蛮子の村々
植物が生い茂り、花が咲き乱れて、芳香漂う魅力的な谷あいを通って行く。
ここから先に宿はないので、ラマ僧であるラバ追いの蛮子の親戚の家や、家族の家に泊まりながら、旅を続けた。
古爾溝(クアーコウ)では、官吏の書状に基づいて、二人の少女が護衛にあてがわれた。蛮子の村をいくつか通り過ぎたが、どの村でも住民が現れ、冷たい水を入れた木製のコップを持ってきてくれた。
石造りの家は三階建てで、窓枠には風で回るマニ車が取り付けられ、昼も夜も回り続けている。平屋根の東隅には、土の炉があって、イチイの枝と葉が燃やされる。
篭かきが一人、道端に倒れこんだ。アヘンを常用していて、食事をきちんととってこなかったのである。付き添いをつけて、しばらく進んだあと、彼は木の下に横たえられた。
バードは、何も運んでいない5人の苦力たちに、一匹のラバの荷物を分け持ち、病気の男をラバに乗せるように提案したが、彼らは拒絶した。
「この男を置きざりにして死なせるつもりか」と尋ねると、彼らは「もう何の役にも立ちませんぜ」とせせら笑い、病気の男が懇願した水が、目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうともしなかった。
彼らは、バードが病気の男の世話をしてやったり、篭に乗せるためにバードが歩くのを見て、せせら笑う始末だった。
峠を越えていくうち、標高は高く、空気は稀薄になっていった。傘や靴、色々なものが壊れた。また、危険な匪賊が出没しているとの噂が流れ、槍兵10人を集めなければならなくなった。ここでまた、中国人の役人が馬にまたがってやって来た。
獅子坪峠の頂からは、大雪山の峰が見えた。
無理をして越えたシャコ山峠では、猛烈な吹雪にあい、馬塘(マータン)に漸く辿りついたのは、深夜三時だった。
吹雪と通行の難しさで足止めを食い、食料の蓄えは少なくなった。
匪賊に実際に遭うことはなかったのだが、匪賊の縄張りに入ると槍兵たちはこっそりといなくなってしまった。
梭磨(スウオモ)には、二つの塔を擁する巨大な城があった。
この城は、土地の首長である土司の住居で、バードの一行には、小さく暗い部屋があてがわれた。中国の役人が、先に手を回していたのだった。食料は底をついたが、売ってもらえなかった。
バードは、この興味深い旅を、梭磨で折り返すことにした。
「土司」は、中国政府が承認した部族の長で、部族の自治は慣習によって保証されている。
蛮子は、独自の言語をもっているが、文字はチベット文字であり、チベット仏教を信仰しており、顔立ちはヨーロッパ人的だった。
バードを迎えてくれた彼らは、「客を温かく迎えてくれ、友好的で礼儀正しく、好奇心をあらわにせず、道徳に寛大で、一緒になって目一杯陽気に浮かれ騒ぎ、並外れて愛情のこまやかな人々」で、「現世を気楽に受け入れて楽しみ、来世はラマ僧を信じて託す人々」だった。
バードが自ら撮影した写真を添えた、この『中国奥地紀行』は、貴重な記録になっている。
翻訳者は、ツイン・タイム・トラベルが味わえる、としている。
/坂