日本永住を決意したドナルド・キーン氏

2011-05-19 14:25:27 テーマ:驚き日本発見記

『続・世界の偉人たちの驚き日本発見記』
http://www.meiseisha.com/katarogu/sekainoijin/odorokinihon2.htm

で取り上げたドナルドキーン氏ですが、次の記事を見つけました。


(インタビュー記事) 日本永住を決意したドナルド・キーン氏に聞く…
http://jp.wsj.com/Japan/node_235776


震災で日本を離れる外国人が多いなか、キーン氏は逆に、日本に帰化し、永住するというのです。

震災当日は、東京も大きく揺れました。避難しながら私は「万一の時には、死なばもろとも」などと思ったものです。

キーン氏のこのような心情の披瀝に、敬意を表したいと思います。/坂

ラフカディオ・ハーン=小泉八雲展

2010-10-21 15:06:35 テーマ:驚き日本発見記

続いてのご案内です。

「ラフカディオ・ハーン 小泉八雲展」<生誕160年・来日120年>

11月14日まで、神奈川近代文学館(横浜・港の見える丘公園内)で開催中。

詳細は⇒ http://www.kanabun.or.jp/te0164.html





「内と外から見た明治日本」

2010-10-20 14:50:39 テーマ:驚き日本発見記

11月1日、明治神宮鎮座90年記念国際シンポジウム

「内と外から見た明治日本」が開催されます。【参加無料、要申込


詳細は⇒ http://www.meijijingu.or.jp/news/101001.html



チャンネル桜に出演されます

2009-11-13 13:40:18 テーマ:驚き日本発見記
日本文化チャンネル桜 に、著者の波田野毅氏が出演。是非、ご覧下さい!
放送日は、11月11日(水) 20:00-21:28 「桜プロジェクト」




【ブックレットのご紹介】
『世界の偉人たちの驚き日本発見記』
『続・世界の偉人たちの驚き日本発見記』
ブックレットのご注文は、
日本会議書籍販売コーナーWebサイト 電話03-5428-3723まで。

続編まもなく刊行

2009-09-14 09:25:47 テーマ:驚き日本発見記

明成社編集部有志のブログ-続・世界の偉人たちの驚き日本発見記

続編が出ます。


好評頂いております

「世界の偉人たちの驚き日本発見記」 の続編、

「続・世界の偉人たちの驚き日本発見記」 が、まもなく刊行となります


編集にあたり、今回も様々な発見がありました。

追ってご紹介していきますので乞うご期待!/坂





ラフカディオ・ハーン(3)

2008-09-22 09:30:46 テーマ:驚き日本発見記

小泉八雲 神国日本 明治23年(1890)に来日して、37年(1904)に亡くなるまで、日本に関する数多くの著作を残したハーン。


その遺作となったのは、

Japan An Attempt at Interpretation 

(神国日本 解明への一試論)で、出版されたのは没後のことでした。


写真は、小泉八雲 『神国日本』
昭和13年発行・第一書房版

職場の方の蔵書コレクションです。/坂

ラフカディオ・ハーン(2)

2008-07-11 12:17:56 テーマ:驚き日本発見記
稲むらの火

ハーンの『A Living God(生き神様)』は、戦前の小学校の教科書に「稲むらの火」として掲載されました。津波から村人を救うために、収穫した稲むらに火をつけ、避難誘導した庄屋さんの物語です。
そのモデルとなった人物が、濱口梧陵(ヤマサ醤油7代目当主)でした。
和歌山県広川町には「稲むらの火の館(濱口梧陵記念館・津波防災教育センター)」が建てられており、近年、防災意識の高まりからか、多くの人が訪れているそうです。

弊社では、この「稲むらの火」誕生の地を訪ね、解説したDVDがあります。
DVD「濱口梧陵とその時代~「稲むらの火」誕生の地を訪ねて」
≪サンプル画像≫


「稲むらの火」の話は、人々の記憶に、深い印象を残しました。
弊社の嵐の中の灯台―親子三代で読める感動の物語』には、「稲むらの火」とその後日談が収められています。
  ◇  ◇  ◇
平成11年、皇后陛下は、宮内記者会の質問に対するご回答の中で、次のように述べられました。
「子供のころ教科書に、確か“稲むらの火”と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で具体的に教えられた一つの例として思い出されます」
  ◇  ◇  ◇
明治時代、濱口担(になう)という青年が、ロンドンに招かれ、講演を行いました。
そこで、ある若いイギリスの婦人が立ち上がって言いました。
「皆さんの中には、ラフカディオ・ハーンが書いた『生神様』と題する物語を読んだ方もおられるでしょう。私は、それを読んで、津波から村人の命を救った濱口五兵衛(梧陵のこと)という人の智恵と勇気に深い感銘を受けました。あなたは濱口という同じ名前ですが、何かつながりがおありでしょうか。」

彼は、実は梧陵の息子だったのです。
思いがけず、遠いこの地で、父の名前をイギリス婦人の口から聞いた担は、激しい感動のため胸がふさがり、一言も発することができませんでした。
司会者が近づいて小声で問いただし、そしてうなづき、担に代わって言いました。

「今夜の講師、濱口担氏こそ、ハーンの物語の主人公、濱口五兵衛のご子息なのです。」
会場の人々は、拍手と歓声で応えました。(平川祐弘著『小泉八雲-西洋脱出の夢』)
  ◇  ◇  ◇
ハーンは、恐らく、その土地の人に取材して『生き神様』を書いたのでしょう。
こうして、一人の日本人の英断が、広く現在に伝えられているのです。

夏休みの課題図書にもおすすめです。

/坂

ラフカディオ・ハーン

2008-07-02 18:47:08 テーマ:驚き日本発見記

私が松江を訪れたのは、20年位前になりますが、町全体が綺麗で、すがすがしい印象があります。

松江城からほど近い、小泉八雲記念館のすぐ傍には、旧居が保存されています。


夕焼けが美しい宍道湖(しんじこ)の西に位置する出雲には、国引き神話が伝わります。10月を神無月といいますが、出雲だけは神在月。日本中から神様が集まるからです。出雲神楽も改めて見ると、なかなかのエンターテイメントで、十分楽しめます。

アイルランド生まれの父と、ギリシャ人の母との間に生まれたラフカディオ・ハーンは、多神教を理解しました。そんなハーンが、日本中の神々が集まるという出雲にほど近い松江で暮らしたことは、大きな影響を与えたことと思います。


ブックレット では、日本の自然美についての記述が紹介されています。

富士山を讃えたヒュースケンの項ですが、ハーンの富士山の描写は素晴らしいと思います。

山容のあらましを残雪か、さては初雪に蔽われながら、

遠く空のかなたに、突こつと浮かび立つ富士の麗容、

これこそは日本の国の最もうるわしい絶景、

否、まさしく世界の絶景のひとつだ

声に出して読みたくなりませんか?


人々の暮らしを美しく感じとり、表現した作品の数々や、夏本番を前に「怪談」もいいかもしれません。

/坂


イザベラ・バード~日本の旅

2008-06-16 09:10:10 テーマ:驚き日本発見記

さて、バードの日本の旅は、どうだったのでしょうか。


明治11年(1878)、バードは東北から北海道を旅行します。

「奥地や北海道を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配なかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、安全に旅行できる国はない」

世界を旅したバードの言葉には、実感が込もっています。


山形県米沢平野について、

「実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。

自力で栄えるこの大地は、すべて、それを耕作している人々の所有するところのものである。彼らは、葡萄、いちじく、ざくろの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である」

と記しています。
世界の偉人たちの驚き日本発見記
世界の偉人たちの驚き日本発見記 では、バードが記した、日本の、

 ◆思いやりの美風 ◆日本は子供の天国

について、解説されています。


○定価 550円 (税込)

○お申し込み・お問い合わせは

日本会議事業センター ℡ 03-5428-3723までどうぞ。


/坂


イザベラ・バード 【中国奥地紀行 古爾溝~馬塘~梭磨】

2008-06-10 09:05:47 テーマ:驚き日本発見記

蛮子の村々


植物が生い茂り、花が咲き乱れて、芳香漂う魅力的な谷あいを通って行く。

ここから先に宿はないので、ラマ僧であるラバ追いの蛮子の親戚の家や、家族の家に泊まりながら、旅を続けた。

古爾溝(クアーコウ)では、官吏の書状に基づいて、二人の少女が護衛にあてがわれた。蛮子の村をいくつか通り過ぎたが、どの村でも住民が現れ、冷たい水を入れた木製のコップを持ってきてくれた。


石造りの家は三階建てで、窓枠には風で回るマニ車が取り付けられ、昼も夜も回り続けている。平屋根の東隅には、土の炉があって、イチイの枝と葉が燃やされる。


篭かきが一人、道端に倒れこんだ。アヘンを常用していて、食事をきちんととってこなかったのである。付き添いをつけて、しばらく進んだあと、彼は木の下に横たえられた。

バードは、何も運んでいない5人の苦力たちに、一匹のラバの荷物を分け持ち、病気の男をラバに乗せるように提案したが、彼らは拒絶した。

「この男を置きざりにして死なせるつもりか」と尋ねると、彼らは「もう何の役にも立ちませんぜ」とせせら笑い、病気の男が懇願した水が、目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうともしなかった。

彼らは、バードが病気の男の世話をしてやったり、篭に乗せるためにバードが歩くのを見て、せせら笑う始末だった。


峠を越えていくうち、標高は高く、空気は稀薄になっていった。傘や靴、色々なものが壊れた。また、危険な匪賊が出没しているとの噂が流れ、槍兵10人を集めなければならなくなった。ここでまた、中国人の役人が馬にまたがってやって来た。

獅子坪峠の頂からは、大雪山の峰が見えた。


無理をして越えたシャコ山峠では、猛烈な吹雪にあい、馬塘(マータン)に漸く辿りついたのは、深夜三時だった。

吹雪と通行の難しさで足止めを食い、食料の蓄えは少なくなった。

匪賊に実際に遭うことはなかったのだが、匪賊の縄張りに入ると槍兵たちはこっそりといなくなってしまった。


梭磨(スウオモ)には、二つの塔を擁する巨大な城があった。

この城は、土地の首長である土司の住居で、バードの一行には、小さく暗い部屋があてがわれた。中国の役人が、先に手を回していたのだった。食料は底をついたが、売ってもらえなかった。
バードは、この興味深い旅を、梭磨で折り返すことにした。


「土司」は、中国政府が承認した部族の長で、部族の自治は慣習によって保証されている。

蛮子は、独自の言語をもっているが、文字はチベット文字であり、チベット仏教を信仰しており、顔立ちはヨーロッパ人的だった。

バードを迎えてくれた彼らは、「客を温かく迎えてくれ、友好的で礼儀正しく、好奇心をあらわにせず、道徳に寛大で、一緒になって目一杯陽気に浮かれ騒ぎ、並外れて愛情のこまやかな人々」で、「現世を気楽に受け入れて楽しみ、来世はラマ僧を信じて託す人々」だった。


バードが自ら撮影した写真を添えた、この『中国奥地紀行』は、貴重な記録になっている。

翻訳者は、ツイン・タイム・トラベルが味わえる、としている。

/坂

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