さようなら。お化けアパート。【正金アパート】 | 『オカシミと寝落ち』

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この写真は、2年くらい前かな。

卯年の年賀状用に撮影したものなんだけど、

この建物、実は俺が20歳から22歳くらいの時まで住んでいた、

中央区にあるアパートだ。


今日はちょっと、しんみりした事書いてもいいか?





中央区新富にある『正金アパート』。

アパートっても、鉄筋コンクリートの5階建てそこそこ規模のでかい建物で、

できた当時はそこそこモダンなもんだったらしい。


まあできた当時って言うのがいつなのか、

管理人さんも知らないくらい古い建物で、

それぞれの部屋にテレビ用の配線が来てなくて、

屋上に設置された、それぞれの部屋用のアンテナから垂らされたケーブルを、

1cmほど開けた窓の隙間から室内にINするという


近年まれに見るというよりは、聞いた事すらないシステムから推測すると、

建物の完成は、テレビのない時代だろうと思われる。

そして、屋上に設置された洗い場のコンクリートに

洗濯板状のギザギザが刻まれている事から推測するに、

洗濯機もなく、ついでに冷蔵庫もない時代だろうと思われる。


これらの家電が『三種の神器』ともてはやされた時代を調べると、

1958年(昭和33年)前後。

この頃には完成していたと推測されるということは、

つまり東京タワーよりも古い建物ということになる。


当時のモダンと言うのが、

どういった物だったかは知らないが、

『全室トイレ付き』だったが、『風呂』は付いてなかった。

『風呂』というのがまだまだモダンすぎる代物だったのだろう。

まあそうかも知れない。

昔はうち風呂が付いてるってのが贅沢だったと言う話を聞いた事がある。

銭湯通いってのは普通なもんだったと。


まあ昭和33年以前。下手したら、

いや、下手をしなくても十分昭和20年代築の可能性もあるわけで、

いくら『もはや戦後ではない』と宣言したところで

現在から見れば十分戦後。

風呂など付いていなくてもぜんぜんモダンたり得る。


きっとここの住人は近所にある『入船湯』に、

昭和20年代後半位から世話になっていたのだろう。



さらに、



当時のモダンと言うのが、

どういった物だったかは知らないが、


とにかく狭い。

ほとんどの部屋が4畳

4畳に、キッチンというだけで聞こえが良くなる『流し』と、

トイレが付いている。


確か1フロアに2部屋、6畳の部屋があった。

その部屋だけ、なぜか和室。

4帖の部屋は床だった。

まあ床って言っても、廊下と同じ素材の床。

コンクリートみたいなものだった。



おそらく昭和20年代後半。

これがどの程度モダンな物だったか分からないが、

俺が住み始めた約40年後の東京に於いては、

完全に『蟹工船の楽屋』といった風情だった。



当時、今よりも若くて、今よりも何倍も馬鹿だった自分は

ロックで退廃的なファンタジーを日常に求めていた。


分かりやすく言うと中二病だ。


適当に降りた有楽町線『新富町』駅で、

適当な出口を出て、

適当に歩いた先にこの建物を見つけ、

壁に貼付けられていた『入居者募集』の看板に即座に電話して、

契約して、

引っ越しして、

4帖の部屋で、土足で生活し、ソファーで寝起きしていた。



今いる大勢の友人達。

そのきっかけとなった『Nおき君』『Tく君』『Aやちゃん』とかに出会ったのも

このアパートに住んでいた頃だ。


週末、に限らずか。

夜遊びに行っては、へとへとになってこのアパートに帰って来ていた。


ここに約2年住んで、そのあと西新宿に引っ越したんだけど、

じつは引っ越した後も、このアパートをちょくちょく訪れていた。


何となく、ここが自分の原点のような気がして。


不法侵入になるのかも知れないけど、

このアパートの階段を5階まで上がり、

自分が住んでいた510号室の前を通って屋上にあがり、

そしてしばらく屋上で過ごしていた。


半年に1度くらい。

近くに用事のある時とかは、結構寄った。


2年前には年賀状用に、冒頭の写真撮影につかったりもした。



自分は住んでいたから何とも思わないけど、

同行者に言わせると、

完全にお化け屋敷らしい。

写真は中しか撮って来てないけど、

外見も十分お化け屋敷。

リアルに怖い。とよく言われた。


まあ自分なりにうまく説明できる言葉を選ぶと、

『廃精神病院』

というワードがピッタリかな。


『幽霊が出る廃精神病院』とか最悪でしょ?

でもたしかにそんな感じ。





5F廊下





ここに住んでた。

たしかにちょっと怖いねw



今日、仕事帰りに近くを通ったので、

久しぶりに寄ってみると、

玄関ポストに異変を感じた。




めちゃめちゃ人が減ってる。

3人くらいしか住んでない。

ちなみにこれ、ポストね。



2階に上がってみると、管理人室の黒板に

『転居先の参考資料を電話横のファイルに挟んでおきます』

と書かれており、


昔から2階の廊下に鎮座している

ピンクの公衆電話の横に置かれたファイルを開いてみると、

不動産屋でよく見る、物件情報のA4横位置の用紙が

たくさんファイリングされていた。


これはたぶん、取り壊しが決まったと言う事だろう。



胸に去来する、なんともやるせない気持ち。


自分の中の1ページが、まもなく現実から姿を消すのか。


屋上に上がってみると、

あんなに沢山設置されていたテレビ用アンテナは、

ひとつ残らず撤去されていた。


金網の下を走る新大橋通りを見つめると、

景色は15年前と、それほど変わっていないように感じるけど、

でももうこのアパートは、

ついに時の流れに、抵抗する力を失ってしまったということか。


住人の減り方や、アンテナが綺麗に撤去されている事を考えると、

もしかしたら今月一杯かもしれない。

つまり今週一杯か。


俺がこのアパートに、

特別な感情を抱いていた事を、

アパートも気づいていて、

最後に俺を呼んでくれたのかもしれないな。


正金アパート。


今週もう一度昼間行ってみて、

管理人さんにあって、部屋を見せてもらおう。


追記:ネットで調べた所、1931(昭和6)年竣工。らしい。驚愕の築82年!!

そりゃテレビなんてないよな(笑)






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