聖地、佐沼









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お産SOS

(1)転院通告/まさかの縮小 失意深く

http://blog.kahoku.co.jp/osansos/2007/02/post_12.html#more

(2007/02/04)


 登米市立佐沼病院が産科機能を縮小―。2006年2月、登米市の妊婦を激震が襲った。
 産婦人科の常勤医は翌3月限りで2人から1人に。月50件前後あった分娩(ぶんべん)は、原則20件に制限された。
 市内に残る他の分娩施設は民間診療所が1カ所。そこも余力はない。4月以降、佐沼病院で出産を予定していた妊婦の約6割は大崎や石巻、一関など市外、県外に転院を強いられた。
 登米市の千葉由美さん(37)は転院を告げられた1人。「何でわたしなんだろうって。もうパニックになってしまって」。初産で妊娠6カ月だった。その日を思い出すと、今も涙がにじむ。
 里帰り出産、初産、合併症などリスクを伴う妊娠…。経過が順調な地元在住の経産婦以外、つまり何らかの事情がある妊婦のほとんどが転院の対象になった。
 詳しい理由は千葉さんも分からなかった。「病院は『医師が1人になるから』と言うだけ。忙しいから深くは聞くな、という雰囲気だった。わたしはリスクが高いのかとブルーになった」。数日間、次の行き先を考えることさえできなかった。
 別の女性(37)は臨月間近に大崎市民病院へ移った。「本当にショックだった。わたしは佐沼病院生まれ。おなかの子には、お母さんと一緒だよってずっと話しかけていた」。初めての病院。知らない土地。心細さに押しつぶされそうになった。


 佐沼病院は助産師も16人おり、現場は活気にあふれていた。マタニティービクス(妊婦のエアロビクス)などに積極的に取り組み、母乳指導への信頼も厚かった。助産師の伊藤真理さん(45)は「まさか、ここが機能縮小なんて。考えもしなかった」。
 転院を迫られた妊婦と何度も向き合い、語り、ともに泣いた。「助産師は喜びの涙を流してもらうために仕事をしている。悲しませるためじゃない。それが悔しい」。勤続22年。数々のお産に立ち会ってきた。
 助産師は看護師の資格も持つ。分娩が減り、何人かは他科に回された。生命の誕生にかかわる仕事に誇りを感じ、磨き続けた能力、技術は存分に発揮できなくなった。
 産科医1人となっては、分娩制限もやむを得なかった。交代要員はなく、いつ呼び出されるか分からない。産婦人科の医師吉田祐司さん(41)は「1人体制の産科医はみんなそう。心身の限界を時々感じる」と明かす。
 佐沼病院では同時に小児科も縮小された。入院病棟は閉鎖。24時間の診療体制が崩れた。「新生児ケアと複数の産科医」。公的病院の産科を維持する最低条件として吉田さんが強調する環境は整っていない。
 「今の自分の立場を他の医師にはとても勧められない。地域のことを考えると、産科をやめて婦人科だけ診るわけにもいかない。ただ、佐沼でいつまでお産をやれるか…。このままでは難しい」
 佐沼を離れた産科医は重篤な患者に対応する2次、3次医療を担う大崎市民病院に異動した。欠員の補充だった。佐沼病院の縮小は、県北一円の産科医療の拠点を守る窮余の策でもあった。
 「地域の分娩が減ったことによる診療縮小ではないので、住民にはなかなか理解してもらえない。それがつらい」。吉田さんの悩みも深い。
 妊婦、助産師そして医師。縮みゆく現場に、それぞれが心を痛める。

◇ ◇ ◇

 東北で産科医療の危機が妊婦にのしかかっている。産む場が消え、遠距離通院を迫られる。当たり前だった里帰り出産も難しくなってきた。このままでは「お産難民」も出てきそうだ。命を宿した母親の切実な声があちこちで聞こえる。(「お産SOS」取材班)=第2部は5回続き

【写真説明】助産師(左)の指導でマタニティービクスに取り組む妊婦。産科診療の行方が気にかかる=登米市立佐沼病院



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月20件ということは


年間240件。


1人医長でやるのには多すぎで、


かなり厳しい数字だと思います。


というより、


よく産科を続けていると思います。







「聖地 佐沼」


その由縁は、ここからも読み取れます。


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http://www.gonryo.med.tohoku.ac.jp/kyoushitsuinkai/dayori/Vol.7-No.1-2001.5.1/hp2.html


公立佐沼総合病院

当院は仙台から距離にして約70km北にある登米郡迫町佐沼に立地しています。迫町は人口約2万3千人で、ラムサール条約指定登録地で夏には極楽浄土を思わせるように湖面一面に蓮の花が咲き冬には白鳥やガンが飛来する「伊豆沼」や、ボート競技の静水コースでは日本一と言われ、オランダ風車が回る宮城県内最大の「長沼」を抱え、市街地には北上川の支流迫川が流れる、水と緑の豊かな自然に恵まれた住みよい田園都市です。
 
アクセスは、東北自動車道古川インターより約35分、築館インターより約25分、東北新幹線くりこま高原駅より車で約20分です。迫町内には東北本線の新田と梅ヶ沢の二つの駅がありますが、バスの便から瀬峰駅を利用する人もいます。
 
 当院は昭和25年宮城県厚生連佐沼病院(45床)として発足し、昭和30年11月に迫町が委譲を受け、公立佐沼病院として開院しました。そして昭和60年1月から一般病床を225床に増床し救急医療を中心に着実な成果をあげ、人口約9万人の登米圏域の中核病院として発展し、平成7年10月より一般病床300床となっております。
 常勤医は現在、内科5名、小児科2名、産婦人科2名、整形外科2名、外科4名、泌尿器科1名、耳鼻咽喉科1名、眼科1名、皮膚科1名、放射線科1名、健診介護支援室1名で、他に週2回の脳外科、週1回の胸部外科、特殊外来として週1回の糖尿病外来があり、その他各科外来や麻酔、当直業務で定期、不定期の多大な応援を東北大学医学部附属病院等からいただいております。各科のドクターは精力的に診療しており、たとえばお産は月平均60件以上、手術室での手術件数は月平均120件以上にのぼります。そして小児科と産科を除けば患者さんは高齢者が多く、90歳以上の大腿骨頸部骨折の手術など珍しくありません。
 
 またなぜか「いつでもみてもらえる」という事が町周辺に浸透し、年間8千人を超える時間外患者が救急外来を受診するため、院内ならびに応援医師が連日奮闘しております。研修医のいない当院で、当直医が何とかがんばってやれるのは、院内のドクターの真面目なバックアップ体制があるからです。地域住民は幸せなのですが、患者さんや家族がそうとわかっていない事が我々にとって辛いことで、患者教育の大切さを感じつつ、さらなる医師の確保が極めて重要と考えております。
 
 こんな中で、ドクターはじめ病院職員は、花見、各種飲み会、ボーリング、テニス、ゴルフ、海水浴、運動会、スキーなどを一緒に楽しんでいます。
 
 病院の裏には長沼から流れてくる小さな一級河川があり、その水は病める日本の環境をあらわしています。そしてそのすぐ西側には県北有数の飲み屋街があり、夜になると各地のお客さんで賑わうのであります。この賑わいは、佐沼が藩政時代の津田氏、亘理氏の城下町で、東西交易の要として栄えたのが始まりだとのことです。しかし院内のドクターはそこにそれほど多くは出没していないようです。月曜日の夜医局会などの後、36型デジタルハイビジョンテレビのある医局で、お酒を飲みながら多岐にわたる話題に花を咲かせております。
 
 皆様も機会があったら是非この話の輪に入ってください。お待ちしております。
                     文責:外科○○ ○


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>年間8千人を超える時間外患者が救急外来を受診するため、

一日平均 22人の救急患者って、


どうです?



地域住民は幸せなのですが、

>患者さんや家族がそうとわかっていない事が我々にとって辛いことで、

>患者教育の大切さを感じつつ、

>さらなる医師の確保が極めて重要と考えております。



結局、地元の人には


医師の頑張りが理解されず、


さらに馬車馬のように働け


といわれ、


聖地認定、医師撤退


となったわけですね…。













我々医師は


国からも見離され


住民からも信頼されず、


召使のようにこき使われるのが


当たり前、


過労死すらデフォという状況で


どうしたらいいのでしょう?









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崩壊の瀬戸際/減る産科医 忙殺の連鎖 お産SOS 河北新報社 

http://ameblo.jp/med/entry-10023489900.html