今日は、患者さんのリハビリをやって、午後から会議、そして、系列老健での介護予防教室のお手伝い。
ボクは、作業療法士として、回復期、療養、精神科、老健、デイケア、デイサービス、障害者施設での勤務経験があるので、このような仕事は特に違和感なく可能。
現在、超急性期病院からのオファーを作業療法士として受けているが、今は時間がないので調整中とお伝えする。できたら、短期間でも働いてみたいところ。
リハビリセラピストには「職人気質」な人が多く、これを専門職という気風もある。もちろん、これを否定する気はないし、ダメだとも思わない。実際、作業療法士になって10年間、ボクも職人作業療法士を目指していたし。
でも、本当のリハビリテーションを提供しようと思った時に、
「病棟を変えなあかん、事務を変えなあかん」
と思い、職人気質をやめて、医療界の「専門職」から「総合職」へと鞍替えした。
前略、土門さん
「三好は、医療界の総合職を目指します!」と宣言した、5年前、何度も笑われたが、
今では、職業として成り立っております。
っと、ドカベンの谷津吾郎の名台詞を引用。そして、この土門の剛速球をミットでなく、体で受ける谷津のウィキペディア情報も引用。
谷津吾朗(たにつ ごろう)
捕手。最初はライトを守っていたものの、守備が悪くいったんは野球部をクビになる。しかし、1年秋の県大会決勝前日に偶然土門に見出され、彼の要望で捕手として野球部に復帰する。
当初はその「プロレス界が泣いて喜ぶ」程の身体の頑健さを活かして、土門の剛速球をミットに依らず己の体を肉の壁となし受け止めるという役割を与えられ、守備にはほとんど関わらず、走者を出せば走られ放題という捕手だった(もっとも、土門の超剛球ゆえなかなか走者は出ず、また本盗を敢行した岩鬼を全く寄せ付けずアウトにしている)。しかし、甲子園大会に出場した明訓に密着していくなど研究熱心な面も持ち合わせ、その成果故か土門の剛速球を受けられるようになり、登場初期は右打ちだったがいつの間にか左打ちになり、冗談まじりながら「山田二世」と評されるまでになる。
2年夏の県予選では土門の投球を好リードで補佐し、さらに打者としても山田のリードを看破して里中の球を二打席連続でスタンドに叩き込むなど、その実力を遺憾なく発揮する。3年夏ももう一歩のところまで明訓を追い詰めたが、岩鬼のまぐれの本塁打によって敗れ去った。
明訓の甲子園遠征に同行した時、明訓および対戦高の戦いぶりや山田の自己鍛錬の様子に感服した際に、手記や心中の呟きなどで常に「前略 土門さん…」と著すところは多くの読者に覚えられており、今なお作品の語り草の一つともなっている。