「小鍛冶 黒頭」舞います 3

テーマ:

梅若会
2017年1月9日 午1時開演
能「翁」翁・梅若長左衛門
能「小鍛冶 黒頭」シテ・川口晃平

指定七千円 自由六千円(学生・三千円)
名匠・小鍛冶宗近が、稲荷明神の相槌を得て霊刀小狐丸を打ち上げるまでの霊験能。
初心者の方でも必ず楽しめます!
いらっしゃれる方はご一報を!



正月二日の恒例行事、伏見稲荷詣では丁度いい現地探訪となりました。
例年は三ノ峰にお詣りをして帰るのですが、今回は大学時代以来久しぶりに一ノ峰、二ノ峰、小鍛冶ゆかりの御剣社と回り、稲荷山の霊気を存分に吸い取って舞台へのテンションも上がりまくりついでに、能には直接関係ないことなども書いてみようかと思います。

さて能「小鍛冶」、まずは一方の主人公・三条小鍛冶宗近の名前ですが、小鍛冶とは鉱脈を探し山から鉄鉱石を掘り出し金属を精製する大鍛冶に対して、刀などの鉄器類を作る職人をさす普通名詞で、三条は地名ですから、京都の三条に住む刀匠宗近という意味です。
平安中期の伝説的刀匠である宗近の氏神が稲荷神社なのは、商売の神として知られる伏見の稲荷大社が、実は金属加工業者の神でもあるからです。
伏見稲荷の大切な祭儀に「ふいご祭」があります。
ふいごとはタタラ製鉄や金属器作りには欠かせない、炉に風を送り火力を高める器具で、伏見稲荷大社境内からも古代のふいご口(羽口)が発掘されるあたり、伏見稲荷が様々な世俗的ご利益を剥ぎ取ると鍛冶の神であるということがわかります。
伏見稲荷を作ったのは古墳時代に数万人規模で渡来してきた秦氏です。
秦氏は土木や養蚕など様々な先進技術をもって渡来してきましたが、土木をやるにも何を作るにも必要なのは金属器ですから、秦氏とはまず大規模な鍛冶師集団でした。
秦氏は葛城氏の手引により渡来し、葛城氏の本拠地葛城山の麓に住まわされていましたが、雄略天皇によって葛城氏が滅ぼされると各地に拠点を作りながら散らばって行きます。
その一つが伏見の辺りでした。(そこからさらに北上定住し、賀茂神社や松尾大社などを作ります)
伏見稲荷の鎮座する稲荷山には三つの峰がありますが、その一つ一つに古墳があります。
これは秦氏が入ってくる前にこの地を墓域としていた豪族のもので、ニノ峰のみが前方後円墳であとは円墳とのことですので、その首長はニノ峰に眠るのでしょう。
また稲荷山の辺りは古代からの野辺送り(死体捨て場、風葬)の地で、峰に古墳があるのを見てもわかるように死の世界、ある種のアジールでした。
流浪を余儀なくされた秦氏がまず根を張ることができたのは、そういう場所だったからなのかもしれません。
この古墳祭祀の上に葛城を脱した秦氏が氏神を作り上げたのが伏見稲荷大社です。
秦氏がこの豪族から土地を奪ったのか技術を提供しつつ同化したのかはわかりませんが、稲荷信仰の根本には古墳祭祀、古代豪族の首長に対する鎮魂があり、これが今のお塚信仰につながっています。
また稲荷の名ですが、人間が生きていくのに欠かせないのが食料であり、伏見稲荷の祭神はその名も食料の神を表す普通名詞ウカノミタマですし、発祥伝説の稲生り(いねなり)→稲荷(いなり)という命名もわかるのですが、彼らの生命線は金属加工業でしたから、生業を考えると稲荷とはもしかしたら鋳(い)成りなのではないかとも思います。
稲荷を氏神とし刀鍛冶を営む宗近は、古代に大和を出て山城の盆地に到った秦氏の流れなのでしょう。

また、稲荷と言えば狐ですが、これは狐が稲荷神の本体であるという考え方と、狐はあくまでも稲荷神の眷属であるという考え方があります。
稲荷神社に行きますと普通の神社で狛犬がいるポジションに対の狐の像が設置してあり、これはやはり狐が稲荷神の眷属であることを表しているのでしょう。
また稲荷神社の狐には荼枳尼(ダキニ)活天の乗る白狐の面影があります
荼枳尼天とはインドの俗信が仏教に取り入れられた天部で、日本においては白狐に乗る女神の姿に描かれますが、元々は人肉を食うようなインドの鬼女ダーキニーで、その眷属は風葬地をうろつくジャッカル(野干)でした。
そういった出自をもつ荼枳尼天は扱いに注意を要する反面、非常に強い呪力を持つということで平安以降流行します。
この荼枳尼天の乗る狐(もともとはジャッカル)と、稲荷山に何かしらの形で古くから祭られていた狐が習合したのが、稲荷神社の狐なのでしょう。
稲荷山の狐については諸説あり、峰の古墳に棲む狐(古墳に狐が巣穴を掘ることは多かったらしく、狐塚や稲荷山と呼ばれる古墳も多数あります)を祭る祠があったとか、農耕の益獣(稲を食い荒らすネズミ等の害獣を狩る)として狐が祭られたなど言われるようですが僕にはわかりません。
が、秦氏の他の寺社には狐の影は無く、秦氏は狐をトーテムとして持ち歩く一族ではないと言えますし、荼枳尼天と習合してから狐の図像を得たとも思われませんので、やはり稲荷山には何かしらの形で狐が祭られていたと見た方がいいでしょう。
古墳祭祀の聖域を利用して秦氏の氏神・稲荷神が形作られ、山麓に祭られていた狐が眷属として採用され、さらにその狐に荼枳尼天が習合した、という流れが想像されます。
おそらく明治の神仏分離令によって稲荷大社から荼枳尼天は切り離されたのでしょう、それでも稲荷神は扱いを間違うと怖いなどと言われるあたりに、稲荷山が荼枳尼天の霊場でもあった名残りを見るような気がします。
「小鍛冶」のシテは稲荷神そのものではなく、稲穂を負った老人の図像でも表される稲荷神に遣わされた下っ端の霊狐であって、だからこそ小狐丸なのだと思います。
が、小書がつくとこの霊狐の位が上がっていき、下っ端ではないイメージになっていくあたりが面白いです。
「伝うる家の宗近」代々小鍛冶を営む宗近が秦氏の流れであるのなら、小狐は先祖の遣わした助け舟であるのでしょう。

「小鍛冶」の後半
「打ち奉る御剣の。刃は雲を乱したれば。天叢雲ともこれなれや」
打ち上がった小狐丸をかざすと、刀の先からビームのように照射される霊力によって空の雲が切り刻まれる、なかなか映像化したくなる詞章です。
この天叢雲はスサノオがヤマタノオロチを退治したときに尻尾から得た剣で、後々ヤマトタケルが東征のさなか静岡の焼津にて敵の火攻めに遭ったとき、熱田神宮から借りていた天叢雲で草を薙ぎ払うと「剣の精霊嵐となって。炎も草も吹き返されて。天に輝き地に充ち満ちて。猛火は却って敵を焼けば」という逸話より草薙の剣と名を変え、三種の神器の一つとして皇室の象徴となります。(「土蜘」にも見られますが「膝丸→蜘蛛斬り」、遭遇した事件によって刀剣の名前が変わっていくのが日本の伝統なのでしょう。)

「小鍛冶」では小狐丸が刀(片刃)であるのに、必ず御剣(両刃)と呼びます。
これは稲荷山の神蹟の一つに、剣石(磐座)をご神体とする「御剣社」があることに絡めているのでしょう。
小狐丸が打たれたのは三条の宗近宅だと思われがちですが、おそらくはこの御剣社が想定されているはずです。
御剣社は神山の気が濃厚に流れる峰々の谷あいに鎮座し、宗近が刃を鍛えたという焼き刃の泉という湧き水もあります。
前シテは中入り前、心安くも下向して御剣を打つ壇を築き、我が示現を待てと宗近に告げます。
「下向」とは都会から田舎に赴くことですから、宗近は都三条を出て伏見に下り、稲荷明神の膝下である稲荷山の御剣社神蹟にて小狐丸を打ったのではないでしょうか。
山深い聖域の深夜、稲荷の神霊は人の姿を象って天降り、ふいごの起こす火と焼けた鉄とともに光り輝き、槌音は峰々に谺する、打ち上がった神刀を振りかざすと空の雲は散々に撹拌される、そう想像すると小鍛冶の後場はなかなか凄まじい場面になります。
そんなことなどなど妄想しつつ果てしない鳥居をくぐった伏見詣ででした。


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「小鍛冶 黒頭」舞います2

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小書「黒頭」について

小鍛冶は割と初心者が舞う能で、僕も入門して初めてシテを勤めたのは小鍛冶でした。
が、この能に小書がつくと扱いが重くなり、簡単には舞わせてもらえない曲になります。
小鍛冶の小書には黒頭、白頭、白式(梅若のみ)、別習黒頭(重キ黒頭)があります。
まず簡単に言って小書がつくとシテの扮装が変わり、常よりも霊力と狐の位が上がっていることを表現します。(小書に言う頭の色は後シテに関しての物です)
常の小鍛冶の前シテは着流しに水衣を着し、黒頭に童子の面を着け扇子を持って登場します。
これが黒頭(別習、白式も)になりますと腰巻モギドウ(上に何も羽織らない)姿になり、面もカッシキを着け頭は黒頭ではなくカッシキ鬘を結います。
常の童子の姿はいかにも妖しい少年で、狐が人に化けきれていないような様子ですが、カッシキになりますと自然居士などでも見られるように説法をすらする知的な少年の顔になり、常よりも化ける霊力が高いという表現です。
が、モギドウ姿というのは能においては半裸を表現しますから、何ともアンバランスな扮装です。
また、常の前シテは扇子を持ちますが、黒頭になりますと稲穂を持って登場します。
これは稲荷明神が稲穂を背負った姿で表されるのを踏襲しているのでしょう。
この稲穂でヤマトタケルが草薙の剣で周りの草を薙ぎ払う型をするのですが、梅若家は穂を剣先、他家では逆手に持って根元を剣先にして舞います。
穂を剣先にして舞った方が格好いい反面、ブラブラしますので扱い難く形が決まらないという面もあります。
中入りは橋掛かり一ノ松で狐の正体を明かすかのようにぴょんぴょんと足を抜き、幕に走り込みます。

常の後シテの扮装は法被を肩上げ(両袖を腕まくりした形)にし、赤頭の上に狐を付けた冠を戴き、すばしっこい妖怪の面・小飛出を着け槌を持参します。
それが黒頭になりますと頭には黒頭のみで冠を省き、前と同様に法被も着ないモギドウ姿となり軽快な印象を与えます。
常の小鍛冶が狐戴を着けて狐であることを強調するのに対して、黒頭ではより人に近い姿に化けていることを表します。
人には化けていますが、石橋の獅子に準じた、獣を表す手を広げた構えで槌を持たず登場します。
面は梅若家では小飛出より大ぶりで金色に塗られた大飛出を使う事が多く、他家では牙の生えた牙飛出なども使われます。
また、黒頭では宗近が壇上で祈願しているところを空から見守る体で三ノ松まで一度登場し、一度引っ込むと早笛となり走り出、全く停滞のない舞台運びとなります。
常の小鍛冶では刀を鍛える槌を持参しますが、黒頭では槌を宗近に準備させ、宗近に槌使いを習う場面、勅使に小狐丸を捧げる場面で常は両手を舞台に付けて頭を下げるところ、黒頭では少し屈む程度で、やはり狐の位が高いことを表しますが、少し偉そうに見えます。
また常では打ち上がった小狐丸を明神が直接勅使に渡しますが、小書が付くと明神は宗近に渡し、宗近が勅使に捧げる形になります。
これは明神来現が宗近のもとのみにあったことを表し、より神秘性を高める狙いがあるのだと思います。

別習黒頭はかつては一子相伝であった大変重い小書で、後シテの出囃子が石橋の獅子に準じたものになりますが、狐と獅子の性質の違いを考えるとやや違和感があります。(イヌ科とネコ科など…)
また、白頭になると前シテが老人の姿になり、ヤマトタケルの仕方話も座ったまま舞い、後シテは白頭に狩衣肩上げに狐戴をいただく立派な姿になりますが、早笛も舞働も無くなり、歳を重ねた超ベテラン向けの演出になります。
白式は梅若家にしかない小書で、基本的には黒頭のやり方なのですが、後シテの扮装が白地一色になり白頭に狐戴、法被を肩脱ぎ(右袖を巻き込み右肩を露出する着方)の姿になり、槌を持って登場します。
これは大変格好いい小書です。
白狐そのものを表す白頭、白式は黒頭よりもさらに一段霊力と位の高い演出です。

写真は梅若家の稲穂が老朽化したので、この度造花を買って作ったβ版稲穂です。
しかしなぜか稲穂の造花にはあまりいい物が無いです。




梅若会初会
1月9日午後1時開演 於・梅若能楽学院会館

能「翁」
翁・梅若長左衛門
千歳・松山隆之

能「小鍛冶 黒頭」
シテ・川口晃平
ワキ・殿田謙吉
笛・松田弘之
小・幸清次郎
大・亀井広忠
太・大川典良

指定・七千円 自由・六千円(学生・三千円)

いらっしゃれる方はご一報を!!
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「小鍛冶 黒頭」舞います1

テーマ:
〜あらすじ〜
時は平安時代、一条天皇はある夜不思議な霊夢を見て、当代一の刀匠・三条小鍛冶宗近に霊剣を打たせるべく、橘道成を勅使として宗近の私宅に遣わした。
勅令を受けた宗近は刀匠として大いなる栄誉を感じつつも、天皇に捧げるほどの刀を鍛えるには自分に劣らぬ者に相槌を打たせないと無理だが、いまはおらず果たせぬ由を述べて断ろうとするも、勅令を曲げることはできず困惑しきってしまう。
かくなる上は神頼みをしようと、宗近は氏神である伏見の稲荷明神に詣ることにする。
するとどこからともなく不思議な少年が現れ、宗近の名や刀を打てとの勅令があったことなどを次々に言い当てる。
不審に思いながらも話を聞いていると、少年は中国の霊剣の逸話、ヤマトタケルが東征のさなか草薙の剣の霊力で危機を救われた伝説を仕方話で語り、それらに劣らぬ刀を打つには我を頼んで待てと言い捨てて夕空の稲荷山に雲隠れする。
宗近が鍛冶場に壇を飾り告げの通り霊剣が打てるよう祈りを捧げていると、相槌を勤めるべく稲荷明神が天降った。
宗近は喜び明神に槌扱いを教えると槌の音は天地に響き、見事な刀が打ち上がる。
宗近はその名を表に、明神は弟子として裏に小狐と銘を入れ、小狐丸と名付けた刀を勅使に捧げると、明神は叢雲に乗って稲荷山に帰って行った。

前半のヤマトタケルが草薙の剣で周りの草を薙ぎ払い、敵の放った炎から逃れる仕方話、後半後シテの登場からは息もつかせぬ場面が続く全編見どころのような曲です。

写真は梅若家の小飛出です。
小飛出はすばしっこい妖怪に使う能面で、普通耳は無いのですがこの面には耳があり、サイズ的にも造形的にも大飛出と小飛出の中間くらいであり、中飛出と呼ぶのが相応しいような珍しい作例です。


梅若会初会
1月9日午後1時開演 於・梅若能楽学院会館

能「翁」
翁・梅若長左衛門
千歳・松山隆之

能「小鍛冶 黒頭」
シテ・川口晃平
ワキ・殿田謙吉
笛・松田弘之
小・幸清次郎
大・亀井広忠
太・大川典良

指定・七千円 自由・六千円(学生・三千円)

いらっしゃれる方はご一報を!!


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