こんばんは、ココアこと、田中貴子です。
今回は、若干23歳で直木賞を受賞された朝井さんの小説を紹介します。
「何者」 朝井リョウ 著 (新潮社)
朝井さんの作品をきちんと読んだのは、これが初めて。
昨年、原作が映像化されたのは観ました。
ブログ:自分の分身がいるかも?~「桐島、部活辞めるってよ」
http://ameblo.jp/meguru1701/entry-11327894210.html
おそらくは、発している言葉と、心の奥底でうごめく想いのギャップが描かれているだろうなと思ってました。
そして・・・舞台設定が就活となれば、仕事柄もあって、注目しないではいられません。
主に登場する5人は、留学経験あり、劇団をやっていた、ライブハウスにてバンド演奏していた、国際協力(ボランティア)していた、創造的な人との出会い・刺激を求めて文章を書きたい・・・・等々。
プロフィールは様々な個性を放っている子たち。
出来事や会話が縦の糸なら、今どきのツイッターでのつぶやきが横の糸のように、綴られています。
軽いノリのような感じで、話は進みますが、字数制限のあるツイッターに載せた言葉は、今どきなリアル。
本当でもあり、ポーズをきどった仮の言葉であったり・・・・。
効果的に切り取られています。
更に読み進めていくと、人に見せたくない心の裏側の本音・・、嫉妬だったり、じれた怒りだったり。
余裕ない感情がぽろっぽろっと出てきます。
読み手によってはグサグサッと刺さるかも。
今、会社説明会が盛んに開かれ、エントリーシート提出が集中する時節柄、就活の画一的なスーツに身にまとった学生さんたちを、あちこちで見かけます。
電車の中で、訪問先の会社名がぎっちり書かれたスケジュール帳をにらめっこしていたり。
カフェで筆記テスト対策をしている彼らの心のうちが、この本から何となくつかめるかもしれません。
そして自分たちの頃の就活とはどう違うのかも、感じとれます。
就活生の気分は、こんな文章などに、リアルに描かれています。
○就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。
ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。
単純に、誰から拒絶される体験を何度も繰り返すのというのは、つらい。
そしてもうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。
○いつから俺たちは、短い言葉で自分を表現しなくてはならなくなった。
フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。
ツイッターでは140字以内で。
就活の面接ではまずキーワードから。
ほんの少しの言葉と小さな小さな写真のみで、自分が何者であるかを語るとき、どんな言葉を取捨選択するべきなのだろうか。
○たくさんの人間が同じスーツを着て、同じように訊かれ、同じようなことを喋る。
確かにそれは個々の意志のない大きな流れに見えるかもしれない。
だけどそれは、「就職活動をする」という決断をした人たちひとりひとりの集まりなのだ。
自分はアーティストや起業家にはきっともうなれない。
だけど就職活動をして企業に入れば、また違った形の「何者か」のなれるのかもしれない。
そんな小さな希望をもとに大きな決断を下したひとりひとりが、同じスーツを着て同じような面接に臨んでいるだけだ。
○俺たちは、人知れず決意もしていくようになる。
なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて隠れていく。
決められた約束事や選考の流れ等、画一的な箱の中で、
本当に本当に伝えたい自分って、何だろう?
そもそも本当の自分って???
そんな悲鳴にも似た気持ちが、浮かびあがっていくところが印象に残りました。
正直なところ、積極的に快活に表現できるタイプの人の方が、世渡り上手に感じられます。
私がキャリアの現場で対面する学生さん達も、例外ではありません。
穏やかで人と争うことが無さそうな性格の優しいタイプの人や、真面目でコツコツと物事をこなす人といった、自分を前面に出すのが苦手な人は、もう一歩「物足りない」自己PRにとどまり、悩むことが多いです。
そういった人にこそ・・・・この先輝くであろう才能の原石、自信のきっかけを見つけてあげたい。
頑張る背中をそっと押したいと願ってやみません。
自分を語るって、言葉にするのは照れくさいし、たいしたことないから…と否定したくなります。
他の人の行動に言葉に、動揺して、自分が分からなくなってしまうこともあります。
でも人と比べてばかりだと苦しいだけ。
どんな自分をも、引き受ける・・・・。
自分を見捨てない。いい意味で開き直ること。
そんなことをこの小説からも教えてもらった思いがしました。
読んで下さって、ありがとう。