世阿弥本弱法師

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今日は師匠が弱法師の世阿弥本版を舞われます。

弱法師は名作として名高い現行曲ですが、実は世阿弥自筆の本が残されていて、その文句が現行のものとは多少違い、現在は登場しないシテ・俊徳丸の妻が出、俊徳丸の父・高安通俊をワキではなくアイ狂言が演じ、施行を取り仕切る四天王寺の住僧をワキが演じるというように、登場人物が増えるところに特徴があります。(現行の演出では僧侶は登場せず、高安通俊が施行を取り仕切るという矛盾がある)
いまの弱法師がカットした登場人物を復活させてみると、盲目の少年の心象の透明感にスポットを当てる現行の演出とは別趣の、猥雑な当時の風俗と人間模様、盲目の苦しみを描いた舞台の手応えが生々しく蘇ります。

弱法師は世阿弥の夭折した長男・元雅の作であると言われますが、この復古版を見ると、世阿弥の力説した「能による一同の幸福」を旨とした作能セオリーを破る、彼独特の生死をリアルにとらえる筆致がよくあらわれています。
世阿弥はなぜ弱法師を書き残したのか、今の弱法師は元雅の死後、世阿弥によって改作された演出なのか、それはわかりませんが、現行はより世阿弥好みであり、この復古演出がより元雅の筆の息遣いを伝えるのは確かです。

高安通俊は息子俊徳丸を人の讒言によって追い出してしまいますが、やはり哀れに思い、息子の今生後生の加護を祈って四天王寺で七日の施行を行います。
なぜ通俊が俊徳丸を放逐したかと言うと、恐らく俊徳丸が業病を患ったからでしょう。
業病はその人が過去生で、もしくは一族が過去に起こした重大な過失が今生に影響して得た、不治の病です。
俊徳丸の独白に「浅ましや前世に誰をか厭いけん」、また同じ元雅作の蝉丸に「前世の戒業拙きゆえ」と言うのがそれで、蝉丸も業によって盲目となったという設定です。(蝉丸の姉逆髪の狂気も同様)
今では考えられないことですが、当時はそういう迷信がありました。
高安通俊は高安という地名を名乗るくらいですので、それなりの領地を持った名士なのでしょう、その子息に業病の者が生まれるというのは非常に不名誉なことだと考えられます。
ですから始めは俊徳丸を人目から隠して養育していたのが、讒言により放逐することになったという流れだと思います。
蝉丸は帝によって流されることによって皇族の血の浄化を行なったわけですが、俊徳丸も同じ理由で追放されました。

その後俊徳丸がどうなったかと言うと、病が進み盲目とすらなり、四天王寺の慈善施設に養われながら路上で四天王寺の縁起について語る、ある種の芸能活動をして日銭を稼いでいます。
その登場シーン、普通でしたら杖を突いて一人達観のなか四天王寺の職場に通う姿を見せる俊徳丸ですが、世阿弥本では慈善施設で妻せられたのでしょう、同じような境遇の妻の介添えを受けながら現れます。
父通俊の俊の一字を継ぎ、俊徳「丸」と幼名ながら領主を継ぐ立場にあったかもしれない彼は、病も手の施しようもないまま最下層の暮らしをしている、その哀れさが滲みます。
世阿弥本では全編そういった生きる苦しみの要素が濃厚で、鼓を打ちながら四天王寺縁起を謡い、妻が舞を舞うクセなども、普段の居グセでは感じられない卑賤な大道芸の雰囲気が匂い立ちます。
皮肉な盲目による日想観(落日の彼方に西方浄土を見る信仰)から、その宗教的興奮のなかかつて肉眼で見た海山を思い浮かべ、再び目の当たりにしたかのように杖を忘れて走り回るあたり、なんともエグ味のある元雅の筆ですが、結局見えぬ通行人に突き当たって杖を落とし、手探りで探すと駆け寄った妻の手助けで立ち上がり、悔しさのなか恥じ入って涙を流すくだりの哀しさは、現行のあっさりとした演出では感じられないものです。
そしてお互い名乗りあった父子、世阿弥の作品でしたら神仏の力によっての再会を喜び、ここで全くのハッピーエンドとなるところですが、俊徳丸は卑しく衰え果てた姿を恥じて身を隠そうとし、父は追いかけます。
いとも簡単に追いついた父通俊は領主として、最下層の者を衆目のなか同道するわけにはいかず、実の息子を夜に紛れて連れて帰るという終曲も、世阿弥の描くストレートに幸福が訪れる再会劇とは一味違う、元雅の屈折した筆の跡です。
最下層にいながら濁らぬ俊徳丸の心の清らかさ、それに対比される生きる苦しみと、いじらしい人の情けを濃厚に描く世阿弥本弱法師、現行を白ワインとするのなら、世阿弥本はフルボディの赤ワインと言えるかもしれません。

師匠はいつも弱法師を清らかな蝉丸で舞われますが、世阿弥本では眉間にシワを寄せた弱法師の面が似合うとおっしゃいます。

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宇和島エレジー

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宇和島の小料理屋で先輩と一献二献、地元の話を聞くうちに、女将さんは三味線を持ち出し、大将の口上が始まった。
「伊達政宗のご長男秀宗公が初代藩主として入部なさってできた宇和島藩。江戸の中ごろ藩主様が参勤交代で江戸へのぼったとき、仙台の伊達家と顔を合わせた宴席で、伊達家の本流はどちらかという論争が起こった。仙台側の家臣はこっちが本流だと言わんばかりに地元民謡『さんさ時雨』を披露する。負けじと宇和島伊達家の庭番、吉田万助が即興で宇和島の『さんさ』を歌った。これが『宇和島さんさ』の起こりです。仙台も宇和島も同じ伊達家ということで『もろともに』という合いの手が入ります。」
と女将さんの三味線に合わせて大将は唄い始めた。
大将もお湯割りをちびちびやっていたからか、なかなか調子がいい。
「昔は和霊神社の大祭にはみんな舟で繰り出したものです。どこも思い思いの大漁旗を上げて、色とりどり海を埋め尽くすくらい。舟には四人漕ぎと六人漕ぎがあって、エンジンなんて無いもんだから、女房子供にいいところを見せようと男衆はやっきになって漕いだもんです。私ら子供は父さん頑張れ頑張れと囃し立ててね。祭りの日は見知らぬ人でも舟に『まあ乗れまあ飲め』と乗せちゃあ酒を飲ませました。懐かしい。今は埋め立ててしまったので、祭りにはみんなマイカーで行くんでね、飲まなくなりました。思えばいい時代だったのだと思いますよ。何であんないい物がなくなってしまったのだろう。全く様変わりしてしまいました」
こういう話はどの地方都市を回っても必ず聞かれることだ。
華やかなりし時代を忘れ得ぬ宇和島も人が遠のき、観光客も松山までは来るが宇和島に足をのばす人は少ないという。
かつての宇和島で当たり前に展開していた世界が今もあるなら、どんなに素晴らしいだろうと思った。
僕らは右へ倣えのゆるキャラや取ってつけたようなレジャー施設、箱物には興味が無い。
そこに住んできた人々が風土や自然とともに作り上げてきた生き方や景観に触れたくて、旅をする。
海や山に沿って走る古代の道を破壊し、地図に重機で線を引き、都会のやり方を押し付けるような国作りを押し進めたから、この国はすみずみまで陳腐化してしまった。
開発の名のもとに。
仙台本家との間を取り持った伝説とともに宇和島の意地を伝える、宇和島さんさの哀愁を帯びた調べに聞き入りながら、僕の心には港を埋め尽くす大漁旗の極彩色がありありと見えていた。
ありありと見えてはいたが、それと引き換えに宇和島が手にした物が何であるのか、僕には全くわからなかった。





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ゆかし

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僕が考える女性の魅力は品と色気に尽きると思います。
品と色気はともにイマジネーションの産物だと思う。
姿形など脳に直接訴える魅力に対して、それはこちらのイマジネーションを「喚起させられる」ところに発生する、ややタイムラグのある魅力である。
僕の場合、品があるなぁとか色気があるなぁと思わされるのは、必ずその人の制御されたゆっくりとした動作を見た時だ。
ある姿勢からある姿勢へ、ある表情からある表情へ移り変わる間に、何か無ではない、透明でありながら丁寧に運ばれた一瞬が存在するとき。
それを言い換えるのなら所作の余白であり、姿勢の行間であると言えるかもしれない。
そういった「間」にその人の世界の把握の形が表れるのを見て、そこに美しさであったり、好ましさを思い描き、書き加えていくようにイマジネーションが喚起されるとき、僕はそれを品や色気と感じるようだ。
それは紙一重の「ゆかし」だと思う。
相手の心の奥をゆかしと感じた時は品となり、服の奥をゆかしと感じた時は色気となる。
そういった意味で、奥ゆかしい女性は魅力的だと思う。

能の世界に入ってから、数々のあわや大惨事の危機を乗り越えたり、後見など、舞台上で仕事をしながらも存在を消さなくてはならない場面に立たされたりする中で、昔は知らなかった集中の形を多少は身につけた気がする。
それが日常にも通じて何か出来事があったとき、転ぶ寸前に世界がスローモーションに見えるように、昔なら慌てて素通りするだけだった一瞬をいくつもに分解して、その猶予の中で自分をある程度整えて物事に向かうことが少しできるようになった気がする。
背筋を伸ばし身体を看板のように前に立て、呼吸を深くゆっくりにして意識の核を腰の辺りに持っていく、すると身体が空っぽになって集中が生れることに気づいた。
そのくつろぎの中で時の流れを細分化すれば、目の前で起こる事象に少し先んじて思考し、対処することができる。
呼吸が浅くなると瞬間が意識に定着せず、時は手から滑り落ちていってしまうから、慌て虫が出てきそうな際どい局面こそ、呼吸を緩慢にして深くする。
そういった身体感覚から類推すると、僕の考える女性の品や色気は、深い呼吸から生まれているに違いないと思われる。
深い呼吸は時を丁寧に扱うコツなのだと思う。
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