私的喫煙日記

      私の日々のパイプ喫煙を記録しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      


テーマ:

今日は関東パイプオフの月一定例会。

前回予告したように、今日はこの会には珍しく「議題」なるものが存在した。即ち、「クラシック・シェイプ」とは一体何であるか?

話の進め方として、私はてっきり、パイプを出展した当人が、そのパイプを出展した理由と自らのクラシック・シェイプという定義を披露するものであると認識していたが、実際にはそのような流れにはならず、それぞれ出展したパイプについてのコメントは求められなかったし、各人の定義についても全く語られなかった。

代表してパイプ界の重鎮である青羽氏(関東パイプオフ内では『黒時計』氏)による考察が述べられて、それに対する質疑応答が主たる内容となったのであるが、この青羽氏の考察は流石に唸らせるものがあり、クラシック・シェイプを説明するものとしては最も説得力のある結論であると、私は思った。

 

以下はその要点を纏めたものである。

 

クラシックという言葉はそれ自体が独立して存在し得るものではなく、必ず対峙する対象があって初めて「~に対してクラシック」と言えるものである。

そしてパイプの世界に於いて、一体クラシックという言葉は、何に対してのクラシックであるかというと、それは取りも直さず「デニッシュ」に対してである。

デニッシュパイプの台頭は、それまでブリティッシュ・トラッドであったパイプの世界に新たなるパラダイムを齎した。それ以前とそれ以降では、明らかにパイプというもののデザイン的な自由度に大きな変化がある。

よって、デニッシュの出現を境に、クラシックとそうでないものが分けられるのである。

 

実にわかりやすい。

つまりはこういうことだ。現在のブライヤを原材料とした喫煙パイプの基礎が築かれてから今日に至るまで、フリーハンドというシェイプ名は存在せず、それがある種のエポックとして、丁度、印象派やフォービズムの出現のように、それまでの常識を覆したのが、Danish Invasion(デンマークの侵略)と呼ばれるパイプ界の大革命だったのだ。

伝統的な形にのっとろうとする時、それは自然とクラシック・シェイプへの昇華を意味するのであり、そこで妥協があればそれは最早フリーハンドでさえ無い。

ハンドメイドパイプ作家は、宣言すべきなのである。自分が意図する方向性がクラシックであるのか、フリーハンドであるのか?を。そこには誤魔化しは許されないのだ。

桑原さんの言わんとした主旨は実はそこにあったのではないだろうか?つまり「宣言せよ!」と。

「私はこれからクラシック・シェイプを作るつもりであり、出来上がる物はクラシック・シェイプである」と。

 

そうなると、東京パイプショーの意図も自ずと変わって来ざるを得ない。

これまでは例年、ただハンドメイドパイプとして公募し、審査して来た訳だが、クラシック・シェイプ賞を設けるということは、出品者は「クラシック・シェイプ」としてエントリーするべきなのである。

純粋に「技巧・技量を評価して欲しい」という気持ちの顕れ、それこそが桑原氏が希望したクラシック・シェイプ賞ではなかったのだろうか?

 

そしてまた、その逆もまたある。

「いや、私は魂の赴くままに作る!」と初めてイヴァルソンのパイプが創出された瞬間のように、フリーハンドに拘るのであれば、それはその作家の作家性としての顕れである。

偶々出来てしまったパイプが「クラシック」なのか「フリーハンド」なのか?などという曖昧な創作物では、その技量を正確に測る事はできない。

できないが、同時に、パイプ作家が職人として徹する必要も無いのである。そういう意味では、前々回あたりから、イルカ型のパイプなどが東京パイプショーから姿を消してしまったのは、ある意味、ある種の偏りなのかも知れない。

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