「出来るかな?」の不安は意味がない
■「出来るかな?」の不安は意味がない
塾の学年もひとつ増えた人も多いと思います。
今現在、5年生でも「新6年生」と言われていますね。
いよいよ、最終学年が始まった!
…と気を引き締めている方や、
今年に入って、
「中学受験」をすることにきめた人もしますでしょう。
いろいろ不安があることでしょう。
また、
新しい単元に入るときなどに、
あまりにも大きな不安を抱く人がいます。
僕に出来るかな?
私に出来るかな?
またご両親も、
「この子が出来るのかな?」
…と感じることがあるかもしれません。
でも、その心配はまったく必要ありませんよ。
というか意味がないんです。
なぜなら、
人間が経験・達成するいきさつを考えてみて下さい。
すべて、
●やろうとして、出来るようになったことばかりですよね。
赤ちゃんが初めて立っちするのも、歩けるようになるのも、
転びながら自転車に乗れるようになるのも、
泳げるようになるのも、
すべて、やろうとして出来るようになったことです。
最初から、出来ることなんて人間ひとつもないんです。
だから、自信ないなあ…と不安がる必要ありません。
人間はそのようにして、
ひとつひとつクリアして、成長していきます。
だから、何か「やろうとすること」があるということは幸せです。
また成長するチャンスがやって来たんですから。
「いやあ、また成長しちゃっていいんですか?」
…ぐらいの気持ちでいきましょう。
あまりピンとこない方、
じゃあ、もっと具体的にどんな感じか話しますね。
自転車が乗れるようになった時のこと思い出してみましょう。
最初は、上手くいかず転んだり泣き叫んだりしますよね。
でも、親はまったく不安にはならないでしょ?
「この子、できるかなあ?」って思いませんよね。
それは何故ですか?
●自転車は誰でも乗れるようになると「知っている」からですよね。
自転車は誰でも乗れるようになると「信じている」
…ではないんです。
この違い分かりますか?
「知っている」と「信じている」とはまったく違います。
映画「マトリックス」で、
モーフィアスはネオにこう言います。
「動こうと考えるな。動けると知れ!」(←ふかいです。観てください)
「自転車は乗れるもの」と親は知っている。
子供はそんな親の態度・表情を見て、
「ああ、自転車は乗れるんだ」と知って、練習に励みます。
だから、親の態度・表情・言葉はとっても重要なんです。
お子さんが塾のテキストを見て、
「うわあ、こんなに覚える事あるの?できるかなあ?」
…と不安がっても決して、
「そうねえ、あなた暗記が苦手だもんねえ」と同調しないこと。
きっぱりと、
「できるわよ。小さい頃ポケモンの名前、あれだけ覚える能力あったじゃない」
…と言われると、
子供は「そうかなあ…」と脳にインプットされます。
「私、算数の売買損益が苦手なの」…と嘆いても、
「ウチは代々、商売の家系だから得意にきまっているよ」とキッパリ。
面白いもんで、人は根拠がなくても「理由」をつけられると、
そうかなあ…と信じ込みやすいですよ。
だから、
お子さんの長所や昔の出来事をリストアップしておいて、
子供が何か不安がったら、
「大丈夫、あなたは○○だったでしょ」
…と言えるようにしておいてくださいね。
「大丈夫なんだ」と子供を洗脳することも、
中学受験におけるご両親の役割ですよ。
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