まで」というときは「3日」となる。この例は、藤沢利喜太郎自身が出しているもので、どこかの発言で引用したことがあります。この場合は、日にちという時間を連続量と扱っているわけです。詳しく言えば、「2日のある時刻」「5日の同時刻」が連続量の「序数的目盛」(座標)で、「3日」が連続量の「基数的目盛」(長さ)ということでしょう。<


 藤沢利喜太郎が『算術小教科書』(明治31年、71頁)で言っている原文は以下です。

「ある月の三日と同じ月の九日との間に幾日あるか。

 三日と九日との間にある日数を問うものなるが故に三日と九日とはこの日数の中に入らざること勿論なり。さて、三日と九日との間には四日、五日、六日、七日、八日なる5日あり。実際は9日より3日を減じ更に9日を除くために1日を減じ5日を得て答とす。もっとも問題が三日のある時刻より九日の同時刻までの時間を索むるものなりせば答は9日より3日を減じて得べき6日なり。」

(原文はカタカナで、旧仮名遣い。「近代デジタルライブラリー」

http://kindai.ndl.go.jp/BIDtlSearch.php  )


 さらに、「日」については、以下の問題もあります。

 「日」は、もともとは、太陽(お日様)を指し、昼間(日中)のことだったが、昼夜あわせた日もさすようになり、この日が、上のように分離量としての1日だけでなく、連続量として24時間=1日と言うこともある。

 正午成田発で、翌々日の正午成田着の満48時間の旅行を「二泊三日」というときの「日」は、昼間をさすのでしょう。


したがって、299番発言

>A':「月の始めから2度目の夜から5度目の夜までは3日。」

 というのは、「4夜」あるいは「4夜3日」というのではないでしょうか。

 小町算の元になった、百夜通えばと言われた深草の少将にとっては、夜の数が問題だった。「一夜二夜三夜四夜。七夜八夜九夜、豊(十夜)の明りの節会にも、・・・九十九夜になりたり」

 

A'': 今年から2度目の大晦日の夜と5度目の大晦日の夜までは3年。

 これは、そうだと思います。藤沢の原文の後半部分に該当する例だと思います。ただ日数でカウントすると、(うるう年がない場合で)365×3+1日とうるさいことをいうこともあると思います。

「年」はもともとは分離量として「数え」で数えるが、連続量で「満」で数える場合もあるが、日にちが特定されていれば「満」かというと必ずしもそうではなく、満1年目が「一周忌」だが、満2年目は「三回忌(誤用して三周忌とも)」という。


年・月・日の数え方は、元々は分離量として数えていたのに、明治以降、連続量の時・分・秒が一般化すると、それに引きずられて連続量として扱うようにもなって混乱していると思うのです。おまけに、年・月・日は、時の流れという連続量を分節化したものだから、分離量として、「年」は年単位として数えながら12ヶ月や365日という内部構造を持ち、「月」も月単位で数えながら30日や31日という内部構造を持ち、「日」も日単位で数えながら、子丑寅・・・の刻や24時間という内部構造を持っている。分離量としてもクリアではない。

ただ、混乱しクリアでなくても、時間の単位についても、分離量・連続量という区別は有効で、この区別を基準にして、どこがどう混乱し、クリアでないかが分かるという仕組みだと思っています。


みかんを分離量として捉えることができるというのは、みかんが床の上に散らばっていようが、お盆の上に山積みされて「接して」いても、融合せずに個物性を失っていないということです。散らばったみかんを数える場合も、大きい順に並べて数える場合も、みかんとみかんの間は「量」として意識もされず、数値化されることもない。分離量の単位と単位の「間」や「境界」が意味をなさない、とはそういう意味です。

日についても、日(昼)と日(昼)は、夜によって分離していて1日2日と数えることができた。夜は「日数」としては数値化されなかった。しかし、一昼夜をまとめて「一日」とする言い方も生まれた。日と日は子の刻の九つの鐘あたりで接するようになった。月と月も晦日の深夜が一日と接するようになり、年と年も大晦日と元旦が除夜の鐘で接するようになった。


>299 その「意味をなさない」時に時を知らせる鐘が撞かれたのでしょうね…。


 伏して座布団を差し上げるべきコメントでした。拝。

 けれど、借金取りと貧乏人にとっては大晦日と元旦の「境界」は大いなる意味があったわけですが、この境界の数値化は、日や月や年としてはなされなかった。日と日の境界は、連続量の境界として「0時0分0秒」と意味付けられた。紀元前1年12月31日23時59分59秒の1秒後は、紀元1年1月1日0時0分0秒となる。1年も1月も1日も「単位部分」(分離量)であることは変わらず、それらの単位部分の境界に新しい単位名は生まれなかった。逆に連続量の「境界」の単位名である時・分・秒では、それぞれの境界と境界の間を、時間・分間・秒間と呼ぶわけですが。


続きがあります。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10278928586.html

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10283593190.html



 (参照) 江戸時代の数量観が今と違うことは、『和算で数に強くなる!』(ちくま新書)を是非!http://www.amazon.co.jp/%E5%92%8C%E7%AE%97%E3%81%A7%E6%95%B0%E3%81%AB%E5%BC%B7%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E8%AA%A0/dp/4480064745


PR

コメント

[コメントをする]

1 ■無題

そうやって考えていくと子供達が
「いくつあるか」分からないのも納得できますよね

2 ■無題

分離量と連続量の区分というのは、算数・数学の先生の間でも、どの程度「常識」なのでしょうか。私は、数教協の本を読んで知るまで知らなかったのですが、知らないのは、自分が無知だからと思っていたのですが、この間のmixiのやり取りからは、それほど、ポピュラーではないようだし、志賀浩二『数と量の出会い』(大人のための数学1、岩波書店)を読んでも、「分離量/連続量」は出てこないのですね。

3 ■無題

どこかで聞いたうろ覚え話ですが
アメリカで「5日まで休みます」と言うと、
5日には出勤する意味になるんだそうです。

だからアメリカでは「日」は連続量として認識されている…わけじゃなくて
多分「以下」と「未満」みたいな言葉の違いなんでしょうけど。

4 ■無題

>とおりすがり さん
それは言葉の違いというより、翻訳の問題じゃないかと。
例えば、"before 5th June" とは6月5日「より」前、つまり6月4日までのことを指しますので、これを「5日まで」と訳してはいけないのです。

5 ■数的概念と量的概念

嫁に問題を出し、答えを提示したのですが伝わりにくかったです。分離量と連続量と言わず数的と量的と言い表しました。

この例示としては「1ヶ、2ヶ」はいかがでしょう。分離量ではリンゴ1ヶとバナナ1本、みかん1ヶで併せて3ヶですが、連続量としては「併せて3ヶ」は存在できませんよね。メロン1/4ヶとリンゴ1/2ヶは分離量では個数と考えると2ヶになりますか。

読めはその説明で納得したようです。

6 ■無題

とっさに思い出したのは三人が旅館に泊まって宿代を払い釣りをもらったら計算が合わなくなったというなぞなぞです。つまり、そもそもタイトルがミスリードではありませんか?

4日間だといわれて、そういえばそうだと思考が停止してしまいますけど

2日から5日までの旅行は3泊4日
2日に5日のことを話題にするときは3日後
その逆は3日前
「5日中に仕上げます」と「5日までに仕上げます」も違いますね

7 ■無題

日時は単位の期首と期末までだから、最後の単位を含む
時間は単位の期首から期首までだから、最後の単位は含まれない

8 ■無題

>>7
ティンときた!

9 ■無題

時間の場合は1~5時の場合と5~10時の場合ダブる時間は1秒もないけど

日にちの場合は1~5日といった場合と5~10日といった場合5日の24時間を双方が使ってる。

定義をちゃんとしなかったのがいけないかな。

10 ■一日おき,と,1時間おき

「一日おきに内服してください」は2日に1回内服,「1時間おきに内服してください」は,1時間に1回内服.

11 ■無題

分離量、連続量、を、離散変数、連続変数、というと、物理、数学系のひとたちに馴染みのある言い回しになるかと思います。

12 ■無題

「一日おきに内服してください」は2日に1回内服,「24時間おきに内服してください」は,1日(=24時間)に1回内服?

http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2005/10/1021.html

13 ■無題

A:「2時台から5時台まで4時間。」
B:「本日2日から5日まで3日間。」

特にこのBの方は実際に使われると思う。
これから丸3日間でこの仕事を済ませよう、とか。
(2日の昼からはじめて5日の昼までに、とか。)

誰かが指摘した「期首」の考え方の方がわかりやすいかも。

基本的にはいわゆる「植木算」の考え方ですな。

14 ■思い出

おばあちゃんたちが、年齢を「数え」で言っていたのを思い出しました。量は「量る」「測る」という日本語そのものですね。

15 ■>アメリカで「5日まで休みます」と言うと、

たぶん通じません。
日本語わかる人少ないので・・

16 ■無題

それは、「生まれてから何年め」というやつですね。
生まれた時に既に一年で、
新年に年が変わると二年め。
学年と同じですね。(新年度に2年=2年生)

この記事の話とは違いますな。

17 ■無題

上のほうで同じ事言ってるのがあったけど
2時から5時だと通常2:00~5:00(つまり5時台の分は含まない)
2日から5日だと通常2日の0:00から5日の23:59(5日の時間を全部含む)までだから。

18 ■無題

2009年度のセンター試験英語でこの問題がありましたね

19 ■Re:無題

>@さん

第3問の問2の from 5 to 7 のことですか?

20 ■無題

日でも時間でも分離量になることも連続量になることもありますよね。

「2日から5日」で2・3・4・5日の丸4日間を表す事も、2日のある時刻から5日のある時刻までの3日間(=3×24時間)を表す事もあり、
「2時から5時」で3時間(=3×60分)を表す事もあれば2時00分から4時59分59秒までの179分を表す事もありましょう。

発言者が、それを分離量と捉えているのか連続量と考えているのかを、慣行に則って推測していくしかないのではないでしょうか。
(そのために、中3日とか2泊3日とかいう多様な日数の数え方が生まれたと考えられます)

補足
分離量と考えている場合、さらに「どこで分離するか」が問題になるでしょう。「間」や「境界」をどこに見出すか、です。ミカンが剥かれてない状態なら数えるのは容易ですが、時間の単位などはいくらでも細分化できますから難しいです。

「一日で仕上げろ」と言われた場合、
言った人が「一日」を連続量で考えていれば24時間後が締め切りです。
発言者が「一日」を分離量と捉えていれば、「今日中」と同義です。では、その「今日」の終わりはいつなのか?正確には「午前0時」なのでしょうが、慣行上「寝るまで」という意味で使われることも多いです。
分離量という概念は、カウントされる存在が境界(=カウントされないもの。無。)によって分けられていて初めて手に入ります。人間が存在を個数として認識するためには、(その存在がない、と言う意味での)無が必要だ、という哲学の話です。時間(という連続していることが明らかなもの)をカウントするために、時間が存在しない「境界(無)」をまず認識する必要があるという話です。

21 ■無題

要は0を含めるか否かでは?
日数ならば
2日の0時~5日の24時までで
数え上げのスタートが違う、と

22 ■Re:無題

> さん
ええ。時間の方も「2時間目から5時間目まで」という言い方だと、答えが「4時間」となるのは、「時間」を単位として個数を数えているとも解釈できるし、「2時0分から5時60分まで」とも解釈できると思います。「2時から5時まで」は、2時0分0秒や5時0分0秒が、切れ目の座標を表すことに対し、「2時間目から5時間目まで」という言い方は、座標と座標の間の「区間」の個数をさしている。
 日数の場合は、「日」という区間を指すだけで、日という区間の切れ目を座標のように表現する言葉がない。日数はまず分離量として意識され、今もその方が優勢だからだと思います。

23 ■無題

離散値と連続値と呼んでほしい 本文の表記には何か違和感がる

24 ■すご

勉強になりますね

25 ■無題

<a href="http://www.yahoo.co.jp/">ヤフー</a>
こんにちは。

コメント投稿

[PR]気になるキーワード