大そらに静に白き雲はゆくしづかにわれも生くべくありけり

2011-08-08 09:37:37 テーマ:平成新選百人一首

大そらに静に白き雲はゆくしづかにわれも生くべくありけり

相馬御風

この歌は「青い大空に静かに白い雲がゆったりと流れている。あの雲のように静かに私も生きるべきであるな」という意味です。

 「大正十二年 初夏の頃」という題がつけられたこの歌は、御風が故郷の新潟県糸魚川に帰ったときに詠まれたものです。御風は早稲田大学の出身で、入学前から詩歌への関心が深かったようです。ちなみに早大の大学校歌「都の西北」は相馬御風の作詞によるものです。

 夏真っ盛りとなった今日この頃、最近は、夏の暑さにへこたれて白い雲をゆっくりと見つめる余裕もありませんでしたが、私も少し深呼吸して、大空に静かに流れる雲のように心静かに過したいと思いました。


/一茶


この歌は『平成新選百人一首』よりご紹介しています。

http://www.meiseisha.com/katarogu/hyakunin/heiseisyousai.htm

千萬の民の力をあつめなばいかなる業もならむとぞ思ふ

2011-04-19 18:03:15 テーマ:平成新選百人一首

千萬(ちよろづ)の民の力をあつめなばいかなる業もならむとぞ思ふ


(明治四十一年)明治天皇


 

平成23年3月11日、東北地方太平洋沖地震が起こりました。東北を襲った津波はコンクリートでつくられた建物をいとも簡単に崩壊させるほどの威力でした。また、テレビに映る津波の映像は、いつか観た映画のワンシーンのようで、なかなか信じる事が出来ませんでした。日を追うごとに増えていく犠牲者の数や解決の先がなかなか見えない原発の問題、そして多くの被災者の方々が現在も悲しみと不安を抱えながら生活しています。


今回ご紹介した歌は、明治天皇の御製です。「多くの民の力を集め協力すれば、どのような事も成し遂げることができるのだ」という意味で、今の日本に必要な心をお示しになられていると思いました。


ある予備自衛官の青年は、被災者でありながら、崩壊した実家の前で召集令を受けました。つまりそれは、我が家と、母親を一人残して出動しなければならないという事なのですが、彼は「今行かないと10年後、20年後、自分は絶対に後悔すると思う」そう言って出動していきました。母親は涙ぐんでいました。

 

もし私が被災したら、この青年のように自分の事を後回しにしてでも行動する事ができるだろうか、そう考えると改めて、彼の姿に深く胸打たれました。


現在、被災地では自衛隊や警察消防など多くの日本人が復興に向けて努力をしています。また日本各地で支援の輪が広がり、一人一人が「自分に何ができるのか」を懸命に模索しています。余震や原発の問題などで、まだまだ予断が許せない状況が続いていますが、このような時にこそ、ご紹介した御製にあるように、一人一人が協力し合い、国民の英知を結集し、被災地を支えていかなければならないと思います。


/一茶

この歌は『和歌にみる日本の心』小堀桂一郎/著からご紹介しています。

http://www.meiseisha.com/katarogu/wakani/wakanisyousai.htm


勤皇歌人の歌

2011-01-31 09:48:06 テーマ:平成新選百人一首


我が胸の燃ゆる思ひに比ぶれば煙は薄し櫻島山
(私の胸のうちに燃え上がるほどの勤皇の熱い情熱は、あの黒々と吹き上げている櫻島の煙とは比べものにならぬほど熱いものだ)

櫻島は鹿児島にある火山ですが、平野國臣の生きた時代は、
安永八年の大噴火から百年足らずですので、今以上に煙を上げて
いたと思われます。

この歌は、熱い勤皇の志をひときわ格調高く歌い上げた秀歌として
有名ですが、一方で國臣は次のような歌も詠んでいます。

君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを
(天皇の御代が安らかであれば、自分は花の番人となって暮していくものを)

激動の時代、多くの志士たちは雄々しく奮起していきました。
しかしその一方で、心中では様々な感情がうごめいていたのだと思います。

平安時代、宮廷貴族によって花開いた和歌でしたが、それから長い期間、じつは和歌の文化は停滞していました。

しかし、明治に近づくと平野國臣のような、数多くの「勤皇歌人」が現れ、素晴らしい歌を多く生み出しました。最後に勤皇歌人の歌をいくつかご紹介したいと思います。

九重の悩む御心思ほえば手に取る屠蘇も呑みえざるなり (吉田松陰)
かくばかり乱れゆく世をよそに見て過ごすは臣の道ならめやも (三条實美)
後れても後れてもまた卿(きみ)たちに誓ひしことをわれ忘れめや (高杉晋作)
たのしみは戎夷(えびす)よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るとき (橘曙覧)


この歌は『平成新選百人一首』(明成社)からご紹介しています。
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/一茶

子を想う母の歌

2010-08-20 11:14:10 テーマ:平成新選百人一首

旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽含め(はぐくめ)天の鶴群(たづむら)

                   遣唐使随員の母(万葉集・巻九)


この歌は「旅行く人が夜宿る野に霜が降ったならば、我が子をそなたの羽の下につつんでやってくれ。空かける鶴たちよ」という意味です。


唐に遣唐使として渡った人達は、多くの文化的富を日本にもたらしましたが、その旅は大変危険なものでした。このときの遣唐使は天平五年(七三三)の第九回目ですが、行きは無事でも帰りは、インドシナ半島方面に漂着したり、またある船は途中で難破し誰も帰らなかったこともあるほどで、命がけの旅といえました。当時、無事に日本まで帰ってくることが出来た遣唐使らは本当に僅かな人数だったそうです。


そうした背景を知ると、作者である母親の切なる願いが感じられてきます。子の無事を祈る母の祈りは真剣そのものだったのです。また下の句の「わが子羽含め天の鶴群」という言葉の流れは実に美しく、作者の教養の高さが感じらます。


時代は変わっても母が子を想う心は変わらないのだと、この歌からしみじみと感じることができました。


/一茶


この歌は『平成新選百人一首』からご紹介しています。

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続『平成新選百人一首』誕生秘話(番外編)

2008-03-03 19:50:32 テーマ:平成新選百人一首

大阪の「阪」は常用漢字外


平成20年1月28日、文化審議会国語部会は、大阪の「阪」、熊本の「熊」、鹿児島の「鹿」、山梨の「梨」、奈良の「奈」、栃木の「栃」、愛媛の「媛」などを新たに「常用漢字」に加える案を了承しました。

そうです。これらの漢字はこれまで常用漢字に含まれていなかったのです。


当用漢字と常用漢字


この「常用漢字」というのは、昭和56年に決められた漢字使用の目安で、現在1945字が定められています。これは、昭和21年に定められた「当用漢字」への批判が高まる中で決められたものです。

「当用漢字」が、使用できる漢字の数を1850字のみに制限するという漢字使用の上限を定めたのに対して、「常用漢字」の方は、あくまで使用の目安とされ、その性格を「使用の制限ではない」、とした点で、実に画期的な前進でした。

しかし、この「常用漢字」。いかに使用の目安であるとは言っても、これまで県名に使われている漢字も入っていなかったというのはやはり問題です。

しかも人名用に使える漢字ということになると、未だに制限が付けられています。その数、僅かに284字。

折角いろんな漢字があるのだから、もっと自由に使わせてほしいと考えるのは、果たして私だけでしょうか。


子供の視点、大人の視点


もちろん、これに対しては「漢字が多すぎると憶えるのが大変だ」という批判もあるでしょう。私も小中学校のときは、「漢字なんかなくて、ひらがなだけならどんなに国語の勉強がラクだろう」と考えていました。

しかし、今はまったくそうは思いません。勉強が嫌いなのは子供の特権(自分だけ?)ですが、大人には別の視点があるのです。大体、ひらがなだけの単行本、ひらがなだけの新聞なんて、考えただけでぞっとするではありませんか。


『平成新選百人一首』の著者の一人である桂重俊先生(東北大学名誉教授)は、次のように述べられています。

「昔は新聞雑誌にルビがふってあり、学校で文字を習わなくても、読書さえしていれば文字を覚えたものです」

国語審議会が、昭和21年にルビを廃止し、当用漢字を制定、最終的には漢字を廃止し、表音文字だけの国語(全て平仮名かローマ字だけにする)を目指すコースを選択したことは、既に書きました。私は、このルビをこそ大いに活用して、漢字を使うべきだと思っています。


明成社の国語問題への立場


国語問題、それも漢字の使用制限の話ばかりが、長くなってしまい、既にご存知の方には退屈な話になってしましたが、明成社の書籍づくりの基本的な立場について、知っていただきたくて敢えて書かせていただきました。

仮名の問題、略字の問題は、また別に機会があれば書きたいと思っています。


明成社の国語問題に対する基本的な立場は、正漢字、正仮名を用いた伝統的な表記を理想とするものです。

しかし、現実的には、正漢字、正仮名で記述された本は、取りつきにくく売りにくいという事情があり、また戦後生まれの著者の方や我々編集者自身が自在にこれを使いこなすことができないなどの問題もあります。ですから、明成社の書籍には、全編新漢字、新仮名で書かれたものがあり、正漢字、正仮名を用いたものもあり、両方がまざったものもあるのです。


『平成新選百人一首』は、もちろん正漢字、正仮名の伝統的な表記で書かれた明成社の理想的な出版の一つであります。



(浮羽博幸)



追記


『平成新選百人一首』に収まり切れなかったが、どうしても捨てがたい秀歌を、小堀桂一郎先生が解説付きで『和歌に見る日本の心』という大著にまとめておられます。

和歌を中心に展開される日本精神史は正に壮大です。併せてお読みください。


『和歌に見る日本の心』

http://www.meiseisha.com/katarogu/wakani/wakanisyousai.htm





続『平成新選百人一首』誕生秘話③明成社版は「正統版」?

2008-01-23 11:59:01 テーマ:平成新選百人一首

社長の心変わり


『平成新選百人一首』は、当初明成社で出版を予定していましたが、途中から文藝春秋サンで出版することに変更になりました。これを発案、実行したのは、何と我が明成社の石井公一郎社長(当時)本人でした。文藝春秋サンでやった方が、より多くの方に本の存在を知ってもらえるというのです。

われら明成社社員は、少し凹んでしまいましたが、社長の高い志のためならと、気持ちを切り替え、前向きに考えることにしました。


大手出版社の悩み


ところがです。

大手の出版社サンには、大手なりの制約や悩みがあるようで、最終的に、「解説を含む全文を正仮名、正漢字で表記した出版は難しい」という返事が文藝春秋サンから返ってきました。

それで、苦肉の策として、この本の存在を多くの方に知ってもらうための「新仮名、新漢字版」と、初志を貫徹する「正仮名、正漢字版」の二種類を製作することになったのです。

「新カナ、新漢字版」を文藝春秋サンが、「正仮名、正漢字版」を我が明成社がそれぞれ担当することになりました。

明成社からも、『平成新選百人一首』が出せるようになったのです。


明成社小なりと雖も・・・


前にも書きましたが、百首の選定に大きく関わった団体の一つに民間団体の国語問題協議会サンがあります。ここの会長(当時)が宇野精一先生であることも、既に述べました。

宇野先生は、当初政府の国語審議会の委員でしたが、同会の方針に反対して脱会され、新たに国語問題協議会を結成して政府の国語政策と対峙してこられた方です。先生には、明成社版の発行を心から喜んでいただきました。

明成社小なりと雖も、この会社にしか果たせぬ使命、役割があることを感じさせていただき、とても有難く思いました。


国語問題協議会会員で、東北大学名誉教授の桂重俊先生は、文藝春秋サンの方の『平成新選百人一首』を「文春版」、そして明成社から出された方を「正統版」と呼んでおられます(『黒豹45』2003.5号)。

感謝合掌。


(浮羽博幸)




続『平成新選百人一首』誕生秘話② 日本語から漢字がなくなる?

2008-01-17 20:34:30 テーマ:平成新選百人一首

実は、『平成新選百人一首』は正仮名、正漢字で書かれています。何故正仮名、正漢字になっているかというと、本書の製作について大変お世話になった国語問題協議会サンという団体が、戦後日本の国語政策の誤りを正すことを目的とした会だったからです。この会の当時の会長が宇野精一先生でした。


戦後の国語政策を決定した国語審議会


よくご存じの方には退屈でしょうが、国語問題について若干説明します。

戦後日本の国語政策を決定した国語審議会は、GHQの影響を強く受けていたと言われています。そして、この会が昭和21年に、当用漢字と新仮名を制定し、ルビを廃止する方針を打ち出すのです。

当用漢字とは、使用できる漢字を制限する制度で、驚くべきことに、その数は僅か1850字しかありませんでした(最近のワープロは1万2000字くらい使える)。

それから、新仮名という全く新しく人工的につくられた仮名遣いによる教育は、正仮名で書かれた古典や戦前までの文学が読めない世代をどんどんつくり出すことになってしまったのです


日本語が平仮名だけになる危機


国語審議会(主流派)の目的は、これに止まりませんでした。最終的には全ての漢字を廃止して、日本語を平仮名かローマ字だけにしてしまおうと考えていたようです。

第6、第7期の国語審議会委員の吉田富三氏は、同会の動向に不審を抱き、「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする」との決議を挙げることを幾度も提案しましたが、ごく常識的なこの決議案はその都度黙殺され続けたのです。

その危機が頂点に達したとき、文藝家協会が文部大臣に対して吉田提案についての公開質問状を提出しました。これによって世論が沸騰するに及び、森戸国語審議会会長はようやく「漢字全廃」を否定したのです。


(浮羽博幸)



続『平成新選百人一首』誕生秘話①宇野精一先生のご葬儀

2008-01-16 01:44:37 テーマ:平成新選百人一首

先週の土曜日、宇野精一先生のご葬儀に行ってきました。

会場には100名くらいの遺族の方々が着席、会場の外には11時の時点でやはり100名くらいの方々がご焼香のために列をつくっていました。小雨の降る、とても寒い日でしたが、新たな弔問客が次から次へと訪れ、列の最後尾が延びてゆきます。


葬儀が始まり、いくつかの弔辞、弔電が読まれましたが、やはり国語問題への取り組みについての先生のご功績を讃えるものがたくさんありました。

先生の国語問題への取り組みとは、国語を近代的、合理的に再編しようとする動き(漢字の略字化や名前に使用できる漢字の制限。新仮名遣いの定着化等)に対する抵抗、闘いのことです


実は、前にご紹介した『平成新選百人一首』の製作過程で問題になったのは、いかに百首の和歌を選ぶかという点だけではありません。この国語問題についても実に様々な論議があったのでした。


この『平成新選百人一首』誕生の秘話(国語問題編)を、これから3回ほどに分けてお話しさせていただきたいと思います。


(浮羽博幸)




宇野精一先生のご冥福をお祈り致しますー『平成新選百人一首』誕生秘話

2008-01-11 19:28:41 テーマ:平成新選百人一首

1月7日、中国哲学などの研究で知られる東京大学名誉教授の宇野精一(うの・せいいち)先生が逝去されました。97歳。老衰だそうです。

宇野先生は、国語政策について政府にしばしば献策されたことや、「昭和」に代わる新元号の考案を政府から委嘱されていたことで有名な学者です。

我が明成社も宇野先生との縁は決して浅くはなく、かつて先生に『平成新選百人一首』という本の編集、監修をお願いしたことがあります。


『小倉百人一首』と『平成新選百人一首』


「百人一首」と言えば『小倉百人一首』が有名ですが、『小倉』が時期的には王朝時代約300年間を中心にし、内容的には、相聞歌(恋愛の歌)中心であったのに対し、本書は、時期的には万葉から昭和まで約2000年の期間、内容的には、家族愛や忠義、志の歌などあらゆる題材・歌風を網羅したものでした。その製作の計画自体、正に前代未聞、壮大そのものと言っても差し支えないでしょう。

和歌の文献と言えば、勅撰の歌集、結社や同人のもの、個人の歌集等実に膨大な数に及びます。まず、これらをある程度の数まで絞り込む作業がありました。気の遠くなるような作業です。それでも、やがて時間の経過と共に、様々な学術団体、学者の先生方の協力を得て少しづつ選定は進んでゆきました。


百首を決める先生の責任と決意


しかし、最後に再び難問が待ちかまえていました。

百首に絞り込む作業が暗礁に乗り上げたのです。

和歌を熱烈に愛する先生方は、各々お気に入りの和歌が百首の選から漏れることを心苦しく思われ、意見がなかなか一致をみなかったのでした。

明成社の石井公一郎社長(当時)は、状況打開の決意を込めてその頃宇野先生に次のような話しをしたそうです。

「ある程度までの集約は比較的スムーズにいくかもしれないが、最後の百首を選ぶ際には必ずつかみ合いの大喧嘩になるでしょう。その時は、先生と私(石井)で悪者になって必ず完成させましょう」


出版記念会での笑顔


和歌は、最終的に宇野先生が全責任を引き受けて決定されました。危機は回避されたのです。

また、選ばれた百首の和歌にはそれぞれ解説が付され、その執筆は佐佐木幸綱、篠弘、岡野弘彦といった当世一流の歌人の先生方にもご担当いただくことができました。宇野先生ご自身も解説を何編か執筆されています。


かくて平成14年春、『平成新選百人一首』は遂に出版の日を迎えました。

完成を宇野先生は大変喜ばれました。

出版記念会で、お話したときの笑顔が今も思い出されます


先生の告別式は、明日午前11時から東京中野の宝仙寺で行われる予定です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


http://www.meiseisha.com/katarogu/hyakunin/heiseisyousai.htm



(浮羽博幸)


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