この世界の片隅に を見た

テーマ:
得意のやらなきゃいけないことをひとまず置いといて作戦で「この世界の片隅に」を見てきた。
原作を読んだことはないのですが、宮崎駿の「風立ちぬ」と高畑勲の「かぐや姫の物語」に真っ向から立ち向かって一歩抜けたのではないかと感じました。

隣りに座っているお客さんが終始グスグス泣いているのを聞きながら、よく師匠が「泣けない隅田川を舞いたい」とおっしゃるのを思い出した。
泣くというのは心の中に渡された物を代謝し、それを抱えるストレスを排泄する行為であり、もちろん泣くために来て下さいという作品もあるのだろうが、感動の質が高い場合、それを代謝し排泄する快感に変換してしまってはもったいないのではないだろうか。
「隅田川」は我が子を失った悲しみをこれでもかと描いた能であり、おそらく世界中のどこへ持って行っても人々を涙させる名作であるが、泣けない隅田川を目指すという師匠は、作品の心を観客の心に安易に代謝させぬほどに伝えきるつもりなのだろう。
そんなことを考えながらこの映画を見ていて、一番大切な物を失った人間がどう生きていくのかという共通のテーマに思い当たった。
師匠の「隅田川」は多くの人の演じ方と違って、幕へ帰るとき決してメソメソはしていない。
すっくと背を伸ばし、我が子を失ったことさえしゃんと背負うようにして帰って行く姿に、中世の女のたくましさや格好良さを見たことがある。
この曲で一番大切なのは、その後の人生を表現する終曲後であるということを師匠は考えており、そこに持っていくために曲中は能の演技の限りを尽くしているのではなかろうか。
それに近い何かをこの映画の主人公に見て、これは泣くべき作品ではないのではないかと、その感動を抱えたまま日光のもとに出たら、平成の街は醜悪であったけれども生きていかねばなぁ。
「風立ちぬ」や「かぐや姫の物語」は失ってからの世界を描かなかった。
だからこそ美しく終えられたが、失った後も生きて行くというリアリティの方が人間の表現としては一つ上なのではないかという考えが、中央線の濁った車窓を流れて行った。
AD

縁側

テーマ:
このところたて続けに「縁側が気になる」と、小耳に挟んだ。
かく言う僕も古民家を訪ねた際、真っ先に駆け寄って縁側に座り、しばし時間を忘れたことがある。
縁側、思えば縁遠くなってしまったものだ。
子供の頃、どんなに敷地の小さな家にも、狭くても草花を植えた庭があって、居間や廊下から庭に向かって縁側が設えられていたのを思い出す。
ところが最近の建売住宅は、庭も縁側もなく敷地いっぱいに建てられているように見える。
ささやかな庭らしきものがあっても、濡れ縁は無い。
縁側が住居から消えて行ったのには、敷地面積が得られない現代の住宅事情とは別に原因があるのだろう。

庭というのは自然を住環境に再現し、確保するための空間である。
それは自然の運行に人の営みを沿わせるための目安となった。
人間とても自然の一部であり、かつての人々にはその自覚があっただろうし、生活そのものの設計も文芸というものも自然の一部である人間の五感を通して表現されてきた。
だから住環境にその空間を確保しておくことは、生き物として人の生活には欠かせなかった。
縁側とは人の領域である住宅から自然の領域である庭に絶妙に張り出した中間地帯であり、そこに「居る」ことによって、人はより多くの情報を自然から五感を通して得ることができる。
その情報を得るという行為は、単純に人間にとって心地の良いものだ。
それは人間が言語を得てしまってから慢性的に苛まれている、脳の局所的疲労を和らげる効果がある。
お湯に身を浸す住宅の風呂場になぞらえるのならば、縁側は自然に五感をさらす浴場と言ってもいいかもしれない。
風呂は体内の血行の、縁側は感覚の流れの健全化を促す。
そういう意味でも人間が生き物として健やかに日々を送るためには、是非とも必要なのが庭と縁側だったのである。
が、我々は都市生活者として成熟するにつれ、このことを忘れた。
僕が幼かった昭和の後期の住宅には、まだ申し訳程度の庭と形骸化した縁側が建築様式として残っていたが、平成にいたり僕らはその無駄を省いた。
それにつれ人の住まい、活動領域の余白は言語によって埋め尽くされ、地面はコンクリートか人工的な植込みに塗り固められ、言語以前の世界から響いてくる情報は届かなくなった。
そういった環境にも耐えられる生き物へと自らを作り変えていけば、言語以前の世界に対する感受性も失われ、もはや回復のしようもない様な疲労が渦巻いているように見える。
我々が座るべきなのは液晶の前ではなく縁側なのではないだろうか。
そして忘れた時を、思う存分思い出してみたいと常々思っている。


AD

分水嶺

テーマ:
いつかの晩秋のある日、ふと訪れた公園に江戸後期の農家を移築した古民家があった。
腰掛けた縁側の心地よさにしばし時を忘れていると、黄色の可愛いエプロンを着けたちょっと渋い感じのシルバー係員が出て来て、「どうぞ」に引っ張られて中に入った。
この係員はキュートなエプロンをしているのに終始ハードボイルドで、戸口に寄っかかり、ポケットに手を入れたシルエットで色々教えてくれたが、囲炉裏端が汚れているのを問うても「午前中子供が騒いでね、最近の若い母親は叱らないからな。まぁ後で苦労するのは本人だが」と辛口コメントをくれた。
「囲炉裏に火を起こして過ごす午前中のひとときは、何とも言えない。まあこっちから見て下さい」とうながされるまま、土間から屋内外の各所を見回す。
その日は肌寒いくらいの気候だったが、言うとおり藁や竹を編み込んだ土壁は冬は温かく、夏涼しいことが想像された。
それにしても古民家という物は、住む喜びを生み出すデザイン、適材適所無駄のない造り、仕上げの美しさなど、どこを見ても名も無き名工達の傑作であった。
そこでの暮らしには農作業、屋根の葺き替え、水汲み火起こしなど、現代の僕らが骨を折らずに済んでいる労働を不可欠とするわけだが、それさえもが有機的に組み込まれたライフスタイルは、労働こそが生きる手ごたえであるということを思い出させた。
説明を聞くにつけ、そこに凝らされた、四季を呼吸し微生物の働きを人の営みに活かすライフスタイルは、疲労した技術革新と資源の浪費に立脚した生活に甘んじている僕らのそれと比べ、古いというより最新技術に支えられているように見えた。
角部屋の座敷に座って寛ぐ。
景色、光、音、風や空気の流れ、五感に染みとおる快さは、決して数値化することの出来ない、絶妙な、恐ろしく高度な計算によって、この空間が構築されていることを確信させた。
数値の保証無き物を見ることのできなくなってしまった平成の日本人は、なんと鈍なるか。
次の時代の「先進国」がどういうものであるか、分水嶺立たされている気がした。

AD