みなさん。これは夢物語です。

 いや これが世界を動かす真実であることを信じて、立証される日を追い求めます。

 チノちゃんは、我が故郷の奇妙な地形を幼き時から不思議に思い、暇にまかせて 「五千年前の大洪水」を作業仮説として想定しています。

 いま、かわいいユキちゃんの絵を添えて、謎解きの先史文明の旅に、みなさんをお誘いします。



 この「五千年前の大洪水と先史文明」の旅は,アカデミックな夢の旅です。

 世界大不況のさなか、みなさんに夢と希望を お届けします。旅の道中では、いろいろお尋ねもあるかもしれません。

 でも旅が終わるまで、しばらくお待ちください。

 その御不審がこの旅の目玉なのです。その真実がなんなのか、旅の道中やその後でお目にかけます。



 このライフワークを始めて7年が経ちます。とうとう「キチガイ」と言われる領域に至りました。「天の川がグルグル回ると地球の赤道が回転し始めるのです」これが判る人は既に先史文明継承者です。



はじめての方はこちら。

基礎編
さわり - 五千年前の大洪水


目次 大洪水のイメージ


本論

目次 - 先史文明


応用編

目次 - ピタゴラスの館


目次 - 日本の文化

その他

目次 - 海の神社


目次- 鉱床学


目次 - 古環境と人類移動


目次 - 遺伝子工学


目次 - 雑話


五千年前の大洪水


古環境と人類移動


大洪水


海の神社


余談 おもてなし




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真相究明委員会
-小さな町の農協不正融資事件

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2017-04-22 21:43:35

公開質問状とは

テーマ:ある農協問題

上記手紙は読み難いので清書します。

あなたのブログには「公開質問状という言葉
をよく見かけますが、愛川農協の規約には、
なんて書いてあるのでしょうか?またどのような
解釈をしているのでしょうか?
「JA県央愛川ホームページ」さんのニュース
に「公開質問状について」を詳しく掲載して
頂ければ 私以外の皆さんもご理解するの
ではないかと思います 如何でしょうか。
真相究明委員の小島さん あなたの
ブログで問い合わせてください。

 

                          平成29年4月22日
県央愛川農協
 馬場 組合長殿
   組   合 殿
農協ホームページ担当者殿

このような手紙が来ました。そちらで、3、4日以内に、答えてやってください。
一般組合員が農協に質問したい場合、どのような手続きをしたらよいのか、詳しく教えてください。
先日、河原で集まった時の皆さんの声です。
貴社のJAだよりによれば、厚木警察署を通して質問しないといけないのですかね?
真相究明委員会の質問には一切答えてくれませんね。 なんで?
一般組合員だったら、お答え下さるのでしょうかね?
愛川農協の定款、もしくは規約ではなんて書いてあり、どのように解釈されるのでしょうか。 私も知りたいですね。
 真相究明委員会の私は、一昨年の農協総会で、皆さんの満場一致で、選ばれた 小島ですよ。
 この文章に回答なき場合は、司法の手を借りるかもよ。
 県央愛川農協、真面目に考えなさい。

 グロブと手紙で皆さんにもお知らせします。
*このブログを見て、皆さんはどう思いますか。
  更なる意見をお待ちしています。
                             敬具
 

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2017-04-20 00:27:22

7世紀中頃の東アジア天文学

テーマ:人類の食料

7世紀中頃の東アジア天文学
高句麗、百済、新羅の三韓時代、新羅天文学
新羅の善徳女王の時代(即位632から647年)、ドラマの中では、ペルシャからサダム(天文書)が伝わり、ソドム(天文台)をつくったり、日食や月食を推測したとする演出が行われた。
しかし、これらは、現在の天文学で調査すると間違いであることが判明している。そして、この間違いは中国も同じであった。
 つまり、中国に伝わったペルシャ天文学が間違えていて、新羅にそのまま伝わり、丸写しであったことが判明した。
陰陽五行・北辰説


 次に、700年に日本の執刀使節団・粟田真人が周の則天武后を訪問した時、周王朝の都城は北極星ポラリスの陰陽五行・北辰説でした。
長安のポラリスは188.190度で、天の北極より、8.19度右(東側)でした。
 そこで、このポラリスを緯度の違いで観測してみます。
各地の観測結果
観測年代AD700年、観測日3月21日、観測時間:朝4時30分
藤原京    (135°48′,34°.30′) 方位189°.016,  32°.217
長安      (108°54′,34°.18′) 方位188°.190,  34°.550
上海      (121°30′,31°.12′) 方位188°.752,  29°.053
バンコック   (100°30′,13°42′) 方位187°.546,  11°.010        
シンガポール(103°48′ , 1°12′)  方位187°.551,  - 0°.409
伝播ルート
上記のようにAD700年、シンガポールではポラリスを見ることは出来ません。 従って、陰陽五行・北辰説は、大陸内部から伝わってきたことを示しています。
南からの海洋ルートも活発化しているのですが、この時代,表には出てきません。 文化の中心地・長安が海から1,000km以上も内陸部に入っているからでしょうか。この時代の海洋ルートの仏教は部派仏教です。
玄奘三蔵と粟田真人
7世紀中国の唐初期時代は国外への入出国は禁止していました。
そこで629年出発、645年帰還の玄奘三蔵の影響があるのではないかと考えてみました。
653年、道昭(当時24歳)は粟田真人『道灌:(当時10歳?)』と中臣真人『定慧:(643から666年)鎌足の長男、不比等の兄)』を連れて、第二回遣唐使船にて入唐する。彼ら三人は玄奘三蔵(当時51歳)に師事する。玄奘は他国から来た、幼少の留学生を可愛がり、寝起きを伴にして師事したと言われています。


尚 帰国した玄奘(602から664年)は、持ち帰った膨大な経典の翻訳に余生の全てを捧げた。太宗の勅命により、玄奘は貞観19年(645年)2月6日から弘福寺の翻経院で翻訳事業を開始した。この事業の拠点は後に大慈恩寺に移った。さらに、持ち帰った経典や仏像などを保存する建物の建設を次の皇帝・高宗に進言し、652年、大慈恩寺に大雁塔が建立された。その後、玉華宮に居を移したが、翻訳作業はそのまま玄奘が亡くなる直前まで続けられた。 彼が後に編纂した報告書が『大唐西域記』である。


 上記文から推測すると、ほとんど弟子を取らずに自ら経典の翻訳に、努力したと思われる。

652年、大慈恩寺に大雁塔が建立される。

653年,道昭、中臣真人(定慧)、粟田真人(道灌)の三人が唐に留学し、玄奘に師事する。三人は僅かな弟子の一員で、大雁塔で翻訳の手伝いをしたと思われます。

660年、道昭が帰国し、

663年、白村江の戦い

664年、師・玄奘が寂する。

665年、中臣真人が帰国

672年、壬申の乱発生

681年頃、粟田真人(38歳?)が帰国している。

 そうなると、『大唐西域記』の編纂にも上記三人が関与していた可能性は大きいと思われ、翻訳の書物の中に、上記のペルシャ天文学が含まれていたのではないかと考えてみました。


                           以上

今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。
 

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2017-04-12 21:17:23

日本書紀について 5結論

テーマ:日本書紀について

日本書紀について 5結論
今回の問題は、津田左右吉博士が戦時中において、逆風に立ち向かったことについては賞賛に値するところである。

「間違いは、間違いである」これを言い切り実践できる人は、ごくまれである。

大部分は自分の意見も出せず、女芸者顔負けの「お上手」と言われる人たちであろう。しかし、現在は世界が市民主義の文治国家を目指している。

そこには、三権分立という、立法、行政、司法の三権分立がある。

ある国などは、行政がのさばり、司法が立ち上がれない状態に見える。

市民民主主義を目指すには、司法がしっかりしなければいけないのではないか、とおもわれる。(一言)
しかし、今回の問題はそこではなく、「日本書紀の神代紀は明らかに作り物である」と主張したことの解釈である。
確かに、誰がみても作り物であることは明白である。
そこで、明らかに作り物であることが解かっていても、何の為にという理由の解釈が問題なのである。 ここでは、その解釈が藤原不比等の作戦ではないかと疑っているようである。
 確かに「日本書紀」の作成に当たって、藤原不比等が横やりを入れた可能性は高いと思われます。 だからと言って、ペルシャ天文学までの教養を身に着けていたとは思われません。
この結論として、不比等は関与しても監修すらでき無かったと思われます。
次に、本当の問題は「世には明らかに間違って伝えられているものが数多く存在する」のです。
これは、「真相を究明されること」を待つための「人類文化」であり、「わざと 間違いを判り易く」存在させているようです。


人類とは本当に「面白い文化」だと思いませんか。
以上が私の結論です。
                     天文・真相究明委員会

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2017-04-12 19:06:00

4善悪二つの仮面をかぶった神々

テーマ:日本書紀について

4善悪二つの仮面をかぶった神々
 それでは、なぜ通説に逆らうような推理が飛び出したのか、神話の世界に戻って考えてみよう。上山氏は、まず『古事記』に記された神話が、一つの法則に則っていることに気づかれた。それは宇宙の始まりから神武天皇の誕生へと続く二本の枝分かれしたラインの存在なのである。
 天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)から始まってタカミムスヒーイザナギーアマテラスーニニギと続く“高天の原系”と、同じく天御中主尊から分かれてカミムスヒーイザナミースサノオーオオクニヌシという“根の国系”の両者のラインが、最終的に神武天皇へと結びつき、左右対称の構図を作り出している。高天の原系は聖なるイメージであり、天皇家へと続く正義であるのに対し、根の国系は穢(けが)れた乱暴者のイメージで、高天の原系の神々に反発し、やがて国を譲り渡す立場に回る。つまり、神聖であるはずの神々にもそれぞれ性格があって、善悪二つの仮面をかぶらされていたということなのである。
 たとえば、イザナギとともに日本列島を形づくり、多くの神々を生み出した日本の始祖神ともいうべきイザナミでさえ、黄泉の国へ行ったのちは、腐乱した醜い姿で描かれ、これを唯一慕ったスサノオが、のちに高天の原で乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)の限りをつくすことは、イザナミの性格を考えるうえで、興味深い。
 少なくとも上山氏の指摘通り、明確な二本のライン、善と悪極端のイメージが神話に秘められた図式であることは明らかであろう。
 問題はこれからである。
 天皇家の正統性を訴えるために描かれた二本のライン、それが神話の正体であったとすれば、津田氏が考えられた推理と、さほど差はない。 
  ところが上山氏は、この神話の図式には、八世紀初頭の政治地図がそのまま反映されていて、この事実が藤原氏の手によるものである可能性が高いとされるのである。 天孫降臨=天皇家の祖ニニギ(アマテラスの孫)が初めて この列島の支配者として舞い降りた裏には、一柱の影の神が重大な働きをしていた。上山氏が高天の原系に分類したタカミムスヒである。
じつは、このタカミムスヒとアマテラス・ニニギの関係は、そのまま八世紀の藤原不比等(ふひと)・持統(じとう)天皇・聖武(しょうむ)天皇の形づくる図式にぴったりとはまり込むというのが、上山氏の指摘なのである。
 もちろん藤原不比等は『日本書紀』編纂の立役者だったとされる人物であり、持統天皇は、この藤原不比等を重用し、律令(りつりょう)制度の
整備に邁進(まいしん)した女帝であった。
 いわば、持統天皇と藤原不比等は、日本の神話を完成させた張本人であり、上山氏が指摘されるように、神話のなかに彼らの思惑(おもわく)が忍び込んでいた可能性は高いはずである。
 そして、どちらかといえば、持統天皇よりも藤原不比等の方が、このような小細工を施さねばならぬ理由をもっていたらしい。
と書かれておりました。
コメント
1.建国史である日本書紀の製作目的が天皇家の正統性を表すためであるならば、何故に国民に一般公開しなかったのでしょうか。

一般国民が建国史を知らなければ意味がありませんよね。
2.神々が善悪の仮面をかぶらされたのはかわいそうである。
  もっとほかの解釈があると思われるのですが。
3、藤原不比等には、日本書紀の根本筋書きは書けません。
  日本書紀の神代紀はペルシャ天文学で出来ていると思われるからです。

余談

タカミムスヒとカミムスヒは陰陽五行説の「聖地」と「穢れ地」と解釈されるのではないでしょうか?
 私の解釈とはかけ離れているようなので、私のブログ2014年8月8月 テーマ日本書紀・その他 「三種の神器」を参照して下さい。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。
 

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2017-04-12 00:38:37

3神々を利用した(?)のは誰なのか

テーマ:日本書紀について

3神々を利用した(?)のは誰なのか
津田左右吉氏は、すでに大正時代から、神代史の政治性を指摘されていた。六世紀初頭の大和朝廷が、天皇家の日本統治を正当化するための政治目的をもって神話を製作したものと考えられたのである。
この津田氏の主張は、戦後ようやく認められるようになり、神話を語るうえで無視できないばかりか、津田氏の主張は古代史のゆるぎない前提となったのである。
これはむしろ当然のことであった。教義・経典がないとされる神道の唯一、それらしい文献が『古事記』『日本書紀』であり、これらの記述を根拠に、“天皇家”は二千年近くにわたり日本の王であり続けた。
そして神道は、民俗宗教であると同時に、天皇家を神に戴く国家神道という側面を持ち続けるに至ったのである。これも、“神話”という裏付けなしには考えられないことであり、だからこそ津田氏は、神話の政治性に着目したのである。
ところが非の打ちどころがないように見える定説に対し、梅原猛氏や上山春平氏らによって、異論がだされたのである。
問題は、『古事記』や『日本書紀』の成立した時期にあった。上山氏は、五・六世紀にはすでに統治者としての権威を十分に確立していたはずの天皇家が、八世紀初頭という時点で、なぜ改めてその権威を正当化する必要があったのかという疑問を持ち、「記紀」の書かれた八世紀初頭という時点が大化改新(たいかのかいしん)や壬申(じんしん)の乱をへて、天皇家の威信は比類もなく高められていたのではないか、とする(『神々の体系』中公新書)。
つまり、八世紀初頭、天皇家がわざわざ自らの高められた権威を正当化する必要がなかったとするならば、誰か別の人物か一族が、神話を生み出す主体になったのではないか、とされるのである。そしてそれは、日本最大の名門豪族、藤原氏だったのではないかとする斬新なアイディアにつながったのである。
この指摘は、たんに神話の性格を考えるうえだけでなく、、いったい、日本とは何であったのか、という根本的な問題をはらんでいるのである。
すなわち、日本を支配していたのは天皇家ではなく、これを利用していた藤原一族だったのではないか、という日本史の通念を覆すほど大きな問題を指摘しているからである。
九世紀から一一世紀にかけて、朝廷は摂関(せっかん)政治の名のもとに、藤原氏の独裁体制が布かれたことはよく知られ、政治の実権が、この時の天皇から藤原一族に移ったとすることは、学界でも認められている。
 しかし、すでに七世紀末、藤原氏は実質的な権力を手中にしていたのではないかと上山氏は指摘される。
と書かれ取りました。
コメント
日本の建国神話である記紀は本来支配者の正当化を目的とするものではないかと疑っているようです。
  つまり、記紀の製作目的である。
   そして、この書物は藤原氏が係っているのではないかと疑っています。
 

 皆さんは、どうお思いでしょうか。
  ここでの、私の意見として、傀儡政権は何時の世もどんなときにも
発生するものです。藤原政権だけではありません。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。
 

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