ケルティック能「鷹姫」

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オーチャードホールでのケルティック能「鷹姫」は、コラボレーションだったとは言え「鷹姫」史上最高の成功を収めたのではないかと思う。
僕は常々、この作品にテーマの深さと可能性を感じつつ、拭いきれない昭和中期の文芸運動臭と、妖しい美として永遠に君臨する鷹姫の不条理が能の手法では描ききれない口惜しさをいつも感じておりました。
が、今回の「鷹姫」はアイルランドのケルティックコーラスグループ・アヌーナの歌声によって、見事にこの作品の持つ神話的世界が肉付けされ、立体化したように思った。

ケルティック、つまりアヌーナはケルト民族の世界観に立脚したコーラスグループだ。
ケルト人とはヨーロッパの先住民であり、最後はアイルランドに追いやられキリスト教化したが、元々は他の先住民と同じく豊かな多神教世界に生きていた民族である。
アヌーナについて詳しくは知らなかったのだが、稽古の初日に「もののけ姫」を歌ってくれた時に、彼らが物の怪、精霊の存在を音楽的に肯定しようというグループであり、そのケルト回帰の方向性が日本の八百万の世界と響き合ったのを目の当たりにして、大変な感動を覚えた。
その「もののけ姫」さえをも歌う彼らが、日本の新作能、しかもアイルランドにルーツのある「鷹姫」に参加するのだから並々ならぬ思いがあったのだと思う。
アヌーナは鷹姫の島、絶海の孤島に響く様々な音や荒涼とした風景を、男性と女性の、西洋的旋律や曲の展開を極力抑えたコーラスで表現した。
波の音、風の音、木々のさやぎ、不条理の存在・鷹姫の絶対的な美しさ、魔性の発現の禍々しさなど、スコセッシの「沈黙」がいわゆる「音楽」を流さず、通底音として八百万の声、自然音だけを用いていたのに似て、人の声が光景を描写していく様に、ともに舞台で地謡を謡いながらも引き込まれた。
器楽演奏は能の囃子のみ、固定キーの無い能の謡とも絡み合い、響き合うコーラス、作曲の妙。

また今回特筆すべきは常の「鷹姫」には無い、冒頭と終曲に鷹姫の舞を入れて、いつもは退場とともに主題との関わりが薄くなってしまう鷹姫の姿で曲を締め括ったことだと思う。
女性による美しいソロに合わせて、冒頭では泉辺の木にとまった鷹姫が羽ばたき再び梢に留まるまで、終曲ではクーフリンは力尽き、老人は岩の一つとなって泉辺に転がったという場面で再び鷹姫が飛来、冒頭のソロが歌われ、祝福するような誘引するような舞を舞い、最後は舞台中央に留まりシルエットになって終わった(らしい。仮面を着けて前向いてたから見えなかった。笑)。
この冒頭と終曲に同じテーマで舞う鷹姫の姿を印象付けたことが、人を魅了して止まない島の泉の呪いを神話的に描き上げたのではないかと想像する。

写真は「水よ〜」係。

「鷹姫」あらすじ
http://ameblo.jp/megamouth/entry-11105038168.html?frm=theme

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マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」に、スターウォーズエピソード0.01を見た。

唯一正しい物の存在を認めるから、それ以外の絶対に正しくない物が発生するわけで、ダークサイドが存在するためにはまずライトサイドが確立されていなければならない。
この逆はあり得ないだろう。
宣教師達は日本にこの唯一絶対の存在としての神を植え付けようとしたのだけれど、日本とはライトでもダークでもない、ほのぼのとした光に価値を見出す民族であって、聖なる存在を800万いる内の一つに組み入れてしまう土地であった。
不毛の砂漠で生まれた一神教の神の創造作業は単純でよかったが、放っておいても草木も鳥獣も虫々と蒸し出してくるこのモンスーン吹く日本では、唯一神に全部の作業を負わせるのは気の毒である。
やはり800万くらい神がいてようやく造化の分業が済むのである。
その不可視な日本の神々は抽象的存在でありながら様々な自然の様相を纏って存在する一方、偶像を重視するキリスト教の神は預言者を通した言葉の抽象にしか宿らない。
その言葉を求めても求めても、通信圏外の神の沈黙のみが響き、逆に五月蝿なす八百万の声ごえが禍々しいまでに通低音となっていたことに気付かされる、エンドロールが効果的だった。(この映画にはいわゆる音楽が無い)

というわけで日本には排他的一神教は、排他的な形では根本的に根付かなかったのだと思う。
仏教がキリスト教と同じインドヨーロッパ語族の宗教で、天部もデウスも古い天なる神であるという共通性をもちながら日本に深く根付いたのは、八百万の国インド経由で来たからなのだろう。
絶対的正義とは、ある物を絶対的正義たらしめようとする精神的努力の上に成り立つのであって、その努力は価値観をともにしない者にとってはよこしまに映る。
絶対的正義の誕生は絶対的悪の誕生でもあり、悪を生み出さないことが正義だとしたら、正義を頑なに奉じないことこそが正義なのかもしれない。
そのことに様々な精神的肉体的苦痛を受ける中で気付かされ、日本で生きていくために棄教せざるを得なかった宣教師の物語は、映画スターウォーズには語られないジェダイ転落の一節を見るようだった。
ある物を絶対たらしめる、その精神的努力を手放してみれば、人は自らの奉じた絶対も800万、つまり無限にある可能性の一つにしか過ぎないという事を知るのであろう。
場合によってそれは人間に成長を促す化学変化でもある。
かつて絶対に絵描きになると決めていた、いま筆を折って(才能が無かったからだが、、)能楽師をしている僕を子供頃の僕が見たら、棄教して堕落した自分と見るだろうか、などと思いながら見ていた。

それにしても日本の役者陣がよかった。
なかなかいい顔が揃ってます。
中でも奉行イノウエ様を演じたイッセー尾形の、一人芝居の手法を活かした怪演が光っていた。
それを見るにつけ、余計なお世話ながらいまの志村けんの状況を残念に思った。
僕はドリフ育ちであるし、ひょうきん族よりも加トちゃんケンちゃん派であったし、その後はだいじょぶだぁに熱狂した。笑
その頃志村けんは僕にとって正に神であった。
志村けんとはその卓越したセンスと身体性で、江戸〜昭和に受け継がれたかっぽれや都々逸的な艶笑の世界と、戦後の社会の歪みから生まれたポップや孤独な人間性をコネクトした天才なのだと思う。
そして昭和の笑いを葬り去った。
ちょうどその頃、プライベートでも仕事の上でもパートナーとして歯車の回っていた石野陽子と別れ、弱さを共有しつつ息の合った戦友田代まさしを失った。
コメディアンとしての第一線を退いていた志村けんにトドメを刺したのが、古谷実の「稲中卓球部」だったのだと思う。
古谷実は志村けんの作った世界を咀嚼し、さらに先の時代・平成の飽和的平和の生み出すジレンマや不安を、誰よりも早く笑いとして造形化した。
笑いとは、誰もが感じていながら顕在化していない空気を目に見える形にするところに価値がある。
オヤジギャグが傍ら痛いのは誰もが分かり切ったことを一々なぞるからなのだろう。
そういう意味で、いまの志村けんの作るコントに現代をえぐる筆の力はもう無いと思う。
志村けんが次に打つべき一手は、メディアの陳腐に漬かりきったポジションを棄てて、映画、しかも外国の映画に出演することなのではないか、などと帰りの道みち思った。
自分が主催する仲間を集めた安心な場ではなく、実力者がガチンコで結集するもっと厳しい場に部品として参加するには、心の拘りを捨て去ることが必要かもしれないが。
イエズス会なみの勇気で漕ぎ出していく、その化学変化を見てみたいと勝手に思った。
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「小鍛冶 黒頭」舞います 3

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梅若会
2017年1月9日 午1時開演
能「翁」翁・梅若長左衛門
能「小鍛冶 黒頭」シテ・川口晃平

指定七千円 自由六千円(学生・三千円)
名匠・小鍛冶宗近が、稲荷明神の相槌を得て霊刀小狐丸を打ち上げるまでの霊験能。
初心者の方でも必ず楽しめます!
いらっしゃれる方はご一報を!



正月二日の恒例行事、伏見稲荷詣では丁度いい現地探訪となりました。
例年は三ノ峰にお詣りをして帰るのですが、今回は大学時代以来久しぶりに一ノ峰、二ノ峰、小鍛冶ゆかりの御剣社と回り、稲荷山の霊気を存分に吸い取って舞台へのテンションも上がりまくりついでに、能には直接関係ないことなども書いてみようかと思います。

さて能「小鍛冶」、まずは一方の主人公・三条小鍛冶宗近の名前ですが、小鍛冶とは鉱脈を探し山から鉄鉱石を掘り出し金属を精製する大鍛冶に対して、刀などの鉄器類を作る職人をさす普通名詞で、三条は地名ですから、京都の三条に住む刀匠宗近という意味です。
平安中期の伝説的刀匠である宗近の氏神が稲荷神社なのは、商売の神として知られる伏見の稲荷大社が、実は金属加工業者の神でもあるからです。
伏見稲荷の大切な祭儀に「ふいご祭」があります。
ふいごとはタタラ製鉄や金属器作りには欠かせない、炉に風を送り火力を高める器具で、伏見稲荷大社境内からも古代のふいご口(羽口)が発掘されるあたり、伏見稲荷が様々な世俗的ご利益を剥ぎ取ると鍛冶の神であるということがわかります。
伏見稲荷を作ったのは古墳時代に数万人規模で渡来してきた秦氏です。
秦氏は土木や養蚕など様々な先進技術をもって渡来してきましたが、土木をやるにも何を作るにも必要なのは金属器ですから、秦氏とはまず大規模な鍛冶師集団でした。
秦氏は葛城氏の手引により渡来し、葛城氏の本拠地葛城山の麓に住まわされていましたが、雄略天皇によって葛城氏が滅ぼされると各地に拠点を作りながら散らばって行きます。
その一つが伏見の辺りでした。(そこからさらに北上定住し、賀茂神社や松尾大社などを作ります)
伏見稲荷の鎮座する稲荷山には三つの峰がありますが、その一つ一つに古墳があります。
これは秦氏が入ってくる前にこの地を墓域としていた豪族のもので、ニノ峰のみが前方後円墳であとは円墳とのことですので、その首長はニノ峰に眠るのでしょう。
また稲荷山の辺りは古代からの野辺送り(死体捨て場、風葬)の地で、峰に古墳があるのを見てもわかるように死の世界、ある種のアジールでした。
流浪を余儀なくされた秦氏がまず根を張ることができたのは、そういう場所だったからなのかもしれません。
この古墳祭祀の上に葛城を脱した秦氏が氏神を作り上げたのが伏見稲荷大社です。
秦氏がこの豪族から土地を奪ったのか技術を提供しつつ同化したのかはわかりませんが、稲荷信仰の根本には古墳祭祀、古代豪族の首長に対する鎮魂があり、これが今のお塚信仰につながっています。
また稲荷の名ですが、人間が生きていくのに欠かせないのが食料であり、伏見稲荷の祭神はその名も食料の神を表す普通名詞ウカノミタマですし、発祥伝説の稲生り(いねなり)→稲荷(いなり)という命名もわかるのですが、彼らの生命線は金属加工業でしたから、生業を考えると稲荷とはもしかしたら鋳(い)成りなのではないかとも思います。
稲荷を氏神とし刀鍛冶を営む宗近は、古代に大和を出て山城の盆地に到った秦氏の流れなのでしょう。

また、稲荷と言えば狐ですが、これは狐が稲荷神の本体であるという考え方と、狐はあくまでも稲荷神の眷属であるという考え方があります。
稲荷神社に行きますと普通の神社で狛犬がいるポジションに対の狐の像が設置してあり、これはやはり狐が稲荷神の眷属であることを表しているのでしょう。
また稲荷神社の狐には荼枳尼(ダキニ)活天の乗る白狐の面影があります
荼枳尼天とはインドの俗信が仏教に取り入れられた天部で、日本においては白狐に乗る女神の姿に描かれますが、元々は人肉を食うようなインドの鬼女ダーキニーで、その眷属は風葬地をうろつくジャッカル(野干)でした。
そういった出自をもつ荼枳尼天は扱いに注意を要する反面、非常に強い呪力を持つということで平安以降流行します。
この荼枳尼天の乗る狐(もともとはジャッカル)と、稲荷山に何かしらの形で古くから祭られていた狐が習合したのが、稲荷神社の狐なのでしょう。
稲荷山の狐については諸説あり、峰の古墳に棲む狐(古墳に狐が巣穴を掘ることは多かったらしく、狐塚や稲荷山と呼ばれる古墳も多数あります)を祭る祠があったとか、農耕の益獣(稲を食い荒らすネズミ等の害獣を狩る)として狐が祭られたなど言われるようですが僕にはわかりません。
が、秦氏の他の寺社には狐の影は無く、秦氏は狐をトーテムとして持ち歩く一族ではないと言えますし、荼枳尼天と習合してから狐の図像を得たとも思われませんので、やはり稲荷山には何かしらの形で狐が祭られていたと見た方がいいでしょう。
古墳祭祀の聖域を利用して秦氏の氏神・稲荷神が形作られ、山麓に祭られていた狐が眷属として採用され、さらにその狐に荼枳尼天が習合した、という流れが想像されます。
おそらく明治の神仏分離令によって稲荷大社から荼枳尼天は切り離されたのでしょう、それでも稲荷神は扱いを間違うと怖いなどと言われるあたりに、稲荷山が荼枳尼天の霊場でもあった名残りを見るような気がします。
「小鍛冶」のシテは稲荷神そのものではなく、稲穂を負った老人の図像でも表される稲荷神に遣わされた下っ端の霊狐であって、だからこそ小狐丸なのだと思います。
が、小書がつくとこの霊狐の位が上がっていき、下っ端ではないイメージになっていくあたりが面白いです。
「伝うる家の宗近」代々小鍛冶を営む宗近が秦氏の流れであるのなら、小狐は先祖の遣わした助け舟であるのでしょう。

「小鍛冶」の後半
「打ち奉る御剣の。刃は雲を乱したれば。天叢雲ともこれなれや」
打ち上がった小狐丸をかざすと、刀の先からビームのように照射される霊力によって空の雲が切り刻まれる、なかなか映像化したくなる詞章です。
この天叢雲はスサノオがヤマタノオロチを退治したときに尻尾から得た剣で、後々ヤマトタケルが東征のさなか静岡の焼津にて敵の火攻めに遭ったとき、熱田神宮から借りていた天叢雲で草を薙ぎ払うと「剣の精霊嵐となって。炎も草も吹き返されて。天に輝き地に充ち満ちて。猛火は却って敵を焼けば」という逸話より草薙の剣と名を変え、三種の神器の一つとして皇室の象徴となります。(「土蜘」にも見られますが「膝丸→蜘蛛斬り」、遭遇した事件によって刀剣の名前が変わっていくのが日本の伝統なのでしょう。)

「小鍛冶」では小狐丸が刀(片刃)であるのに、必ず御剣(両刃)と呼びます。
これは稲荷山の神蹟の一つに、剣石(磐座)をご神体とする「御剣社」があることに絡めているのでしょう。
小狐丸が打たれたのは三条の宗近宅だと思われがちですが、おそらくはこの御剣社が想定されているはずです。
御剣社は神山の気が濃厚に流れる峰々の谷あいに鎮座し、宗近が刃を鍛えたという焼き刃の泉という湧き水もあります。
前シテは中入り前、心安くも下向して御剣を打つ壇を築き、我が示現を待てと宗近に告げます。
「下向」とは都会から田舎に赴くことですから、宗近は都三条を出て伏見に下り、稲荷明神の膝下である稲荷山の御剣社神蹟にて小狐丸を打ったのではないでしょうか。
山深い聖域の深夜、稲荷の神霊は人の姿を象って天降り、ふいごの起こす火と焼けた鉄とともに光り輝き、槌音は峰々に谺する、打ち上がった神刀を振りかざすと空の雲は散々に撹拌される、そう想像すると小鍛冶の後場はなかなか凄まじい場面になります。
そんなことなどなど妄想しつつ果てしない鳥居をくぐった伏見詣ででした。


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