1年前のFACE BOOK、朝見たものは昨年の生き方美心の死生観をテーマにしたイベント告知でした。
そして今朝、代官山の寺カフェの尼さんから1本の電話が入りました。
「朝倉が5月9日、くも膜下出血で他界しました。」
このイベントの主役の僧侶朝倉さんのことでした。
火曜日に寺カフェで久々にお喋りする予定でした。
「明日よろしくでーす。」のラインに既読がつかず、リスケになりました。
少し心配になり私が最後に送ったメッセージは「朝倉さん生きてますか~?既読にならないから心配してますよ・・・」という文字。
2年前寺カフェで知り合い、同世代という事もあり仲良しになりました。
仕事だけでなくお寺に遊びに行ってお蕎麦食べたり、みんなで飲みに行ったりと、音楽好きで音楽友達でもあったり、毎回生き方や朝倉さんの甘く切ない過去まで喋り倒していました。
悲しいけれど、「どんなに医学が進んでも避けることが出来ないが死なのです。
生と死は、人にとって二大イベントなのです。
一度過去にも倒れたことがある朝倉さんは「死に直面したからこそ生きてる事に感謝が出来るようになったんだよね。毎朝起きる時に今日も生きてた感謝って思うんですよ。」言っていました。
昨年、私の事を応援してくれてた社長が突然天国に逝きました。
その時期に朝倉さんとよく会っていたので、去年は死生観についてかなり真剣に考えました。
朝倉さんに「お坊さんは悟ってるから死ぬの怖くない?」なんて幼稚な質問した時に「お坊さんだって人間だももん。そりゃ怖いよ。だって死を経験して生きてる人はいないから、想像できないから。」って笑顔で返してくれました。
報告の電話をもらい数時間が経ち、朝倉さんの涙をこぼしながら一緒に笑ったこと、語り合った時の声までが蘇り、寂しいというより既に懐かしい涙に変わりました。
竹内まりあの人生の扉が好きといっていた朝倉さん。
明るさの裏には寂しさがあったのかな・・・少し感じました。
私が最後に会ったのはクリスマスイブ。
お坊さんなのに宗教の壁を越えてメリークリスマスのオルゴールメッセージをくれました。
そのやりとりの直後、偶然に代官山でばったり会ったのです。
どなたかと談笑中でしたが「あさくらさ~ん」って呼んでその場を去りました。
「ちょいと顔が見えたからなんて呼んでくれることはとても嬉しいですね。相談があると言ってきていた女性もああして気楽に声をかけてくれる方がいらっしゃるんですね。私もあの方のようにお坊さんに気楽に声をかけられるように親しくさせて頂いてもよいですか?なんて言われちゃいました。恵さんは自分の知らないうちに寺カフェに貢献してるんですよ。笑」
「ずうずうしい年齢になっただけですよ。」
「少し図々しいくらい心開いちゃいました。八千草薫がだめなら岩下志麻になっちゃいな爆」
こんな大人げないやりとりも出来なくなりました。
今夜は涙がとまらないけど、明日からは朝倉さんから学んだことを大切にして、元気に楽しく生きてる事に感謝していきたい。
無駄な時間(怒りやネガティブな心で費やす時間)は過ごさないで、好きな人達と強く繋がって日々笑顔で過ごすことが天国にいる人達への感謝に繋がるような気がします。
朝倉さん「天国でも明るく過ごして下さい。」
そして私の祖父と命日が同じになったので、忘れることはないでしょう。
短い時間でしたが心から感謝です。