虚像

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小中学校時代に植え付けられていた、愛国心とは邪悪な物で、日本人は元来低俗な恥ずべき民族で、先の大戦では筆舌に尽くしがたい犯罪行為をしたというおかしな意識を思い出すと、昭和の終わりまではGHQに施されたWGIPが完璧に機能していたのだと、自分が歴史の中にいたのだという感覚が面白くさえある。
WGIPはウォー ギルト インフォメーション プログラムの略で、劣等感と罪悪感を植え付け洗脳することによって、民族としての日本人を萎縮させ内部から崩壊させるとともに、米軍の無差別爆撃や原爆使用への批難の矛先を、日本人自らの罪の意識によってかわすという一石二鳥の計画でした。
この流れで日本を凶悪な国に仕立てるため、日本の戦争犯罪や統治時代の非人道性が捏造されたり、強調されたりしたのを、日本人が植え付けられた罪悪感から鵜呑みにしてしまい、またそれに乗っかった国内のあっち系の人々が言い立てたのを、周辺諸国が利用し今にいたるまで喚きたてられているわけです。
アメリカさんも上手いことやってくれたものです。
これからは日本人が鵜呑みにさせられてしまった事象を全て吐き出して、一つ一つ客観的に検証していくことが大切で、捏造は捏造、違うところは違う、正しいところは正しいと、世界に発信していくことが必要でしょう。
周辺のきな臭さが一触即発の様相を見せ始めた昨今、僕らはまず内外に植え付けられた日本の虚像との戦いに打ち勝ち、その上で国外と相対していかなくてはなりません。
急を要すると知るべきでしょう。
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文武両道

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中高生の頃、ずいぶんと文武両道でなければダメだと言われていた気がする。
が、その文武両道には、学校のお勉強と部活を両方ちゃんとやらなきゃダメだ程度の意味内容しか無かったので、僕はすっかり嫌になってしまって、高1の時には両方ドロップアウトしてしまった。
周りにいた大人達はそれは君らの仕事だという態度で、文武両道について考えそれを実践している人は皆無だった。
僕は大人こそ文武両道でなければならないと思う。
考えるに、武とは現実世界に正しい力を行使することの出来る分野の活動、生業とも言えようか、僕にとっては能が武にあたる。
文とは人間としてどう生きるべきか、小さな生の集合体であるこの国がどう進むべきか、過去から未来に向けての思考を確立するための活動である。
文の下地があってこそ短い一生の中で、武を正しく美しく、遺憾無く発揮できるのに、僕らにはその前提となる文の力が圧倒的に足りない。

では文の確立に必要なのは何かと言えば、人が生きた痕跡であり、その集合体である国が興亡を繰り広げた記録である、歴史を学ぶことだと思う。
が、誰かにとって都合のよい客観性の欠けた歴史では用を成さない。
しかし歴史は記録されることによって現代に伝わる物だから、原典においては必ず記録者の立場によって都合の悪い所は隠され、わざと強調される部分もあれば嘘も多いし、時代の影響も受ける。
その原典を読み解いた、僕らが手にすることの多い歴史関連の書籍にも全く同じ事が言える。
そうやって揺れ動く歴史という物の、出来うる限りの客観像を掴み取ろうという訓練が、文の力を育む、全大人にとって欠くべからざる学びであると思う。
そういった意味での文武両道を子供の頃から養える環境を、この国はぜひとも作らなくてはならない。
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デジタルの擦り傷

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現代と比べて大昔は時の流れがゆっくりだった、とはよく言われる。
大昔に生きたことがないのでその真偽は僕には判断できないが、大昔の人々に比べて、現代人が人工物の発するノイズに始終苛まれているのは確かだろう。
僕らは慣れきっているつもりだが、音や光や質感など、人工的な素材で出来た人工物は人間の感覚に必ずストレスを与えるものだ。
そのそのストレスをデジタルの擦り傷として残さぬよう、現代人は知らずに身をかわしながら生きている。
そういった防衛作業に一日に割り当てられる体力精神力の何割かが消費されてしまうとしたら、ノイズが無い環境に比べて僕らの肉体的精神的活動は、何割か目減りした状態で行うしかないことになり、結果、時の濃度は薄まる。
これが大昔は時がゆっくり流れていた、ということの正体であろうと想像する。

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