絵本だらけの夏休み子供イベント。
ダンボールアート展示あり、
手作りワークショップあり、
子供が喜ぶ手作り遊具あり、
バイキングありwで盛りだくさん。
目についた絵本がありまして
「言葉はひろがる」
言葉というと言語。
日本語が、外国語が、という視点で語られていましたが、
私の視点は別にあり、
人間は産まれた時から言葉をもっているわけではなく、
「言葉ありき」で自分の世界が成立しているけれど、
自分ひとりだけで作り出したものでもなく
誰かによって与えられたもので、
その言葉の解釈は、誰かの解釈であり、
その言葉の意味は自分を取り巻く環境によって決まる。
つまり
そもそも、言葉は曖昧。
そして絵本の中で、
「人間どうしの争いを、言葉が火に油を注ぐようにして、はげしくしてきた」
とあったけれど、
人生の様々な問題は言葉によってうみだされ、
その言葉がなければ問題はうまれなかったにも関わらず、
私達はそれらの問題に悩まされている。
つまり言葉によって問題を作り出してしまう。
プラスの言葉を使おう!
言葉で人生が変わる!
といったフワっとした理論がまかり通るように
「言葉ありき」の世界から出られない私達。
言葉がなければ世界もなくなります。
さて、それを踏まえて読みたいのは
哲学を数年学んでいる私、の
哲学の先生が姪っ子にプレゼントしたという
「りんごかもしれない」 (ヨシタケシンスケ)
目の前のりんごは本当にりんごか? 🍎という、
自分が現実に目にしている事実を疑い出すところから始まる。
おもしろいねー、で終わってしまっては
あまりに勿体無い絵本。