• 18 Aug
    • 僕の駐在さん戦争

        「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」を読んでみた。映画にもなったらしい。  なるほど、なかなかのイタズラっぷり。楽しく読ませていただいた。    しかし、しかしである。こんなハートフルなポリコ(僕の地域ではお巡りさんのことをポリコと呼んでいる)がいるのだろうか?と首をかしげずにはいられない。  読んだ本に感化されやすいたちなので、僕のポリコ戦争を書いてみたいと思う。    とはいっても、生まれた時から遠慮がちで母の母乳も「いやはや母上殿勿体のうござる。」と謙虚に飲んでいたほどの品行方正なお子様である。(幽門狭窄だった)  そんな僕がポリコにやり返すことなんぞできるはずもなく、ただただ一方的にやられるのみの青春時代だった。  記念すべき初補導は、14歳。中学二年生の時だった。    折り目正しく好青年の僕は、近所の制服屋さんに頼んでいたスーパーアラビアン(ニッカポッカのような形をした学生ズボン。どうしてあんなのがかっこよく見えたのか今考えるとほとほと不可思議なお話である)を取りに行き、ついでに猪鹿蝶の花札裏ボタンを買って、ほくほくしながら、友達四人で街中を歩いていた。    トレーナにツータック入りのジーンズ。至って真面目。真面目が袖から漏れ落ちるような格好である。友達たちも別段悪そうな格好はしていない。どこからどう見てもあどけなさが残りまくっているかわいらしい中学二年生である。    僕たち4人の前に制服姿のお巡りさん(ポリコ)が2人現れた。何も悪いことはしていないが、それでもポリコと言うものは何だかその存在だけで嫌な感じがするものである。    なんとなくうつむき加減で僕たちはポリコとすれ違った。何事もなく通り過ぎてほっとしていた。(何も悪い事してないのだから当然と言えば当然なのだが」    その刹那、ポリコの2人が僕と僕と並んで歩いていた友人の腕を捻り上げたのだ。    「いてててて、いてーよ!!何すんだ!!」    突然のことで動揺しながらもポリコに精いっぱいの罵声を浴びせる僕たちをしり目に、僕の前を歩いていた友人2人は異変にきずいているはずなのに、振り向きもせずスタコラサッサと歩いて町の雑踏に消えて行った。    あいつらだっきゃーー!!面倒に巻き込まれないための中学生の処世術とはいえ、なんだか腹が立つ(次の日学校で嫌と言うほど嫌みを言いながらコブラツイストと腕ひしぎ十字固めを決めてやったが)      「いてててて、いてーよ!!何すんだ!!」 僕たちの悲鳴をよそにポリコたちは無線で何やらごそごそ話している。ややあって、僕は驚愕の光景を目にすることになった。ポリコがドラクエのマッドハンドよろしく、わらわらと町の路地裏に湧き出てきたのだった。    「こいつらか!!」  「お前ら覚悟しとけよ!!」    などと、全く寝耳に水。いわれなき罵声を浴びせられ、両腕を2人のポリコに抱えられ、街中を300mほど連行されてポリボックスまで、引きずられるようにしてしょっ引かれていった。奇異の目が待ちゆく人々からそそがれる。    −あの子たち何かやったのよ  −悪そうな顔してるわ   などとおばはんたちの小声になってないひそひそ話が聞こえてくる。    ポリボックスに入ると僕たちと同年代らしき男の子が2人座っていた。    「こいつらやろ!!君らからかつあげしたやつら!!」    僕の腕をつかんでいたポリコの一人が僕の髪の毛を掴んで、男の子たちに僕の顔を近づけた。    男の子たちはきょとんとした様子で「違います」と答えた。   当たり前である。こちとら、気ぃ良くお買いものをしていただけの品行方正な中学生である。   僕たちを取り囲んでいた10人近くのポリコたちは、拍子抜けした様子で、 「あっそ」 と返答して僕たちの腕をほどいた。   「あ〜。君たちもう帰っていいよ」   とポリコたちは僕と友人をハエでも追い払うようにして手を振ってポリボックスから追い出した。   ちょっと待てやコラ!!!!!!!!!! しばくぞこら!!!!!!!!!!   とも言えず。はらわた煮え繰り返しながら家路へと着いた。   オカンに言ったら、あんたらがガラの悪い目つきでうろついてるからや!!   と逆に叱られてしまう始末。藪蛇!!もう最悪!!   これが記念すべき補導第一弾である。第二弾はまた後日。   あ〜!!!!!思いだし腹立て!!!!!!   ヽ《 ゚Д゚》ノ ゴラアァァァァ!!!!!  

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    • 居酒屋で頼むもの

      吉田類となぎら健壱を師匠と仰ぐ私は、時間が取れると立ち飲み屋に出かける。知らないおやじたちと「袖触れ合うも何かの縁」的な感じで無駄話に花を咲かせる。泥臭い感じがたまらなく居心地がいいのである。   吉田類の軌跡を追い求め、青森まで行ってきたほどである。日本全国津々浦々、人を求め地酒を求めて彷徨う。   方言に地元愛がトッピングされた兄さん方の会話はどこまでも心地がいい。   そんな中、私が頼むものと言えば地元食材、地産地消!をモットーにしているので、地元のお百姓さんが必死に磨き上げたご当地ブランド野菜やブランド家畜は外せない。   その土地の風土、地元愛が重なってこそのその味なのである。   地ビールもそうだが、そこの土地で飲むのと、お取り寄せで飲むのでは風土が違うので、味の感じ方が変わってしまう。その土地の風土にドンピシャ合ったビールなのだから、そこの土地で飲まないとだめなのである。   食べ物もしかり、その土地、風土に合った野菜、肉なのだから、やっぱり、その土地で食べないとだめなのだ。   と、持論オンパレードな理由で、居酒屋ではご当地食材を食することにしているというお話です。   チャン、チャン。(なんのこっちゃ(笑))  

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  • 16 Aug
    • 弔いキャンプ

        夏本番!夏と言えば、花火、盆踊り、キャンプ!!ってことで、キャンプの思い出を書いてみよう。   少ししんみりなお話ですが、読んでいただけたら幸いです。     同級生が死んだ。自殺だった。自宅の鴨井にロープをかけて首を吊った。   同級生が通夜で集まって、今度久しぶりにあいつを偲んでみんなでキャンプでも行こうぜ。ってことになった。   妙な流れに思えるかもしれないが、言ってる方は至って真面目に提案している。   僕たちはボウイスカウト仲間だった。小学生低学年からず〜と中学卒業するまで、ともにサバイバルを生き抜いてきた仲間だ。   海、山、湖。ただただ、自然という自然の洗礼を受けるためだけに、それらに出向く。 楽しいなんて思ったことは一度もない!!   山に登れば、大量の荷物を持たされ、硫黄風呂。もしくは、冬山登山。も〜説明はいるまいて。冬山登山=地獄の苦行。   湖に行けば、サイクリング、サイクリングやっほー♪   そんな甘いものではなーい!!   湖と言えば琵琶湖、日本一ですよ日本一。日本一ドデカイ池を徒歩で一周。誰だこんな自虐的な事を考える奴は。   海と言えば、キャンプ場でキャンプファイヤー。じぇんかでも踊って、年頃のおねーちゃんと手を握ってうれし恥ずかし。かーーーーつ!そんなんない!!   海と言えば無人島で置き去りにされ、食糧調達に朝から晩までいそしむ毎日。飲み水確保!!まさしく、生きるか死ぬかのサバイバル。   なんで、好き好んで、あんなことやっていたのでしょうね〜。   それでも、仲間意識と言うのは、戦友会の皆様のように熱く強固なものとなる。(こっちは遊びなのでごめんなさい)   まぁとにかく、友情と言う絆が否が応でもできる。そんな友人の一人が死んだのだ。   弔いのためにキャンプ。ばかげた話に聞こえるかもしれないが、至って真面目な話だった。   いい年のオッサンばかりだったが、昔ながらのサバイバルキャンプを敢行した。湾の内側に浮かぶ無人島に漁船で送ってもらい、二泊三日の楽しいキャンプ。   トイレはもちろん、地面に穴を掘って、用を足したら土を上からかけていく、オーソドックススタイル。   小さな山の中腹に平地を作ってキャンプを張る。炊事場は、海辺に決定した。皆馴れた手つきで言葉少なげにささっと作業を遂行していく。見たことはないが、おじいちゃんからよく話を聞かされた兵隊さんが野営を作るときに似ている。   日が暮れ始め、素潜り部隊が海から上がってきた。腰網の中には、サザエやアワビ、石鯛までもがごっそり入っていた。(ちゃんと、許可はとってます。大人だから)   零れ落ちそうな満点の星空の元、豪勢な肴を囲みビールを飲む。水は貴重なのでビールを飲め、ビールを飲めと皆でひたすら飲み倒した。   子供の頃、どこそこ行ったよな。スキーの時、足折ったよな。ろうそく百本立てて怪談話やった時ちびったよな。お菓子の取り合いで、殴り合いしたよな。等々昔話に花が咲く。   ふと、皆の声がとまり、緩やかな波の音だけが辺りを包んだ。   「あいつ、どうして死んじゃったんだろうな…」   誰かが言った。みんな、しんみりとして、手に持ったビールをちびりと啜った。   スキーの時、足の骨を折ったあいつ。 怪談話の時おしっこをちびったあいつ。 お菓子の取り合いで、殴り合いの喧嘩をしたあいつ。   僕たちの頭上で流れ星が一筋、空を舞った。僕たちのバカ騒ぎにあいつが駆け付けたのだと、その場にいた誰もが信じて疑わなかった。   (´_`。)グスン.

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    • ロールキャベツ系男子

        先日の飲み会で妙齢の女子軍団が、   「私たちみたいないい女に男がいないなんて、草食系男子が増殖しているせいだ!」   と、憤慨していたので、今回は草食系男子について考えてみよう。     草食系男子を語る際に、重要なファクターがあります。それが、社会心理学で出てくる、認知的不協和ってやつです。   認知的不協和には有名なお話があります。   あるところに、キツネが歩いていると、たわわに実ったなんともおいしそうなブドウを見つけました。   しかし、キツネはそのブドウを食べようとジャンプしても、高いところに実をつけているそのブドウには、あと一歩というところで届かない。   いくらジャンプしてもダメ。   そこでキツネは、あまりの悔しさから   「どうせこのブドウはすっぱくてまずいんだろう。こんなの食べてやるもんか」   と言って、捨てゼリフを残して去っていったのでした…   終わり   これは、イソップ物語の「キツネとブドウ」というお話です。 ・ブドウを食べたい ・しかし、どうしても食べられない   二つの矛盾した考え(認知)によって、キツネの心には、なんともいえない不快感が生まれました。   このように、矛盾する認知によって感じる不快感を、認知的不協和といいます。   人は、このキツネと同じように、認知的不協和をなんとかして解消しようとします。   解消の仕方は大きく二つ。   (1)事実をありのまま認める(自分の能力不足を認める) (2)行動を正当化する(ブドウはまずいんだと思い込む)   しかし、誰しも自分の無力を認めたくありません。なので人は、解決策として(2)を選択する傾向にあるのです。   そこで数年前に生まれた言葉として「草食系男子」ってのある。   「草食系男子とは、心が優しく、男らしさに縛られておらず、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子のこと」   「草食系男子」の定義って色々あるが、概ねこんな感じだろう。   「告白ひとつできないだらしない男」として、マスメディアでは取り上げられることが多い。   少子化社会の問題点の一つとして、女性の晩婚化が言われており、その要因が「草食系男子にある」と男性批判を繰り返しているテレビ番組も少なくない。   私の知っている結婚できないorしない姫たちの中でも、   「私がモテないのは、「草食系男子」が増えたせいだ!!」   と声高に叫んでいる人がいるが、これって……キツネさんなのでは……と、飲み会でひそかに思っている。   きょうびの若い男も男で「草食系」が女性に近づきやすいからといって、流行りに乗っかり、ちゃっかり女の子をゲットする、ロールキャベツ系が大半を占めている。   (ロールキャベツ系=羊の皮をかぶったオオカミ系)   昔から「送りオオカミ」っていたぐらいだから、今も昔も大層変わっていないって事なんだろうなぁ。   まぁ、そう考えると、「草食系」って言葉は、男女双方に利点があるって事か。   ( ^o^)    

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    • 86歳のクライマー

          編集 弱虫ペダルをアニメで一気に見てしまった。よかった~。うん。感動した!       と、いう訳で、今日は自転車の思い出について書いてみよう。そうしよう。   私がまだ20代のころ私と母と祖父の三人で尾道の千光寺に墓参りに行った後、    「こんな機会めったにないから、ついでに旅行しよう」   と、母の思い付きで、急遽旅行と相成った。   ついで参りはよくないとよく耳にするが、ついで旅行なんて聞いたことがない。   まぁとにかく宿が取れたとかなんとか言って、母が行き先を告げた。   「大久野島。凄いよ〜。毒ガスだよ〜」   と、母は嬉々として発表した。   なんのこっちゃ、それだけの情報量では、車をどこに向かわせたらいいのか見当もつかない。   私の質問に一切答えようとしない母は運転席の私に、「早く行け」というように顎をしゃくって、先を急がせた。   住所だけ何とか聞き出して、車を走らせた。小一時間ほど走ったところで母は私に車を止めさせ、   「フェーリーに乗るよ♪♪」   と、ウキウキした様子で私と祖父を車から降ろさせた。   港の駐車場で車を乗り捨てて、人だけフェリーに乗った。   「車で行けねーのかよ」   いぶかしむ私の質問に母は   「車でいけないところが味噌なんだな〜」   と、これまた嬉しそうに答えた。   味噌でも醤油でもいいから、早くつかねーかな?   私がオレンジがかった空を見上げていると   「着いた!着いたよ!」   と、母が声を上ずらせて島を指した。   目的地の大久野島休暇村で一泊した。   豪華な夕食に大満足だった。   次の日。朝早く、文字通り、布団をバシバシ叩いて、たたき起こされた。   「何時だよ〜」   眠気まなこの私に、祖父と母は準備万端と言った出で立ちで、   「出発だ!!」   と、父娘で両腕を突き上げた。   私も急いで身支度をして2人について行った。   ロビーを出ると、レンタル自転車が用意されていた。   母と祖父は颯爽と自転車にまたがり、   「行くよ」   と、気合を入れてペダルを踏んだ。   「どうして、朝っぱらから自転車なんだよ」   私の叫びもむなしく、2人は猛烈な勢いで自転車を走らせていった。   母は当時50を過ぎたところ、祖父は86になったばかりだった。少しスタートが遅れたとはいえ、アラサーの私が追い付けないはずがない……   距離はどんどん離されていく。   「ちょっと!ちょっと待って〜〜」   はぁ。はぁ。はぁ。 小さな洞窟の前で2人が何やら立ち止まっていたので、追い付くことができた。   母 「こんなところでねぇ」 爺 「わしは、ずっと外地を回っていたから、こんなところがあったとは知らんだ」   と、感慨深げに洞窟を眺めていた。   私が追い付くと祖父は   「なんだ、お前、おっそいなぁ〜」   と、茶化してペダルに足をかけた。   上り坂をものともせずに祖父は、私の先を走っていった。じじぃ、クライマーだったのか!   「ちょっと、ちょっと待ってよ〜。はぁ。はぁ。コラ〜じじい待て〜」   「おっそいの〜」  (・ε・)プップクプー   と、20代の私をバカにしながら猛回転でペダルを踏むパワフルジジイ。   さすが、フィリピンから大陸に渡って、徒歩でシベリアまで行ったやつの脚力には、かなわない。   (本人はそう言っているが、本当に〜? と疑惑の念を抱いている私)   ほんとに?(¬з¬)   半日?いや数時間で島を一周して私たちは、帰途に就いた。 そんなパワフルジジイは90を過ぎても、飲んで食って、大好きなアメリカンポップスでツイストを踊りまくっていた。   「ちょっと具合が悪いんだよ」   ある年の春一番が吹いたころ、祖父は珍しく、体調不良を訴えた。   「鬼のかく乱だな」   と、私も母も笑っていたが、それから数日後、パワフルジジイは、あっけなく、あの世に旅立った。   「あ〜おもしろかった。じゃーなー」   と、手を振っているかのように、颯爽と逝った。自転車はクライマーだったが、死にざまはスプリンターだった。   あの世で、12歳年下の愛妻が待ってるから寂しくないか。   。゚( ゚^∀^゚)゚。  

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    • 愛すべき赤ら顔のおっちゃんたち

        とんでもなく若いころ、大手を振って、プータローをしていた私は、大きなギターケースを抱え、ぷらぷら大阪天王寺駅をさまよっていた。   停車していた夜行バスが目に入り、何を思ったのか気付いた時にはバスに乗り込んでいた。   着いた先は鹿児島。    何の考えもなしに来たものだから、着替えもなければ地図もない。   ポケットに手をやると夏目漱石が二人グシャッと可哀そうな姿で現れた。  とにかく腹が減っていた。   「商店街は何処だ」と街ゆく人に聞きもってようやく、商店街に辿り着く事が出来た。   商店街は思いのほか賑やかに活気づいていた。   一軒の店に人だかりができている。近づいて見ると「薩摩揚げ」の専門店だった。   大阪ではさつま揚げのことを「てんぷら」と言う。   「てんぷら屋かぁ」独りごちながら店内に足を進めた。   中は人でごった返していた。野菜、魚介類と様々なものが練り込まれたさつま揚げが、ところ狭しと押し並べられていた。   何とも言えない香ばしい匂いが店内を満たしている。   「なんと!」思わず声が出てしまった。   各種試食付き!!   薩摩人の心意気に感謝しつつ、すべての種類のさつま揚げを制覇して、店を後にした。   少し喉が渇いたところで、赤十字の看板発見!!   生血と交換で缶ジュースを貰い、喉を潤した。   一息ついた所で手ごろな空間を探す。   噴水前でギターを取り出し、「お金入れてくっださーい!」と言わんばかりに大きなギターケースの口を開く。  簡易武道館の出来上がりである。   独りよがりコンサートが開幕し、頼まれもせんのに歌いまくる。   気がつけば日はどっぷりと浸かっていた。   「ストリートは日が落ちてからが勝負だ!」   と、ピックを持つ手に力が籠る。   ジャカジャカと騒音にしか聞こえないギターを掻きならす。   酔っ払いのおっちゃん達が「兄ちゃん関西か」と曲の途中でもお構いなしに話しかけてくれる。   野次を飛ばしながら、千円もギターケースに入れてくれた、おっちゃんもいた。   「宿がないのやったら家で止まっていけ」 (これを鹿児島弁で)   と、手を無理やり引かれ牛小屋で泊めて貰ったり。   旅は、愉快で温かい人たちとの出合いにこと欠かなかった。   そんな旅が楽しくて、何年もそんな生活をしていた。   今思えば、若い頃の突拍子もない旅で得た思い出や、出会いが今の私を支えている。   今でも古ぼけた赤提灯を見ると   「兄ちゃん、関西か?」   各地で出会った、赤ら顔のおっちゃんたちの笑顔を思い出す。  

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  • 09 Aug
    • 夏に食べたいおやつ

        夏に食べたいおやつと言えば、何と言っても、かん袋のかき氷!!   茹だるような夏にクルミ餅が入ったかき氷を一口頬張れば、口腔内パラダイス!!   暑さも吹っ飛ぶ、大阪泉州のソールフード!!   お土産に壺クルミを持って帰れば、そこのお父さん!家族の人気者・ヒーローになれること必至。           一度お試しあれ。   かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。   安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。 くるみ餅の出来た頃 室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。     氷くるみ餅       明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。   二十七代 かん袋主人

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    • ついに来た!ターミネーターorコブラ?

        編集 いや~。時代が来たね~。今までのものとは段違いだ。   今に「コブラ」みたいな義手ができるよ。ほんと。   これからのPOSはもっと、工学系勉強しないとだね~。   この卵を割る動作がどれだけ凄いかわかる人は結構、通な人。   ターミネーターの様なハイテク義手を持つ人   編集  

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  • 08 Aug
    • 叩いて、起こして、縛るお仕事!梨本 圭介的な?

        「叩いて、起こして、縛るんだよ」   私は、頭上に??を浮かべた。何とも物騒な言葉の羅列。   久しぶりに会う叔父が、突然言い出した。   デトロイト・メタル・シティの梨元 圭介、「忠豚ブタ公」的なお仕事なのか?        この叔父、昔は〇〇商事(一部上場)のエリート社員だったが、どういう訳か突然会社を辞め、人生からも親戚からも、はぐれメタル状態で世間を浮遊するようになった。    昔はスーツを着込み世界中を飛び回って仕事をしている、文字通り世界をまたにかける男だったのだ。    数年ぶりに出会い、社交辞令的に   「おっちゃん、今何してんの?」    と、私が聞くと、叔父はニヤリとほくそえんで 「叩いて、起こして、縛る仕事」    は?   私の頭の中では、4課の刑事さんにお世話にならなければならないようなお仕事なのでは?もしくは、夜の方の……SM的な……。いやいや、後期高齢者に足を突っ込もうとしている叔父が夜の仕事って……。   どっちもありえねぇ〜。   「かくちょう団に入ったんだよ俺」   と叔父。   やっぱり、暴力団のたぐいか〜。とうとう親戚からやーさんがでてしもうた〜。 と、私の脳内お祭り騒ぎ。   「いや〜実はな」   心拍数を上げながら、叔父の話に耳を傾けた。 …… 叔父の話をじっくり聞いてみると、なんてことはなかった。   拡張団とは、新聞の営業マンさんのことだった。   叔父の話によれば、新聞屋さんには特殊な専門用語が山のように有って、それを覚えるのに数か月もかかったというのだ。   叩き・・・いわゆる飛び込み営業のこと。   起し・・・以前自分の店の新聞を読んでいた読者に、もう一度読む契約をしてもらいに行くこと。契約が取れれば、起したことになる。   縛り・・・契約を延長してもらうこと。   このほかにも、叔父の話は意味不明な単語のオンパレードだったが、全く知らない言葉の世界に私は魅了された。   「あのなぁ、団員の中には天婦羅あげたり、まるちょんで稼ぎよるやつもおるんや、まぁ、店も本店(新聞社)から押し紙だされてて、必死やからちゃんと調べへんのや」 てな具合。   何もわからん。   訳すると   「営業マンの中には、存在しない架空の住所名前を契約書に書き込んで店に提出したり、読者の継続契約書を勝手に作成して店に提出し、歩合をかすめ取るのだよ。今自分が勤めている営業所は、個人経営なので、新聞社から無理難題な営業ノルマを課せられていて、営業停止に追い込まれては大変だから、細かいことには、あまりかまっていられないんだ。なので、結構ばれなかったりするんだよ」   と、言っているのだ。   「ガサ行って、乞食相手にカードあげても、飛びよんねん。それやったら、普通のとこ行って置き勧や喝勧であげた方がなんぼかましやねん」   もう、なんのこっちゃ…   お、おもしろい。   団長さんは左右の小指と薬指がなく、他の団員も7分丈の脱げないカラーシャツを着こんでいたり、真っ赤なモヒカン君だったりと、個性豊かなメンバーが揃っているのだそうだ。   これまた、異世界。   そんな中で、もとエリートサラリーマンの叔父がなんだかいきいきと仕事をしているのも、またファンタスティック!   いや〜。世の中知らないことが多いんだなぁ〜。あんなに身近な新聞屋さんが、そんなパラレルワールドだっただなんて。   ん〜。おもしろい!

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    • 経営難の激ウマ料理店

        なんだか今日は中華!!   そんな日、ありますよね〜。   当時、私は仕事で大阪から群馬に引っ越したばかりで、土地勘が全くなかった。   「それでも、今日は中華なんだよ〜」   私は頭を抱えて思案。   え〜い。こうなりゃ、うまい店センサー(いわゆる感)を最大限発揮して、飛び込み、一見さんだ!!   看板らしきものは見当たらないが、店先に唐辛子つるし飾りに爆竹飾り。どっからどうみても中華料理屋さん。間違いない。   唐子ランタンの子供たちが福々しく手招きしていた。   「決まりだな」   覚悟を決めて、店内に飛び込んだ。   店の中に入ってビックリ。   客席が5席、しかもカウンターのみという狭さ。   しかも、よせばいいのに中国かぶり面が   「何しにきたんじゃいコラ」   と言わんばかりに、二体。生首よろしくカウンターに並んでこちらをにらんでいる。   妙なたれ目がかえって怖い。   ちょうど良かったのか悪かったのか、客は一人もなく、私たちの貸切状態。   私達は顔を見合わせ苦笑した。   「いらっしゃい」   奥から声がして、店主らしき人物が顔を出した。奥といっても、暖簾の向こうには畳半畳ほどの空間があるだけだった。    「いらっしゃい。メニューこれね」   店主はカウンター越しにメニューを私達に手渡した。   言葉の訛りで中国系の人と判断した。   メニューを見てみると驚くほど品数が多い。   厨房は奥の半畳のみ、他の店員は見当たらない。   大丈夫かな?   と思ったが、腹ぺこだった事も手伝って、私達は食べたい物を次々と注文した。    「はい、ニラレバ。はい、麻婆豆腐…」   店主は丁寧に注文を小さな手帳のようなものに書き込んでいき、「少々お待ち下さい」 と言うと、暖簾をくぐって半畳の厨房に入った。   暖簾と客席の距離は僅か1m程度。中の様子が丸見え状態。    店主は歩幅一歩程度のスペースの厨房で忙しなく動き回っている。   水も何も出てこない。   鬼の形相で千手観音さながら、中華鍋を振る店主に向かって話しかける事なんて、できようはずもなく…   …何分経っただろうか。   待てど暮らせど料理は来ない。あれだけたくさん頼んだのに、一品も。   私達はひたすらお預けを喰らっていた。普通なら我慢できずに「ちょっと、遅いねんけど!」と文句の一つも言うところだが、1m先で激烈に動き回っている姿を目の当たりにしているので、何も言えない。    「遅くて、すみません。」   店主が汗だくになって申し訳なさそうに差し出した一皿目は、海老チリだった。   「他のも作ってますんで」   分かっています、見えてますから…    待ちに待ってやっと出てきた記念すべき一品目。海老チリを一口頬張った。   その瞬間私は友人と顔を見合せた。   「うまい!」   その海老チリは、食い道楽で鳴らした私の舌を唸らせた。友人も美味しさに目を瞠っている。   次々と料理が運ばれ始めた。そのどれもがおいしくて、私達は「うまい、うまい」と貪り喰った。あっと言う間に平らげ、一息ついた所でビールに口をつけた。   すると店主がたどたどしい日本語で私達に話しかけた。    「おいしかったですか?」   そりゃもう、ご満悦。店主はにっこり笑って「よかった」と答えた。その笑顔は少年のような魅力的な顔だった。   それから、店主はいろいろな話を私達に聞かせてくれた。   日本の中華料理と本場中国での中華料理との違いや戸惑い、経営の難しさ、果ては日本人の奥さんとうまくいってないなんてことまで…   いつのまにか私達は、もう何十年もの付き合いのような気持になっていた。   料理が出てくるのが遅いことを差っ引いても、こんなに美味しいのに経営難だなんて、 どうしてだろ?   私たちは顔を見合わせて首を捻った。   が、その答えはすぐに判明した。   「お会計、3800円です」   「2人分まとめて払いますんで」   私がそう言うと   「いえいえ、じぇんぶれ(全部で)、3800円ね」   「……」   どひゃー!安い。安すぎる。大の男が2人、腹いっぱい飲んで食って。3800円。 しかも消費税込!!   薄利多売で儲けないといけないのに、客席5席って〜。   価格設定完全に見誤っている…   それから足しげくその店に通った。   数年後。私が転勤で遠くに行くことを告げると、店主は寂しげな表情を浮かべ、   「送別会はうちでやって下さい」   と申し出てくれた。店からはみ出すほどの人数を快くもてなしてくれた。   「心のこもったお別れの料理です」   と、自分で言って、泣きながら海老チリを出してくれた。   五席しかない激安中華料理店。店主の作る料理は、私にとって、どんな高級中華料理よりもおいしく、心の癒える味だった。   マンさんありがとう!!

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    • 甘党による甘党のための絶品カレー 「甘党カレーの金字塔」

        甘党カレーの金字塔 栃木と言えば小原庄助さん、u字工事、とちおとめ、そして忘れてはいけないのが、イチゴカレー。あまりにもセンセーショナルなカレーに心を鷲掴みにされ、旅の土産として20個ほど購入し、知り合いに配りたおした。   その反響たるや凄まじいものだった。     「身震いがした!」「子供でもダメだった!」等々の賛美の声が私の携帯に殺到した。   私も興味本位、怖いもの見たさ、そして無類のストロベリー好きとしては、食さないではいられないではあ~りませんか。   レトルトを電子レンジで温め、ホカホカの白米に、いざ、イチゴカレーとーにゅー。   見た目は悪くない。むしろおいしそうだ。イチゴのほのかな香りもカレー皿から漂ってくる。   ん?これはいけるんじゃないかな?   前情報として散々なありがたいご意見を事前に友人知人からもらっていたが、   「これはあやつらが大げさなだけなのだな」   とほくそ笑みながらスプーンでカレー皿から一口すくい。口腔内へといざナウ。   口に入れた直後、カレーの風味が口の中を包む。   「やっぱりあいつらが大げさなだけなのだ」   とお土産として買ってきた手前。おいしく会ってほしいという願いも合間見合って、胸をなでおろした瞬間。   猛烈な甘みが全身を覆った。四肢の産毛が逆立ち、背筋に微弱電流のような波が走る。   むほ!   一口目は何とか噴出さず、胃の中に押し込んだが2口目にチャレンジする勇気が私にはなかった。(ごめんなさい)   いや、でも私はお酒好きの辛党なので、こんな感じだったが、甘いもの好きの甘党党首みたいな方々にとっては、夢のようなカレーに違いない。うん。違いない。   カレーは誰が何と言おうと、リンゴにはちみつとろ~り溶けてるバーモンドカレー甘口に牛乳が一番のごちそうだぜ!!!   的な紳士、淑女、お子様方には、まさにおとぎの国、口腔内パラダイス!!そんな方々にはまさに絶品この上ない一品です。        

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  • 07 Aug
    • 北海道、でっかい道。北の男の心意気とミスターレディー

        にほんブログ村 編集 旅は道連れ世は情け、旅先で出会った素敵な人々を紹介していこう。   今回は北海道帯広の素敵なお兄さんたちのお話。   ばんえい競馬が経営不振でなくなるかもしれないと、まことしやかにささやかれていた。   これは、行っておかねば!   ペルシュロン種、ブルトン種、 ベルジャン種。体重が1トンにもなる重種馬が目の前を闊歩する。       でかい! すげー!   松風(花の慶次参照)や黒王(北斗の拳参照)はペルシュロンに違いないと勝手に確信しながら悠然と歩く巨馬を見上げる。       勝ち馬投票券は散々なものだったが、重種馬が人を乗せたそりを引いて、山を登り、滑走する姿に感動を覚えた。   かっこいい!   輓馬の興奮そのままに、帯広の町に繰り出した。   お客さんが5人も入ったら満席といった風のこじんまりした屋台が立ち並ぶ「北の屋台」の一軒に飛び込んだ。       なかには60代の地元のお兄さんが2人、東京から新婚旅行で来ていたカップルが二人、先客でいた。私たちが入ると、全員で6人。満員御礼。   地元のお兄さんたちは、帯広愛に溢れていた。   「こんな田舎町に新婚旅行で来てくれるなんて嬉しいねぇ」 「輓馬は帯広の宝だ!」 等々   「よし、せっかく帯広に来てくれたんだから、もてなさねぇと、帯広の名折れだ。帯広らしいところに連れて行ってやる」   と、立ち上がった。少し当惑したが、兄さんたちに恥をかかせるわけにはいかない。それに、少しの好奇心。   「ありがとうございます」 とその場の全員が立ち上がった。   兄さんたちが「ここだ、ここだ」   と、必要以上に重そうな鉄の門を開ける。   すると中から、   「いらっしゃ〜い」   と、女性たちに出迎えられた。   兄さんたち以外の4人が顔を見合わせた。   出迎えたおねぇ様方3人は、愛想よく兄さんたちを出迎えると、私たちもソファー席に案内してくれた。   おねぇ様方はいずれも、野太い声。分厚い化粧の下には、青い髭剃り跡。   そこは、まぎれもなくおカマバーだった。       帯広らしいところって……   しこたま、帯広のおカマの不遇さを聞かされて、話もそこそこに、お暇させていただくことにした。   「もう帰るのか?」   と、兄さんたちは残念がったが、よそ者4人衆は最初の一杯だけ御馳走になって、その場を立った。   もう充分です。お兄さんたちの帯広愛は伝わってきましたよ。   口には出さなかったが、心の中で目いっぱい帯広人の心意気に、感謝してホテルに帰った。 m(_ _"m)ペコリ  

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  • 06 Aug
    • 絶対に使ってはいけない「こけし」

          PV1000突破!!! トータルPV1000突破!皆様、つたない私の文章に御付き合い下さいまして、本当にありがとうございます。   PV1000突破記念ブログ。「絶対に使ってはいけない「こけし」」   楽しんでいただけたら幸いです。  以前珍宝館に行ってきたときのお話である。 全国に珍宝館は点在しているが、私が行ったのは淡路島の珍宝館である。   まぁ、言わずと知れた場所ですから、そこらじゅうに男性や女性の大事なところを模したオブジェが立ち並んでいるわけです。   しかし、見どころはそこじゃ〜なかった。 出口が売店になっていて、あれです。USJのアトラクション乗った後売店になってるでしょ。あのスタイルです。   まぁ、その手のいろんなものが売っているわけですよ。 江戸風の絵が描かれた、「48手」手ぬぐいやら、巻物。まさに挿入している可動式キーホルダー。   何より驚かされたのは男性性器をしごくリアルに模したこけし?置物?の数の多さである。大小様々なこけしがずらりと並んでいる。   店の中には私以外に一組のカップルがキャッキャ言いながら店内を歩き回っていた。年の頃なら70代、いや60代後半とお見受けするカップルだった。   何故、ご夫婦と思わなかったかと言えば、彼女は化粧が濃く、黒の網タイツに茶髪の立て巻パーマ、8センチヒール。当時流行りのボーディーコンシャス!!と言った出で立ちで、やたら目ったら白髪紳士にべたべたと寄り添っていたからである。   私がお店の中で、まさにチン品を眺めていると   「買ってもいいけど、使ったらあかんよ!!」   と悲鳴にも似た声が聞こえてきた。   声の方に視線を向けるとこけしコーナーで例の熟年カップルが店員のおばちゃんに言い含められている。   カップルの彼氏の手には木目美しいリアル男子のあそこ「こけし」が、しっかと握りしめられていた。   店員のおばちゃんは、慌てた様子で   「ホンマに使ったら怪我するから」   と必死の説得をしていると、60を優に超えているであろう彼女は、彼氏がもってるこけしを指先でさすりながら   「これぐらいだったら、入れたこと有るから大丈夫。うふ」   と、小首を傾げかわいく肩をすくめ、ハートマークをウインクに乗せて彼氏に照射するのだった。   !!!!!!   私と店員のおばちゃんの目が2倍に見開く。   店員のおばちゃんはいよいよテンションマックスで彼女の方に   「あんた、これぐらい言うても見た目よりきついから!!絶対アカンよ!!怪我するから!!」   と 必死の形相。まるで自身で試したことのあるような口ぶりである。   おばちゃんの説得むなしくそのカップルはキャッキャと騒ぎながら「こけし」をご購入。   カップルが店から出る間際おばちゃんは   「絶対。絶対使ったらあかんからね〜〜」   とカップルの背中に最後の最後まで忠告の叫びをあげていた。   店員が売られへん様なやばいもん、なんで売ってるねん。と、心の中で突っ込みながら私は珍宝館を後にした。 ん〜〜。あのカップル絶対使ってるんやろな〜。   オソロスィ〜!!!(ノll゚Д゚llヽ)  

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    • 猫娘その後。

          猫娘の話を書いたので、猫娘のその後を書いてみよう。     10代のころ、鬼太郎に出てくる猫娘みたいなやつが・・・   こうなりました。    今や猫の本を出して大ブレイク。   ネコ好きも極めれば、大作家先生。すんばらしい。 興味のある方はぜひ読んでみてやってくださいな。 (他にもたくさん本を書いておられるので、ご一読ください)   ん~。人生分からんもんや。

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  • 05 Aug
    • 猫娘

        犬、イヌ、🐶の話・・・   猫、ネコ、(=^・^=) 🐈 ねぇ。   よし、猫娘の話でもしてみよう。      劇団時代猫が好きで、好きでどうしようもない役者(猫娘)がいた。   家では何匹も猫を飼っており、持ち物もすべて猫グッズで埋め尽くされているような奴だった。   ある日、劇団の合宿(飲み会)で一泊して南紀白浜に行こうという企画が持ち上がった。   合宿当日。猫娘(猫好きの役者)は飼っている猫と離れるのが嫌だとか何とかで、代替え用の猫のぬいぐるみを両手で抱きしめながら合宿に参加。   終始稽古中も猫のぬいぐるみを抱いていた。   そこで、悪だくみ役者連中は、あの猫がいなくなったら猫娘の行動パターンはどうなるのか検証してみようということになった(悪いことするでしょ)   猫娘がお風呂に行っている間に猫を猫娘の布団の中に隠ぺい。 (お風呂にも猫のぬいぐるみを持っていくと言って聞かなかったが、何とか、お風呂はみんなの共有物だから、ネコちゃんは置いていこーねー。となだめすかして、部屋に置いていかせた)   猫娘がお風呂から出てくると当然猫のぬいぐるみ「ミーちゃん」を真っ先にだきかかえようとする・・・・がおいていた場所に当然「ミーちゃん」はいない。   最初は私たちも   「ミーちゃん」おしっこにでも行ったんじゃないの?   と茶化していたのだがだんだんと猫娘が、半狂乱になって「ミーちゃん」探し始めたものだからさー大変。   劇団員全員のカバンの中身を空けはじめ、押し入れの布団を全部引っ掻き回し始めた。半べそをかきながら、浴衣姿のまま外に「ミーちゃん」「ミーちゃん」と探しに出ようとしたので、今度は私たちのほうが大慌て。   そこでゲーム終了。   「ミーちゃんはお前(猫娘)がお風呂に行っている間にお前が帰ってきて寒かったらあかんから、先にお前の布団の中で温めてくれていたんだよ。ほら、太閤秀吉のように」 と訳の分からないことを言って、猫娘の掛け布団をペロリとはがしてミーちゃんを見せた。   当然ミーちゃんはそこに寝ているわけだ(私たちが隠したのだから)   ミーちゃんを見つけた猫娘は即座にミーちゃんを抱きかかえ、そのまま布団に潜り込んだ。   普通ならここで、だれが隠したのだと犯人探しが繰り広げらるパターンだが猫娘はちょっと違っていた。   「ミーちゃんお布団温めてくれたのありがとうねー。」   と猫娘はミーちゃんを愛で始めたのだ。その後、犯人追及の裁判劇はいっさいなく、ご機嫌さんの猫娘であった。   ん~猫好きの行動パターンは常人には解明できん。   あの時はミーちゃんを隠してごめんなさい。猫娘さん。

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    • 楽してアクセス数を増やす方法「必殺!岩合作戦!!」

          アクセス数を伸ばそうと思うが、何の特技もなく有名人でもない一般ぴーぽーの私がそんな簡単にアクセス数を伸ばせるはずもない。   そこで私は閃いた!   人気ブロガーと言われる人々はどのような内容のことを書いておられるのかを検証してみよう。先人たちの人気の秘密を解明すればアクセス数が伸びるのではないだろうかと。(結構普通でしょ)   人気ブログランキングを調査!   1猫2猫3犬4猫5犬6猫7犬8株・FX9猫………時々病気   なんじゃこりゃ!   ほとんどが猫と犬で構成されているではないか。ときおり、株やFX。まれに病。   みんなそんなに猫が好きだったとは…   どうりで、岩合 光昭さんも報道カメラマンからネコに商売替えしたわけだ。そりゃ売れるはずだ。   (かくゆう私も岩合光昭さんの写真展には何度か足を運んだことがある。その時、購入したクリアファイルなんて・・・お気に入りだ。)   私も次は猫の話を書いてみようかしらん。

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  • 04 Aug
    • 今年の夏は暑い!なので、ちょっとひんやりとするために、稲川淳二話でも書いてみよう。

      暑い。暑い。今年の夏は暑い。夏と言えば、稲川淳二。稲川淳二。と言えば怪談話。そこでちょっとひんやりとしたお話でも書いてみよう。ひんやりした話ねぇ。そうだ、我が家でのギボアイコことオカンの話をしよう。   オカン曰く、   「私には力の弱い下級の神様が憑いているんだよ」   これが、オカンのプチ自慢である。「力が弱い」だとか「下級」だとか、散々な言われ方をされているが、とにかく「神様が憑いている」とオカンは事あるごとに言うのだ。   オカンの神様ファイル①   オカンが神のご加護に抱かれていると(勘違い(笑))初めて思ったのは、高校生の時だったらしい。オカンの通う高校はミッション系ならぬシャクソン系高校だった。普通の高校で言うところの林間学校が「お山参り」といって、高野山(言わずと知れた、空海が真言宗を開いたところ)で寝泊まりして修行をするという、学校行事があったそうな。   オカンが寺の廊下を歩いていると、一人のおじいさんが、オカンに声をかけてきた。そこまで聞くと、ただ女子高生にちょっかい出したいだけのエロジジイ、エロ坊主と思いきや、そのお寺の住職で阿闍梨クラスのとっても偉いお坊さんだったらしい。   そのエロ坊主、もとい、大阿闍梨様が言うには、   「あなたには、とてもいい仏様が憑いていらっしゃる。辛いときや困ったときはその仏様があなたを助けてくださる」   と言って、両手を合わせたそうな。   そんなことがあったもんだから、オカンは自称、「能力者」と思うようになったのだった。   子供の頃、旅行に行ったり、遊びに行ったときなど、急に私と妹に   「そっちはあかん!!!!霊が居る!!!!!」   などと、人目も気にせず、所かまわず、急に大声を上げるもんだから、幽霊やモノノケの類よりオカンの声の方が怖かった。   坊主も余計なことをしてくれたものだ。と、幼い頃、見たこともない大阿闍梨に逆恨みしたものだ。   オカンの神様ファイル②   オカンの脆弱な神様はオカン曰く私の命を4度助けてくれているそうな。   一度目は私のお産の時大阪の小さな産婦人科で産む予定だったのだが、親父の転勤が急に決まって、和歌山県のど田舎に引っ越すことになったそうな。   引っ越し先の和歌山の田舎町には個人の産婦人科が一軒もなく、その代わり、アパートの隣には、どでかい国立病院があったらしい。そんなもんだから、やむを得ず?国立病院で私を生むことになったのだが、予定日より早々に出てくるわ。黄疸は出まくるわ、幽門狭窄で   「こんなまずい乳が飲めるか!!!」   と言わんばかりに乳は吐きだすわ。体重は1800キロ1600キロと下がっていくわ。で、てんやわんやだったらしい。オカン曰く   「おとうちゃんの転勤がなかって、大阪の町医者であんた産んでたら確実に死んでたで。」   と言うのだった。つまり、オカンの神様が私を助けるために転勤を会社に命じてくださったのだ~。   ということにオカンの中ではなっている。   こんな感じの九死に一生エピソードが後3つある・・・・長い!!!   文章が長くなってしまうので、ここまで!!   ちょっとひやりとするエピソードは、数多あるのでまた機会があればということで。   バイナラ。  

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    • 動物好きの極悪人

          わが妹は自称動物好きである。   子供の頃、縁日で金魚すくいをして、「お家で飼う」と両親にねだりまくったのが遍歴の始まり。 その後、ハムスター。おきまりの猫、犬である。   「どうせ、世話はお母さんがするんだからダメ!」 「絶対世話するから。お願い。絶対するから」 幼い妹に懇願されて親も根負けし、水槽セットを買った。   家の大きさと水槽の大きさを完全に見誤っている親父殿が、どや顔で買ってきたものだった。 (横幅1m奥行50cmほどあった)   「金魚入れるのにどうして、こんな大きなもの買ってきたのさ!!」 と、怒り狂うオカンを横目に親父は、嬉しそうに水槽を設置した。   縁日でとってきた金魚数匹がどでかい水槽で悠々と泳いでいた。   親父は、水槽を買って満足し、それ以降は関心なし。妹も水槽を買ってもらって満足し、それ以降は関心なし。   オカンの予想通り、金魚の世話はオカンの担当になった。   「ほら!お母さんの言った通りになったでしょ!!そんなに世話するのが嫌だったら、池に捨ててきなさい!!」   あまりにも世話をしない妹に業を煮やしたオカンがそう言い放って、仕事に行った。   オカンが仕事から戻るなり「ああああああ!!」と、奇声を上げた。   どうしたのだと、玄関に走っていくと。   オカンが水槽を指さし「金魚どうしたの?猫にでも入られたかな?」と、泣き顔で私に聞いた。   「知らないよ。学校から帰ってきてから、物音一つしなかったけど・・・」 と、私が説明していると   「私が池に捨てたんだよ」 と、後ろから声がした。   「え!!」   目を見開いて振り向くと 妹が悪びれもせず 「お母さんが朝、いらないんだったら、捨ててきなさいって言ったから」 と、平然と言ってのけた。   こ、こいつだきゃ。   それから半年ほど経ってまたもや妹が、今度はハムスターが欲しいと言い出した。 当然オカンは   「どうせあんたは、世話しないんだから、絶対ダメ!!」   そりゃそうである。金魚の世話が嫌で池に捨ててきた女である。   「絶対するから、今度は絶対するから」 涙を浮かべてオカンに懇願する妹。   「絶対。絶対。絶対するから」 「絶対?」 幼い妹にすぐ甘い顔を見せるオカン。   「今度は絶対。絶対」   ってことになり、またもや親父殿がドデカイハムスターハウスを購入してきた。水飲みのための点滴みたいなのやら、からから走る回し車。下に敷く、なんかようわからん、わしゃわしゃした紙屑。   親父は嬉しそうにそれらをセットして、ハムスターを中に放した。ハムスターはからからと回し車の中を走り回り、エサのひまわりの種を食べた。   親父はそれで満足してそれ以降は関心なし。妹も以下同文。   やっぱり、ハムスターはオカンの係りになった。   「だから、お母さん言ったでしょ!!あんた全然世話しないじゃない!いらないんだったら公園に捨ててきなさい!!」   まったくハムスターの世話をしない妹に業を煮やしたオカンが、またもや吠えた。   「はいぃぃぃ!」   妹は元気よくお返事して、ハムスターを虫かごに詰めようとした。   「!!!!」   あわてたオカンは   「あんた何してるの!!」   と、妹に問いただした。   「公園に捨てに行くんだよ」   悪びれもせず、無垢な瞳をオカンに向ける妹。   「捨てちゃダメ!!」 オカンは、妹の手から虫かごを即座に取り上げた。   「お母さんが捨てて来いって言ったから」 妹は、なおも分からないという風にオカンを見つめた。   「もう!!」 オカンは、やり場のない怒りを虫かごにぶつけ、それ以降ハムスターはオカンの係り、と、正式に決まってしまった。   動物好きの極悪人。わが妹。 子供に倫理を教えるのって難しい。   その後さすがに犬を捨てに行くことはなかったが、真っ白な犬の顔に眉毛と豊齢線を書き込んだり、しっぽをつかんで引きずり回したり、自分の嫌いな食べ物を犬に食わせて隠ぺいしたり、やりたい放題。 猫に関しては……筆舌に絶えないのでここでは書き控えておこう。   とにかく、なんちゅうやっちゃ。   あいつだきゃ。恐ろしいやっちゃ。   コワ━━《(。´iωi人iωi`。)》━━イッ!!!   そんなあいつも今では人の親。どうなる事やら…お兄ちゃんは心配だ。  

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  • 03 Aug
    • 女子トイレ覗いてみたい!!ぼくたちの悪童日記

          「女子トイレ覗いてみたいねん!」   真剣な面持ちで僕たち悪童連に話を持ちかけてきたのは、A君だった。A君は私たちと違ってとってもシャイで内気な少年だった。   そう、あれは中学3年生の秋。頭の先から足の先まで未だ見ぬ想像上の憧れ、「女体」で埋め尽くされていたときのお話。   このA君小学校の時、将来の夢を卒業文集に書くところへ「地方公務員になりたい」と書いてしまうほど堅実君。   そんな彼が「女子トイレをのぞいてみたい」と言うのだから、仕方がない。   任せておきなさい。   堅物一片通りの彼も二次成長の荒波には逆らえなかったのだろう。ウン、ウン。我々もそれは痛いほどよく分かる。 われわれ悪童チームは、やる気満々。意気揚々。粉骨砕身。A君の力になってあげることにした。 題して「A君の夢を叶える作戦!!」 ホント、男子中学生ってバカですね〜。   それはさておき、   三年生のトイレは一階にある。コの字型の校舎なので、反対側からオペラグラスでも使えば覗けるかもしれない。   しかし、反対側の二階は美術教室である。ここで早くも問題発生。鬼の美術教師、生活指導担当に見つかった暁には、一発や二発殴られる程度では済まない。命の危険すらあるのである。   生命維持に危険のある美術室のある2階はパス。   では三階。角度が急すぎて女子トイレの中が見えない。   そこで我々が導き出した答えは、コの字型の校舎の中庭には校舎に沿って花壇が設置されていた。   そこで、花壇の手入れをしている体で、中を覗く。と言うものだった。   しかし、窓の下側はスリガラスなっていて何も見えない。肩車をしても、女子トイレの中は見れるものの、肝心のまさに女子が行為をしているところは見ることができないのである。これでは手落ちである。   トイレの上の部分が少しあいているので、やっぱりその中を見たいではないか。   となるのは至極当然のことである。   そこで、我々は中学三年間。体育祭でいやいややらされてきた組み立て体操の要領で高さをまして中を覗くこととした。   こんな時に組み立て体操が役立つとは!!   と一同。狂喜乱舞。   いざ、出撃。   トイレが混むお昼休憩我々はダッシュで中庭に集合して三年間練習し続けてきたピラミッドを素早く組んだ。   最後にA君を肩車したしたやつが、てっぺんに立つだけだ。   一番下の土台になっていた私は、   「まだか、まだか?見えたか?」   を繰り返していたが、返ってくる答えは   「もうちょっと、もうちょっと」   だった、A君を肩車していた奴が   「お〜女子おるで〜」   と歓喜の声を上げた瞬間   コの字型の校舎の反対側から   「コラ―――――――お前らなにやっとんじゃーーー」   と、聞きたくない、聞き覚えのある声が聞こえてきた。   その声に驚きピラミッドはもろくも崩れ去った。   その声は言わずと知れた美術教師のものだった。   美術室の前はまずい。との理由で、中庭でピラミッドとなったのだが、美術室からはこのトイレがしっかり見えるのだった。   我々はそのことをすっかり忘れていた。中庭なら大丈夫と誰もが思い込んでいたのだ。 やっぱり、バカばっかり。   案の定こってり絞られた。   「僕たち花壇の手入れしてただけですよ」   と一応言い訳してみたが問答無用、鉄拳&廊下に正座と言う今のご時世だったらえらいことになるぞ的な体罰を受けることになった。   学校の帰り道A君に「見えたか?」と聞いたら、   「誰かに見られてへんかと思って、きょろきょろしてたから、あんまり中見てへんかってん」   と、なんともまぁ、彼らしい返答。   そうして、「A君の夢を叶える作戦」は失敗に終わった。   がっくし。   しかし、この話には後日談がある。   文化祭の前日、文化祭の準備が有るから。との理由で夜遅くまで学校に残っていたとき。   チャーンス到来!!   とばかりに、我々はA君を連れて夜の女子トイレへと向かった。   電気をつけると怪しまれるので、暗闇の中、我々は誰も入っていない女子トイレの前で両手を広げて、A君に   「さーー思う存分覗くがいい!!」   といってのけたのだった。   気のいいA君は   「ありがとう」   と言って漆黒の女子トイレへと消えて行った。   トイレからでてきたA君は   「女子トイレ覗いちゃった」   と、無邪気な笑みを浮かべて喜んでいた。   まぁ、一応これでも作戦は成功か。と我々も勝利のガッツポーズを決めるのだった。 なんじゃそりゃ。   (/。\) ハズカシイ

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  • 02 Aug
    • 破天荒バカ犬一代記

        ミニコミ紙で、貰ってくれませんか?のコーナーに出ていた子犬を貰いに行った。   父は血統書付きのチャウチャウ犬。 母は血統書付きのシベリアンハスキー。   貰ってきたこいつは、完全無欠の雑種。   それでもどっからどう見てもハスキー顔。チャウチャウの面影すらない。   色々いたのだが 「この子かわいい」 と、妹が抱き上げたので、そいつに決定。兄貴の意見は全く反映されなかった。   家に帰って、こたつの上に置いてあったミカンのカゴに、貰ってきたばかりのそいつを、入れて、命名会議。   「ラッシー」 「ジョリー」 「はち」 「女の子だからダメ!!」   私の提案した名犬シリーズはことごとく却下された。   「桜子」 「晴美」 「洋子」   当然、親父行きつけのスナックのおねぇーちゃんシリーズも却下。   紆余曲折あって、「ジュンちゃん」と命名された。   今まで、我が家では何匹か犬を飼ったことがあったが、こいつは、歴代の中でも特にバカだった。   子供の頃、庭を必死に掘っているなぁ。と思ったら、ガス管を食い破って大騒ぎになった。   私がジュンを叱ると決まって私の部屋(二階)まで上がってきて、ウンコをするのだ。二階には他に妹や両親の部屋があるにもかかわらず。決まって私の部屋にする。 わざとやっているに違いない。   「バカ犬!!!」   U ̄ー ̄U ニヤリ   やんちゃっぷりは、2歳になっても変わらなかった。変わったところと言えば、子供の頃あんなに、ハスキー顔だったのに、成長するにつれ、顔がファッサ、ファッサの白い毛が生え、顔だけチャウチャウになった。体はハスキー。 変な犬。   大人になってもやんちゃなジュンは、何度も首輪を外して逃亡し、何週間いや、長いときは何か月も帰ってこなかったこともあった。   (通報があって、迎えに行くと、ちゃっかりよそ様の家でかわいがられていた。)   輪抜けをして、「また逃げた!!」   と、騒いでいると、近所の散髪屋から電話がかかってきて。   「ジュンちゃん、また、ローソンのヤンキーにお菓子貰ってるよ」   と、チクリの電話があって、御用。   ジュンの脱走にかける執念は凄まじい。   ある時なんかは、家を囲っているフェンスをよじ登ろうとして、足が3分の2取れかかっていた。   オカンが「ああああああああ」阿鼻叫喚。騒いで病院まで連れて行き、かろうじて足は取れずに済んだ。   「ジュンちゃん!!」   と、家族が怒るのも素知らぬ顔で   「なんかちょうだい」   と、いつも通り、お手とお代わりを繰り返すのだった。烈火のごとく、仁王さながらのオカンにその態度。まさに破天荒ここに極まれり。 性欲も飛びぬけてお強かったジュンちゃん。   盛りの時期になると、犬小屋にベニヤ板を親父が苦労して貼り付け、「男除け」 をしていたのだが、ベニヤ板をこりこりと前足と歯で破壊していたのは、男子ではなく、ジュン本人だった。   誰のための防犯装置だと思ってるんだ。   と、親父殿はご立腹だったが、親父が板を張っても、張っても、ジュンが破壊しつくした。 破壊して少しの隙間ができるとジュンは隙間に膣を押し付けて、男根を迎えるのだった。   妹が思春期の時は、帰りが遅くなる妹に対して、両親は、 「ジュンみたいになる気か!!!」 と、淫乱の代名詞のように使われていた。   そんな、ジュンが死んだ。癌だった。   その夜、家族全員に緊急招集がかけられて、お寿司を取ってお通夜をした。次の日。家族全員有休を取り、仕事を休んで、焼き場に行った。   家族全員で「どうやって、仕事を休むか会議」の結果。何年も前に亡くなった叔母に、もう一度ご足労願うこととなった。   ジュンはバカでしょうがなかったが、今まで飼った犬っころの中で最も印象に残っていて、かわいい奴だった。   獣医の知り合いに後日聞いた話だが、ジュンは、飼い犬として最も向いていない犬種の第一位と第二位の雑種だったらしい。   それを家族にはなすと、皆「あぁ」と首を縦に振って納得していた。 U^皿^U ウシャシャシャ

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