「島崎藤村の時代…ジャム工場、歴史の旅」
以前、モモの特集記事を書くために、地元のモモ栽培の歴史を調べました。
★桃
http://megumico-agri.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_432c.html
島崎藤村が小諸義塾の教師をしていた頃、小諸では塾長の木村熊二の指導の元に、様々な作物の栽培、利用の取り組みがあり、モモの栽培がはじまっています。
この時代、この地域で忘れてはならない時代の先駆者に、塩川伊一郎という人物が在ります。
モモ栽培の尽力者で、接木の名人だったようです。
その詳しい話は、龍鳳書房の「塩川伊一郎評伝」(小林収著)で知ることができます。
塩川伊一郎氏はモモの栽培を普及し、生食のモモの販路を拡げるとともに、加工品の製造として塩川缶詰合名会社を設立し、モモを缶詰として販売しました。
当時、野イチゴをおやきのような食べ方をする食文化が地元にあったようで、
モモの加工工場で、イチゴの加工も手掛けるようになったのが、市販のいちごジャムの誕生になります。
今も残る塩川伊一郎宅のたたずまいを見ると、ここで、一代目、二代目の塩川伊一郎父子が生き、その生涯を地域の振興に尽くしたことへの想いを深くします。
今や、いちごジャムはジャムの代表格。
商品としてのいちごジャムのルーツが、ここにあったこと。
そこに、伝統野菜の「御牧イチゴ」の存在があり、
明治屋「マイジャム」とのご縁があったこと。
作物の栽培の歴史を知ると、先駆者たちが地域で生き、人とつながり、明日への開拓を続けていた情熱の日々を垣間見ます。
イチゴのおいしさに魅せられ、そのおいしさを分かち合うために信州のこの地で、ジャム製造をした塩川氏。
その原点の想いが、今のイチゴの普及にもつながり、いちごジャムの存在にもなっていることに、胸を熱くします。
信州の伝統野菜に選定されている「御牧いちご」。
今は、品種として残されているだけの幻のイチゴですが、その昔、苦闘の生涯を生きた塩川伊一郎父子がその歴史とともに存在していたことを心に残し、伝えたいと思います。
当時の写真などは、展示されている郷土博物館が閉館しているため、一般には公開されていません。
ハコモノの維持管理という地方行政の問題点が表面化している現状が、こうした歴史的文化の埋没につながっているのが残念です。
地域で守る、歴史と文化。
まずは、歴史への旅のキッカケをつくりたいものです…。
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