今日、8月15日に61回目の終戦記念日を向かえ、
公約通り小泉総理は靖国神社を参拝されました。
何があろうとも、有言実行される総理らしい判断であったという評価はできます。
が、中国。韓国の反応を見ても、説明がたりないのではないのか?
総理には説明責任があるのではないのか?
私人として小泉純一郎が靖国を参拝することに反対する人はほとんどいないと思う。
総理自身も個人的な問題だとした意見を述べているし、 私人として、戦没者を思い、平和を思い参拝することに関して、文句をつけることはおかしいと感じる。
早ければ次の総理大臣は、戦後産まれになるだろう。
政治家も国民も、時代の中心は戦争を知らない私たちの世代に世代交代が進んでいく中。
戦前生まれ、戦争を知る人たちが私たちに何かを考えさせ、語る機会はどんどん減っていく。
そんな時代に、靖国神社という存在、そして、多くの慰霊碑、慰霊の施設が存在するといいうことはすごく意味のあることであるし、その中で、靖国を参拝することも戦争を考える一つのきっかけにさせてくれるのかもしれない。
では、日本国総理大臣としての小泉純一郎が参拝することに対しては?
確かに、中国・韓国の反応は過剰すぎるととれないこともない。
外交的な問題だけ見れば参拝することは必ずしもよいこととは思えない。
個人的なことを言わせてもらえば、日本も中国も韓国もどっちもどっちだ。
戦時下においておこった問題は、どの国も加害者であり、被害者なのではないのか?
自分の国だけが、被害にあったような顔をして、そこだけを問題視することは矛盾するのではないだろうか?
私自身も戦争の歴史をあまりにも知らない。
靖国神社がなぜ存在し、なぜ、8月15日に多くの人たちが参拝するのか?
勉強不足は否めない。
言葉も話し合いの場もすべてが少なすぎる。
小泉総理は一国の総理としての意見を述べてはいないような気がする。
評論家たちの話を聞いてもよくわからない。
ようは、靖国の存在が少なくとも私にとってはよくわからないのだ。
靖国の神はお国のために尊い命を犠牲にしたすべての人なのでしょう?
だったら、日本国の代表が参拝してもいいはず。
A級戦犯の問題だって、よくわからない。
戦争を先導したものと犠牲になった者たちが同じ場所に祀られれば遺族が反発するのは必至ではないのだろうか?
だれでもわかるはずだ。
命令を下す側と下される側の心の違いは・・・
A級戦犯の家族にだってなぜいけない?と思う気持ちがあるのも当然で、
合祀はもっと慎重になされるべきではなかったのだろうかと思う。
だが、それも時代の流れの中でおこなわれてきたことで、時代が変われば意見も変わる。
変化のないことなどこの世の中にはない。
もう一度リセットして、落ち着いて、みんなでこの問題を考える時がきただけなのではないのだろうか?
先日、戦争体験者が語る番組をみていて聴いた言葉が心に残りました
「日本は今、戦前。
歴史は繰り返す、戦前があり、戦争があり、戦後が終わればまた戦前に戻るのだ」と
(言葉はかなり違います。こんな感じのことを言っておられました)
戦後61年目。 私が子供の頃の終戦記念日は、TVのどの番組をみても、戦争の番組だったように思います。
アニメですら、戦争を題材にしたものが多かった。
今日のTV欄をみても、非常にすくない。
ニュースでもそう、冒頭で「終戦から61年目を迎えました」と一言で終わりです。
トップニュースは総理が靖国を参拝したことばかり。
中学校までの私は、終戦記念日を父の田舎ですごしました。
おばぁちゃんやおばさんたちがお盆の準備をして、私たちは朝から、仏壇とお墓を参って。
一日中ろうそくに日をともし、お盆のちょうちんがまわってた。
この日にはなぜか、子供の頃から何度もTVで聞いた昭和天皇の玉音放送の一節を思い出します
「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび・・・」
戦前が永遠につづくことを祈りながら。