すっかり明けて暮れてきましたね。
とりあえず、あけましておめでとうございます。
皆さま、初夢みました?
見たかもしれないけど、忘れちゃったというアナタ。
悩み多き自分の暮らしから目を背けるのも、そろそろ限界なのかもしれんです。
夢に見てない事まで見たかのように言っちゃうアナタ。
そろそろ自己顕示欲と世間からのアナタ自身の評価のズレが限界なのかもしれんです。
僕が見た初夢、けっこうスゴい夢だったかもしれない。
言ってみれば、ある種の“啓示”のような、ね。
ここでそれを長々語る気はさらさら無いんだけど、一言で言い表すなら
『新・日本列島改造論』
というべきものになるのかもしれない。
さっきの地震で更に確信した部分があるんだけど、僕は先の大震災に伴う津波や原発事故による被害ってのは、単に地殻の歪みによる物理的な現象ではなくて
何か、この日本列島に渦巻く様々な歪みに気付かせてくれる啓示のようなモノだと解釈しているのね。
昔から人は自分たちが抗えない大自然による災害や被害ってのを擬人化する事から、神のような存在をイメージしてきたわけだけど、
日本は少しおかしい国になっているって事に気付くための“キッカケ”としてあの大災害を捉えなければ、進歩はないと思うね。
災害にせよ、戦争にせよ、疫病にせよ、
すべての事象のイミ合いとは生き残った人の為だけにあるのだからさ。
本来死んだ人にはイミ合いなんぞ無いんだけど、それじゃ“あんまりだ”っていう部分と“明日は我が身”っていう部分から弔いという概念が生まれて継承されてきただけで、
人間なんてのは死んだらそれで仕舞い。
だから、生き残った人間、無事を得た人間は、より高い次元へと進まねばならない。
それが人間という種が進化する為の別れ道。
人として“在る”上で一番大事なのは何なんだ?
世の中の進歩にかまけて失ったモノって何なんだ?
それでも世の中の進歩した果てに得た“小道具”に頼らなければ“活きて”はいけない現実をどう捉える?
そこに目線が行かない奴らがいくらボランティア気取りで被災地を巡っても、
亡くなった人タチは“弔われない”し、
何の新たなる“本能”も遺伝子には刻めない。
遺伝子に新たなる“本能”を刻む事だけが人間の役割なのだからね。
それを理解しないと、ね。