”なにごとにつけても善を行おうとしか考えない者は、

悪しき者の間にあって破滅せざるをえない”

マキアヴェッリ 「君主論」より



■ ■ ■ 医療堕落論 ■ ■ ■


中間管理職 


 ここ数年で医療環境は激変した。


 夜間にたった一人の医師が、他の患者の大量出血を診ている最中でも、電話で急患を断れば「たらい回し」とマスコミには叩かれ、医学的に正しい処置でも医師は逮捕され、そして現実不可能な厚労省通達で病院の家宅捜索がされた。


 医療の価格設定を国が行い、超低価格で据え置かれて公立病院の7割が赤字になっていても、「採算性を重視せよ」という、病院の体を縛って川に落とすような状態が続いている。


 国はベットを減らし、医療費削減を声高に叫ぶが、それは病院を倒産させ業務を停止せよ、と同じ意味の日本語であると、医療関係者以外の誰が気付いているのだろうか?


 患者は自分の権利を声高に叫び、一度の受診もなく出産のため病院に飛び込み、費用を踏み倒して去っていく。医師の自由は、そこにはない。ただ、患者の自由がそこにあるだけだ。




■ ■ ■




 この変化の中、マスコミの医療関係者に味方する文章を見る事はほとんど皆無であった。彼らマスコミにとって、医療関係者、特に医師は唾棄すべき腐敗の巣窟であり、患者を切り刻む冷酷なサディストであり、知ったかぶりをした不勉強な詐欺師であり、そして守銭奴であった。彼らの目には、医療は堕落しきった存在であり続けた。


 一方、海外に目を向けると、WHOでの健康度世界1位をはじめとして、日本の医療は素晴らしい成果を収めて評価されている。しかも、医師数は限界まで少なくOECDでは最下位争いをしており、医療費も先進国最低である。アメリカでは大統領選挙に日本型医療の「国民皆保険」を参考にした保険制度を検討する意見が出ている。最高の成果を極めて安い値段で受けられるのが、今の日本医療なのである。


 いや、「素晴らしい日本医療であった」と過去形で話すべきであろう。バブル期をはさんで全く上昇しなかった診療報酬が、2006年に3.16%の診療報酬という驚異的な減額を受けて、余力の無い病院が一斉に赤字に転落し、「患者さんのための医療」から「採算性重視の医療」へと急激な変化を遂げているからだ。


 救急をやれば経営的にマイナスになり、産婦人科をやれば出産費用の踏み倒しが病院全体の未収金の三分の一以上になり、小児科をやれば子供に手がかかる分だけ人件費で赤字になる。すべて、「採算性重視の医療」では、「やってはいけない医療」であるのだ。繰り返すが、その料金設定はすべて国が行っている。


 例えば現在、DPCを導入している急性期病院では、入院中にほかの科に受診することはできない。なぜなら、「ある病気で入院しているときは、何をやっても定額」という料金体制になっているため、「肝癌」で内科に入院している時に、「水虫」のために皮膚科に受診することは、皮膚科の医師のタダ働きを意味する。足の骨折で整形外科に入院しているときに、腹痛になったら内科医はタダ働きをして診断、治療に努めなくてはいけない。再三繰り返すが、その診療報酬を決めているのは国である。堕落せよ、と国が命令しているのだ。




■ ■ ■




 一方、我々医療側はどう考えているだろう。多くの医療関係者は、「こんなことではいけない、日本の医療がつぶれてしまう」と義憤の念を抱いていることと想像し、期待はしているが、私自身は残念ながら違う。私は良き日本医療とともに死ぬかもしれないが、より多く生き残ることを確信している。破壊しつくされ、ぶざまに変容した、堕落しきった新しい医療とともに。


 私はこの壮絶で、馬鹿げた医療の破壊劇をまるで観客のように見ている。私は、大儀が我々医療側にありながら、無知な人々が世界に二つと無い素晴らしい日本医療というものを壊そうとしている、この無慈悲で凶暴な破壊を興奮しながら静かに傍観している。


 良かれと思ってやっている医療行政が逆にひどい結果になる事を沢山見てきた。医局をつぶし、医師を解放したことで、当然のことながら地域医療が崩壊した。これほど医療が進歩しているにもかかわらず、「全身を診るべき」ということで「臨床研修制度」が作られ、すでに研修が終了している医師が出てきているが、「専門はないが、とりあえず全身を診れる医師が沢山出来て助かった」という話は全く聞かない。あるのは、悲痛な専門医の不足の叫びである。さらには僻地、離島の医師手当は廃止され、僻地や離島から医師を引き上げさせることが着々と進んでいる。


 今後も、老人医療が法律で変わり、75歳以上は「安くて、質の『悪い』医療」しか提供されなくなるであろう。医療の進歩とは逆行し、「専門医には診せず主治医制」「定額制」という恐ろしいことを始めようとしている。しかし、お金も人手もかかる老人医療を「定額制」にした場合、崩壊するのは明らかだ。つまり国は「質を下げて、医療費を下げろ」と言っているのだ。


 さらには消費税を上げて、医療福祉費にあてよ、という意見がある。しかし消費税を上げると病院・診療所は、その意図とは逆にバタバタと倒産するであろう。診療報酬に消費税分が組み込まれておらず、消費税を請求できない状態での「消費税の上昇」は、医療関係者にはさらなる「収入の減少」に直結し、多くの病院が倒産に導かれるであろう。きっと、「医療のための消費税」で「医療機関が倒産する」のだ。神の手ならぬ国の手によって。


 大学では独立法人化という名の絶縁が行われ、学問の府である白い廃墟は一営利企業となリ果てた。大学の末席で、壮大な医療破壊の末に最後の王たる教授が苦悶する様子を見、少しずつ厳しくなる診療業務と、本来、大学が必要とする創造性あふれる研究に費やす時間も財源もなくなっていくことを実感した。これこそ「医療における静かなる世界の終焉」と気付いた医師も少なくないはずだ。


 診療報酬の削減は、50歳でも開業できた医師が30歳で開業しないと採算が合わず、借金を返せないことを意味する。すでに歯科医師は、20代のうちに開業しなければ借金を返済できず、6年制大学の卒業後、研修もあわただしく開業へ向かわざるをえない。そして、医師もそうなっている。病院に残るか早期開業か。医師は研修を積む前に開業するしかないシステムにすでに移行している。


 司法は判例を通して医師を裁き続ける。交通事故を起こした加害者よりも多額の賠償金を救命処置をした医師に請求する。老人で生命予後が短いガン患者でも感染症を起こすと数千万円に、心筋梗塞ですぐに別の病院に搬送しても中途で死亡した場合、罪に問われる。妊婦は100%安全に出産しなくてはならず、死亡した場合は検察に逮捕される。医学的な反論は全く通じず、極論するなら、日本では「病院で死亡することは認められない」ような判決ばかりが大量に作られている。


 いま、医師にとって最も優れた判断は、「裁判をされるような医療をしない」ことである。高尚な「医師のあるべき姿」論は、現実に訴えられ、生涯賃金よりも多い訴えを起こされれば吹っ飛ぶはずだ。ひたすら「防衛医療」に徹し、「救急を受けず」「重症患者を診ず」保身に徹することだ。堕落することが日本の医師の希望であり、夢であり、理想であるのだ。




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 かつて、どこまでも深遠な生命の不思議に魅了され、研究を続けた自分がいた。患者のために24時間、すべてをかけて医療を追求し、高みを目指した自分がいた。それが多くの医師の姿であり、疑問は持たなかった。


 しかし、ふと気付くと自分は汚れにまみれていた。毎日のように報道で「堕落している」といわれ、患者から暴言を吐かれ、襟首をつかまれ、そしてミスのないところで「医療ミス」と言われた。自分は純白のままに高い空の果てを目指していたはずなのに、自分の手は汚れてしまっていた。その汚れは、周りの人々が我々に頭からかぶせた「原罪」だったのだ。医師として在る、それ自体が今の日本では「原罪」なのだ。


 自分の名誉もマスコミに引き裂かれ、政府によって診療報酬は激減し、患者に限りなく高い要求を受け、司法による責任の認定は生涯収入よりも高く、日本医療は今、崩壊する。


 マスコミに、国に、そして国民に言われたように我々医療関係者は堕落しよう。名誉もなく、わずかな収入で、司法に訴えられることも無い。「国民の健康」という大儀の旗は折れ、コペルニクス的転回を経て、我々に残された道は、堕落するしかないのだ。


 堕落しろ、と言われるなら。それが望みであるのなら。



 人間は生き、そして堕ちる。すでに武士道もなく、戦争もなく、名誉も、信頼もなく、ただ静かな破壊がここにあり、現状が維持できないことだけが分かっている。質を下げ、医療費を下げ、ぶざまに変容した医療のまえで呆然と立ち尽くしている自分が目に浮かぶ。

 

 しかし、それでも、私はきっと生きていくだろう。


 堕落した医療とともに。













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(1)
坂口安吾「堕落論」に敬意を払います。

坂口 安吾
堕落論 (集英社文庫)

(2)

H19.10.8

H19.10.11

誤字などの若干の修正を行いました。


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