先日、板倉雄一郎事務所のパートナーであるnaokin氏
から、本をいただきました!!うれし~~!!
世界的に有名な指揮者、小澤征爾が26歳の頃に書いた本です。
ボクの音楽武者修行
以前、naokin氏ほか数名とランチしたときに偶然、指揮の話になり、昔しもが指揮者だったときの話、指揮者がいかに大変で、かつ幸せな”音楽体験”をするかについての話など、をしたのがきっかけで、naokin氏がプレゼントしてくれたのでした!ありがとう!\(^O^)/ メチャ嬉しかったです!!!
(話はそれますが、しもは本が大好き、と結構昔から公言しているのですが、本のプレゼントってほとんどもらったことがないな、と思いました。naokin氏ホントありがとう。ちなみに、本が好きで、その人の趣味がわかっていれば、これほどリーズナブルで効果的なプレゼントはほかにないのではないかと思うのですがいかがでしょうか(笑)だって、1冊せいぜい高くても1500円~2000円ぐらいでしょう??もちろん読む価値の無い本をプレゼントしたら時間コストの分だけマイナスが発生してしまうリスクがあり、また、価値の有る無しの判断は(ある程度)読み手に依存するので、そういう意味でリスキーなプレゼントである、ともいえるでしょうけれども)
さてさて、本の感想というか、本から刺激を受けて、書きたいことがたくさん出てきました。が、一つだけ書いてみようと思います。それは、 「音楽する」 という言葉についてです。
しもは、この言葉を読んだときに、究極は「音楽する」ことができるかどうかが音楽において最も重要なことなんだよなぁ~、と思いました。というのも、「音楽する」というのは、簡単なようで非常に難しいのです。
「音楽する」ではない例を挙げるのは簡単で、例えば、PCに完璧に譜面を打ち込んで(あるいは名演といわれる演奏を正確に記述しPCに打ち込んで)、それを良いスピーカーで鳴らしても感動はしないわけですね。そこには「音楽する」がないからです。
では、「音楽する」がある場合というのは、どんなときかというと「作曲家+指揮者+演奏者が感動している」とき、としもは考えます。(この辺りの定義は異論反論ある方もたくさんいると思いますが、とりあえずそれはおいておきましょう(笑)。しもブログなのでお許しくださいませ)
作曲家+指揮者+演奏者が感動していると、そういう音がなり、そういう音がお客さんに伝わり感動を呼ぶ、そこまで含めてはじめて「音楽する」が現れると思うのです。そういう意味では「音楽する」はコミュニケーションであるということも出来ますね。
しもは2年間という短い期間でしたが、指揮を振る機会に恵まれました。そのときに今でも鮮明に覚えている瞬間に何度も出逢いました。キラキラ輝くその素晴らしい体験は上記のようなときに決まって現れるのです。どれか一つが欠けていてもダメなのです。例えば、3年のときにいった関西から北九州にかけての演奏旅行の一つに下関公演があったのですが、あの時は凄かった!歌い手とお客さんの見えないやり取りが体で感じられたのです!
人生において指揮を振る機会がある人、あった人は大変幸運に恵まれていると思います。あんなに素晴らしい体験ができるのですから!
しもは、ビジネスマンとして活躍したいと考えているので、しばらく音楽がメインの活動になることはないと思いますが、「音楽する」心だけは忘れずに生きたいと思っています。